弁護(まも)るものは血より熱く──少女当主が語る交渉の極意
朝の空気は透き通るようで、少し冷んやりと肌を掠める。まだ夜の名残を感じさせる暗さがそこかしこに漂っているけれど、東の空がほんのりと白み始め、やがて優しい朝の光が屋敷の壁をわずかに照らし出すころ。私──リアンナ・クラリオンは、暖かな毛布の中で静かに目を開けた。いつもはまだ寝ぼけている時間だけど、今日は違う。背筋にうっすらと緊張と高揚が走っている。それも当然だろう。今日は、いよいよ“王都マロヴァ”へ向かう日なのだから。
「おはよう、リア。今日は早いのね?」
いつものように隣で寝起きをともにする侍女のエミーが、簡素なベッドから身を起こしてきた。その向こうでローザも布団にくるまったまま「あー……朝……」と寝ぼけ眼をこすっている。暗殺の危険や警護の必要性から、ここ数年ずっと私と同じ部屋で夜を過ごす彼女たちだが、逆に私としては、朝の着替えや洗面時にどうしても気恥ずかしさを感じる瞬間がある。なにせ中身は男の意識を引きずっている私だからだ。
だが、きょうはそんな些細な戸惑いを脇へ押しやる。王都へ向かう馬車が待っているし、後ろ向きに考えている余裕はない。国王が呼び出しをかけてきたのは、領地問題──要するに「ラグレン家と紛争になるくらいなら、領土を王国に預けてはどうか」という、とんでもない提案をされているからだ。私がまだ幼いからと、領地を取り上げる口実を作ろうとしているのか、あるいは本当にラグレン家を牽制する手段としてなのか。その真意は分からない。分からないが、行かねばならない。
「リア、支度してから朝ご飯にしようね? 出発まで時間ないし」とエミーが声をかけてくれる。私は「あ、うん……少し落ち着いてから着替える」と返事し、まだ布団の端を握りしめたまま、深呼吸をする。いつもなら面倒に感じる“女の子らしい服”を着なきゃならないのが憂鬱だが、王都へのお目通りともなれば、そうも言っていられない。今回は、私自身も分かっている。フリフリが嫌とか、そんな好みの問題を超えたシリアスな局面だ。
やがて、ローザがぼんやりとした顔で起き上がり、「今日は緊張するね……王都へ行くなんて、久しぶりだし」と小さく呟く。エミーは「ええ、護衛もしっかり整えてるみたい。ボリスさんとベアトリーチェ様も一緒だし……」と口を挟む。私はじっとりした汗が首筋に浮かぶのを感じつつ、「うん……私もしっかりしなきゃ」と唇を曲げる。頭の中には、交渉や説得のイメージが浮かんでいた。前世で“未熟ながら弁護士”をやっていたときの記憶が、少なからず役に立つかもしれない。嘘みたいだけれど、今こそそれが必要な場面なのだ。
手早く洗面と着替えを済ませ、ドレスに身を包む。いつも以上に豪華な生地で、レースや刺繍があしらわれた“よそ行き”仕様だ。普段は動きやすいワンピースを好む私だが、きょうはそうもいかない。王都へ向かい、国王に面会する可能性があるなら、“失礼のないように”貴族の正装に準じたスタイルをとらざるを得ないのだ。窮屈なコルセットまではしないにしても、ふだんよりはギュッと締まったウエストに違和感を覚えないと言えば嘘になる。エミーが「苦しくない?」と心配するが、「大丈夫……あんまり無理すると吐きそうになるから、少し緩めて……」とお願いする。
こういうとき、中身が男だという意識がさらに私を苛立たせる。「なんでこんな面倒な格好を……」と思ってしまうが、今日ばかりは言い訳が立たない。王都へ行って“少女の身である伯爵家当主”がいい加減な服装をしていれば、相手に足元を見られることは火を見るより明らか。私としては“できれば男装のほうが動きやすいし、守られやすい”とも考えたが、ボリスたちに「さすがに公式の場でそれは通用しません」と言われて諦めた。暗殺の心配はあるものの、護衛を増やすことでカバーするしかないとのこと。
朝食は軽めに済ませる。パンを少しと、ハーブティー、野菜スープを飲みながら、私は内心落ち着かずそわそわしていた。ローザが「大丈夫? 食欲ない? 昨日あんなに考えこんでたから、寝不足じゃない?」と気遣う。私は小さく首を振り、「ううん、寝不足ってわけじゃない……ちょっと胃が重いだけ。ありがとう」と微笑む。おそらく緊張によるものだろう。馬車に乗れば多少休めるかもしれない。
ボリスとベアトリーチェが「リアンナ様、準備はよろしいですか?」と声をかけてきたのは、朝食を終えて間もなく。館の正面玄関には馬車が二台スタンバイしており、護衛の騎士たちが周囲を固めている。わたしの心臓がトクンと大きく跳ねる。これから先、国王に会って、領地をどうするか、ラグレン家との紛争をどう回避するか、そんな重たい話をしに行くのだ。もうあと戻りはできない。
玄関前で、エミーとローザが最後のチェックをしてくれる。「ドレスは裾が長いけど、馬車に乗るときは気をつけて。転ばないでね」「足元、靴は大丈夫?」なんて細かいことをあれこれ聞いてくる。私が照れ隠しに「いいよ、分かってるから……」とつっけんどんに返すと、二人は「むしろ安心してる。ちゃんと気を張ってるみたいで」と笑う。確かに、これくらい緊張しているほうが、私にとっては都合がいいかもしれない。思考が妙にクリアになる瞬間があるからだ。
ボリスとベアトリーチェが先に馬車に乗り込み、それから私が続く。護衛の兵士がそっとドレスの裾を持ち上げてくれるので助かるが、私は「う、うん、ありがとう……」と小声で感謝しながら、馬車のステップを踏む。前世なら、こんな儀式じみた所作はまったく縁がなかったのにと、不思議な思いが頭をかすめるが、とりあえず落ち着いて乗車する。ドアが閉まると、馬車はゆっくりと動き出した。車輪のカタカタという音と、蹄のリズムが耳に心地よく響く。
最初は窓の外を眺めて、マルディネールの街並みが少しずつ遠ざかっていくのを見つめる。ここが私の領地だ……できれば何があっても手放したくない。自分の領土だからというだけではない。大勢の人の想いが関わっている。そんな決意を噛みしめながら、私は深く息をついた。馬車が石畳からやがて土の道へ移ると、微かな揺れが身体に伝わり、それが意外と心地よい。緊張と不安が混じり合うなか、身体が慣れてきたのか、どこかリラックスした精神状態が訪れる。
「リアンナ様、どうされました? お疲れでしたらお休みになられても……」とベアトリーチェが声をかける。私は小さく首を横に振り、「ううん、大丈夫。今、いろいろ考えてただけ」と微笑む。本当に頭が冴えている気がする。幼い頃はドレスを着ると動きにくく、すぐイライラしていたのに、今はそれすらも一種の舞台衣装だと思えば腹も据わる。まるで前世で裁判所、尋問がある期日へ向かう前の車中で、書類を頭の中で整理するような感覚に近い。それなら、意外と戦えるかもしれない。
私は馬車の窓から外を見やりながら、心の中で作戦をまとめ始める。前世での“弁護士”としてのスキルは未熟だったかもしれないが、それでも、プロなりに“交渉ごと”には慣れているつもりだ。知識もあった。そこが活きるなら、使わない手はない。そう、相手に“こちらの主張に従えば得をする”と思わせるのが鍵なのだ。裁判や交渉では、ただ言い負かすだけじゃ勝てない。むしろ、言い負かしてしまったら、良くて引き分け、下手すりゃ負けだ。相手を納得させ、気分良く、合意して貰う必要がある。なぜなら、結論を決めるのはいつだって“相手”なのだから。王が領地を取り上げると判断したら、私たちにそれを止める力はない。ならば、王に“取り上げると損だ”とか“預けるより任せたほうが国王にとって名誉だ”と思わせるしかない。
(国王が、私の領地を欲しがってる理由は何だろう? 表向きは「ラグレン家と争わないための処置」だろうけど、本音では国王の領土を増やす絶好の機会かもしれない。ラグレン家の相続権と絡めれば、「少女には領地経営が無理」「ラグレン家を出し抜くためだ」と大義名分が立つ。もし抵抗が大きくなければ、王としては痛みなく領地を手に入れられるだろう……)
私は暗殺未遂事件の記憶も思い返す。ラグレン家にしても、過去にうちの領地を狙っていた気配がある。ならば、王は“これをうまく利用して領地を吸収しよう”としているのかもしれない。ただ、あからさまに暴力的な手段で奪うのは王としての威厳を損なう。ほかの伯爵が警戒し、離反する恐れもある。伯爵らとしては、国王が自分の領土の領有権を保障してくれるからこそ、従っているのだから。
だからこそ、わたしを王都へ呼び、“彼女は自ら領地を譲ってきた”“彼女では領主はとても務まらない”という形を作りたいのではないか。少女領主は無力と宣伝すれば、領土を取り上げても名誉も保てるし、自分の手も汚さずに済む。
そう考えれば、こちらがすべきは「領地を取り上げるのは国王の名誉に傷をつける」と刷り込むこと。“少女当主を助ける”という姿勢を示したほうが国王にとって得になる──そう誘導すればいい。私が先回りして“私の領土経営は王の名誉に繋がる”とプレゼンできれば、国王も簡単には取り上げないんじゃないか。仮にラグレン家との対立が激化しても、国王は“我が国の幼い伯爵家を守るため”という大義名分を得るから、ラグレン家を抑えこめるかもしれない。逆に、最悪の事態になったら“あくまで万が一のときは領地を返す”と覚書か何かを作る手もありそうだ。
(うん、何となく道筋が見えてきた。つまり、ただ王に歯向かうんじゃなくて、王にも利益があると思わせなきゃ。論破して勝ち誇っても意味ないし、相手を追い詰めるだけだ。そうすれば、待っているのは、領地の召し上げだ。それじゃあ、私たちの領地を守れない。……そうだよ、相手が得をしてこそ、交渉はまとまるんだ。何もかも、前世で学んだ“プロの交渉”そのもの……。言い負かせば勝ちと考える素人と私たちは違う。)
自分の頭の中で組み立てるシミュレーションが妙にスムーズに進んでいる。昔ならこんな複雑な状況、混乱するだけだっただろう。でも今は、私はただの少女ではなく“前世を持つ少女”。暗殺未遂事件を経て、領地運営の実態を学び、少しずつだがマナーや会話術も身に付けてきた。おまけに、自分だけの問題ではない。マルディネールという大きな家族の命運がかかっているのだ。こんなときにこそ、冷静に考えなければならない。体の成長による違和感でうろたえる余裕はない。むしろ、その違和感を踏まえて、真に戦う意思を抱き、弱音を吐かずに前へ進む──そんな気持ちが芽生えている。
馬車はやがて郊外の道を抜け、王都へと続く幹線道路へ入る。道幅が広がり、すれ違う馬車や行き交う旅人の数が増えてきた。外の景色は森が開け、遠くに大きな城壁が見え隠れしている。あれが王都の外郭か……。初めてとはいかないが、久々に見る光景に私は息を呑む。石造りの壁、威圧するような門、内部に広がる無数の家々や高い建物。そのどれもが“権力の象徴”として私の視野に飛び込んでくる。
「リアンナ様、もう少しで王都です。しっかりお気を付けを」とボリスが声をかける。私は窓から顔を引っ込め、「うん……大丈夫。覚悟してる」と低く答える。ベアトリーチェも「今夜は宿舎に入って、明日か明後日に謁見になるでしょう。護衛や礼式の段取りなど、煩雑ですが、一緒に頑張りましょう」と穏やかに言ってくれる。いつも冷静な彼女の存在は頼もしい。
(やってやろうじゃないか。……このまま領地を奪われてたまるもんですか。相手にとっても悪い話だと分かれば、きっと妥協点が見つかるはず……)
車輪の音がリズミカルに響き、蹄が地面を叩くたびに私の心臓が少しずつ熱を帯びてくる。ここまで私を押し上げてきたもの──それは中身が男だとか大人だとかいう意地だけではなく、私がこの世界に来て守りたいと思える仲間たちの姿だ。エミーやローザ、ボリス、ベアトリーチェたちの支えがあって、私が当主として領地を維持してきた。彼らを路頭に迷わせるわけにはいかないのだ。
やがて、道が斜めに湾曲し、目の前に大きな城門が見えた。人々が出入りし、荷車が列を作っている。城門の左右には衛兵が立ち、我々の馬車が近づくと、案内人が走ってきて「伯爵家の馬車ですか? こちらへ」と誘導する。ボリスが手短に公文書を見せると、衛兵はすぐに通行を許可。王都の中へ馬車が滑り込む形だ。その瞬間、私は再び深い呼吸をする。王都マロヴァ……ここが最後の舞台かもしれないし、新たな始まりになるかもしれない。交渉次第だ。
「リア、着いたね……王都……!」とローザが興奮気味に声をあげる。エミーも「わあ、人が多い……相変わらずすごいところ」と窓から見て感嘆している。石畳の大通りを馬車が進むと、両側に並ぶ商店や建物から賑わいの気配が伝わってきて、町独特の活気に飲まれそうになる。馬車の小さな窓越しに見える景色は華やかで、実際、前世の私がイメージしていた“中世ヨーロッパ風の大都会”か、“異世界転生もののライトノベルで出てくる世界”のようだ。だが、その裏には多くの政治的闘争が渦巻いているのだろう。
(大丈夫、冷静でいよう……試練は始まったばかり。国王やラグレン家との交渉がどう転ぶか分からないが、私は私の“正当性”と“相手の利益”をうまく結びつけて説得するしかない。……前世の弁護士としても、こういう複雑な事案を扱うのは夢だったけど、さすがに異世界の王族相手は想定外だったな……)
自嘲気味に笑い、ふと目を伏せる。ガタガタと馬車が揺れ、その振動が心地よいリズムを刻む。外の喧騒を聞きながら、私は自分が抱える違和感についても、一瞬思いを馳せる。もし私が普通に男だったら、こんなドレスで乗り込む必要もないかもしれない。動きやすい服で堂々とやり合うこともできただろうか……しかし、もうそれは考えるだけ無駄。今の姿が私の現実なのだから。前世とは違う体を受け入れながら、この世界で当主として生きると決めたのは私自身だ。
馬車はほどなく、王都の邸宅街へ入り、伯爵やその使用人などの宿舎が並ぶ区画へ向かう。そこで少し滞在し、準備を整えたうえで国王のもとへ伺う段取りになるらしい。私たちの今回の“宿舎”もあらかじめ手配済みで、そちらでいくばくかの滞在をしながら、謁見の日程が決まるのを待つ形だ。ベアトリーチェ曰く、王の都合で明日になるかもしれないし、数日空くかもしれない、と。
馬車が高い門の前で止まる。衛兵に確認をとって、門が開かれる。広い庭を抜けて、古いが立派な建物の前へ到着した。ここが“クラリオン家が王都で滞在するための寄宿施設”らしい。ドアが開くと、ボリスが「リアンナ様、到着しましたよ」と手を差し伸べる。私はドレスの裾を踏まないよう注意しつつ、緊張の面持ちで馬車を降りた。高い建物がずらりと並ぶ景色を見渡し、「ふう……」と一息。これが新たなステージの幕開けか、と身が引き締まる想いだ。
私は胸の奥で強くつぶやく。“やってやろう。ラグレン家に負けないし、国王の思惑にも簡単には乗せられない。だけど、全面対決も避けたい。うまく説得して、領地を手放さずに済むような道を探してみせる。” かつて前世で学んだ交渉術と、マナー講座で身につけた淑女の姿勢と、当主としての覚悟を総動員して、ここを乗り切る。それが私の試練であり、使命だ。
ドレスの胸元に軽く手を触れ、その下にある心臓の鼓動を感じる。体は女の子でも、精神にはまだ男の一部が残っている不思議な存在、それが私。だけど、いまはそんな違和感すら武器に変えて、“誰も考えたことのない解決策”を導き出してみたい。エミーとローザ、ベアトリーチェ、ボリスたちとともに最善の道を探すために、私はここに来たのだ。
こうして、私たちの王都入りは静かに幕を開けた。背後にはマルディネールを守るという大義、そしてラグレン家や国王の圧力という脅威。前を向けば未知なる交渉の舞台が広がり、そこには私の小さな身体と前世の記憶を抱えた意識が試される運命が待っている。泣きそうなくらいの重圧ではあるが、同時に闘志が胸を熱くするのを感じるのはなぜだろう。もしかして、私はこれを“勝負”だと捉えはじめているのかもしれない。
“ならば、やり遂げてみせよう。”
屋敷の扉が開け放たれ、使用人が「お待ちしておりました」と出迎える。私は軽く頭を下げながら、“いつもの少女らしさ”を取り繕いつつも、内心で燃え上がる覚悟を噛みしめる。きっと数日のうちに、国王との面会の日が来るだろう。そのとき、私は“伯爵家の少女”としてどんな振る舞いを見せるか。それによってマルディネールの運命が左右されるかもしれない。でも、もう進むしかない。
蹄の音の余韻が胸にまだ響いている。馬車の揺れとともに私は心を研ぎ澄ませ、王都の一室で深い呼吸を繰り返す。想いは一つ。大事な人たちを守り、領地を守り、わたし自身がこの世界で生き抜くために。弱い存在でも、知恵と交渉術で道を切り開ける──そう、前世の仕事の経験で学んだはずだ。真価を問われる時が来たのだと思う。
“絶対に、私のマルディネールを渡したりしない。信じてる皆のためにも……やるしかない。”
私は静かに目を閉じ、次の瞬間、深い決意を胸に刻むのだった。こうして馬車の旅はひとまず終わり、これから始まる“王都での試練”に向けて、私の心は今まででいちばん澄んだ状態に達していた。前世も含め、今世の私の11年を総動員して挑む“正念場”が、いよいよ始まる……。
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