ちょっと幸せ、ちょっとブルー──11歳当主の夜に舞い込む報せ
朝の空気がやわらかく肌をなでるころ、私はいつものように目を開けた。今日は――私にとって、ある意味特別な日。11歳の誕生日だ。10歳から1年しか経っていないはずなのに、感覚としてはもう随分といろいろなことがあった気がする。 “前世が男だった”なんて記憶を抱えながらも、今の私は伯爵家の女の子として今日を迎えているのだから、やっぱり人生は分からないものである。
同室で寝起きするエミーとローザが、隣の簡素な寝台でそれぞれ目を覚ましかけていた。寝ぼけ眼をこすりながら、二人が「うーん……。あ、リア、おはよう……」と声をかけてくる。暗殺未遂事件以来、私の部屋で夜を過ごすのが当たり前になっているが、だいぶ緊迫感も薄れてきた。今となっては姉妹のような気安さを感じる時もあるが、私が着替えをする際はまだまだ気まずい部分がある――中身は男の意識を捨てきれないから。
「おはよう、エミー、ローザ。……ねえ、今日ってさ、私の誕生日だよね? 特別な日。なんか変な感じだなー。」
私が布団から出ながらそんなことを口にすると、エミーが満面の笑みで「そうよ。11歳のお誕生日。おめでとう!」と声を上げる。ローザも「おめでとう、リア! 今日はあなたの希望で食事会をするんだよね。私たち3人だけで贅沢しようって計画!」とウキウキしている。
そう、私は、普段からお世話になっているエミーとローザのために、大きなパーティーではなくて、3人でのちょっと豪華な食事を提案したのだった。
ここ最近、マナー講座や領主見習いの業務で忙しく、盛大なお祝いではなくあくまでこぢんまりした食事会。私はそれが気楽でいいし、エミーとローザも心から楽しみにしてくれているようだ。
そんなウキウキを抱えたまま、私は朝の身支度を整える。今日もドレスを着るかどうか迷ったが、いちおう予定としては勉強や仕事があるから、動きやすいワンピースにすることに。エミーとローザが「誕生日だから、もう少し華やかなのでもいいんじゃない?」と提案してくるが、私は「いや、午後にはゆったり着替えるから、今はこれで十分」とあっさり決める。そりゃ、前世の男としては、フリフリした派手な服を長時間着るのはまだまだ苦手だ。もう、11年も経ったのに、慣れないものは慣れない。
ドレスよりは気楽とはいえ、ワンピースもレースがついていたりウエストを縛ったりで窮屈だが、この体で生きる以上は仕方ない。エミーとローザに手伝ってもらい、なんとか衣装を整え、朝食のダイニングへ向かう。廊下を進むと、使用人たちが「リアンナ様、お誕生日おめでとうございます」と頭を下げてくれる。私は少し照れくさく、「あ、ありがとう……」とひそかに笑みを返す。
ダイニングではパンとスープ、フルーツなどいつものメニューが用意されていた。特別な日とはいえ、朝から大騒ぎするのは当主である私の望みではない。家中全員に大きなパーティーをしてもらうよりも、今日は気楽に仕事をして夜にエミーとローザとだけで祝う――これが私の希望なのだ。
「リアンナ様、おめでとうございます。ところで、本日も午前中は書斎で勉強や書類確認を少々、午後にはベアトリーチェ様の授業が入る予定でよろしかったでしょうか?」
使用人が控えめにスケジュールを確認してくるので、私は「うん、いいよ。夜には……例の食事会を……」と答えて苦笑する。誕生日なんだからもっと羽を伸ばしてもいいかもしれないが、当主としての仕事をサボるのもどうかと思うし、何より私の中には前世の感覚で“ダラダラしすぎるのは性に合わない”という思いがある。
あまり休んで、心のエンジンを止めてはダメ。そうすると、休み明けに仕事を再開するのに苦労してしまう。
パンをちぎりながら、私は頭の片隅で考える――11歳か。10歳を超えてからの1年、いろいろあったな。特に、裁配人のところを見学して法制度のスカスカっぷりを確認したことを思いだす。思えば「あっ」という間だ。この1年もそうだし、この世界に来てからの11年もだ。身体も少しずつ成長し、身長が伸びた。
午前中、いつものように書斎に入り、ベアトリーチェから領地の歴史や諸制度、そして簡単な事務処理を教わる。私が書簡や報告書を読み、要点をまとめるという作業をしているが、正直なところ気分は上の空だ。理由は簡単。このあと、夜に“私が主催するミニ食事会”が控えているのだから。しかもエミーとローザの2人だけを招待するという形――気を遣わなくていいし、ほんの少し高級な料理を用意して、3人でのんびりしたいのだ。
ベアトリーチェが書類を並べながら「リアンナ様? 今日の内容、頭に入っていますか?」と苦笑してくる。私は「う、うん、入ってる入ってる……たぶん……」と口ごもり、彼女は「まあ、誕生日ですし、集中できないのも分かりますが」と穏やかに諭す。ボリスも「お祝いは夕方からですね。準備のほうも手配してありますのでご安心を」とフォローしてくれる。どうやら、私の落ち着かない様子は周囲にバレバレのようだ。
その後、マナー講座の復習的レッスンも短時間挟むが、これも私にはそこそこ厳しい。前世の男だった私に“女性の所作”を刷り込むのは、いつまで経ってもモヤッとするところがあるが、近いうちに社交の場へ出るかもしれないし、マダム・ルディアに怒られるのも嫌なので、しっかり頑張るしかない。だが、私の心は「早く終わって、夜の食事会にならないかな……」という気持ちが大半を占めている。まるで遠足前の子どものようにウキウキだ。
やがて、午後遅くに仕事やレッスンをすべて終えると、私は部屋に戻り、一息つく。エミーとローザが「さあ、今日はリアの誕生日だし、少し着替えもする?」と笑顔を向けてくる。私は「え、別に……」とごまかすが、ふたりは「いいじゃない、ちょっとだけ華やかにしよ!」と強引だ。しぶしぶ同意して、裾が長めだけれどフリルやパニエが少なめのドレスを選んだ。そこまで動きにくくはないけれど、ちょっぴり“お祝いのムード”を出せる服らしい。こういうときはもう、二人に任せるのが正解だ。今日は、私のためだけというより、二人のための日でもあるのだから。
そして夜、私の部屋――ではなく、食堂の隅に用意してもらった小さなテーブルで、3人だけの食事会が始まる。普段なら大勢で賑わう場所を貸し切っているわけじゃないが、ほぼプライベート空間のようなものだ。テーブルにはいつもより豪華な料理が並んでいて、フルーツや肉、シチュー、パンも見栄え良く盛り付けられている。私は思わず目を輝かせて「わあ……すごい!」と喜ぶ。エミーとローザが「ふふ、頑張って用意したんだよ?」と胸を張る姿が可愛らしい。
「じゃあ……はじめようか。私の、11歳の誕生日会ってことで……。乾杯の代わりに……何て言えばいいのかな……」
軽く戸惑う私に、エミーが「今日はありがとう、私たちまでこんなにご馳走いただいて……」と先に話を切り出す。私は「いやいや、いつも私を助けてくれてるんだから、感謝してるのは私のほうだよ」と照れながら返す。するとローザが「じゃあ、改めて……リア、11歳おめでとう! これからも当主としても、私たちの大事な仲間としても、よろしく!」とニコニコしてくれる。
「ありがとう……。じゃあ、いただきます!」
私はフォークを手に料理を口に運ぶ。いつものメニューとは全然違う、高級食材を使った肉のローストや、異世界の色とりどりの魚介が並び、その香りと味わいに思わず感嘆の声が漏れる。三人で歓声を上げながら食べ比べ、たまに会話が弾む。こういう小さなパーティーこそ、私がほんとうに望む形なのかもしれない。大勢に囲まれると面倒だし、前世の男の記憶からしても「豪華な社交イベントは落ち着かない」タイプだから。
「わあ、このシチューも絶品……! ハーブが効いてて飽きないや……」
私が笑顔で口に運ぶと、エミーが「うふふ、ハーブも特別なところで育ててるらしくて、風味が違うらしいの。ボリスさんが手配してくれたんだって」と教えてくれる。ローザも「お肉もぷりぷりしてる~! こんなの普段あまり食べられないよね」と上機嫌だ。普段は地味な日常を送っている私たちにとって、まさに今日だけのちょっとした贅沢。誕生日に相応しいご馳走がテーブルを彩っている。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、気づけばかなり満腹。私は「はあ、食べすぎちゃった……」と椅子にもたれかかる。エミーとローザも「もうお腹いっぱい……」と笑う。こういう幸せな感覚、なんというか、暗殺未遂事件などの不安を完全に忘れさせてくれる。そういう時間こそ、今の私には大事なのだろう。
食事のあとは部屋へ戻る。お腹も膨れたし、このまま寝たいが、清潔第一ということで、それはエミーとローザが許さない。お風呂は毎日しっかり入るのが、私たちのルールになっていた。
お風呂場へ向かったものの、私はいつも以上に身構えていた。なぜなら、最近身体の変化が明らかになってきて、女の子の体としての“丸み”が増している気がするのだ。特に胸やお尻――エミーやローザに洗ってもらうとき、直視したくないくらいの違和感がある。前世が男だった私には、こういう“女性らしさ”が強調されるようになるのが、どうしても嫌だ。
今日はそれが如実に表れた。私は湯船に浸かっているときに、自分の胸元をちらりと確認してしまい、“あ、やっぱり前より膨らんでる……”と軽くショックを受ける。さらに腰回りやお尻にも肉づきが増したようで、男装したときにパンツがきつくならないか心配になるレベルだ。エミーとローザが「リア~、こっち向いて。髪を洗うよ?」と楽しげに声をかけてくるが、私はなんとか表情を隠して「う、うん……」と答える。
(ああ……なんだろ、男装が似合わなくなるのかな……。もう11歳だし、成長期っていうのはこういうものなの? だけど、中身が自分の感覚だと、まだ全然男の感覚が強いっていうか……違和感あるよ……)
心の中でいろいろ想いがぐるぐる。エミーが丁寧にシャンプーをしてくれる間も、私の視線は宙を漂っている。ローザが「なんだか、リア、ぼーっとしてるね。疲れちゃったかな?」と不思議そうに尋ねるので、「うん、まあ……食べ過ぎて眠いだけ……」と苦笑してごまかした。事実、お風呂の蒸気でぼんやりしているせいもあるが、もっと大きな理由は私の体が“女の子化”を進めていることへの複雑さだ。言えるはずがない。
そんなこんなで風呂を終え、体を拭いて寝間着に着替えるころには、私の心はモヤモヤでいっぱい。エミーとローザが「ねえ、リア。今日は誕生日でおいしいものも食べたし、すごく楽しかったね!」と盛り上げてくれるのに、私は「う、うん……ありがと」と微妙な顔をしてしまったらしく、二人が「あれ? どうしたの? なんか変よ?」と首を傾げる。私は慌てて「あ、いや、なんでもない……ほんとに!」と否定するが、その目は笑っていないかもしれない。二人も疑問は抱きつつ、深くは追及しないようだ。
部屋に戻って、エミーとローザが簡素な寝台へ移動し、「じゃあ、今日はもう寝ようか。誕生日とはいえ、忙しかったし」と声をかけてくれる。私も「うん、そうしよ……。」と返事をしてベッドへ腰を下ろす。モヤモヤはまだ晴れないが、ひとまず眠りにつけば多少は気が紛れるだろうか。
ところが、消灯まであとわずかというタイミングで、廊下がやや騒がしくなる。足音や人の行き来が感じられ、何か非常事態が起きたかと私は身構えそうになる。暗殺未遂事件のトラウマがあるから、こういう音がすると少し怖いのだ。
「な、なに……? 騒がしい……」
エミーとローザも同時に身を起こして、ドアに耳を傾ける。すると、外から使用人が声をかけてきた。「お嬢様……今夜、マロヴァ王国から書簡が届いたそうで……ボリス様とベアトリーチェ様が対応しておられますので、お嬢様はお休みなっていただければ、とのことです。」との説明。
「マロヴァ王国からの書簡……? なんだろう……」
私はドキリと胸を鳴らす。マロヴァ王国――私たちマルディネール伯爵領が属している国そのものであり、宗主国だ。国王や中央の貴族たちがいて、いろんな政治的思惑が渦巻いている印象だ。もしかして何か危険な命令が来たのか、あるいは隣国とのトラブルか――思考が巡る。けれど使用人は「明日にはボリス様がお嬢様にお話を……」と穏やかに伝えてくれた。
「そ、そっか……わかった。ありがとう……」
私は少し胸をなで下ろす。マロヴァ王国は、こちらの味方だ。ラグレン家とは違う。でも、この時間に届く書簡とは珍しい。何か大きな事柄が動いているのかもしれない。私としては心配だが、今日はもう誕生日ということもあって、夜に大騒ぎする余裕はない。ボリスとベアトリーチェに任せて、私は休むことにしよう。
「ふう……まあ、ボリスさんとベアトリーチェなら大丈夫だよね……」
ドアを閉めて、私はベッドに横たわる。エミーとローザも寝台に戻り、「うん、大丈夫だと思う。すぐに問題あるなら呼びに来るしね」と優しく囁いてくれる。私は“ほんとにそうだよね”と納得しつつ、さっきまでの体の違和感のこと、マロヴァ王国の書簡のこと――色々頭を巡るが、とにかく自分の誕生日はこうして過ぎようとしているのだ。
(今日の半分は楽しかったな……でも、体が女の子らしく丸くなるのは気持ちが複雑……。当主として、これからどうなるんだろう……マロヴァ王国の件も何かありそうだし……。明日には話を聞けるかな。)
そんな想いを抱きながら、私は目を閉じる。暗殺の脅威も、社会制度の曖昧さも、体の変化も、全部まとめて“いろんな問題”が一度に胸に圧し掛かってくる気がしたけれど、今はベッドの心地よい柔らかさに身を委ねるほかない。誕生日が終わりつつある夜だからこそ、冷静に明日を待とう。
「うん……きっと大丈夫……」
自分にそう言い聞かせて、深呼吸を繰り返す。外の月明かりは静かに差し込み、廊下の音もまた収まりつつある。ボリスやベアトリーチェが受け取った書簡の内容はまだわからないが、少なくとも今日がもう大混乱に陥ることはなさそうだ。ならば、眠って明日に備えるのが賢明だろう。1年後、2年後には私もさらに成長し、出来ることも増えるだろうし、あるいは、試練もあるかもしれない。でも、それらをどう乗り越えるかを考えながら一歩ずつ進むしかない。
(誕生日、楽しかったな……。エミーとローザも喜んでくれたし……)
そんなふうに、少しだけホッとした気持ちと、やや重たい不安を抱きあわせたまま、私はすとん、と夢の世界へ落ちていく。外の警備は万全だし、暗殺未遂事件の再来はなさそう――むしろ、これからの“社会の変動”や私がこの領地に関わっていく、エミーとローザをはじめとしたこの家の人々、そして領民のみんな、どうやって彼らの毎日を守っていくか、それこそが大問題だ。自分がこの世界でどう生きていくのか、まだ道半ばだ。
こうして、11歳の誕生日の夜は更けてゆく。食事会の余韻とお風呂で感じた微かな違和感、そして外で起きたマロヴァ王国の書簡の話――そのすべてが、翌日への伏線となっているかのように、私の胸に小さな波紋を残したまま、深い眠りへと沈んでいった。私はまだ、その書簡が私にとって、そしてクラリオン家にとっての大きな試練になる事を、知らない。
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