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男装の朝、そして裁配人室での新発見

 朝の光がまだ淡く、館の窓から差し込む景色は優しい霞に溶けこんでいる。私は寝台からゆっくり起きあがり、軽く身体を伸ばす。今日はいよいよ二度目の“裁配人室”訪問の日だ。前回は簡単な挨拶や概要を聞く程度だったが、今回はもう少し踏みこんだ情報を得ようという計画で、いつもの座学では得られない現場の様子を確認したい。

昨夜は念入りに体を清めてもらい、ふかふかの布団でぐっすり眠れたおかげか、朝の冷たい空気に触れても心地よく背筋が伸びる。


「おはようございます、お嬢様。体調はいかがですか?」


 部屋の隅では、侍女のエミーが控えめに声をかけている。もうひとりのローザは早くも片付けを始めたのか、姿が見えない。私はあくびを噛み殺しながら「うん、ありがとう」と頷く。

 ここしばらく体調は絶好調だし、今日は男装の“リオン”として外へ出る予定だからか、なんだか朝からやる気がみなぎっている。


「うん、ばっちり。……ありがとう。昨日の夜はお風呂で長く洗ってくれて疲れなかった?」


「いえいえ、平気ですよ。お嬢様のほうこそ、恥ずかしがられてましたけど、大丈夫でした?」


「そ、それは……まあ、慣れないだけ……」


 私は気恥ずかしさを押し込めて小さく笑う。最近、“大人になってきましたね”なんて言われるたびに落ち着かない気分になる。ふと、その感覚を思い出して頬がほんのり熱くなったが、今日は大事な用事があるし、意識を仕事モードに切り替えないと。


「それじゃあ……さっそく男装に着替えようかな。今日、朝から出発だし」


「はい、わかりました。昨日のうちにマルグリットさんが仕立て直してくれた服を、こちらに用意してあります」


 エミーがそう言って持ってきたのは、私がかつて使っていた“リオン”用の衣装。一度はサイズが合わなくなりかけたが、マルグリットさんの魔法仕立てで再調整してあるらしい。背伸びした分を合わせてくれたのだろうか。私は軽く羽織ってみて、「あれ?」と首を傾げる。前に比べ、膨らんだお尻が目立たないかと心配していたのだが、思ったよりもシルエットが自然だ。


「これ……ちゃんとカバーできてるかも。マルグリットさんって本当にすごい。体の線が変わってきた気がしてたんだけど、見た目が全然気にならないね」


「ほんと、ぴったりですね。さすが魔法仕立ての職人さん。さて……あとはウィッグと帽子ですね。前髪で顔の印象を変えて、少年っぽくするんですよね」


「うん。さっと被る……って、あ、痛っ……」


 鏡の前でウィッグをかぶりながら帽子を合わせる。たまにピンが引っかかって頭皮をちくりと刺すが、慣れた作業だ。最後に位置を整え、メイクでやや顔をシャープに見せると、二人の侍女が目を輝かせる。


「わあ、お嬢様、いやリオン様? かっこいい……!」

「本当に、いつ見ても少年スタイルはクールですよね。背も少し伸びたのに自然にマッチしてる」


「そう? 顔は変わってないし、心配してたお尻もちょうどいい隠れ方するならいいか」


 得意げに笑ってみる。前世は男だった私にとっては、少年として振る舞うのはある意味気楽でもあり、一方でいまは少女の体という事実が噛み合わない不安もある。だがこの場ではエミーとローザが素直に褒めてくれるので、心地よい自信が湧いてくる。私が笑みを見せると、彼女たちも微笑みを返し、さっそく外出の準備に入った。


 朝食を手早く終え、私はエミーとローザを伴って館を出る。最小限の護衛も、遠巻きに同行する形だ。今回は目立たずに動くため、男装の私は、いつも通り、“リオン”と名乗ることになっている。

 こうすれば、よその人からは単に貴族の息子が勉強で来たと思われるだろうし、正式な当主として出向いたら大事になりすぎて裁配人室の人にも余計なプレッシャーを与えかねない。ボリスさんいわく、あくまで私が学ぶための控えめな訪問にしたほうが本音を聞き出しやすいとのことだ。

 

 「では行きましょう、……お嬢様、いや、リオン。まずは裁配人室へ向かいますね」

「うん、よろしく。私のことは“お嬢様”じゃなくて“リオン”で通してね」

 エミーが軽く会釈する。

「了解です、リオン」


 私は苦笑をこぼす。まだ日の高くない朝の街路を、馬車の代わりに小さな馬具付きの車に乗って進む。そう大きくない移動距離だから、複数頭の馬車よりも身軽な乗り物のほうがいい、とボリスさんが手配してくれた。揺れが少し気になるが、エミーとローザと一緒に乗っているのは心強い。心のどこかで“ちょっとした冒険だ”と思えてきて、胸が高鳴る。


 やがて到着したのは、町の中心部に立つ合同庁舎だった。外観は地方らしくやや古めかしいが、複数の役所が入る建物だけあって、訪れる人も多い。入り口には「裁配人室」の案内が出ており、住民同士の揉め事を受け付ける窓口としても機能しているらしい。

 私は外観を見て、改めて“もめ事の仲裁役”の重要性を意識する。ここで混乱が大きいなら、いずれ制度自体の見直しも考えないといけないかも……そんな思いが胸に浮かんだ。


「じゃあ、リオン様、早速中へ……」

「うん、お願い」


 ローザが先頭を切ってドアを開けると、中は待合スペースが狭くて、壁際に数人が座っている。私たちの姿にチラリと視線が集まるが、知らない顔だから怪しむ人もいるかもしれない。エミーとローザは表情を和らげ、すぐに中の受付へ歩み寄った。私も「リオン」という少年の顔を装って少し気配を変える。


 受付では若い男性が応対してくれた。私たちは事前に“貴族の息子が勉強のため見学希望”と予約を入れてあり、名前も“リオン”で通している。


「本日、お時間をいただいている者ですが……裁配人の方にお目にかかりたいのですが」


 エミーが柔らかな声で尋ねると、受付の男は「あ、はい、二階におります。少々お待ちください」とすぐに案内を始める。どうやら伝達がされているらしく、自然な流れで二階へ通してもらえるようだ。私は胸をなで下ろし、ローザと目を合わせて安心の息をつく。


 二階に上がると、そこは簡素な書類机が置かれた小部屋で、妙齢の男性——この施設の裁配人らしき人が書き物をしていた。薄めの髪を丁寧に梳かしており、少し老け顔だが背筋はぴんと伸びている。私たちが入室すると、彼は顔を上げ、不思議そうに首をかしげる。


「いらっしゃいませ。あなた方は……?」


 エミーが前に進んで、にこやかに口を開く。「本日はご多用のところありがとうございます。私たちは、『リオン』が近隣の法や調停の仕組みを学ぶために来ました。もしよろしければ、最近の事例や相談事の傾向についてお話を伺えませんか?」

 すでに予約の連絡も入れてあるため、裁配人は落ち着いた様子で「どうぞ、おかけください。私でお役に立てれば」と応じてくれる。正式な領主の視察ではないため、堅苦しさも少ないようだ。


「実は、今……どんなトラブルがよく起きているのかなと思いまして。よろしければ、教えていただけませんか?」


 私が少年らしい声音を意識しながら問いかけると、裁配人は顎をさすりつつ小さく息を吐く。


「最近、多いのは“金銭の貸し借り”関連でしたが、今はもうちょっと複雑になってきましてね……。今一番増えているのは土地の取引の揉め事です。農地を売ったり買ったり、その境界線が曖昧だったり」


「土地の取引……やっぱり耕地の拡大とかが関係してるんですか?」


「そうですね。魔法技術の進歩で新たに森を切り開けるようになったんで、その土地をめぐって売買が活性化してるんですよ。ですが、樹木を切る前に先に別の人に土地を売ってしまい、知らないうちに二重に売却されてる……なんて話も増えてて」


 私はさらに前のめりに尋ねた。「じゃあ、二度売却されたとき、どちらが優先になるんですか?」


「ええ、そこが難しいんですよ……。本来は、一度契約した土地は売主の手を離れるものですから、二度目の売却自体がおかしな話なんです。先に契約した買い手が優先されるはずなんですが、いかんせん書面の裏付けが曖昧だったり、あるいは別の人が先に耕し始めてしまったり……。こうなると、裁配人として誰を正当と見るか迷いますね」


「そっか……。契約って言っても紙じゃなく口約束の場合も多いって聞きますしね」


 裁配人が肩をすくめ、「土地の取引の仕組み自体、整ってないですから」と嘆息する。その言葉に、私は胸がざわつく。領地召し上げとか革命とかいう大きな話を避けるには、こうした小さなトラブルを減らす仕組みづくりが大切なはずだ。前世日本の感覚で、なにか役に立つ制度を導入できないか、なんて考えてしまうが、この世界の文書文化や魔法技術との折り合いをつけるのは簡単じゃない。


「でも……もしも、このまま増えていくなら、何か変えないといけないですよね。私たち、いま勉強中なんですけど……こういう話が聞けてよかった」


「そうですね。ただ、複数の立場が絡むと、あちこちで手続きを変えなきゃいけないんで、あまり拙速にはいかなくて……。でも、現状で揉めたら、とりあえず ‘早い者勝ち’みたいな基準で対処してしまうのが実状です。私もこれでいいのか悩んでいるんですけどね」


 裁配人は小さく苦笑する。私は「なるほど」と頷きながら、これなら私でも改善の糸口を探せそうだ、と密かに希望を抱く。しっかり形にできれば、私が当主になったときの統治にも役立つし、住民が安心して土地を売買できるなら不満も減るだろう。話を聞くほどに“そこまで大掛かりじゃなくても、一歩ずつ改良できるかも”という確信が芽生える。


 さらに、「土地と建物はどう扱われるんですか?」と尋ねてみた。前世の常識だと土地と建物は別々の不動産として扱う場合が多かったが、この世界だとどうなっているのかが気になって仕方ない。裁配人はきょとんとして、「土地に家が建っていれば、それはそもそも込みで一体のものですよ。別々にするなんて聞いたことないですね」と首を振る。私は“日本じゃ建物と土地って別の権利だなあ”と心の中でつぶやくが、声には出さない。こういう違いが私にとって興味深いし、逆にこの世界じゃ普通の感覚なのだろう。というよりも、日本が特殊で、諸外国では、土地と建物はまとめて一つの不動産あつかいとも聞いた。


 そんなやりとりをひととおりしたところで、区切りが良さそうなので「ご説明、ありがとうございました。とても勉強になりました」と頭を下げる。裁配人も「大したことは話せなくて申し訳ありません」と返してくれるが、これだけ具体的な話が聞ければ十分だ。今後、王都の法制や領地内の慣習を照らし合わせて、どう動くか考えられそう。


「では、今日はこれで。助かりました、ありがとうございました」


 丁重にお礼を言って部屋を出る。廊下に出た瞬間、私は思わず息をつく。エミーとローザも「お疲れさまでした、リオン様」と微笑むので、少年の口調を忘れずに「ふう……結構、大変だったね」と応じる。心の底では“ふう、私っていま少女なのに男装してこんな会話をしてるんだな”と妙な違和感を抱えつつも、なんだか誇らしい。


 建物を後にして外へ出ると、まだ昼前くらいの時刻。思った以上にスムーズに話が進んだので、予想より早く自由時間ができた。私はまぶしそうに空を見上げ、身なりを崩さないよう帽子の位置を直す。エミーが横でささやくように耳打ちした。


「お嬢様、せっかくなので、もう少し周辺を見て回ります? それとも、いったん戻られますか?」


「うーん……せっかくだし、このあたりの雰囲気も知っておきたい。でも、あんまり派手に動くとバレるし……ほどほどに見学してから帰ろうか」


「了解しました。じゃあ護衛の皆さんには最小限ついてもらう形で、ほどほどに歩き回りましょう」


 私が頷くと、ローザが「いいお天気ですし、カフェ的な屋台で何か買うのもありですね」と嬉しそうに提案する。いまは男装だから女として目立たずに歩けるはずだし、ちょっと観察を兼ねて散策するのも悪くない。私は自然と笑みを浮かべ、「じゃあ一緒に行こう」と答えた。これで今日はもう仕事はおしまいになるかもしれないが、足を動かせるうちにいろいろ触れておきたいと思う。改革や制度改善は一気には進まないが、“今の私にできる範囲で第一歩”と考えるだけでも心が弾む。


(土地の取引……裁配人制度……まだまだ課題は山積み。でも、少しずつなら変えていけるかも。私が領主になる頃にはもっとマシな仕組みにしたいな)


 そんな目標を胸に抱き、私は少年リオンとして街の風景を歩きだす。午後の陽射しが通りを照らし、賑わいを見せる露店の客足が行き交う。誰も私が伯爵家当主見習いだなんて思わないだろう。何かどきどきしてくるのは、前世の男としての感覚が混じっているからか、それとも“12歳の少女”らしい冒険心が動いているのか自分でも分からない。でも嫌じゃない。その一歩一歩が、私にとって大切な成長の足音のような気がしている。


 これから先、きっとまだ大変なことが山ほどあるだろう。けれど同時に、今の私はワクワクが勝っている。制度の改善や新たな施策を追求する道は、私の手で領地をより良い場所にできる可能性を秘めている。こうして前向きな気持ちを持てるのは、エミーとローザ、そして周りの人たちの支えがあるからだ。そんな想いを抱きながら、私は街の空気を吸い込み、足を踏み出した。次のページをめくるかのように、新しい景色が広がっていくのを期待しながら——。

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