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残されていた想いと、私のこれから

 埃のにおいが、書庫の奥深くまで染みついている。朝早くからここにこもって文書を読み漁り始めた私だけれど、時の流れをまるで感じないほど集中してしまっていた。天井の小窓から差し込む光が、どこか静謐(せいひつ)な舞台のように見える。あれからいくつかの古い資料を開いてみたけれど、両親にかかわる記述はほとんど見つからない。


 「……やっぱり、そう簡単にはいかないか」


 私は息をつき、手に取っていた古い日誌をそっと閉じる。母が出産後すぐに亡くなり、父も私が1歳になる前に事故で逝ってしまった――その影響なのか、二人にまつわる記録は驚くほど少ない。むしろ、“二人が存在した事実”のほうが、私にとってより不思議に思えてくるほどだ。


 「お嬢様、そろそろ一度お部屋に戻りませんか? ずいぶん長い間ここにいらっしゃるようですし……」


 棚の整理を手伝ってくれているエミーが、控えめに声をかけてくる。ローザは脚立に乗って高いところを掃除しているが、こちらに視線をちらりと送りながら苦笑している。私は気づくと、背中や肩がこわばっていたことに気づいて、軽く伸びをした。


 「あ……そうだね。少し休憩しよう。なんだか目がちかちかしてきた」


 立ち上がるとき、埃をかぶったノートや書類の山に足を取られそうになるが、エミーが素早く手を支えてくれた。思わず「ありがとう」と言いながら、彼女の微笑みにほっとする。ここ数日、私はどこか浮き足立っていた。それをエミーやローザが温かく見守ってくれているのは、本当にありがたいことだ。


 資料をざっとまとめてから、私たちは書庫を後にする。廊下へ出ると、ちょうど広間の時計が昼過ぎを知らせる合図を打った。すでにそんな時間なのかと驚きながら、私は急ぎ足で控え室へ向かい、ローザがお茶を用意してくれたテーブルに座り込んだ。


 「ふう……なんだか今朝は長かったね」

 「お嬢様、ご無理をなさらないでください。何かわかったことはありましたか?」


 エミーがテーブル越しに私を覗き込む。ローザは私の背後に回って、ポンポンと軽く肩を叩いてくれる。私は両親について新しい情報が見つかったわけでもなく、その点では空回りのまま。だけど、ほんの少し読み進めた一部の文書に、“ある名前”をちらりと見つけたのだ。


 「父……アベルトのことが書かれた可能性がある資料を、やっと見つけたの。詳しい内容はまだ追えてないけどね。これから続きを読んだら、何か手がかりになるかもしれない」


 そう告げると、ローザはわっと嬉しそうな顔をして、「それは大進歩ですね!」とはしゃぐ。エミーも「よかったです。あとで一緒に整理しましょうか」と優しい笑みを浮かべる。私も思わず口元がほころんだ。もしかしたら、父についての具体的な言葉が記されているかもしれない――そんな期待が、心の奥をほのかに彩っている。


 だけど、浮かれた気分のままではいられない。午後には、摂政であるボリスさんとの予定が入っているし、領内での簡易会合も予定されている。私はしばしお茶を味わって一息ついたあと、つとめて冷静に頭を切り替えることにした。


 午後の時間、ベアトリーチェと一緒に小さな会議室へ入り、ボリスさんと書類を確認する。領地の経理関連や、次の収穫期に向けた計画など、聞くだけでも頭がいっぱいになるが、いつかは自分で采配を振るわなきゃならない。まだ11歳だからといって甘えてはいられないのだ。


 「お嬢様、ここの農村で灌漑(かんがい)用の水路が老朽化しているという報告がありました。早めの修繕が必要ではないかと……」

 ボリスさんは落ち着いた口調でそう言いながら、私に地図を見せる。なるほど、その場所は以前から水はけが悪いと聞いていた。私はメモを取り、ベアトリーチェに視線を送る。


 「わかりました。優先して手配を考えます。そこは資金や人員の問題もあるから……ベアトリーチェ、後で一緒に相談しましょう」

 「承知しました、お嬢様」


 まだ細かい判断はボリスさんに依存しがちだけど、少しずつでも考える訓練をしていく。それが今の“当主見習い”である私の仕事だ。会議が終わった頃には、すっかり日が傾きかけていて、廊下に伸びる影がいっそう長く見える。外の空気が少し涼しくて、残暑をしのいだ風が館を包むころ、私はようやく書庫に戻る時間を確保できそうだった。


 夕食後、私は再び書庫に足を運んだ。エミーやローザは「暗いので足元に気をつけてください」と懸念していたが、どうしても今日のうちに、父の名前が載っているらしい文書を読み進めたい衝動が抑えられなかった。ランプを手にし、隣にはエミーが控えてくれている。


 「お嬢様、これですね? さっき言ってた資料って……」

 「うん、そう。ここの数ページに“アベルト”って名前が記されてる。母の“マリア”についても、もしかすると……」


 私はランプの灯りを頼りに、書類のかすれた文字を追う。先ほどより丁寧に目をこらして読むと、ところどころ薄いインクで書かれた記述が目に入ってきた。内容は領内の行事や、おそらくは昔の生活雑記のようで、「○月○日、領主アベルト様が海岸の村を巡回」「○月○日、当主夫人マリア様が子を出産のため体調を気遣う」などと書かれている。


 淡々とした報告文の合間に、一節だけ、書き手の個人的な思いが混ざっていた。


 ――「アベルト様は、公務に出られる際にも奥様の体調を案じておいでである。産後はやはり心配が絶えず、領内の状況を気にかけながらも、早く戻りたいとたびたび口にされていたようだ。マリア様のつらそうなご様子に、アベルト様のお心も重く沈まれているに違いない……」


 それを読んだ瞬間、私の胸はどくんと大きく鼓動した。父は母の容体を案じていた。わかりきったことかもしれないが、こうして文字として残されていると、当時の情景が目に浮かんでくるようで、なんとも言えない切ない気持ちになる。


 エミーも横から「よかったですね、お嬢様。アベルト様が……思いやりの深い方だったんですね」と小声で囁く。私はぐっとこみ上げるものをこらえながら、さらにページをめくった。すると、最後のほうの書き込みに、短いメモがあった。


 ――「残念ながら、マリア様は産後の病状が良くなる兆しを見せず、アベルト様も悲痛な面持ち。だが、あの方は決して自らの職責を放棄しようとはせず、領民を守るべく巡回を続けられている。もし万が一、奥様に変わりがあれば、一刻も早く戻ると仰っていた。どうか、神のご加護があるように……」


 そして、そのあとのページはまばらで、最終的には記入が途切れている。私は本を閉じ、しばし無言になった。父は母を気遣いながらも、領地のために公務をこなしていたらしい。それは私が想像していた“夫婦の温かい生活”とは違うけれど、父なりに必死だったのだろう。結果として母は病に倒れ、父は私が1歳にも満たないうちに事故で亡くなってしまった――けれど、その背後にはこうした苦悩と決意があったのだ。


 「……父は、母のもとに長く居られなかったんだね。でも、本当は一緒にいたかったのかもしれない」


 呟く私の声は少し震えていた。もうとっくに二人はこの世にいない。ならば、これ以上あれこれ考えても仕方ないはず。でも、こうしてわずかでも二人の心情が手がかりとして残っていたことは、私にとって大きな救いだった。


 「お嬢様……」

 エミーがそっと寄り添うように手を伸ばし、私の背に触れる。私は小さく息をついて、うなずいた。


 「ありがとう。ちょっとだけ、両親が身近に感じられたかも。あと……あまりにも切ないなって」


 母を気遣いながら働く父、夫の帰りを待てないほど衰弱していた母。私が生まれたせいで、母の負担が増えたのかもしれない。あるいは領地を任される父が、公務に追われながらも家族を思って苦しんでいたのかも……。そう考えると、胸が締めつけられる。でも、同時に「私も同じように領地を守っていかなければ」という決意が強くわくのだ。


 ランプの火がふるふると揺れて、書庫の壁に影を映す。父や母を真近で知らなかった私だが、この記録を読んだだけで、何か大切なものを受け取ったような気持ちになる。伯爵家の当主として、彼らが中途半端な形で残してしまったこの領地を、今度は私が引き継ぐ番なんだと、はっきりと認識する。


 その夜は寝付けず、ベッドの中でずっと考えていた。自分がいない時代、そこには確かに父と母が暮らしていて、領地の人々と関わっていた。その結果として私が産まれ、母を失い、父も失い……。私は一人きりではないにせよ、両親のいない伯爵家を支えることになった。


 だけど、そんな私ももうすぐ12歳。これまで暗殺の危機や王都との折衝に追われながらも生き延びてきた。いずれ正式に“伯爵家当主”として独立していく日が来るはずだ。そのとき、父と母が守りたかった領地の姿をどこまで継承できるだろう。私の心のなかに、ほんの少しだけ不思議な温かさが芽生えていた。


 (父は、こういう気持ちだったのかな……公務に追われながら、家族を守りたいと思いつつ、なかなか叶わない。私にはまだ想像しきれないけど、ちょっとだけ共感できる気もする)


 世界が広がるような感覚と、一抹の寂しさを抱えて目を閉じる。いつもなら不安で頭がぐるぐるしてしまう夜が多いのに、今夜は意外にもすっと眠りへ落ちていく。この書庫で手に入れた数行の記録が、私の心をやわらかく溶かしてくれたのかもしれない。


 翌朝、私はいつもより早く目覚める。枕もとで小さく伸びをしたあと、ゆっくりと身支度を整えて食堂へ。そこではベアトリーチェやボリスさんがすでに朝の打ち合わせをしているところだった。私が挨拶すると、「おはようございます、お嬢様。今日は少し早起きですね」と声をかけられる。


 「うん。ちょっと、昨日の夜に色々考えてたから、目が覚めちゃったみたい」


 そう答えながら、テーブルにつく。今日の朝食は、パンと野菜スープ、そして果物が並べられている。以前の私なら「苦手なものは残したいな……」なんて考えるところだが、今はしっかり食べて体力をつけなきゃと思うようになった。領地を背負うには、いくら若いとはいえ健康でいなきゃ困るのだ。


 食事をしながら、ふとボリスさんに尋ねたくなる。父や母について、どんな印象を持っていたのだろう。摂政という立場上、当時から傍らで支えていたのなら、きっと何かを知っているはず――。そう思って口を開きかけたが、躊躇してしまう。今さら聞いても、過ぎ去った事実が変わるわけではないし、ボリスさんは父の補佐として忙しかっただけかもしれない。でも、何か語ってくれるなら聞いてみたい気もする。


 結局、その場では切り出せずに朝食を終え、勉強室へ向かうことになった。今日もたくさんの仕事や学びが待っている。だけど、少しだけ心が軽い。父と母が苦しみながらも、この領地を守ろうとしていた――それを一端でも知ることができたから。彼らの想いをきちんと受け継いで、私は次の世代へと繋ぐ。そのために、今は目の前の学習を積み重ねるしかない。


 午前の勉強が終わると、ローザが「お嬢様、ちょっと外を歩きませんか? 天気もいいですよ」と声をかけてきた。エミーも「ずっと部屋にこもっているより、少し散歩されたほうがリフレッシュになりますよ」と続ける。確かに、書庫にこもりきりなのは気分的に疲れが溜まるだろう。


 私は素直に賛成して、靴を履き替えて館の外に出る。どこまでも青い空、遠くには海沿いの風景が広がり、やわらかい風が髪を撫でる。11歳の今の私にとって、当主として学ぶことも大事だけど、ときどき外に出て自然に触れれば、視野がぐっと広がる気がする。


 バルコニーから下を覗けば、庭の花がゆらゆら揺れていて、手入れをしている使用人が「お嬢様、ごきげんよう」と微笑んでくれた。私は手を振り返しながら、何気なく胸の奥が温かくなるのを感じる。


 「この領地……父と母が残した場所を、私が大切に守っていかなきゃな……」


 小さく呟くと、ローザが「そうですね、お嬢様ならきっと大丈夫ですよ」と応じてくれた。私は薄く笑いながら「うん、ありがとう」と返す。今はまだ言葉にしにくいけれど、両親がしようとしていたことを少しずつ継いでいく――そんな気持ちが、私の中で静かに育ち始めている。


 夕方、書庫で再び資料をめくっていると、もうひとつ面白い記述を見つけた。そこには母の名前“マリア”が出てきて、「領主夫人はかねてより絵画を好まれ、ささやかな時間を見つけては筆を取っていらっしゃった」と書かれている。私が生まれたころ、母は体調が優れなかったはずなのに、そんな趣味を持っていたなんて初耳だった。


 (そうなんだ……もしかしたら、館のどこかに母の描いた絵が残っているかも)


 そう思うと、不思議なワクワク感が湧いてくる。私が小さいころから見慣れていた館の絵画のどれかが、実は母の作品だったりするのだろうか? そう考えると、館のあちこちを調べてみたくなる。でも、急ぎすぎると他の仕事がおろそかになるから、また時間をみつけて調べよう。


 私には当主としての責任があるし、日々の学習もこなさねばならない。けれどその合間に、父や母が残したかもしれない痕跡を探していく――そうやって、私が生きる世界と両親のいた世界を、少しでも重ね合わせられたらいい。そう感じるようになったのは、私が最近ようやく心の余裕を持ち始めたからだろう。


 暗くなる前に、エミーが書庫へ迎えに来てくれた。今日はさすがに疲れが出てきたし、夕食の時間も近い。私が本を抱えて立ち上がると、腕や背中が少し痛む。長時間同じ姿勢だったから仕方ない。


 「大丈夫ですか、お嬢様?」

 「うん、ちょっと肩が凝ったくらい」


 私が小声で笑うと、エミーは「後でローザと一緒にマッサージでもしましょうか」と言って、楽しそうにウインクした。そんなやり取りに私も笑顔がこぼれる。両親のことを探し続ける行為には、切なさや喪失感もあるけれど、こうして今をともに生きてくれる人たちがいるから、私は乗り越えられるんだと思う。


 夜、ベッドに沈み込むころ、私は昨日までとは違う安堵を感じていた。まだ両親のことを深く知れたわけじゃないし、疑問は尽きない。だけど、あの人たちはたしかにこの伯爵家を愛し、領民を守るために行動していた――記録に残された数行の文章から、それだけは伝わってきた。


 私はその想いを胸に、当主としての道をこれからも進んでいく。11歳の少女が背負うには重い責任かもしれないが、この館には、エミーやローザ、ベアトリーチェ、ボリスさんなど、頼りになる大人たちが揃っている。彼らに助けられながら、私なりの歩幅で両親の想いと向き合っていけばいいのだ。


 (いつか……伯爵家当主として誰もが認めてくれる日がきたら、両親にも誇ってもらえるのかな)


 そう思うと、ほんの少しだけ照れくさい。それでも、私のなかで確かな目標として根づいていく気配がある。いまだに両親の温もりを知らない私だけれど、そのぶん、領地の人々に愛情をそそぎ、両親の描いた未来を継いでいこう――そう決意する夜は、案外、穏やかで優しい眠りへと私を誘ってくれるのだった。

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