哀しみと笑顔の六か月――赤子領主の目覚めた世界②
生後半年を迎えた私のまわりで、再び屋敷全体が重苦しい空気に包まれ始めた。廊下を行き交う侍女や騎士たちの様子が落ち着かないし、交わされる会話には「アリダール」とかいう聞き慣れないカタカナ語がやけに多く飛び交っている。
もちろん、赤ん坊の私には彼らの話している言葉の意味を正確にとらえられるわけではない。ただ、その音の響きや表情から察するに、どうやら何かよくない“出来事”が起こったらしい。半年ほど前にも、母が亡くなった際に似たような雰囲気が漂っていたことを思い出す。胸がざわつく嫌な予感……。
その不吉な直感は、あっさりと現実のものとなった。
母に続いて、今度は父親(と考えられる男性)が亡くなったらしい、というのだ。半年のうちに両親を失ってしまうなど、私の前世で考えても衝撃的すぎる話だ。すでに母は産後に亡くなり、父だけは残っていたはずが、結局こうして私ひとり残される形になるなんて。
侍女や騎士たちの話によれば、「アリダール」という言葉が事故や不慮の出来事を指すらしい。もしかすると馬車の横転や落馬といったものかもしれないが、詳しくは分からない。言葉を十分に理解できない私には、その真相を探る手段はない。ただ、屋敷の人々が口々に「アリダール」と嘆く姿を見れば、それが突然の悲劇であったことは想像に難くない。
母に続き、父まで私の前からいなくなる。前世で言えば、親が立て続けに亡くなる事態など、めったにあることではなかった。ここがどんな世界なのか、私はいまだによく分かっていないが、ひとつだけ確かに言えるのは“私が現実に両親を失った”という事実だ。それは赤ん坊ながら痛いほど胸を締めつける出来事だった。
父の死の報せが屋敷を覆い尽くした翌日、私のまわりはまたしても慌ただしく変化する。長いローブをまとった司祭や、甲冑を身に着けた騎士、立派な衣服の文官らしき人々が大広間へ集まり始めたのだ。まだ“はいはい”もできない私にとっては、彼らの動きをただ抱かれたまま眺めるしかない。
以前、母の葬儀のときもそれに近い光景を見たが、今回は“葬儀”とは少し違う雰囲気を感じる。どこか公式の行事――特に政治的な意義を孕んでいるように見えた。私はまだ赤子なので、何が行われているか詳しくは分からない。ただ、その張りつめた空気は胸に重くのしかかってくる。
やがて、私は侍女の腕に抱かれ、広間の中央へ連れて行かれた。周囲の大人たちが私に視線を注ぎ、司祭が壇の上からこちらを見下ろす。彼が口にするのは難解な呪文のような言葉。日本語とはまったく違う響きが、厳粛な声色で会場に響き渡る。私は当然理解できず、思わず「あう……」と間抜けな声を出してしまう。
すると、司祭は金色のチェーンがついた小さな首飾りを掲げて、それを一瞬だけ私の胸元にかける。そこに刻まれた紋章は、母の葬儀のときには見なかった形状――剣と鳥が絡み合ったような文様だろうか。ひんやりとした金属の触感に身震いしてしまい、「う、ぎゃ……」と泣き声が出そうになったが、司祭はすぐにそれを外し、布に丁寧に包んでしまった。
この儀式を合図に、周囲の騎士や文官たちが一斉に礼を取る。まるで赤子の私を“家の正当な後継者”として認めるかのようだ。何も言わず、ただ小さく声を上げるしかできない私。これがどうやら“父の跡を継いで領地の当主になる”という宣言なのだと感じ取るしかなかった。
(生後半年で領主……あり得ない。しかも両親もいないし、クーデターや陰謀の標的になるかもしれないじゃないか……)
あり得ないと思ったが、前世の法律でいえば、相続は、被相続人(相続「される」人、つまり、亡くなった人)が死亡した瞬間に発生するルールになっている。なので、普通と言えば普通かもしれない。
異世界転生といえばチートとかいう特殊能力がもらえると前世の小説で読んだことがある。だが、私に与えられたのは両親不在の領地というとんでもない負債に近い地位。
前世でも「負動産」とかいって、価値がないどころか、管理コストばかりかかる負動産が問題になっていたことを思い出す。しかし、現世での「これ」は、お金どころか、命まで失いかねない危険なものだ。
確かに権威はあるのかもしれないが、その実、私自身は赤ん坊で何もできず、逆に危険ばかりが増えることになるだろう。まさか“赤ちゃん領主”こそが私へのチートだなんて、ギャグにしか思えない。チートには「いんちき」という意味があるらしいが、これではまるで、私に対する「いんちき」ではないか。
弁護士としての知識を持っていた前世の私だが、ここではまだ言葉すら通じない上、法律の仕組みもまったく違うのは間違いない。法制度そのものが整備されているかすら怪しい。そもそも赤子が“論理”を語ったところで、誰が耳を貸してくれるのか。むしろ“危険なコマ”として排除されるリスクのほうが大きいんじゃないか、と不安が増すばかりだ。
儀式が終わり、首飾りは私から外されて布にしまわれた。その後、騎士や司祭たちは一人ずつ私の前で頭を下げ、何かの書類にサインしているようにも見えた。生後半年の赤子には理解できないが、たぶん“私が正式に相続した”という事実を確認し合っているのだろう。
数日後、父の葬儀が執り行われたものの、私は参列しなかった。侍女同士の会話からは「危なくて連れ出せない」などと聞こえてくるような気がする。たぶん、赤ん坊を二度も葬儀に引っ張り回すのは酷だという判断もあるだろうが、もうひとつの理由として、唯一の後継者である私を万が一にも危険にさらせないという思惑もあるのだろう。
こうして、母に続き父まで失った私は、形式上の領主に担ぎ上げられた形になる。これが“チート”と言えるだろうか? 私には到底そうは思えない。むしろ、早くも暗殺やクーデターが頭をよぎってしまうほど、不安定すぎる身分だ。半ば呪いといってもいいかもしれない。
前世の相続の知識が頭をよぎる。よく、「私は相続していません」みたいな話があるが、あれは不正確だ。相続は、する・しない、の問題ではない。「起きる」ものだ。つまり、相続は、人が亡くなった瞬間に発生する。ある人が亡くなった瞬間に、原則として亡くなった人(被相続人という。)の権利義務はすべて、相続人に一瞬で移転する。それを前提に遺産分割などで調整していくというわけだ。この世界のルールも同じであれば、父の死と同時に、私は、おそらくはこの領土を相続し、新しい領主になったということになる。
前世では、相続したくなければ、3ヶ月以内に相続放棄(勘違いが多いが、他の相続人に対してでは無くて、家庭裁判所に対してしないとダメだ。)という手続をとれば、最初から相続人でなかったことになる。この世界、それも貴族の世界にそんなルールがあるとは思えないが。
私は、自分を落ち着かせるためか、前世のルールを思い返していた。
父の死後、屋敷はしばらくの間、騎士や文官たちの出入りが激しかった。彼らは山積みの書類や財務記録を整理し、次の体制づくりに追われているらしい。赤ん坊の私は相変わらずオムツ替えやミルクの時間を繰り返しているだけだが、廊下を通りがかるとき、護衛を担当する兵士らしき人がいつもそばに立っているのを見て、“ああ、私は大切な存在にされているのだ”と嫌でも思い知らされる。
でも“大切に扱われる”イコール安全とは限らない。むしろ領主として祭り上げられるほど、謀略の的になる可能性が高まるかもしれない。前世で学んだ歴史の知識を思えば、幼少の王や領主が暗殺されるケースなんて珍しくない。抵抗できないんだから、侍女を一人抱き込んで、絞め殺すか、窓から投げ捨てれば暗殺完了だ。こんなハイリスクの立場は、チートとはいえない。
それに……、言葉はわからないが、何か陰謀めいたものも感じる。たまに耳に入る言葉とか、雰囲気とか、人を欺き、陥れるときの空気を感じる。前世、たまに法律相談で感じた、胡散臭い相談者、怪しい同行者、事件で出会う無関係なのに首を突っ込もうとする者……。短い私の弁護士としての経験上も、自分の周囲に、暗い影が迫っていることを感じる。
前世の私なら、自分は危険を予知して回避ができた。しかし、ここでの私は赤子だから泣き叫ぶことはできても、言葉を伝えることはできない。しかたなく、ハイハイの手前でじたばたしながら、頭の中で「こわい、心配」と嘆く。しかし、周囲には伝わらず、侍女が「アナメー」とか「リクシ」とか、異世界特有の言語をあやし声で投げかけてくるばかり。言葉の響きはやわらかいけれど、その意味をつかみ切れずもどかしい。
法律実務の知識? そんなものはここで何の力にもならない。“さあ領土争いを合法的にまとめましょう”なんて主張しようが、赤子の喉から出るのは「あうー」とか「うぎゃー」のみ。前世の知識を駆使できるのは、もっと後になって言語を習得してからだろう。それまでにクーデターで潰される(文字通り、物理的に、かもしれない!)んじゃないかという恐怖は拭えない。
それでも日々は流れ、父親の葬儀が終わる頃には、屋敷の混乱も少し落ち着きを取り戻してきた。騎士や文官の往来は減り、侍女たちの顔にもわずかながら安堵が戻る。私の夜泣きも少し治まり、体調も安定してきた。
ただ、両親なき領主という立場が、私の未来をどう左右するかは依然として分からない。周囲の人々は、「まだ赤ん坊だから当分は大人が代理を務める」と考えているのか、それとも「なるべく早くこの子を一人前に育てなくては」と焦っているのか――それすらも私には推し量れない。
もっと言えば、この屋敷に兄弟や親戚が一人も現れないのはなぜなのだろう。単に私だけが直系なのか、他に相続の競合者がいないのか、それも疑問だ。もし私にとって危険な親族が姿を見せたら……と想像するだけでも寒気がする。
「遠くの親族」がどれだけ厄介なのか。これは、弁護士として事件を扱う際に経験済みだ。赤子の私が、しかも領土を巡って、遠くの親族が現れれば……。その危険は予想できないし、したくもない。
(これが異世界転生の結果? 結局、私は天涯孤独で赤子のまま領主扱い……。チートどころかハードモードじゃないか。両親まで失って……こんな苦しい形で権力を得たって嬉しくもなんともない……)
無力感に囚われそうになるたび、赤子の本能が私を眠りに誘う。せめて眠ることで心を保っているような感覚だ。起きている間は、表情豊かな侍女が優しく「アナメー」「イクト」といった謎の言葉をかけてくれることが、唯一の救い。彼女たちが私を抱き上げ、あやしてくれる瞬間は、小さなぬくもりに癒される。
とはいえ、そんな安らぎがいつまで続くかは分からない。私が成長して言葉を覚えたころ、どんな試練が待ち受けているのか――想像するだけで背筋が凍る。もし私が本気で領地運営に関わるなら、周囲の大人との衝突は避けられないし、クーデターの危機もますます高まる。
そして父の死から数週間が経ったころ、ようやく騒動が一段落したのか、屋敷の廊下で行き交う人の数も減ってきたようだ。侍女の一人が「アナメー、ラトリエ」と柔らかく声をかけてきて、その音の響きに私は首をかしげる。名前を呼ばれているのかもしれないが、よく分からない。でも悪意は感じられないし、私は無理やり微笑をつくって答える。「あ……う」。
そんな些細なやりとりが、今の私にとって精一杯のコミュニケーション手段だ。いくら前世でちょっと法律実務に詳しかったところで、この世界の法や言語を把握するには赤子の体も相まってハードルが高すぎる。チート能力なんて皆無。いかにもライトノベルにありがちな“神様から祝福された冒険”とはほど遠い。
それでも、生き延びていかなければならない。両親を亡くし、私がこの領地を相続した以上、私がいなくなるとここはどうなる? 赤子にとっては、ここから逃げ出す術などないし、誰かに守られているだけの人生だが、いずれ自分で歩き、言葉を覚え、何かを決断する日が来るかもしれない。それに、職務だろうが、優しくしてくれる周りの人達、特にこの若い侍女二人のためにも、この領地は平和に安全に保ちたい。
やがて私が成長して、この世界の政治や制度を学び、領主として動き出す時期が訪れるのだろうか。そのときには、前世の知識や経験は活かせるのだろうか。法律も制度も全く違う、そもそも、それらがあるとはいえない、この世界で。
だけど、今はただの赤ん坊。領主という肩書きが私を守るのか、はたまた命を狙われる材料になるのか――まったく分からない、といいたいが、多分後者だろう。
ただ、“お約束のチート”など存在しない以上、“現実”を受け入れるしかないのだ。
(もし、側近が反旗を翻したら、私はひとたまりもない。私ひとりでどうやってやっていくのか……でも、やるしかないのか。せめて言葉を習得して、一人前になれば……)
私はそんな考えを頭の片隅で巡らせながら、また小さく息をつく。いろんな者たちが廊下を行き過ぎる音を聞きながら、侍女が差し出すミルクを素直に飲む。お腹が満たされれば、自然と眠気が訪れて、前世と今世の苦悩ごと、ふっと闇に溶けていく。
こうして父親の死後、私という赤子が領主となった。異世界転生で得たものがこんな“重すぎる地位”なんて、誰が想像しただろう。いつか自分の足で立ち、言葉を理解し、屋敷の人々としっかり話し合える日を待ち望みつつ、今はまだ無力な眠りにつくしかない――それが、赤子領主としての最初の現実だった。
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