理想と現実の狭間で──曖昧システムに感じる違和感
「失礼します。本日、見学をお願いしている……研修生の、リオン、と申しますが……」
自分が名乗る“リオン”という偽名に一瞬だけ戸惑いを覚えるが、これも慣れだ。扉が開き、中からは穏やかな物腰の男性が顔を出した。灰色の髪を短く整え、口元に笑みを浮かべたその人は、私を頭からつま先まで見渡してから「いらっしゃい、君がリオン君だね。どうぞ中へ」と通してくれる。
部屋の中は意外なほど広く、数枚の大きな机が置かれ、そこに書類が積み上がっている。壁際には棚が並び、色とりどりの封筒や書簡が整理されているらしい。男性が二人、別の机で何か書類を読んでいて、私が入ると軽く顔を上げて「あ、来たんだね」とにこやかに笑う。私は「あ、はい、今日は見学を……」と距離感を図りかねていると、先ほど扉を開けてくれた男性が「私はハインツ、こちらがエルバートとスコット。三人で裁配人の業務を担当してます。今日はよろしくね」と穏やかに紹介してくれた。
「よろしくお願いします!」
私は頭を下げる。彼ら三人とも男性で、どことなく公務員のような雰囲気が漂っている。前世なら裁判官も書記官も、女性の割合はかなり増えているが、この世界では男の領域なのだろうか……と勝手に想像しながら、視線を巡らせる。
「まあ、ここの仕事は地味だよ。事件やトラブルについて、当事者から申立を受け、それが受理に値すると思ったら相手方に連絡を送る。その上で話し合いの日程を決めて、両者を呼んで審判――われわれ裁配人が聞き取りをして、解決策を提案するんだ。合意になればそこで終了、ならなければ、さらにこちらが結論を出す場合もあるし、無理に出さない場合もある。……そんな仕組みさ」
ハインツが、よく通る声で説明してくれる。なるほど、“裁配人”という肩書は、要は紛争処理や裁判、仲裁、調停を行う役職ということらしい。しかし、“合意がなければ終わり”だとか、“裁配人が結論を出すか、出さないのも自由”だとか、なんとも曖昧な印象を受ける。この世界の法制度がスカスカだからこそ、こうした柔軟とも言える仕組みになっているのか――私は興味がますます湧いてきた。
「取り上げるかどうかも、裁配人の裁量で決められるんですか? たとえば、すごく面倒そうな事件だと受け付けないとか……」
私がつい口を挟むと、エルバートと呼ばれた男性が「まあ、実際そういうこともあるね。細かい諍いに全部時間かけられないし、逆に命にかかわる大事件ならボリス様の判断を仰ぐこともあるし。柔軟性は高いけど、なんでももってくれば解決するとか、結論がでるとか、そういうことではないんだよね」と苦笑いする。
「なるほど……。じゃあ、解決策が出なくても終わり……つまり当事者が納得しなかったら、そのまま放置ってことですか?」
私がさらに突っ込むと、スコットという男性が「そうね、放置ってわけじゃないが、事実上それ以上介入しない場合もある。どうしても解決できないなら、領地当局が介入するか、最終的に当主様のもとで決着するか……いや、そこは詳しく話すと長くなるから、後で資料でも見ます?」と控えめに提案してきた。私にとっては資料こそありがたいが、今回は時間が限られている。なるほど、スカスカなルールゆえに“裁配人の裁量”や“当事者の妥協”に委ねられているのだろうと察した。実際のところ、前世でいう“裁判所”とはかなり違う。どちらかというと、裁判外での代理人経由の交渉に近い。
(やっぱり……。合意すればラッキー、しなければスルー、なんて仕組みじゃ、納得いかないケースが多いんじゃないかな……?)
私の心は少しザワつく。もちろん、魔法が便利で、封建的支配が強力だから、大きな武力衝突は抑止されているのだろう。だが、小さな問題や個人同士のトラブルは、こうして曖昧に処理されるまま放置される場合もあるわけだ。そうなると、その個人としてはたまったものではないだろう。
「話し合いに当局が関与する、という手続なんですね……。一度に当事者を呼び出して、その場で話を聞いて結論を出す。書面も使うけど、結論が出なければそのまま終わり……。裁配人が強制力を持つわけでもないんですか?」
私は先を急ぐように尋ねると、ハインツが「たしかに、基本はそうなるね。もっとも、大抵は合意するし、合意がない場合、裁配人が裁量で決定した場合、従う義務が当事者にはある、とされている。」と言いにくそうに説明してくれた。
私は「ふうん……」と頷きながら、胸の中で“やっぱり課題山積みだな”と思う。この世界は、表向き平和が保たれているが、こういうグレーな司法制度を放置していて本当に大丈夫なのか? 暗殺未遂事件のように、大きな脅威が潜む可能性もあるし、民事トラブルが拡大すれば危険な衝突に繋がるし、それだけでなく、経済活動の邪魔になるだろう。そうなれば、国力の低下になるし、貧富の差の拡大、庶民や新興富裕層の不満拡大になり、社会不安につながることだってあるだろう。
ともあれ、私としては、とにかく裁配人室のリアルを見学できただけでも大きい。実際に机や棚に並んだ書類を見せてもらい、紛争受付のフローをざっと説明してもらっただけで、この世界の“司法手続”がいかに大雑把かを肌で感じた。前世の知識と比べると驚きの連続だが、魔法と封建体制があるここでは、それで一応回っているのだから不思議だ。
(……でも、長期的にみたら、この柔軟さは限界がある気がする。下手すると大きな火種が吹き出す日が来るかもしれない……。)
こうして私は“裁配人”の仕組みを一通り聞き終え、さらに細かい話は次回にさせてもらう形で、まずは本日の見学を終えることとなった。3人の裁配人は「またいつでもおいでよ」と笑顔で言ってくれ、私も深く頭を下げて「ありがとうございます。すごく勉強になりました」と返す。
心の中で“なるほど、ここでは裁判官にあたる人物が3人も揃っているのに、実質的には助言や調停がメインで、最終的な結論を出すことはあまりないのか”と整理しつつ、階段を下りる。エミーとローザは「いやあ、分かりやすいような、曖昧なような……微妙だね?」と苦笑い。私は「まあ、これが現実なんだよね……でも、思ったより優しそうな人たちで、よかった」と安堵する。
こうして庁舎をあとにしながら、私は自然と眉をひそめる。封建権力と、魔法があるこの世界では、問題解決も“力”や“威光”によるところが大きい。法制度がスカスカだとしても、領主が強権を発動すれば一瞬で押さえつけられるのだろう。だが、それを濫用すれば人心は離れ、ひいては暗殺事件のような敵対行為が増えるかもしれない。バランスを取るために中立的な裁判所か、なにか紛争を解決する機関を整備できればいいのに……そんな思いを抱かずにはいられない。
「ねえ、エミー、ローザ……今日の話を聞いて、どう思った?」
私がわざと軽い口調で問いかけると、エミーは「私、法律とか分からないけど、まあ平和ならそれでいいかも、って……。でもリアは難しく考えすぎなんじゃない?」と返してくる。ローザは「うん、めんどうな紛争が少ないならいいけど、これから魔法や商業が発展していけば、もっと複雑な争いが増えるかもよね?」とやや深刻そう。私としては彼女の意見に近い。今は良くても、将来必ずほころびが出る――そんな予感があるのだ。
やがて館へ戻る道すがら、私は何度も護衛に「ありがとう」とつぶやいた。変装(男装)のおかげで目立たずに済んだし、危険もなかったのが大きい。この姿は相変わらず動きやすく、私の前世の感覚にもしっくり馴染む。でも今日はとにかく“裁配人”の現場を覗けたのが収穫だ。何か大きな糸口を掴んだわけではないけれど、私の疑問はますます強まった――“いつか、この国の法制度をもっと整えたい”という意欲にも似た思いが、胸をチクリと刺激してくる。
(やっぱり、このままじゃ問題だよ。暗殺やクーデターを防ぐには、人々が納得できるルールを整える必要があるんじゃないかな……)
そんなことを考えつつ、私は裏口からそっと館に入り、いつも通りの部屋へ向かう。途中で使用人が「おかえりなさいませ、リオン様……あっ、じゃなくて……」と慌てて呼び方を修正しようとするのが面白いが、今は苦笑しか出ない。エミーが私に「まず服を着替える? それとも晩ご飯はこのまま?」と尋ねてきたので、私は「うーん、やっぱり着替えようかな……」とため息。男装のままでも楽だけど、館内では“当主様”らしくしないと皆が混乱する。
部屋に戻り、ワンピースに着替えるために服を脱ぐ瞬間、「ああ……なんかもう、ギャップがすごい……」と心でつぶやく。これは一生慣れないかもしれない。でも、当主として務める以上、こういう男装と女の子のドレスを使い分けて、時には堂々と表に出ていかないといけないのだ。
夜になると、私はベッドに腰を下ろして、一日を振り返る。裁配人たちの優しい表情と、曖昧な審判手続の説明が頭を回る。エミーとローザはすでに簡素なベッドで休みの体勢だが、私は少しだけ考えごとを続けたい気分。前世で学んだ法律の知識が完全に適用できるわけではないが、何かしら改善策を思いつけそうな直感がある。
(さて、明日はまたマナー講座とか仕事とかあるけど、いつか改めて“裁配人”の方々に質問しに行こう。もう少し詳細を聞いてみたい……)
そっとランプを落とし、薄暗い部屋の中で、私は布団に潜り込む。まぶたが重くなると同時に、頭の中には“この世界の司法を変えるにはどうすればいい?”というテーマがちらつく。暗殺未遂事件の影も薄れてきたけれど、根本の問題が解決しなきゃ、安心はできないかもしれない。法制度を整えるなんてそう簡単じゃないし、私一人で成し遂げられるとも思えないけれど、きっと何か道があるはずだ――。
(私が当主として成長すれば、もっと影響力を持てるかも。マナー講座だってがんばらなきゃ……うう、面倒だけど……)
いろんな思いが錯綜しながら、私は静かに目を閉じる。今日の体験は、次の大きな一歩の土台になりそうだ。裁配人室の仕組みを知って、改めて“疑問”が膨らんだのだから、あとは一つずつ確かめていけばいい。暗殺の脅威をはねのけ、みんなが納得する形の秩序を築くことは可能なのか? その答えを探す冒険はまだ始まったばかりだ。
――こうして、裁配人室を見学し、“曖昧な法”と向き合う準備を始めた私の一日は幕を下ろす。ドレスと男装を使い分ける当主としての道は遠いが、ワクワクする探求心を胸に、私は明日に備えてぐっすり眠るのだった。
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