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“守り抜く”は渡さない! 少女当主の秘密の交渉術


朝の薄霧が王都マロヴァの城壁を静かに包み込むころ、私はこの地で最も豪華な建物のひとつ、王宮へ足を運ぼうとしていた。その姿は、人から見れば華やかさに包まれた「伯爵家の少女」に違いないだろう。しかし、私は、これから戦場に赴くような気持ちだった。


 この奥深くで国王リュカ・マロヴァ陛下が私を待ち受けているのだ。ラグレン家との領地問題――マルディネール伯爵領そのものの存亡をかけた一大勝負の行方は、まさに今日の交渉次第で大きく変わってしまう。


 ドレスのコルセットがきゅっとウエストを締めつける。衣擦れの音が微かに耳をかすめ、馬車の揺れと相まって私の心拍をさらに早めていく。私の横には、摂政のボリスが緊張した面持ちで座っていた。壮年の男性で、クラリオン家を長年支えてくれている。その存在は頼もしいが、今やボリスの表情にも戸惑いが浮かんでいるのが分かる。


「お嬢様、落ち着いてくださいませ。深呼吸を……」

 彼は短く囁くように言い、私に優しく微笑みかける。その声で、まるで氷が溶けるように冷静な気持ちが戻ってきた。


「……うん、ありがとう。でも、ちょっとだけ緊張しているかも」

 私は正直な気持ちを吐露する。馬車の揺れが定期的に足元から全身へ伝わるたび、ドレスの裾がわずかに動いて布地が肌を撫でる。その感覚は、前世の“男性としての衣服”では経験しなかったタイプの刺激で、慣れない違和感をもたらす。いつもなら煩わしいと感じるところだが、今日は意外なほどに“切り替え”がうまくいっている。


 ――そう、今はそんな個人的な戸惑いに気を取られている場合ではない。ラグレン家が私の領地を奪おうと動いていることは周知の事実。さらに、国王リュカが“私の領地を王国に譲ってしまえばよい”と提案してきた以上、選択の猶予は少ない。


 国王の言い分は簡単である。

「ラグレン家が伯爵領マルディネールを狙っているのだから、まだ幼い少女当主では守り切れないだろう。私(国王)が預かって、王家直轄領にしてしまおう。そうすれば安全だ。かわりに伯爵家は王家の家臣として厚遇する――」

 ……何のことはない、平たく言えば“優しい顔をしながら領地を取り上げる”案だ。こちらにとっては土地も歴史も奪われ、名ばかりの地位を与えられるだけ――そんな屈辱的な道は選びたくない。


 (けれど、相手は王様。力関係だけで言えば、こちらは圧倒的に不利……)


 私は昨夜、ボリスや侍女長のベアトリーチェと作戦会議をし、そして夜の静寂の中で一人考え続けた。“どうすれば国王に「領地召し上げ」を諦めさせつつ、ラグレン家の脅威から領地を守ることができるのか?” 前世で多少、交渉ごとを生業にしていた私の経験と、この世界で培った当主としての知識を総動員して、ある程度の方針を立てた。


 ――相手を言い負かすだけではダメ。相手が動きたいと思う方向を示さないと。交渉とは、相手も“得”を感じ、かつこちらの主張も通る形を探ることが大切だ。いまの国王は、“ラグレン家の横暴”を抑えるとともに、“私の領地を取り上げることで王の威厳を示しつつ、王権を強化する”という、ある種の二面性を狙っているのだろう。

 私は、密かに作戦を考えていた。


「お嬢様、着きました。王宮の正門です……」

 ボリスの言葉にハッとして、窓の外を見やる。高い石壁に金属製の大きな門扉があり、そこには衛兵が整列していて威圧感がすごい。門の上には旗が翻り、紋章が刻まれたプレートが光を受けて輝いている。さらに奥へと進むと、広大な庭と噴水、その先に王宮本体の白亜の石造りの建物がある。いかにも権力の象徴といった風格で、前世の私が見た、日本のお城や欧州の宮殿にも劣らない迫力がある。


 馬車が近づくと、衛兵が命令を受けたらしく、門がゆっくりと左右に開いた。護衛の騎士たちが“馬車は通れ”と手で合図し、私たちを通してくれる。周囲には厳しい表情をした警備兵が詰めかけ、まるで“見せつけるかのように”権力を誇示してくるのが分かる。王の威厳を見せ、私の心を萎縮させようという配慮(?)かもしれない。


 馬車が石畳の道を行き、正面広場に止まると、すぐに案内役らしき宮廷使用人が走り寄ってきた。青と銀の装飾を施した制服を着込んでいて、深く一礼してから、私たちに向かい「マルディネール伯、リアンナ・クラリオン様と摂政のボリス様ですね? こちらへどうぞ。謁見の間へお連れします」と告げる。私とボリスは大きく息を合わせ、一緒に馬車を降りた。ここで他の護衛や侍女たちが動こうとしたが、使用人が「申し訳ありません、国王陛下から“お二人だけをお通しする”よう指示されております」とピシャリ。やはりそう来たか……と思いながら、ボリスが説得を試みるが、「これは陛下の御意向です」と繰り返すのみで、それ以上は譲れないらしい。


 馬車を降りるとき、ドレスの長い裾に気をつけながら足を進める。ボリスが隣で手を貸してくれるが、私はここでつまづくわけにいかない、と意地を張りつつも、すんなりと石畳の地面に立つ。まるで、このドレス姿の“少女”が、今から王に大事な領地を差し出すかどうか決めるかのような絵面だ――“狙いはやっぱり、私が怯えて白旗を挙げる瞬間を周囲に見せつけたいんだろうな”と予想が当たった気がする。


 長い回廊を進むと、高い天井と大きな扉が目に入ってくる。金色の装飾と大理石の床が異彩を放ち、前世なら観光名所になっていそうなほど豪華な建造物だ。回廊の両脇にも警護が並び、視線を感じて心臓がドキドキする。ここにいる全員が“あの少女当主が来たか”と注目しているに違いない。変に足が震えそうになるのをこらえ、私はボリスに目で合図しつつ、堂々と歩こうと務める。


 やがて、扉を開け放つ衛兵が「ただいま、マルディネール伯、リアンナ・クラリオン殿、並びに摂政ボリス殿、入室します……」と高らかに声をあげる。私たちはそれを合図に、玉座の間へ足を踏み入れる。


 そこは想像以上に広大なホールだった。天井は高くアーチ状になっていて、壁の一面に大きなステンドグラスらしき装飾が光を受けて輝き、床には異世界らしい文様が刻まれている。左右にはずらりと10名以上の貴族や側近らしき人たちが並び、前方奥には玉座が据えられ、その上に40代ほどの男性が腰を下ろしていた。彼こそが“マロヴァ王国”の国王、リュカ・マロヴァ陛下。


 薄茶色の髪にわずかの白髪が混じり、その瞳は鋭さと柔和さを併せ持っているように見える。着ている衣装は金と紺を基調としたローブで、宝石のあしらいがいかにも王者の証を示している。彼の威容に一瞬気圧されかけるが、ここで怯んではいけない。私は背筋を正し、ドレスの裾を軽くつまんで大きく礼をした。ボリスも同じくひざをついて頭を下げる。


「――マルディネール伯、リアンナ・クラリオン殿、よくぞ参られた。」

 リュカ王の声は意外なほど澄んでいて、大きな玉座の間に響き渡る。その言葉に、私は「お召しにあずかり、光栄に存じます、陛下……」と返し、心の中の震えを抑えようと懸命になる。周りの視線がじっと私に注がれ、息苦しささえ感じる。


「先般、書簡にて言及したとおり、ラグレン家がマルディネール伯爵料の相続権を主張している。そなたがまだ幼く、負担が大きいのではないかと案じておる。」

 リュカ王は玉座にもたれつつ、さらりと言い放つ。彼の言葉遣いは一見すると“優しい王”を演じているようだが、その含みを感じ取らないわけにはいかない。


「ですから、マルディネールを王国領とし、そなたとその一族は王家に仕えることとする……それこそが、ラグレン家との衝突を避け、リアンナ殿とクラリオン家の将来を守り、我が国の秩序を保つ最良の策と考えているのだが、どうだろうか?」


 まっすぐに私を見るリュカ王。摂政のボリスが口を開きかけるが、王は手のひらで静止させ、「リアンナ殿に訊いている」と首を振る。すかさず周囲の側近が「陛下のご下問を遮るとは無礼」「当主殿がどう思うか、まず、話してもらうのが筋だ」と声を上げる。まるで“私を先に喋らせる”ことが最初から決まっているような口ぶりだ。あるいは、私を言葉巧みに追い込み、周囲に“やはり幼い”という印象を与える狙いかもしれない。


 私は腹の底で(思った通りだ)と唇を引き結ぶ。少し悔しいが、ここで焦ってはいけない。


「……陛下のご厚意、深く感謝申し上げます。私もまだ未熟な身。ラグレン家に領地を奪われる危機は日々感じておりましたので、こうしてわざわざ私のために心を砕いてくださるとは、感謝の言葉もございません……」


 王の反応を見るより先に、隣のボリスさんが慌てる様子を感じる。ボリスさんは「お嬢様、まさか……」と青ざめた表情になる。


 果たしてリュカ王は満足そうに唇を歪め、「ふむ……クラリオン家は建国以来の忠臣。守らねばならぬと思うのは当然だ」と胸を張る。周囲の側近も頷き合い、「そうだ、ラグレン家が卑劣な手段を使っているのは周知の事実……」と声が飛び交う。


「……実は、これまでラグレン家が何度も手を回してきたようで……私も何度か命を狙われたんです……。正直、怖いです……。でも、陛下が領地を預かってくださるというのなら、それほど心強いことはありません……本当に……」


 私はまぶたを伏せ、悲痛な声で王に語る。


 王は“まさに計画通り”とでも言いたげな空気で、玉座からわずかに身を乗り出す。「そのことは聞き及んで折る。ラグレン家は、リアンナ殿の命まで狙ったそうな。そんなことで建国以来の勲臣の家を途絶えさせるわけにはいかない。我が王家が責任を持ってクラリオン家を保護するとしよう……」と語りかける。

さらに周囲からは、あらかじめ準備していたかのように、「おお、国王陛下の慈悲深いご決断……」「ラグレン家には好き勝手させない……」などと囁きが聞こえてくる。


 隣では、あきらかにボリスさんが顔色を変えて焦っている気配を感じる。しかし、私は振り向かない。


「……はい、陛下の慈悲にどれほど救われる思いか。ラグレン家は暗殺だけではなく、本来はマルディネールは自分が相続するべきだと、自分の領内だけでは無く、マルディネールでも吹聴させているようです。早晩、暗殺されるか、なにか理由を付けて、簒奪を試みるでしょう。」


 王は頷きながら、こう答える「その話は聞いておる。大事な封臣に危害が及ばぬようにするのも宗主たる王の務めと心得ている。」


 側近たちから同意の声があがる。連中のわざとらしい反応に、私は思わず笑いを噛み殺す。となりでは、ボリスさんが青ざめている。


 もはや結論は決まったと、摂政のボリスですら、諦めて受け容れることを考えはじめていた。この場にいる者たちも皆がそう確信した。ただ一人を除いては。


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