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厳しい指導と華やかなご褒美、私の一日はまだ終わらない

 マダム・ルディアの艶やかなドレスが応接室の照明を反射して、きらきらとした輝きが揺れていた。私はその姿を目に収めつつ、一瞬の間に深呼吸をする。ここは自宅の館とはいえ、マダムの指導下ではいわば“特別レッスンの場”――油断すれば容赦のない指摘が飛んでくるし、彼女は私の体調をまったく知らないのだ。下腹部にはまだチクリと痛みが残っているが、どこまでごまかせるだろうか。少なくともマダムに悟られないよう、私は笑顔をつくって声を張る。


「マダム・ルディア、本日はお越しいただきありがとうございます……よろしくお願いいたします」


「ええ、リアンナお嬢様。おひさしぶりですわ。さあ、今日はたっぷりとレッスンさせていただきますの。12歳になったからには、さらに完成度を高めていきましょうね」


 マダムの声は明るく力強い。私は一見余裕のなさそうな笑みを浮かべているようだが、内心はもう緊張で固くなっている。なにしろ、数日前まで私は初潮の痛みで寝込んでいた。レッスンできる状態ではなかったし、体の不調はまだ少なからず尾を引いている。とりあえず痛みをごまかせる間に、どこまでマダムの要求に応えられるかが勝負だ。


「では……さっそく、立ち姿から再確認いたしましょうか。前回までの復習を兼ねて。そこに立って、姿勢を見せてくださる?」


 私が「あ……はい」と答えると、マダム・ルディアの視線がすっと私をとらえた。応接セットのテーブルやソファは脇に寄せてあり、広めのスペースを作ってある。さっそくあそこに立って見せろ、というわけだ。私はこくりと喉を鳴らし、できるだけ優雅に振る舞うべく、背筋を伸ばす。――伸ばした瞬間、下腹部がぐっと痛んで顔が歪みそうになるが、そこで踏ん張るのが今日の試練だ。


「えっと……こんな感じ、でしょうか?」


「うーん、まだ背中が少し丸まってますね。お尻を引きすぎるのもだらしなく見えますし、逆に強調しすぎるのも変。はい、背筋はすっと伸ばして、でも自然に……そう、膝は張り詰めすぎない。首は長く、肩は力を抜いて……」


 次々と飛んでくる細かい修正指示。前世が男だった私には、まるでバレリーナのように“女性らしさ”を意識した姿勢がしっくり来ない部分もあるが、ここでそんな戸惑いを表すわけにもいかない。男としての自分が頭の片隅で「なんでこんなに細かいこと……」とボヤいているのを押し殺し、私は必死にポーズを直していく。マダムは目が鋭いので、少しでも気を抜いたらすぐ指摘を浴びせてくる。


「はい、次はそちらに歩いてみて。床をするようにベタベタ歩くのは下品ですし、かといってつま先立ちのように舞うと品位を失いますわ。さあ、足の出し方を見せてちょうだい」


「は、はい……。失礼します」


 脚を一歩踏み出すたび、下腹部がじわりと痛みを訴える。体は少し体力を取り戻したとはいえ、レッスン向きの万全な状態ではない。こんな状態でマダムにさらされているだけでもハードモードだが、泣き言は言えない。伯爵家の看板を背負っているからには、王都での社交界に出る日がいずれやってくるわけで、ここで踏ん張らないといけないというわけだ。


 さらにマダムは椅子を指し示して、「では腰を下ろすときの所作を拝見します」と畳みかける。私は(あ、これが一番キツい……)と肝を冷やす。腰や下腹部に力を込めないと座れないし、マダムの前では優雅に“スッ”と腰かける動作が要求される。案の定、「ゆっくり、膝を一気に曲げず、ドレスの裾を汚さぬよう浮かせて……」といった厳しい指示が連打されて、私は腹に走る痛みと戦いながら何度も座り直しをする羽目になる。


「……お嬢様、少し緊張していらっしゃる? そんなに顔を強張らせなくて大丈夫ですわよ。落ち着いて。ほら、笑顔を忘れずに」


「あ、はい……すみません……」


 笑顔。レッスン中はどんなに体がきつくても笑顔を崩さず。そんなの無茶振りだと嘆きたくなるけれど、マダムには痛みを知られるわけにいかない。さらに言うなら、王都の貴婦人たちの前でも笑顔が基本なのだとしたら、ここでへたばるわけにはいかない。私は目を細め、口の端を持ち上げて「ありがとうございます……がんばります」と返す。心の内では冷や汗が吹き出しているが、顔面だけはしっかり取り繕う。


 少しすると、マダムが「そうそう、ティーカップの扱いも見せていただきたいわね」と言いだす。室内には実際にティーセットが用意されており、私はぎこちなくそちらへ歩き、カップとソーサーを手にする。左手はソーサー、右手はカップ。指の位置や手首の角度だけで「そこが微妙にズレてる」「軸が傾いてるわ」とマダムはツッコミを入れてくる。私が「はい……」と返事をし、少し手先を直すと下腹部が再び痛みを喚起する。こんなに繊細な動作を要求される時にかぎって……本当に試練だと思う。


「いいですよ、もう一度カップをテーブルに置く動作。あら、今の角度だとソーサーがぐらぐらしてしまうわ。そこはできるだけ水平に……。ええ、親指の位置にも注意を払って」


「は、はい……!」


 何度もやり直しているうちに、私の額には汗が滲んでくる。下腹部の痛みはジリジリと続き、集中力を奪いそうになるが、なんとか持ちこたえている状態だ。前世の私が見たら「こんな些細なことで何を苦労しているんだ」って呆れるかもしれない。でも、この世界では当主見習いとして確実に身に付けないといけないスキルだと思うと、ちょっとした誇りがこみ上げてくる。痛みにめげず、続ける価値がある。


「……ふう、だいぶ良くなりましたね。12歳だから、まだまだ伸びしろがありますわ。最初に教えたころに比べれば全然マシですのよ」


 マダムが珍しく褒めの言葉をくれたので、私は「ありがとうございます……」と笑顔を返すが、内心では「もう限界が近い……」と思っている。体力的にも下腹部の痛み的にも、そろそろ休みたい。けれどマダムはさらに「では、お辞儀の仕方を改めて総合的に確認しましょうか」と予定どおりのメニューを実行しようとしているようだ。私は息を飲むが、目の前には笑顔のマダム。ここで「もう無理です」と言い出せない。それが伯爵家当主見習いの辛いところだ。


「はい、わかりました。よろしくお願いします……」


 半ば意地で微笑む。お辞儀は先ほどの座り動作と同じく、下腹部に負担がかかる一連の動きだ。私は痛みで真っ青になりそうなのを何とか抑え込み、膝を少し曲げつつ上半身を前へ倒す。姿勢は下げすぎないように、かといって浅すぎないように――そんな綱渡りをしていると、マダムが「もう少し。はい、そこ。角度はそれぐらいね」と逐一指示を出してくる。私は「はい」と返事しながら眉を微かにひそめる。下腹部がじわりと悲鳴を上げているが、耐えるしかない。


「ふふ、最初はどうなることかと思いましたが、なかなか良いわよ。あとは細部の洗練を上げていきたいところね」


 容赦のない指導を続けながらも、マダムの口調がどこか嬉しそうなのが救いだ。私ががんばっているのをちゃんと評価してくれている気がする。もしここで「実は痛くて無理です」なんて言いだしたら、みんなの努力が台無しになるような錯覚すら覚える。私は自分を奮い立たせ、膝の角度と背筋のラインを微調整し、マダムから「ええ、いい感じ」と言ってもらえるまでやり続ける。それが延々と続いて時間の感覚がわからなくなり、喉が渇いて唇が乾いても、“笑顔”を忘れるわけにいかない。


 結局、レッスンは合計で2時間以上も続いた。途中で何度か短い休憩が入ったが、姿勢を崩して休めるというほどではなく、“室内をゆったりと歩く休憩”に近いという鬼のような指導。下腹部の痛みは限界ギリギリで、何度も「あっ、危ない」と声が漏れそうになったけれど、マダムは全然気づかないまま容赦なく指示を出し続けていた。私が耐えきれなくなる前に終わったのは、むしろ運がよかったのかもしれない。


「今日はここまでにしますわ、リアンナお嬢様。やはり、前に教えたことを覚えておられるようで何より。12歳ともなれば、ますます磨きをかけましょうね」


 マダム・ルディアは満足そうに片付けを始めながら、優雅に一礼する。私も「は、はい、本当にありがとうございました……」と礼を返すが、その拍子に下腹部がズキリと痛み、思わずぐらつきそうになる。ここで倒れたら台無しなので、必死で笑みをキープ。マダムは何も知らず「まあ、これからも楽しみですわ」と言い残し、館の使用人に見送られつつ退場していく。


「ふう……終わった……」


 深く息を吐いて立ち尽くしていると、エミーとローザが飛んできて「お嬢様、大丈夫ですか!? 無理をなさったのでは?」と心配してくれる。私は「ありがとう……倒れそうだけど、倒れなかった……痛いけど……終わったから大丈夫……」と弱々しく微笑み、二人に支えられて部屋を出る。足元がおぼつかないが、レッスン完遂という達成感もあるから、心は多少浮き立っているのが救いだった。


 その日の夕方、私をねぎらう形で「少し豪華な夕食を用意してあります」とエミーとローザが言ってくれた。下腹部がまだジクジク痛むし、正直くたくたでベッドに倒れたい気分だが、おいしいご飯を食べて元気を取り戻したい思いも強い。館の食堂に足を運ぶと、普段より凝った料理が並んでいて、ちょっとしたお祝い気分が広がる。


「わあ……すごい、こんなにいろいろ……。大丈夫かな、食べられるかな」


「量はコントロールしてあるので、無理なく召し上がってください。お嬢様があんなにレッスンを頑張ったんですから、今日は少しご褒美ですよ」


「えへへ……ありがとう」


 軽く腰をかばいつつイスに座ると、歯ごたえの柔らかいお肉や香り豊かなスープが運ばれてくる。どちらも下腹部に優しそうな仕上がりで、なめらかな口当たり。痛みが走るたびに表情がゆがみそうになるが、味の良さで多少は気を紛らわせる。レッスンで滴った汗を補うにはぴったりだし、苦労が報われるとはまさにこの瞬間のことだ。


「ん……おいしい……ほんと、幸せ……」


 私はあらためて、エミーとローザに感謝の言葉をかける。彼女たちは一日の私のがんばりを知っているから、「お嬢様、本当によく耐えましたね。見てるこっちがはらはらしましたよ」と笑って言う。私も苦笑して「正直、やばかったけど……何とか倒れずに済んだよ」と答える。こういう何気ない会話が温かくて、痛みを抱えながらでも“ここに生きてる”実感を噛みしめられる。


 食事を終えると、「今日も汗をかかれたでしょう。お風呂はいかがですか?」というお誘いがあった。あれだけマダムのレッスンで動き回ったあとだし、入浴して体をほぐすのはありがたい。下腹部が痛いまま浴槽に浸かるのも不安だが、きちんと温度を調整してくれているらしく、これなら何とかなるかもしれない。


 湯船へゆっくりと身体を浸すと、温かな水が肌を包んで、張り詰めていた筋肉を緩めていくのがわかる。うっすらと歯を食いしばっていたせいか、じんわり脱力感がひろがって気持ちいい。私がうっとりと目を閉じると、侍女たちが「では背中を流しますね」とさりげなく近づいてくる。恥ずかしいとは思いつつ、痛みと疲れを取るには協力が必要。自分一人で動き回って下腹部を刺激すれば逆に危険だから、素直にお願いすることにする。


「はあ……今日はがんばったなあ……痛かったけど、マダムに倒れずにつきあえて、ちょっと自信ついたかも」


 私が独りごちると、エミーもローザも「お嬢様、本当にすごいです」と笑顔で言ってくれる。前世なら男の体でこんなレッスンを受ける機会は想像もなかったが、今は伯爵家の少女としての宿命かもしれない。少なくとも、王都で正式な社交に出るときは、マダムの教えが必要不可欠になるだろう。下腹部の痛みというハードルはあるが、こうして乗り越えた実績が一つ増えたと思えば悪くない。


 風呂から上がり、湯冷めしないように急いでバスタオルで体を拭いてもらう。着替えを済ませたころには、すっかり夜も深まりはじめ、私の身体は程よいだるさに包まれている。下腹部の痛みは相変わらずだが、湯の効果か少しはやわらいだ気がする。もうベッドに潜り込みたい、と心底思っているところに、侍女が温かいハーブティーを持ってきてくれた。これを飲んで一息つけば、きっとぐっすり眠れるはずだ。


「今日もいろいろあったし、明日も仕事が待ってる……けど、今夜はぐっすり休みたいな」


 椅子に腰かけ、ハーブティーをすすりながら、私はぼんやりと天井を見上げる。マダム・ルディアの指導のこと、痛みをごまかしながら乗り切った自分のこと、そして周りの人の優しさが頭を駆け巡る。私が“女の体”を受け入れられずに苦しんでいた頃より、今は少しだけ前向きになれている気がする。まだ嫌悪感がゼロとは言えないが、日常を取り戻し、こうして一歩一歩進んでいるのだ。


「じゃあ、おやすみなさい、お嬢様。今日はゆっくり休んでくださいね」


「うん……ありがとう、二人とも。おやすみ」


 私はついにベッドに潜り込む。下腹部はじくじくと痛むが、レッスンで流した汗と湯上がりのぽかぽか感が合わさって、眠気が重なってきた。こうして長い一日がようやく終わるのだと思うと、胸にほんの少し誇らしい感情が芽生える。前世の男としては不慣れなマナーやドレス立ち回り――でも、これが伯爵家当主として避けて通れない道なら、一歩ずつ慣れていけばいい。


 布団の柔らかな感触に包まれ、目を閉じる。疲労は大きいが、夕飯とお風呂で癒やされたおかげで気分はそこまで暗くない。体の成長や痛みに翻弄されても、マダムの厳しい指導に立ち向かっても、やっていける――そんな希望を胸に、私は小さく息を吐く。12歳としての新しい日常は、まだまだ波乱がありそうだけれど、今日を乗り越えた自分ならきっと大丈夫。みんなのため、そして自分のためにも、がんばる道を進むのだ。


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