恋愛講座、回避したいのに逃げ道なし
朝の陽光がカーテンを透かして差し込み、部屋の空気をやわらかく照らしていた。
わたし――リアンナは、思わず大きく伸びをして、そのまま羽毛布団から抜け出す。世界がまだちょっとだけ眠たそうな音を立てる中、廊下から聞こえるのはいつもの侍女たちの足音だ。
「おはようございます、リアンナ様。今日は朝のうちに書類へ目を通していただき、その後は講義の準備という流れになっておりますよ」
ドアを開けるなり、エミーがテキパキと話しかけてくる。わたしはぼんやりした頭を振り、まだ半分寝ぼけている足で部屋を出た。
――今日はちょっと特別な日らしい。午後に「貴族令嬢のための殿方との接し方」を教える特別講師が来るとかで、侍女のエミーとローザが朝から妙にテンション高い。
朝食の席に行くと、いつもより早く準備された朝食がテーブルに並んでいた。パンとスープ、甘い香りが漂うジャムの小鉢、それにフルーツが少し。軽い朝のメニューを囲んで、エミーとローザが盛り上がっている。
「ねえ、ローザ。もし未来の殿方が、すっごく強面だけど実は甘党だったらどうする?」
「わたしなら喜んじゃうかも~。食べ歩きもスイーツ巡りも、一緒に楽しめそうだし?」
「だよね! わかるわかる。見た目は怖いのに、実は甘いものが好き、なんてギャップ最高!」
カチャカチャとスプーンを鳴らしながら、二人はもう会話に夢中。しかも、わたしの顔をチラリと見て、「ねえ、リアンナ様はどんな殿方が理想? 将来どんな恋を?」と悪気なく質問してくる。
「え、ええっと……」
わたしは一瞬言葉に詰まる。そもそも“将来の殿方”など、わたしには想像の外だ。外見は女の子だけど、中身は……前の人生を考えると、まったく別方向の話だから。
「そういうの、興味ないというか……」とやんわり拒もうにも、二人は気にせず盛り上がる。
「10代前半なのに興味なさすぎない? ほら、殿方にときめく仕草ってどんなのとか……」
「ねー! でも、もうすぐ午後には講義があるって聞いてるし、それも関係してるんじゃない? マダム・ルディアが来るかもって噂だし!」
「そうそう。リアンナ様、楽しみですよね?」
楽しみなわけない。むしろ、もしあの厳しいマダム・ルディアが来たらどうしよう、と今から恐れているのに。
「もう! 時間! わたし、午前中は仕事と勉強があるの! 行ってきます!」
わたしはそそくさと立ち上がり、スープを一気に飲み干してパンを片手に逃げるように食堂を出た。背後では「えー、最後まで聞いてくださいよ~」と二人の声が響く。
その声が聞こえるほど、今日が特別な一日なんだと改めて思い知った。午後の講義……「貴族令嬢のための殿方との接し方」。嫌でもわたしの中に警鐘が鳴っている。
午前中は領主見習いとしての書類仕事や勉強をこなす。わたしは伯爵家の当主の候補として、毎朝こうして館の執務室(ボリスさんもいる部屋)で書類を閲覧したり、簡単な応対をしたり、歴史の学習を受けたりしている。
「こちらの資料は、過去に女性領主が男性相手の交渉で成功した例が記録されておりますので、読んでおいてください」
摂政のボリスさんから受け取った冊子を眺める。たしかに女性が相手だと侮られがち、という話が書かれていて、なんだか他人事ではない気がして胃が痛い。
「男だった頃は気にもしなかったけど、今は見た目が女だし……変に甘く見られるのも、逆に突き上げられるのも嫌だなあ」
ぼそりと呟き、めくる。午後に始まる講義が「男にこびるのが正解」みたいな内容じゃなければいいけれど……と、嫌な予感がよぎった。
結局、午前中は地味に書類と格闘し、数人の商人や役人が来るたびに「お疲れさまです」と応対する。そこでエミーが横から「もっと可愛く笑顔で挨拶してみたらどうです?」と囁いてきたりして、わたしは恥ずかしくて仕方がない。まるで“殿方への接し方”を先取りされるようだ。
昼の休憩に入ると、エミーとローザがまた合流してきた。結局、昼食でも同じ話題が止まらない。
「午後の講義、楽しみですね~。殿方との正しい接し方、どんなことを教えてもらえるんだろう」
「うん、たとえばリアンナ様なら“背の高い殿方”が似合うんじゃない? 騎士さんとかも素敵だし」
「いやいや、料理上手な人との暮らしも楽しそうですよね。優しい家庭を築けそうじゃないですか?」
わたしは心の中で「いや、わたし自体が男の中身なのに……男との結婚生活とか全くピンとこないよ……」と叫びたいけれど、もちろん言えない。二人が勝手に盛り上がっているのを眺めていると、顔が熱くなってくる。
「やめてって……!」と思うが、声に出すと「照れてるんですね♪」と誤解されるので、黙るしかない。
そして、いよいよ午後になった。講師が館にやって来る。エミーやローザが「どうせまたマダム・ルディアが来て厳しい指導を……」と身構えていたが、現れたのはまったく違う柔らかな雰囲気の30代前半くらいの貴族夫人だった。
「本日はお招きにあずかり、ありがとうございます。わたくし、クラリッサ・エーデルと申します。王都で少しだけ恋愛指南やマナー教室を開いておりますの」
彼女のやさしげな笑顔に、エミーとローザは拍子抜け。「あれ、あの怖いマダム・ルディアじゃない?」と戸惑いつつ安堵する。
「リアンナ様ですか? 今日は女の子としての幸せを一緒に探すような時間になればと思っています。遠慮なく、いろいろお話しましょうね♪」
柔らかい声には不思議な説得力がある。でも、じっと彼女を見ると、その瞳の奥に強い意志を感じる気がした。下手すれば、優しいどころか“恋愛熱血指導”をされるんじゃないか……そんな危機感が胸中を締め付ける。
「あ、はい……よろしくお願いします」
わたしはなんとか笑顔をつくり、内心で“嫌な予感しかしない”と呻きながら、その場で頭を下げる。マダム・ルディアとは違う形の厳しさが待っていそうで、気が重い。ひょっとしたら、マダム・ルディアを超える強敵かもしれないぞ……。
エミーとローザは「よかった~、怖くなさそうで安心」と嬉しそうな顔をしているが、わたしには分かる。クラリッサが発するこの空気感は――にこやかさの裏に“本気のアドバイス”や“濃い恋愛トーク”をぶちかますタイプの講師に違いない、と。
嫌な胸騒ぎは、あとになって確信へと変わるのだろう。わたしは心の中で小さくため息をつきながら、この午後の行方を思い描く。すでに胃が痛いけど、始まってしまう講義は避けられない……。
こうして、わたしの一日は絶望的なテンションのまま進む。今朝から散々恋バナで赤面し、歴史の勉強でも男相手の交渉を考えさせられ、昼も妄想話に振り回され、そしてついに午後の「殿方接し方講座」が幕を開ける。わたしの“中身としての自分”はますます逃げ場がなくなる気がしてならない。
それでも時間は待ってくれない――今日の講義は始まるのだ。
これから始まる講義内容が、さらにわたしのアイデンティティを追い詰める……予感だけが空気を満たしていた。
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