15.時子とスマートフォン
夕方、マロウドに行くと、時子が一人で接客をしていた。珍しく三人程客がいる。
「染谷さん!今日は一人でお店任されてます」
「どうだい?順調か?」
「おかげさまで。何か飲みますか?」
「それじゃ、アイスコーヒーブラックで」
時子は、お店で働いているときと、染谷とプライベートで話す時と上手く敬語と俗語を使い分けているようだった。平安京の訛りは、少しづつではあるが少なくなってきている。きっと勉強や現代文化の中で様々な言語に触れている賜物だろう。
そして、この世界に来てから毎日、市江さんと接客をしているので、すっかり板についていた。まもなくして、アイスコーヒーが運ばれてきた。
「市江さんが帰ってきたら、渡したいものがあるから、ちょっといいかな」
「渡したいもの?」
「まあ、いいから。ちょっと今後の事について、話もしたいし」
「今後の事?」
時子は、どこか腑に落ちない表情を浮かべつつ、コーヒーを置いて、カウンターに戻っていく。
その日は結局、合計で10人の客が来た。市江さんが商工会議所に行っており不在だった為、時子と染谷で接客対応した。
店の戸締りをし、時子と二人きりになる。
「染谷さん、さっき言ってた話とやらだが」
「うん、時子ちゃん現代日本に来てそろそろ二か月経つだろ?正直元の世界に、平安京に戻りたいか?」
「父が流行り病で死んでから、ワシには家族が兄と母親しかいなくてな。貴重な働き手なのじゃ。なので、家族の為にも、いつかは戻りたい気持ちもある。けれど、平安京の成れの果てを知ってしまった以上、このままここでしばらく暮らすのも悪くないとも思う」
時子は、下をうつむき、ぼそぼそと話した。見ると手が震えている。決断や心の中での葛藤があるのだろう。
「正直、元の世界に戻るには、相当な時間がかかると思うんだ。この前会った康介とも相談したんだ。けれど、俺らにもその方法はわからない。それまでこの世界でやっていくしかないと思うんだ」
「ワシもいろいろ考えたが、方法が思い浮かばん。しばらくこの暮らしでやっていきたい」
「時子ちゃんにこれを渡したいと思って」
時子が顔を上げる。染谷はカバンから一台のスマートフォンを取り出してそっと机に置いた。
「これを時子ちゃんにと思って」
「光る板!」
「スマートフォンと言うんだよ、略してスマホ」
街を行き交いする人が皆見つめている謎の光る板が、ついに時子の前にも現れた。
時子は両手でスマホを受け取り、裏っ返したり、ボタンを押してみたりして興味深そうに観察している。
「これをワシにくれるのか?」
「使っていなかったものだからね。使い方を簡単に説明しよう」
染谷はスマホの基本的な操作やラインの使い方、ユーチューブの使い方などを時子に説明した。ユーチューブは特に気に入ったらしい。早速、色々な動画を再生して見せた。操作方法を教えながら、流行りの曲を再生して見せると、ノリノリになって上半身を上下に振りだす。時子は、意外と適応能力が高く、多少のおぼつかない感じはあったものの、その場ですぐにフリック入力をマスターしてしまった。
初めて触るスマートフォンに興奮気味の時子であった。その姿を見て染谷は、思わず笑ってしまった。平安時代の人にスマホを触らせたらこんな反応になるのかと感心の気持ちであった。




