甘酸っぱい世界へようこそ――フルーツも青春も余すところなく味わいます
目を開けると、薄曇りの朝日がカーテン越しに差し込んできた。その柔らかな光が、私の枕元をほんのり照らしている。まだ眠気が残る頭を振りながら、ゆっくりと起き上がった。今日は特別な日。エミーとローザ、そしてボリスたちの許可を取り付け、ついに屋敷の外へ“男の子の姿”で出られるのだ。前夜は遠足前の子どもがそうであるように、ワクワクしてなかなか眠れなかったけれど、それでも何とか朝を迎えられて嬉しい。
(やっと、この日が来た……!)
ここ数年、私は9歳の“伯爵家のお嬢様”として、毒の恐れだの暗殺の危険だの、いろんな理由で屋敷の外へ出してもらえなかった。けれど、今回ばかりは「領地の実情を自分の目で見たい」という熱意が通じて、ほんの数時間とはいえ、安全な地域への短い外出が認められたのだ。ただし、私が女の子であることを隠して、男の子の姿――いわば“偽名”を名乗って町を歩く。これが今回のポイントになる。
自室の窓辺に立って外を眺めると、まだ薄い朝霧が漂っているものの、天気は良さそう。昼前には晴れて気温も上がるだろう。私は心踊る気分でカーテンを開き、軽く深呼吸をする。今日のプランはこうだ:朝食を済ませたら、例の“少年スタイル”に着替えて、裏門から人目を避けるように出発。エミーとローザが付き添い、護衛も最低限はついてくれるが、できるだけ私たちが目立たない形で街へ向かう。限られた範囲をまわり、昼前後には戻ってくる――いわば短い市内見学だが、私にとっては大冒険に等しい。
(さて、と……急がなきゃ。エミーとローザに“いろいろ”される前に、少し心の準備を……。)
思い返すと、先日お風呂でゴシゴシ洗われたばかりだ。今朝はさすがにそこまではないだろうけど、メイクや髪型、着付けをあれこれされる予感がする。前夜の強行洗浄(?)で全身が妙にツルツルになってしまい、まだ恥ずかしさが抜けていないのだが――まぁ、外出するなら仕方ない。
そう自分に言い聞かせ、簡単に洗面を済ませて寝間着を畳む。すると、ちょうどタイミングよくノックが聞こえた。
ドアを開けると、エミーがいつもの優しい笑みを浮かべて立っている。ローザは「おはよう、リア」と後ろから顔を覗かせる。二人とも興奮気味な表情だ。
「おはよう、リア! さ、朝食が準備できたよ。今日は何しろ大切な日だし、しっかり食べておかなきゃね」とエミーが言うと、ローザも「うんうん。男の子の姿で出かけるから、体力もいるもんね」と頷く。
私は「うん……!」と笑顔で応じ、部屋を出る。階下の食堂へ向かうと、いつも通りテーブルには温かいスープとパン、それにフルーツやハーブ茶が並んでいた。はやる気持ちを抑えつつ椅子に腰を下ろし、スープを一口啜る。
いつもならエミーたちが「あまり急いで食べないで」などと言うのだけれど、今日は二人とも「急いで……というか、でもちゃんと噛んでね?」と複雑な助言をしてくる。どうやら朝食をさっさと済ませ、早く“男の子の装い”を整えたいらしい。私も同じ気持ちだから、自然と食事が進む。
「今日のフルーツ、甘くて美味しい……!」
私はパンに少し果物ジャムをつけて頬張りながら呟く。既に頭の中は「あとどれくらいで着替えに入れるかな」「どんな服装に仕上がるかな」とそわそわしている。前回の庭での“少年スタイル”は割と簡易だったが、今日は“外出仕様”なので、もっと本格的な着付けが必要かもしれない。
食後、早々にテーブルを離れようとすると、ローザが「ふふ、やる気満々ね。じゃあ行こうか?」と目を輝かせる。私はドキドキしながらも「うん、お願い!」と返事する。エミーも「本格的に着せるの、実は楽しみだったのよ」とはしゃぎ気味だ。
部屋に戻ると、ベッドの上には既に昨日までに準備された“特別な服”が広げられていた。ズボンとジャケット、そして少し装飾を抑えたシャツ。色合いは落ち着いた深いグレーをベースに、隠し味として薄い金色のボタンが並んでいる。加えて、今回は外出ということで、貴族の息子を名乗るにふさわしい清潔感ある小物――ブローチやベルト――も用意されていた。
「わあ……凄いじゃん、これ。なんだかいつもより格上の“少年スタイル”って感じだね……」
思わず唸る私に、エミーが「うん、あれこれ注文して作ってもらったのよ。マルグリットさんも張り切ってたし、私たちも少し手を加えて……」と誇らしげに胸を張る。ローザは頷きながら、「あとは細かい着付けをどうするかね。髪型も考えなきゃ」と微笑む。
「じゃ、ちょっと失礼――」
言うが早いか、二人は私の寝間着をサッと脱がせて、下着姿にされる。昨日夜のゴシゴシ洗いが思い出されて顔が熱くなるが、ここは我慢。エミーたちもプロの侍女の顔をして、手際よく私の身体を拭き、シャツを滑らせてくれる。
「ふむ、やっぱり少し華奢だけど、9歳なら男の子でもこれくらいかも。……ウエストはもう少し余裕もたせてるし、大丈夫かな?」
エミーがシャツの襟を整えると、ローザが「うん、あまりキツくすると動きにくいしね。あ、袖のボタンは……ここを小さいリボンに変えたら怪しまれるかな?」と言う。結果的に“男っぽい”デザインをキープするため、余計なフリフリは外しているが、ちょっと細工をする程度なら許されるのだろう。
「うう……ありがとう。なんか、ドレスよりずっと気軽なはずなのに、やっぱり着付けは大変なんだね……」
私は苦笑いしながら、ズボンを足に通す。裾がちょうど良い長さで、靴を履いても引きずらない。ウエストは少しだけベルトで締めるだけで、程よくフィットする。
最後にジャケットを羽織ると、エミーとローザが「わー、完璧!」と歓声を上げた。二人とも目が輝いている。
「すごい、ほんとに……美少年に見えるよ! このまま、女の子にモテちゃいそう!」
「ほんと、まさかあんな可愛いお嬢様が、こんなカッコいい子になるなんて……!」
周囲の賞賛に私の頬は少し熱くなるが、前世で男だった意識を思うと「今さらモテ期が来ても……死後かよ!」なんて突っ込みたくなる。そのギャップに苦笑してしまう。やはり、女の子の身体に宿っている以上、こうして“男の子に見られる”ことには小さな違和感と、妙なドキドキ感がある。
「でも、まあ、これで準備完了。わ、私、変じゃないかな……?」
鏡に映る自分を見つめると、そこには本当に“少年”が立っている。髪は少し短くまとめて後ろで結び、前髪を横に流すことで顔立ちが中性的に見えるよう工夫してある。長いまつげが若干気になるが、それでも男の子として違和感は少ないかもしれない。
「完璧! あ、偽名は“リオン”でいくんでしょ? 貴族の息子っていう設定をちゃんと言える?」
ローザがニコニコしながら確認。私は「うん、名前はリオンで、クラリオン家の家来のフォーセット(大昔の家臣の家名を借りた。)家の息子、いまはクラリオン家の屋敷で勉強中……みたいに言う予定」と復唱した。
これでよし、と頷いていると、ローザが「それじゃあ行きましょうか、もうみんな裏門で待ってるわ」と言う。エミーも「すでにボリスさんたちも準備OKだって」と教えてくれる。私は深呼吸して、心を落ち着かせる。
(いよいよ……私が“リオン”になって、町へ行くんだ!)
数分後、屋敷の裏門へ向かう私の足取りは少し軽い。ジャケットがふわりと揺れ、ズボンを穿いた両足がいつもより広く動ける感覚にまたワクワクする。正面玄関を使わないのは、なるべく人目を避けるため。表側は屋敷の使用人や出入り業者も多いが、裏門は限られた警備と一部の関係者しかいないので、私がこっそり外へ出るには都合がいい。
エミーとローザが両脇に立ち、ボリスとベアトリーチェが待ち構えているのが見えた。ボリスは微笑を浮かべ、「後ろから護衛をつけます。何かあったらすぐにお助けしますので、あまり遠くへ行かないように、お気を付け下さいませ。」と注意事項を述べる。ベアトリーチェも微笑みを浮かべながら、「場所はあらかじめ安全と確認してありますが、油断は禁物。明るいうちに戻るのを忘れないでくださいね」と穏やかに釘を刺す。
「はい、もちろん。きょうは“リオン”ですから、そんなに怪しまれないと思います。エミーとローザもついてくれるし……」
私が敬礼するようにペコリと頭を下げると、ボリスが「どうか、くれぐれもお気を付けを……。」と低い声で言い、ベアトリーチェは「いってらっしゃいませ」と送り出してくれた。
心の準備が整ったところで、裏門の扉が開け放たれる。外へ一歩踏み出すと、屋敷の敷地を囲む塀の向こうには、朝の町へ続く小道が伸びている。その瞬間、私は一人ごとをこぼさずにはいられない。
「なんか、身分を隠して視察なんて……まるで水戸黄門……いや、助さん、角さんが隣にいる状態だ……ふふふ……」
もちろんこの世界には“水戸黄門”など存在しないし、エミーとローザは「え? 何それ?」と怪訝そう。私は「い、いや、なんでもないよ」とごまかし、内心でニヤニヤする。前世の日本の時代劇が頭をよぎって、妙な既視感を感じてしまうのだ。助さん役のエミーと角さん役のローザ……想像すると笑いが込み上げるけれど、今は秘密の楽しみ。
「リア……じゃなくて“リオン”様、何か変なこと考えてる?」
ローザが疑いの目を向けてくるが、私はにんまり笑って「まあ、いいじゃない」と肩をすくめる。エミーが「意味不明だけど……まあ、楽しそうで何より」と呆れつつも微笑む。
屋敷の裏道を抜け、やや開けた通りに出たとたん、私の目に大きな光景が飛び込んできた。前方には石畳が広がり、奥のほうからは人々の声や荷車の軋む音が聞こえる。見上げれば茶色い瓦屋根が並び、通りの両側にはさまざまな看板がぶら下がっている。まるで前世、ライトノベルで読んだ異世界の都市が、目の前に現れたかのようだ。
「うわ……すごい、こんなに賑やかだったんだ……」
私が呆然と呟くと、エミーが苦笑して「リアの屋敷から遠くない場所だけど、あまり見たことないもんね。商業が活発になって、人も増えてるのよ」と答える。ローザも「昔はもう少し閑散としてたけど、最近は魔法技術の応用で石畳が整備されて、清潔になったって聞くわ」と補足する。
なるほど、魔法による衛生管理が行き届いているからか、思ったより臭いも汚れも気にならない。前世の中世ヨーロッパ風なイメージとは違って、道端にゴミが散乱している様子もあまり見受けられない。どちらかといえば、活気と同時に適度な清潔感がある。
(確かに、“科学技術”は遅れてても、そのぶん“魔法”が補っているのか。なるほどな……。)
私は感心しきりで、辺りをキョロキョロ見回す。そのせいか、周囲の人々が「何だあの子?」「見慣れない少年だね」とささやいている。やはり、身なりがきれいすぎるのか。しかし、貴族の息子設定なので、これはやむを得ないね。それに、変に疑いはかけられていないようだ。エミーとローザもなるべく私に近づきすぎず、距離を取りつつついてきているので、怪しさは薄い。
少し歩くと、露天が並ぶエリアに突入した。野菜や果物を売る台車、革細工やアクセサリーの店が路上を彩っている。人々が右へ左へ忙しそうに行き交い、ときおり「いらっしゃい!」という呼び込みの声が響く。私としては、こんな賑わいを実際に見るのは初めてで、目を奪われるばかりだ。
「ここが……報告書にあった商業取引の中心地かあ……。」
私は思わずつぶやく。エミーが小声で「リオン様、あまりぼうっと突っ立ってると邪魔になるわよ」と耳打ちしてきたので、慌てて脇へ寄る。確かに人通りが激しい。
小さな露店で野菜を売っているおばさんのところへ近寄ってみると、「おや、坊や、初めて見る顔だね。買い物かい?」と話しかけられる。私は“男の子”として当たり前に接されることに一瞬ドキリとするが、ここは自然に受け答えだ。
「えっと、見学っていうか……父が用事でこっちに来てて……あ、いま屋敷で勉強してるもので……。」
しどろもどろになりかけたが、おばさんは気にする風もなく、「へえ、賢そうな子だね。まあ野菜はいろいろあるから、必要なら言ってね」と笑顔を向けてくれる。私は「はい、ありがとう!」と返事し、内心ホッとする。男の子の姿で知らない人と話すという初体験が、こんなにスリリングだとは……。
周囲を見渡せば、他の店も活気に満ちている。肉や魚を扱う露店からは呼び込みの声が響き、パンや焼き菓子を売る屋台からはいい匂いが流れてきて、私の鼻をくすぐる。
(ほんとだ……報告書には「市場が活性化している」とか書いてたけど、こんなにも活気あるとは……。)
私は少し感動に打たれながら、次々と並ぶ露店を眺めて回る。情報だけでなく、匂いや温度、人々の笑顔や苦笑いまで五感で感じ取れるのは新鮮だ。
しばらく歩き、露店通りを抜けた先にある小さな広場で、子どもたちが遊んでいるのを見つけた。数名の少年少女が追いかけっこをしていて、笑い声が響く。私と同じか、あるいは少し年上ぐらいかもしれない。
エミーとローザに視線を送ると、二人は「大丈夫よ、行ってみたら?」と目で示す。私は遠慮がちに近づくと、子どもたちの一人が「あれ、誰?」と目を向けてくる。咄嗟に頭を下げ、「えっと、よそから来た……“リオン”っていうんだ。何して遊んでるの?」と問いかけた。
「追いかけっこだよ! この通りを一周して誰が一番速いか競ってたんだ」
少年の一人が答える。すると他の子たちも「あんたもやる? 顔見ないね、旅の人?」と気さくに声をかけてくれる。私は思わず内心歓喜。普段は“女の子の伯爵様”で遠巻きに見られるけど、ここでは何の先入観もなく接してくれるのが嬉しい。
「うん、走るのは得意なんだ……いい? 混ざっても?」
子どもたちは「おお、いいねいいね!」と手招き。あっという間に輪の中に入れてもらう。エミーとローザは少し離れたところで苦笑いしているが、止める気配はない。
そして始まる追いかけっこ。私も庭で走り慣れているとはいえ、彼らは外でいつも遊んでいるからか、予想以上に速い。2周目あたりで息が上がるが、それでもそれなりに食らいついて走る。結果は惜しくも2位くらいになりそう……と思った瞬間、曲がり角で足元がもつれて転びそうになる。慌ててバランスを取り、ギリギリセーフで立て直した。
「わわ、ごめん……。あはは……。」
転倒しかけた私に、周囲の子どもたちは「おい、大丈夫か?」と笑いながら手を差し伸べる。みんな優しい。こんなふうに無邪気に遊ぶなんて、最近は屋敷の庭以外ではやれなかったから、楽しくて仕方がない。彼らは普通に“男の子”の仲間として扱ってくれている――それが妙に居心地いいような、でも前世の自分を思うと複雑な気もする。
(でも、やっぱりこのほうが自然に動けるんだよな……。ドレス姿だと絶対こんなに走れないし、転んだら悲惨だし……。)
脳裏をよぎるのは、女の子としての姿に対するモヤッと感。私は小さく息を吐き、“リオン”として過ごすのも悪くない、と改めて思う。
かけっこで汗をかいたせいか、喉が渇いた。ローザが「リオン――いや、リア、大丈夫? 水いる?」と近づいてきたが、私は「平気。あ、でも何か飲みたいな……」と露店を探す。すると、ちょうどいいところにフルーツジュースの屋台が目に入った。看板を見れば、最近収穫が増えた果物を使った絞りたてジュースが人気らしい。
「エミー、ローザ、あそこ行ってみない?」
声をかけて3人で向かうと、そこにはシュッとした長身の青年が立っており、笑顔で「いらっしゃい。冷たいジュースはいかが?」と声をかけてくる。思わずその美青年に目を奪われた私。「すごく整った顔立ち……」と瞬間的にドキッとしてしまう。前世も男性として生きてきた身なのに、いまはどういう感情を抱けばいいのか、ちょっと困惑だ。
「いらっしゃい、坊や。今日は暑いし、果物の甘さと酸味でスッキリするよ」
青年が私にそう声をかける。その穏やかな声色に、胸の奥が何かざわつく。私、男の子の姿だけど、この世界では一応女の子……でもいまは偽名の少年……ややこしいな!
「く……ください、フルーツジュース……」
あわあわしながらお願いすると、エミーが横から「私とローザの分もお願いしますね」と付け加える。青年は手際よくジュースを注ぎ、私の手元に差し出してくれる。そのとき指が軽く触れて、妙なこそばゆさを感じる。なんだこの気持ち……。
「どこかで見たことない顔だね。旅かい?」
青年が尋ねてくるので、私が一瞬エミーたちを見やると、ローザがサッとフォローする。「ええ、領地に寄って勉強中の貴族の子で……いまは見物しに来たんです」
青年は「へぇ、そりゃいいね。このあたりは賑やかで、ジュースが評判なんだ。お客さん多いし忙しいけど、こうして新顔さんと話せるのは楽しいよ」と笑みを見せる。
(うわあ……本当に爽やかで格好いい……。なんか、変に胸が騒ぐ?)
前世が男だったころの私なら「羨ましいイケメンだな」と思うくらいで終わっていたかもしれないのに、今の私はどうにも心が落ち着かない。でも深く考えてると恥ずかしいので、とりあえずジュースを受け取り、ゴクゴクと飲む。
「……おいしっ……! な、何これ、すごい果汁感……。」
口の中で果物の甘さが広がり、鼻に爽やかな香りが抜けていく。冷たさが火照った身体をクールダウンさせ、一気に生き返った気分になる。思わず「美味しい……」と呟くと、青年はニッと笑う。「でしょ? こだわりの果物だからね。酸味もちょうど良いんだ」
私は一瞬で虜になり、「もう一杯!」とおかわりを求めてしまう。青年が「おっと、元気だなあ」と笑って追加を注いでくれ、それをまた飲み干すと、さすがにお腹がタプタプになってきた。
「はあ……幸せ……」
実感する。外の世界にはこんな素晴らしい体験があったのかと。エミーとローザも「これは確かに美味しい……」と満足げに頷く。さっきの胸のざわつきはさておき、“リオン”として来てよかった。
さらに歩を進めると、もう少し奥に大きな市場が広がっていた。色とりどりの農産物が並び、ふつうのトマトやジャガイモに似た品もあれば、まったく見たことのない奇妙な植物もある。カラフルな皮を持つ果物や、葉っぱが虹色がかった野菜など、明らかに前世の常識を超えたものが所狭しと並ぶ光景に、私は息を呑む。
「すご……こ、こんなに色鮮やかなやつ、本当に食べられるのかな?」
驚いて立ち止まると、隣の露店のおじいさんが「おお、坊っちゃん、こいつは最近品種改良で生まれた野菜でな。炒めると色が変わったり、味も変わるんだよ」と気さくに教えてくれる。さっきまで書簡で見ていた、おそらくは“魔法と農業技術の融合”だろう。これが、こんな形で現実味を帯びているなんて……。
私はその場でいろいろ質問をして、農民や商人の話を積極的に引き出す。男の子だと思われているせいか、相手も余計な遠慮をせず答えてくれる。前世で培ったコミュ力が活きるのか、思ったよりスムーズに会話が進んだ。
「最近、他国の商人が増えてるから価格の変動も激しくてね~」
「なるほど、ってことは供給は増えたけど需要も増えてるわけで……儲かる人は儲かるけど、そうでもない人は困るんですね……」
こんな具合に情報を入手できる。やはり現場を見ないと掴めないリアルさがあるなと、私はワクワクを噛みしめながら、五感フル稼働で市場を体感する。
そしてふと周囲を見回すと、明らかに異国風(着物?でも、顔つきは日本人とはかけはなれている?)の衣装をまとった人々が何人も歩いている。エミーに「ねえ、あの人たち……なんか違う文化っぽいけど……」と尋ねると、彼女は「最近は外国からの商人がどんどん入り込んでるし、この町もいろいろ多国籍になってきてるのよ。前から言ってたでしょ?」と微笑む。ローザも「そうそう。昔はもっと地味だったんだけど、魔法技術を求めてやってくる人もいるしね」と補足。私の目には、まるで観光地が盛り上がるイメージが映る。
(へえ……思ってた以上にグローバル化が進んでる……。前世の時代みたいだな……こうやって商人や外国の人が増えると、文化が混じり合って変化しそう……。)
そんな興味深い思考に浸りながら市場を見学していると、ジュースを飲みすぎたせいか、急にトイレに行きたくなってきた。私が「あ、ちょっと……トイレ……」と小声でエミーとローザに伝えると、二人は「分かった、そこの公共トイレを使おう」と案内してくれる。街中には小規模だが魔法で浄化を行う公共施設が設置されているらしい。
小さな建物に近づくと、入り口が二手に分かれていて、一方は男性用、もう一方は女性用の表示がある。私はドキリとする。普段なら間違いなく“女の子”のほうへ行くけれど、今日は“リオン”――男の子を装っている。ローザがこっそり「リオン様、こっちでしょ」と男性用を指さす。私は「あ、う、うん……」とぎこちなく頷く。
(そうだよね……今日は男の子なんだ。仕方ないよね。まさか女性側に入ったら怪しまれちゃう……。ああ、でも前世も男だったし……といっても、今の身体は女の子だし、いろいろ大丈夫か?)
頭がこんがらがりつつ、仕方なく男性用の扉を開けると、中には立ち小便用の器具がずらりと並んでいる。思わず私は「うっ……」と固まってしまう。しかし、隣には個室もいくつかあるのが目に入り、急いで個室に駆け込む。
(危なかった……勢いで立ち小便のほうに行くところだった。今の私は女の子の身体なんだから、そんなことしたら大変なことに……。何というか、うまくできるわけもない……。)
個室に入ってホッとしながら、前世のクセで一瞬立ち小便をしそうになりかけた自分を恥ずかしく思う。男の身体だった感覚が残っているのに、現実は違う。何か罪悪感のような、奇妙な落ち着かなさを覚えつつ、用を足して個室を出る。
(はあ、まあ何とかクリア……。男装生活って、こういうところで問題があるんだな……。)
急いで扉を出ると、手を洗う場所で数名の男の子がワイワイしていたが、私には気づかない様子。私はちゃっちゃと手を洗い、建物を出る。エミーとローザが少し離れた場所で待ってくれていた。「大丈夫だった?」とローザが小声で尋ねるので、「うん、なんとか……」と赤面しながら答える。ほんの数秒の出来事だが、これだけでも大冒険である。
そんなこんなで、市場をもう少し回って情報収集し、異世界チックな野菜や果物、雑貨を見て回っただけでも、既に私はクタクタになっていた。エミーやローザも「そろそろ帰りましょうか」と提案。過剰に無理をして危険エリアまで足を伸ばすのは得策でないし、ボリスさんたちも“昼過ぎには戻る”ように言っていた。初日としては十分すぎる収穫があった。
「いやー、なんかいろいろ凄かった……もうお腹いっぱいっていうか、頭がパンクしそう……」
私は石畳の小道を戻りながら呟く。エミーが「ふふ、初めてこんなに歩き回ったんだもん。体力的にも疲れるよね」と微笑む。ローザも「次回はもう少しプランを立ててから出たほうが効率いいかも。ま、今日は最初だし仕方ない」と返す。
屋敷の裏門に到着すると、ボリスと数人の護衛が待っていた。特に大きなトラブルもなく、私が疲れた顔で戻ってきたのを見て、彼らは少し安心した様子。「どうでしたか?」と問われたので、私は「すっごく楽しかったし、現場が見られて良かった。実際に話を聞けたし……ありがとう、護衛ありがとう!」と礼を言う。ボリスは少し照れたように鼻を鳴らして「何もなければ何よりだ」と答える。
(大成功……!)
内心ガッツポーズしながら、そのまま屋敷へと入る。時計を見るとまだ昼を少し過ぎたぐらい。みんなで簡単な昼食をとる運びになり、私は慌てて自室で男装を脱いで元の格好に戻ろうとする。が、もうクタクタになっていてスムーズに着替えができない。するとローザがにやりと笑う。
「リオン……じゃなくてリア、せっかくだから昼食のあとにもう一度お風呂に入りましょうよ。ほら、外は色んな人がいるし、汚れもつきやすいんだから……。」
ああ、これはマズい予感。エミーも「そうそう、街の空気には細かい埃も混じってるだろうしね~」と同調する。
「ま、また洗うの……勘弁して……」
私はぐったりとした声で抗議するが、二人は「女の子なんだから、清潔大事!」とか「男の子の姿でも、ベースは乙女。うふふ」と突拍子もない理屈を並べてきて、結局再度お風呂に放り込まれる羽目になる。
昼食をささっと済ませたあと、案の定エミーとローザが私をお風呂へ連行。さっきまで男装していた私の身体は汗でやや湿り気があったが、あっという間に全裸にされ、ぬるめのお湯をはった浴槽の横で二人がスポンジやら布やらを手に構えている……。
「もう、疲れてるから自分で……ゴシゴシしなくてもいいよ……!」
私は必死に言い訳するが、ローザが「ダメダメ、しっかり洗わなきゃ。街の色んな菌がついてるかもしれないし、髪だってホコリが……」と再び腕まくり。エミーも悪ノリして「そうそう、初めての外出だもん、なんかクセになりそう」と笑う。
結果――私の細い腕や脚、背中を容赦なくゴシゴシされ、洗髪も徹底的に行われ、昨日以上に恥ずかしさと疲労が襲う。「も、もう! ごめん、ほんと、もういい……」と泣きそうになりつつも、なんとか耐える。
(なんで外を散策して喜んだ直後に、こんな仕打ちを……。まるで昨日と同じじゃないか……。)
しかし、二人の目はきらきら輝いていて、私の身体の汚れ(?)を落とすことに使命を感じている様子。こちらは抵抗する体力も残っておらず、ほとんどされるがままだ。ようやく洗い終わった頃には体中がツルツルでくたくたになっていた。
「ふう……はい、終了! これでまた明日もピカピカだね!」
エミーが笑顔で宣言。ローザも「もう、しばらく外行かないかもしれないけど……またすぐ行くなら覚悟してね?」と意味深に笑う。私は半泣き状態で「う、うん……」とうなずくだけ。
夕方から夜にかけては、いつも通りの勉強や書簡整理が待っていた。私は疲れ切っていたものの、頭の中は昼間の体験でいっぱい。現場の生の情報、露天商人との会話、異国の人々、そしてキラキラした果物……書簡で見るだけでは分からない生の匂いと熱気を思い出すと、頬が緩む。
食後、早めに寝ようとベッドへ向かうが、体はクタクタでも心はまだ興奮が冷めやらない。あちこち痛いのに、布団の中で「はぁ……楽しかった……けど、身体のほうが追いつかない……」と呟く。
(トイレ事件はちょっと焦ったな……。あそこで女の子ってバレてたらどうなってたことか……でも、なんとか切り抜けられたし、結果オーライかな。)
そんな自問自答をしつつ、“リオン”として街を歩く快感が記憶に焼き付いている。女の子の身体なのに、男の子の格好で自然に溶け込めることへの不思議さ――そして、どこか安心感のようなものが胸を満たす。
「また行きたいな……もっといろんな場所を見たい。農地とか、他の町とか……。でも、あんまり無理して暗殺者に狙われたら困るし……。」
小声で呟いて、私は毛布を引き寄せる。疲れた体が心地よい眠気を誘う。まだまだ当主としての課題は山積みだし、この街での人々の生活や問題をすべて掴んだわけではない。でも、最初の一歩としてはこれ以上ない成果だろう。
浮かれて眠れないかと思いきや、全身がだるくてあっという間にまぶたが重くなる。半分まどろみながら、今日の印象的な場面が脳裏をかすめる。走り回る子どもたちとの追いかけっこ、フルーツジュースの美青年、トイレで焦った自分――すべてが新鮮で、眩しくて、ちょっと恥ずかしかったけれど、忘れられない一日となった。
(こんなふうに“リオン”で歩き回れたら……もっといろいろ分かるかも。いつかまた、違う場所にも……。)
そう考えながら、私はゆっくりと目を閉じる。前世の思いと今の身体のギャップを抱えつつも、今日の成功が少し自信になった気がする。性別の違和や立場の縛りがあっても、この調子で動けば、当主としての道が開けるかもしれない――そんな予感。
こうして、私の初めての外出――仮名を名乗って街を歩く冒険は大きな充実感とともに幕を下ろす。次にまたいつ出られるか分からないが、あの賑わいと匂い、そして人々の声を忘れずに、私は日々の学びを続けるのだ。
(明日からまた、いつもの勉強と運動……けど、もう私はただの“閉じこもりお嬢様”じゃない。リオンとして外を歩いた私がいるもんね。)
胸の奥で小さくガッツポーズ。エミーやローザとの絆も一層深まったし、護衛や屋敷のみんなにも感謝しなきゃ。色んな想いを抱いて、私は静かに眠りの世界へ落ちていった。
(もっと世界を知りたい。変装なんて変だし、まだ違和感はあるけど……自由に街を駆け回れる感覚はやっぱり最高……。)
そう最後に考え、深い眠りに身を委ねる。いつか、もっと遠い町へ。もっと多くの人に出会い、領地の実情を知るために――“伯爵家のお嬢様”ではなく、偽名を使いながら成長していく、私の物語はまだ始まったばかりなのだ。
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