帰り道は気を抜いちゃダメ! スリを見抜く当主の目と、今日の余韻
私は男がどんな動きをするか見守る。どうやら、ぽっちゃり体型の中年男性が一人、出店で商品を物色していて、布製の大きなカバンを腰にぶら下げている。そのカバンは半分開いているのか、財布が覗いているようにも見える。男はそのカバンを狙い定めているのか、すーっと隣に滑り込みそうな雰囲気がある。
そこにエミーとローザが戻り、少し離れた場所に護衛がスタンバイしてくれた。私が小声で「あの中年男性のカバン狙ってるっぽい……」と伝えると、護衛の人はコクリとうなずき、さらに周囲への合図を送った。すると、複数の護衛がいつの間にか位置を取り、男を取り囲むように監視を始めるのが見えた。
そして、その瞬間は意外なほどあっさりやってきた。男はさも自然な動きで中年男性の後ろに回り込み、カバンの入口を小さく開いて財布をスッと引き出した――と同時に、護衛の一人がすかさず腕を掴んだのだ。
「おい、何やってんだ? そいつはあんたの財布じゃないだろ?」
護衛が低い声で詰め寄ると、男は最初「何を……離せ!」と暴れようとしたが、周りを別の護衛も固めているのを見て観念したのか、財布を取り落としてその場で力なく尻餅をついてしまう。中年男性が「な、なんだ? 何事だ?」と驚きながら財布を拾い、「あ、これ私のです!」と叫ぶ。周囲の客も「あ、スリか?」と騒ぎになり始めるが、すでに護衛が男をしっかり押さえ込み、被害者の財布も無事に戻ってきた。
「あー、よかった……。やっぱりスリだったか……」
私は少し離れた場所から安堵の息をつく。暗殺者ではなかったにしろ、放置していたら誰かが被害を受けていただろう。エミーとローザも「すごいわね、リア……いやリオン? どうしてスリだってわかったの?」と目を丸くする。私は「え、いや、前世……じゃなくて、なんとなく……昔なにかで見たことある感じで、直感で……」とうまく言葉を濁す。
護衛は手際よく男を取り押さえ、地元の警備隊に引き渡すための準備に入っているらしい。私としては「よかった、役に立てて」と思う反面、こういうトラブルがあるとやはり物騒だと感じる。
「お嬢様――じゃなくてリオン。すごいじゃないですか、よく勘づきましたね」
護衛の一人が近づいて、小声でそう声をかけてくる。私としては「いえ、たまたまです……。すぐ捕まえたそっちがすごいですよ」と謙遜するしかない。だけど、周囲の人々の視線が「何事?」と集まりだしているので、私たちもこれ以上目立ちたくない。元は“暗殺対策”のために変装しているのだから、騒動の真ん中に出たくないのだ。護衛は「では、私たちが処理しますから、リアンナ様たちは先にお屋敷へ……」と言い、私も「はい、そうします」と頷いてそそくさとその場を後にした。
エミーとローザは顔を見合わせてニヤリと笑う。「お嬢様、ほんと、カンが鋭いわね」「甘味ばっかりじゃなくて、こういう場面でも冷静なのが素敵」と、やたら褒めてくる。私は「もう、やめてよ……すぐ動いたのは護衛だし……」と照れながら答えた。だけど実際、前世での知識が役に立ったのは確か。暗殺者ではなく“スリ”という発想は、エミーとローザ、護衛の人にはあまりピンとこなかったかもしれない。
「あー、でもなんか緊張しちゃったね。祭りの締めくくりがこんな騒動になっちゃって……」
ローザが少し肩をすくめて言う。私も「うん、でも被害が出なくてよかった……」と同調する。エミーは「でも、リアが活躍できたからよし!」なんてのんきに言う。
空を見上げると、陽ざしがかなり強くなっていて、お昼を過ぎているのが分かる。甘い物を食べすぎて満腹のまま、こんな騒ぎに巻き込まれるのは疲れるけれど、無事解決したし、もう大丈夫だろう。
「じゃあ帰ろうか。そろそろ体力も限界だし、荷物も多いし、足が痛いし……」
私が言い出すと、エミーとローザが「賛成!」と声をそろえる。祭り自体は最高に楽しかったけど、クールダウンが必要なことは間違いない。大量の菓子を抱え込んで、足取り重く裏門方面へ向かう。途中、護衛の人たちが周囲の安全を再チェックしながら先導してくれるので安心だ。
(今朝からの出来事を振り返ると、本当にいろんなことがあったな……少年たちと盛り上がって、転びそうになったのを助けてもらって、しかもスリを見つけちゃったり……)
そう思い出すと自然と微笑みがこぼれる。ドキドキした場面もいくつかあったけど、最後に大きな怪我やトラブルがなくて幸いだった。何より、男の子として祭りを回り、普通の少年たちとわいわい騒げる経験は自分にとって新鮮すぎる。またどこかで彼らと会えるだろうか。いつか“女の子としての私”を知られる日が来るのか――それは想像もつかないが、少なくとも今日のことは宝物のように心に刻まれそうだ。
裏門を抜け、そこから先は護衛が用意した馬車で少し屋敷へ近づく。エミーとローザに囲まれながら、私は窓の外を見つめる。街並みが徐々に落ち着いた風景に変わるにつれ、今までの祭りの喧騒がどんどん遠ざかっていくように感じる。さっきの男の子たちとのやりとり、甘いお菓子の味、そしてスリを見破った小さな達成感――全部が夢のようだ。
(こうして外へ出歩くのも、暗殺の危険があるからと制限されてきたけど、男装――いや、このスタイル――なら意外といけるんだな。仲間もできるし、トラブルだってこうして対処できる。嬉しい……けど、この違和感は何なんだろう。)
フューゴの肩幅を思い出すと、なぜだか胸がモゾモゾする。私だって前世は男だから、同じ“男同士”のやり取りに何ら抵抗はないはず……でも、今は“女の子の体”だからだろうか。自分でもうまく言葉にできない気持ちが芽生えている。別に恋とかではないと思うが、不思議な感覚だ。
車輪の音が石畳を鳴らすリズムに合わせて、私はまぶたを重くする。朝からはしゃぎすぎたせいか、心地良い疲れが全身を包んできた。エミーもローザも、私のそばで「今日は楽しかったね」と笑みを浮かべている。大量の菓子袋を抱えながら、屋敷へ戻ればまた日常が待っているが、当主としての勉強も、暗殺リスクへの警戒も、ひとまずは明日からでいい。今日は甘味を存分に堪能したから、これ以上ないくらい満たされている。
そうして、馬車がゆっくりと動き続けるうち、私の頭の中では自然と今日のハイライトがフラッシュバックする。少年グループと語らいながら食べた無数のスイーツ――ふわふわカステラや宝石チョコ、果物タルトや冷たいかき氷、とろりとしたクリームなど、すべてが新鮮で、前世のフェスを超える楽しさだった。転びそうになったとき、フューゴが手を伸ばしてくれた瞬間のドキドキ感。それから、最後に遭遇した“スリ”っぽい男を護衛が取り押さえたシーン……。
なんだか濃密すぎる一日だったけれど、最終的には怪我もなく終われたのは幸運だ。そして今、屋敷へ帰りつけば今日はもう休息モードだろう。私はそっと口元を緩ませながら、ポツリとつぶやく。
「……めちゃくちゃ楽しかったけど、疲れたなあ。帰ったら……お風呂入って……荷物片付けて、あとは寝ちゃおうかな……」
エミーが「そうね、お嬢様も体力を使い切ったんじゃない? 男の子仲間とのおしゃべりはよほど楽しかったんでしょう?」と意地悪っぽく笑う。私は「あ、あんまりからかわないでよ……」と視線をそらしつつ、少しだけ頬を赤らめてしまう。そう、私はあくまで“男の子っぽい姿”でいただけで、本当の体は女の子。しかも前世は男だったので、意識的には男に戻ったような気分になる瞬間もある。それが、時々混乱をもたらす。
(でも、もう少しこの姿でみんなと遊んでいたかったかも。ドレスだと“お嬢様”扱いで敬遠されがちだから、気軽に輪に入れたのが本当に嬉しかったんだよな。次にどこか外へ出る機会があったら、またこのスタイルで出かけたい……)
そんなことを想像しながら、やがて馬車はゆっくりと領主館の近くに停まる。護衛が「お疲れさまでした、お嬢様……じゃなくて、リオン様?」と微妙な呼び方で車内を覗いてくるので、私も照れながら「え、あ、もう大丈夫だから、ありがとう……」と車から降りる。この裏口は外部からの目につきにくい場所なので、変装で出入りするには最適なルートだ。
こうして私たちは、何事もなかったかのように屋敷の中へ帰還する。大量の菓子袋を抱えた私の姿に、出迎えの侍女たちが「それ、どうしたんですか?」と驚いた顔をするが、「祭りで買いすぎちゃった!」と笑うしかない。そして男の子スタイルを脱ぎ捨て、女の子の姿に戻るタイミングがやってくる。いつも通りの部屋でエミーとローザが服を用意してくれるが、着替えのたびにやはり「なんだか変な感じ……」と胸がざわつく。
前世は男でも、今の私は女の子。しかし、さっきまで男姿で過ごしていた自分は、ある意味ではしっくりくる部分もあった。ドレスに包まれると、また違う気分――それが本来の姿ということだろうけど、相変わらず胸の奥底で別の違和感が主張する。
(まあ、いいか。今日一日、めいっぱい楽しかったし。スリ事件も解決? できたし……今は休もう)
思考を打ち切って、私は部屋着へと着替え、ふう、と息をつく。甘味尽くしのせいで胃が重いし、足がパンパンだ。あれだけ歩き回ったんだから仕方ない。頭の中にはフューゴたちの笑顔や、危なっかしい場面で助けてもらったときの感触、そしてスリを取り押さえた瞬間の護衛の動きなど、様々な情景がぐるぐる混在している。
「お嬢様、本日は本当にお疲れさまでした。お菓子の量がすごいので、あとでみんなで分けようと思いますが、よろしいですか?」
ローザがにこやかに話しかけてくる。私は「あ、うん……そうしてくれると助かる。私だけじゃ食べきれないし……」と返答し、柔らかなベッドに腰を下ろす。エミーは「本当に大きな騒ぎもなくてよかったです。スリはありましたけど……でも、それもお嬢様のお手柄というか」とやや誇らしげ。私は「そ、そんな大袈裟……でも皆ありがとう」と照れながら頭を下げた。
こうして、一日の疲れと甘さに包まれつつ、私はようやく静かな時を取り戻す。暗殺リスクは相変わらず残っているはずだけれど、今日の不審者はただのスリで済んだし、何事も起きなかったのは幸運だ。フューゴたちとの出会いも含め、濃厚な体験が私の胸に焼き付いている。男姿で少年たちと笑い合い、危うく転倒して支えられた瞬間の“ドキリ”――女の子の自分とのギャップを再認識させる場面だったが、嫌ではなかった。
「ま、当主としては、また忙しくなるだろうし……でも、いつかまた、こっそりこういう外出ができればいいな……」
ふと小さく独り言をもらし、ベッドのシーツをゆっくりと握りしめる。体力が限界だから、少し横になりたい気分だ。エミーとローザが「ゆっくり休んでね。何かあったら呼んでちょうだいね?」と部屋を出ていく。私は「あ、ありがとう……お休み」と返し、深く息をついた。
祭りの日の思い出が頭を巡る。甘くて楽しい時間。男装した姿のまま少年グループと盛り上がり、最後にはちょっとスリ事件もあったけど解決。そんなドラマチックな一日を反芻していると、いつの間にかまぶたが重くなる。
ふと、フューゴが私を支えたときの力強さや、じっとこちらを見る視線を思い出す。肩幅があるというか、年上の男の子らしいガッチリ感にぶつかった瞬間、“ああ、自分って女なんだ”という意識が微妙に刺激された気がする。前世は男なのに今は女の子で、でも祭りを回るときは男の子姿――その三重構造が私に妙な感覚をもたらすのだろう。だけど、嫌ではなかった。むしろ面白い体験ができたと思っている。
(また会えるかな、あの子たちに……でも、私が本当は女の子だって気づいたらどうなるんだろう。いや、その前に“当主様”ってバレたらどうする?なんか、漫画やライトノベルみたいなシチュエーションだな……。こんなことなら、前世でもっとライトノベルを読んでおけば良かった。)
頭の中でそんなシミュレーションをしながら、私は意識を夢の世界に落とし始める。エミーとローザ、そして護衛のみんなが今回の祭りを安全に過ごさせてくれたことに感謝しつつ、いつもの警戒する気持ちは少しだけ薄れている。何しろ甘味をたっぷり食べて、心も体も満足しきっているのだから。
(今は眠ろう……明日からまた頑張るんだ。男姿で外出する機会はそう多くないだろうけど、もし次があるなら、そのときはもっと上手に荷物を持つようにしよう……転びかけるのはもう懲り懲り……)
そんなことを思いながら、私は思わず笑みを浮かべて、まぶたを閉じる。外の世界の喧噪はもう遠い。屋敷の静けさに包まれて、ぬくもりあるベッドに身を沈めていく。きっと、明日はまた違う日常が待っているが、今日はこのまま甘い夢に浸って眠りたい――そんな穏やかな欲求が、私の頭を支配していた。
――こうして、今回の甘味めぐりは終幕を迎える。少年グループと巡った時間、ヒヤリとした瞬間、スリの逮捕、それらすべてが濃縮した思い出として心に刻まれる。性別の違和感や当主としての責任が絡む複雑な心境も、今はひとまず置いておいて、今日の楽しさに浸ろう。いつかまた、この姿で街を歩き回る日が来るかもしれないし、そのときはどんな人との出会いが待っているのか――考えるだけで胸が膨らむ。
そうした期待と、少しの不安を抱きながら、私はすこしずつ眠りへと誘われていく。あのスリ男が暗殺者ではなくて本当によかったし、少しは人助けができたことが誇らしい。なにより、少年たちとの時間が思いのほか温かな記憶となって染みこんでいる。
軽くなった心と重い腹の違和感に包まれながら、私は静かにまどろみのなかへ沈む。
――そして、これで今日の物語は幕を下ろす。甘味めぐりのお祭りでの数々の笑顔と、少しだけザワついたトラブルが彩った一日。いつもの当主生活とは異なる、ちょっと自由な時間――その余韻を抱いて、私は「私らしい生き方」を探る新たな一歩を踏み出すのだ。
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