鏡の向こうで揺れる未来 〜ぼんやり少女は前世を思う〜
鏡の向こうで揺れる未来 〜ぼんやり少女は前世を思う〜
朝の光が、窓辺からやさしく床を照らすころ、私はうっすらと重たいまぶたを開ける。昨夜までの騒ぎや、暗殺事件への心配、ラグレン家の動向……そういう重たい問題はひとまず小休止。ここ数日は本当に「普通の日常」に戻ったと言ってもいい。それがありがたい反面、どこか拍子抜けした感じも否めない。でも、やっぱり心身を休ませるにはちょうどいい機会なのかも。
「……ふぁ……」
伸びをしながら布団をめくり、ゆっくり起き上がる。もうすぐ12歳になる身としては、だらだら寝てばかりもいられない。領主としての勉強もしなくちゃだし、当主の仕事も山積み。とはいえ、あまり重苦しく考えたくないから、今日は「平和な日常」を堪能するつもりだ。リュカ王やラグレン家との摩擦がなければ、一番いいのだけど……。
同室で寝起きをともにしているエミーとローザが、それぞれ簡素なベッドから起き上がるのが見える。二人は相変わらず私の護衛も兼ねて、同じ部屋で暮らしている。毒や暗殺が怖いから……というのが大義名分だけど、最近はそこまで物騒な気配もないし、彼女たち自身も半ば姉妹のように私の面倒を見てくれるのが自然になっている。
「おはよう、リア。今日もいい天気だよ?」
エミーが笑顔を浮かべて声をかけてくる。
「うん、そうだね……気持ちいい朝かも」
私がそう返すと、ローザも布団をたたみながら「今日は特に予定は詰まってないんだって? 勉強と、お昼にちょっと仕事の打ち合わせがあるくらいで。平和だね」とウインクする。たしかに、王都での激しい交渉や、暗殺リスクに神経を尖らせていた頃と比べれば、ずいぶんとのどかな一日だ。
ベッドから降りていざ身支度……と思いきや、やっぱりまだ少し寝ぼけている。頭を振って無理やり目を覚まし、部屋の隅にある姿見にちらりと目をやる。そこで、視界の端に映り込む“自分の体”にギクッとする瞬間がある。いや、いつものことなのに、どうしてこんなにドキリとするんだろう――分かっている。最近、少しずつ“女の子の体”が変化していることを意識せざるを得ないからだ。
(うーん……もうすぐ12歳。今までも少しずつ変わってきたのに、急に一気に体つきが変わるって聞いたことあるし……現に、お尻や胸が……)
頭を振って意識を切り替える。そうだ、考えすぎても仕方ない。とにかく今日は平和な一日を過ごそう。もっと肩の力を抜いて、ゆっくり勉強したり美味しいものを食べたりすればいいじゃないか。まだ敵の魔の手が迫っている気配もないし……。
朝食をさっと済ませ、ボリスさんやベアトリーチェと顔を合わせる。軽い報告を受けながら書簡や報告を確認し、午前中は基本的な勉強時間になる。領地の地理や歴史、封建制度など、飽きるほど繰り返し学んでいるけれど、新しい情報もときどき混じるから気が抜けない。子ども扱いされがちだが、私は当主なのだ。多少は苦痛でも、勉強は欠かせない。
ボリスさんが「最近は、マルディネールの商人たちが魔法を使った冷蔵技術を導入し始めていて、物流が活発になっているようです。お嬢様としては、そろそろ視察も……」と提案してくる。確かに面白そうだが、それには外出が必要で、また護衛がどうとか話がこじれるだろう。今日はまだやめておきたい。
「うーん、その話は明日か明後日にでもいい? 今日はゆっくりしたくて……」
私が甘えたように言うと、ボリスさんは苦笑いして「それもよろしいかと。まだ疲れも抜け切らぬでしょうし……」とあっさり許してくれる。正直ありがたい。王都から戻ったとはいえ、心の奥底にはまだ交渉の緊張感が尾を引いている気もするし、昨日のマルグリッドさんとの“服仕立て騒ぎ”もあったばかりで、体が落ち着かないのだ。
午前中の勉強を一通り終えると、私の頭は早くも休憩モードへ移行。昼近くにエミーとローザが「はい、お昼ごはんよ?」と呼びにきてくれて、軽いスープとパンを食べながら談笑する。少し贅沢なチーズも出てきて、気分は幸せ。ラグレン家との戦いがいつ再燃するか分からないが、こうして日常を味わえることが今は何よりの救いだ。
「はぁ……幸せ……」
思わずそんな言葉が口をつく。エミーとローザは「なにそれ、リア、おかしな顔してるわよ?」なんてからかってくるが、悪い気はしない。午後はゆっくり本を読んで、雑務の指示を確認すればいい程度らしい。
そんなふうにゆるやかな一日を過ごして、夕方になる頃には体が心地よく疲れを感じ始めた。外で特に走り回ったわけでもないし、家の中でゴロゴロしていたのに……やはり精神的に少し気が張っていたのだろうか。それでも何とか机でノートを取りながら資料を読み、当主として最低限のチェックをこなす。王がどう動くか分からないし、領内の小競り合いを未然に防ぐためにも、こうした書類仕事を怠けるわけにはいかない。
しかし夜が近づくにつれ、腰や肩が凝ってきて、頭もぼんやり。私が「うう、なんかだるい……」とつぶやけば、エミーが「じゃあお風呂に入りましょうか?」と声をかけてくる。そうだ、お湯に浸かればコリもとれるかもしれない。そう考えて私は素直に同意する。
エミーとローザに導かれて浴室へ向かう。この館はわりと大きなお風呂があって、湯船もゆったりしている。「自分で洗うよ……」と多少抵抗したいところだけど、彼女たちには昔から任せきりだから、今さら断り切れない。そのうえ、やはり私に危害を加える者がいないとも限らないし、彼女たちが一緒に入ってくれているのも警戒の一環――という建前がある。
(でも、もうそろそろ……私の体も、違和感というか、恥ずかしさが……)
そう思っても、もはや何百回と繰り返された日常なので、今さら大きく方針を変えられない。湯気が立ちこめる浴室に入り、服を脱ぎ始めるとき、ちらりと鏡に映る自分の姿にハッとする瞬間がある。服を脱ぐと顕わになる肌――そこには、明らかに丸みを帯びつつあるラインが見て取れるのだ。お尻まわりがどっしりというか、膨らんでいるような気がして、正面から見ても腰や太ももが前より柔らかくなった印象。胸も……ふくらむとは……なんとなく、触れたくないほどの変化を感じる。
(うう……ほんと、女の子になってきちゃったな……もうすぐ12歳なら当然なのかな。でも嫌だな……)
前世は男のまま大人になった経験があるのに、今世ではこうして少女として育っている。自分の中で“女らしくなる”ことへの拒否感が完全には拭えない。妙なチクチクした気持ちが胸をざわつかせる。だが、エミーとローザがすかさず近寄ってきて、「リア、何ボーッとしてるの? 湯船入るよ?」と笑うのを聞いてハッと我に返る。
湯船に足を入れると、熱いお湯が肌を包み込み、ほっと一息つく。彼女たちはいつものように背中や腕を洗ってくれる。正直、ちょっと恥ずかしい――というか、もう慣れたはずなのに、最近また抵抗感が蘇りがちだ。理由は分かっている。体が明らかに女の子らしくなったから、前まで“子ども”と思って見過ごしていた部分に急に意識が向いてしまうのだ。
「はい、じゃあ髪を洗うね。目つぶって?」
エミーがシャワーで頭を濡らし、ローザがシャンプーを泡立ててくれる。何度となく繰り返してきたこの光景。でも、私の胸がささやかながら膨らみを帯び始めているのを感じると、やっぱり微妙に居心地が悪い。腰やお尻にも肉がついて……男装が苦しくなってきたり、ドレスも新調したばかり。すべてが“ああ、私は女の子の体なんだ”という事実を突きつける要素だ。
(どうしてこんなに……。やっぱり成長期って急だよね。まだ12歳になってないのに、こんな変化あるんだ……しかも前世は男なのに、いま完全に女の体になってきて……)
頭の中がぐるぐるする。狭い湯船で座っている間、エミーとローザが「リア、ちゃんと背中も洗うよ~」と優しく手を回してくる。その手が私の肌をなぞるたびに、どこか落ち着かないドキドキがこみ上げる。もちろん性的なものではないが、何か気まずさというか“認めたくない”ような気恥ずかしさが胸を締めつける。
「よいしょ……はい、流しますね」
たっぷりの湯をかけられ、泡が流れていく。私が小さく口を開いて「う……ごめん、やっぱり、もう自分でやるから……」と抵抗しようとするが、エミーは笑顔で「いつものことじゃない。いいのいいの、そんなに恥ずかしがらなくても」とさらりと対応し、ローザも「そうよ、私たちも慣れてるし。リアこそ変に気にしてるんじゃない?」と呑気に言う。私は返す言葉を失い、ただ湯船に沈むしかない。
――仕方ない。でも、そろそろ本当に嫌かも……こんなふうに洗われて、私の体が女の子らしくなる一方だなんて、どうにもモヤモヤする。自分で洗うと言っても、いつも彼女たちに負けちゃうし……。
シャワーを浴び終え、身体を拭いて浴室を出る頃には、疲れと安堵が入り交じった変な気分だ。エミーとローザは「今日もピカピカになったね!」と満足そうで、その笑顔を見ると私も悪い気はしない。ただ、鏡に映る自分の丸みを帯びた輪郭を直視すると、複雑なため息が漏れる。
部屋着に着替えて寝室へ戻る。エミーとローザは簡素な寝台で眠る体制をとっており、いつものように私の様子を見守っている。すでに夜も更けて、館はしんと静まり返っている。この時間がいちばん落ち着く瞬間でもあるが、今日はやけに胸がざわつく。
ベッドに入り、ふかふかの枕に頭を沈めると、一気に身体が重くなる。思考はぼんやりしつつも、頭の奥では“もっと女性らしくなる自分”を想像してしまい、嫌な気持ちがこみ上げる。
(いまですら違和感あるのに、これ以上女の子の体が進んだら……どうなるの……?)
王都での交渉や領地運営の不安も大きかったけれど、最近はさらに“自分の身体”という根源的な問題が私を追い詰める。女の子になりたくてなったわけじゃないのに、もはや抜け出せない現実がある。まだ12歳前だというのに、この先どうなるんだろう――そんな恐怖に似た焦燥が混ざって、私の胸を苦しくさせる。
眠りに落ちかけても頭の片隅で「嫌だ……これ以上女性っぽくなったら……」という気が消えず、自然と息が上がる。周囲を見回せば、エミーとローザはもう寝台に潜り込んでいて、寝息をたて始めている。私も普段ならすぐに意識が飛ぶのに、今日はなんだか眠れそうにない。
(でも、現実は変えられない。成長したら、嫌でも体は女の子の形になっていく。この前なんてコルセットや男装の仕立てもしたけど、これから先、いつまで誤魔化せるのか……)
頭の中で堂々巡りしていると、だんだん胸が苦しくなり、目頭が熱くなる。深呼吸をしようとしても息が詰まるような感覚。体を横に向けてギュッとシーツを握りしめ、思わず瞼に涙が浮かぶ。
(こんなの、いやだ……。普通に男として生きてたはずなのに、こっちの世界で女の子として育つだなんて……どうなるんだろう、私……)
暗闇のなかで静かに涙がこぼれそうになるのを必死でこらえる。エミーやローザに気づかれたら困る――いや、どうせバレるかもしれないが、あまり心配はかけたくない。しばらくシーツを噛んで声を殺すと、やっと少しだけ呼吸が整ってきた。
(大丈夫、大丈夫……今は考えても仕方ないんだ。王都での交渉だって、上手くやったじゃないか。体が変わったって、私が私であることには変わりない……)
自分に言い聞かせるように何度も唱える。でも、胸やお尻の現実がよぎるたびに、心がざわつくのは止められない。やがて疲労のほうが勝り、思考は徐々にボンヤリしていき――いつの間にか意識を手放すように、私はまぶたを閉じた。
翌朝、私は布団の中で目を開ける。ああ……結局昨夜は変な夢を見たような気がする。自分が男性の姿だった頃の映像が混ざり合い、いまの少女の体のまま走り回るシーンと重なって、混乱した夢……。胸がドキドキしているが、時間はもう朝。どちらにせよ起きないといけない。
ベッドからゆっくり起き上がると、エミーが「リア、朝だよ」と明るく声をかけてくれ、私は「あ、うん、おはよう……」と返す。このやり取りはいつもどおりだ。それだけに、“ここにいる私はもう女の子が当たり前”という環境が、朝の光に突きつけられるのだ。
その日はさほど大きな予定はなく、昨日と同じように平和なスケジュールが展開していく。勉強、軽い仕事の指示、昼食、そして夕方にはお風呂……そんな繰り返しが続くうちに、私は自分の思いに向き合わなければいけないと感じ始める。
(ああ、体の変化は止められない。成長期が進むたびに、いまの戸惑いは増していくだろう……でも、当主としては女の子らしい姿で人前に出るのも必要なときがあるし、逆に“少年姿”でこっそり外出する機会もある。私の体は、いったいどこへ行き着くんだろう?)
何も答えは見つからないまま、一日が過ぎていく。時間は残酷なほど粛々と進み、夜になるころにはまた体がくたびれている。夕食を終え、お風呂に入って、部屋に戻る――まるで昨日と同じ繰り返し。でも、私の体は着実に変わっているのだ。
結局、この日も鏡に映る自分の姿をちらっと見ては、複雑な気分になる。ドレスを着ると腰のラインが強調されるし、湯上がりにバスタオル姿を見れば、ちょっとずつふくらんだ胸を目撃してしまう。いい加減慣れろ、と言い聞かせても、どうにも落ち着かない。どうせ止められないなら、受け入れるしかない。そこまでは理屈で分かっているのに、心が追いつかないのだ。
(まあ……いいや。今日は深く考えないで寝よう。本当に嫌になったら、マルグリッドさんに何とかしてもらえ……いや、それは無理か。成長は服なんかで誤魔化しきれないもんね……)
悶々としながら布団に潜り込む。エミーとローザが「リア、おやすみ~」と声をかけてくれるのを聞きながら、私はまた考えごとに耽ってしまう。将来自分がどんな姿になって、どんな風に生きていくのか……当主として国や領地を背負うだけでなく、“普通に女としての人生”を歩むのかもしれない――その想像だけで胸が苦しくなる。
(将来……結婚とかするの……? 女としてって……どういうこと……?)
頭がぐらぐらしてくる。また涙が出てきそうになるが、昨日と同じく、せめて今日は大人しく眠りたい。私は枕に顔を埋め、ゆっくり深呼吸する。まだ12歳にもなってない子どもがこんな思いを抱えるなんて、変だろうか。でもそれが私の現実なのだ。
(大丈夫……まだ先の話。いまは当主として、ラグレン家への備えや領地の管理をこなしつつ、こうして平和な日を積み重ねればいい。どんな体になろうと、私が私であることには変わりない。……眠ろう……うん……)
意識が徐々に遠のき、シーツのぬくもりが身体を優しく包み込む。心の中で何度も“明日もきっと同じ日常だよ”とつぶやきながら、かすかな不安と戸惑いを押し込める。眠りに落ちる直前、エミーとローザの寝息が聞こえてきて、少しだけ安心感が芽生える。変わり続ける体――戸惑いと嫌悪感は拭えない。でも、私は歩んでいくしかないのだ。
――こうして、また一日の幕が下りる。平和でありつつも、複雑な気持ちを抱えたまま、私は深い眠りへと誘われる。女の子として育っていく身体が今後どう変化するかは分からない。それでも、この日常を守りながら、少しずつ将来を考えていく……それが今の私にできる唯一の道なのかもしれない。
明日はきっとまた同じように穏やかな日が続くだろう。あるいは突然何かが起きて、私が再び動き回る羽目になるかもしれない。それでも――変化する身体と向き合いながら、私は伯爵家当主としての責務を果たす。前世の男としての記憶を抱きつつ、少女としての日常を過ごしつつ……夜毎の複雑な感情を抱いて、それでも前へ進む。私の未来はまだ見えないけれど、そうして生きていくしかないのだ。
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