1.洞窟
「入ると出られなくなる洞窟の噂知ってる?」
16歳の時子は、ある時、兄の政氏からそんな噂を耳にした。
そのトンネルは、時子の家から遠く歩いた、氏子橋という橋の下に出来た、洞窟だった。
「その洞窟に入るとね、入った人は皆どこかへ消えてしまうんだって。神隠しという噂もあるよ」
時子は昔から、好奇心旺盛だった。そういった噂話を耳にすると、実際に確かめたくなる。
時子は、毎日腰布をまとい、その上に袖なしの衣を付けて、田植えや脱穀といった農作業に明け暮れていた。噂話はその退屈な毎日を、少し豊かなものに変えてくれる様な気がしていた。
ここは平安京。桓武天皇が平城京から長岡京を経て、平安京へと都を移した頃だ。
今日の農作業を終えた後、時子は早速、そのトンネルの探索に行くことに決めた。
晴天の空には、白い入道雲が堂々と漂っていた。田んぼの周辺の畦道からは陽炎が立ち上っている。時子は、服の裾で汗を拭うと、氏子橋を目指して歩いた。
時は夕刻に近づく頃であろう。時子は氏子橋についた。その橋の下には確かに洞窟があり、周りには鬱蒼と草が生い茂っていた。何者かが供え物をした形跡がある。間違いなくそこは神隠しの洞窟であった。
(覚悟は出来てる)と、自問自答する。時子は、橋を降りると、その洞窟の中に滑り込むようにして入った。
洞窟の内部はひたすらに真っ暗で、地下水の滴るポツンという音が洞内に反射して響いた。しかし、歩いても歩いても、出口が見つからない。時子は、洞窟まで歩いた疲れとその洞窟の温度の丁度良さに疲労と眠気を催した。
(なんだ、なにも起こらないじゃない)
時子は、洞の中に腰を掛け、少し休息を取ることにした。