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仮名を名乗ったら想像以上にワクワクが止まらない件について

 朝、淡い光がカーテンの隙間から差し込む頃、私はいつものようにベッドの上で大きく伸びをして目を覚ました。――私ことリアンナ・クラリオン、この世界では“9歳のお嬢様”扱いされているけれど、大人の男性だった前世の記憶を引きずっているせいか、どうにも周囲との温度差を感じる日々が続いている。


 何しろ、毒混入事件以降、当主としての学習や領内の雑務に追われるうちに体はだいぶ回復したし、最近では“少年の装い”で庭を駆け回れるようになった。おかげで体力もかなりついてきた。それ自体は嬉しい反面、毎日同じ敷地内で過ごしていると、どんなに報告書や書簡を通じて「領地が豊かだ」「商業が賑わっている」「農地が肥えて作物が増産されている」と言われても、いまいちピンと来ないのだ。結局、屋敷の中だけでは実感がわかない。


(前世の仕事でも思ってたけど……やっぱり現場を見ないと分からないことが多いんだよなあ。)


 そんな思いを抱えながら、寝ぼけた頭を左右に振って布団を出る。前世の記憶では、仕事をするにあたって“実際に足を運び、目で見て、耳で聞く”ことが何より大切だった。報告書だけじゃ不十分――どれだけ数字を追いかけても、実物を見なきゃ掴めない真実がある。ここでも同じだろう。

 しかし、いまの私は暗殺の脅威に備えるため、屋敷の外には出られない……少なくとも“女の子の伯爵家当主”としては。だけど私は最近、一つの計画を秘密裏に煮詰めていた。


(男装して、外へ出たい。偽名を名乗って、貴族の息子を装えば、怪しまれずに領内の市場や農地を見て回れるかもしれない……。暗殺者だって、ターゲットは女の子なんだから、私だって思いも寄らないだろう。)


 そう、私はひそかに、“リオン”という偽名(リアンナを少し変えた名前で、この家のご先祖様の名前の一つでもある。)を考え、いずれ実行に移そうと決めていたのだ。ちょうど前世の男の意識が強く残っているし、“少年風の装い”が周囲にもある程度受け入れられている今なら、成功の可能性はある。あとはエミーとローザ、そしてボリスさんやベアトリーチェの説得が課題。どこまでいけるだろうか……。



 そんな考えを頭の片隅に抱えつつ、まずはいつも通り、朝食をとって書簡の山に向かう。ベアトリーチェやボリスらが仕分けした報告書や書状を確認しながら、不要なものと必要なものを分ける作業は退屈だが、当主としての初歩的な訓練でもある。商業取引が盛んになり、市場価格がどう変動しているだとか、輸入品が増えただとか、そういう文字を追いかけながらも、私は内心「現場を見たい」と強く思う。


(この書類だけじゃ分からない。前世でも、資料を眺めて想像するだけじゃ混乱したっけ……実際に足を運んで確認すれば一発なんだけどな。)


 午前中は勉強をみっちり受けたあと、昼食を挟んで、午後は庭で軽く運動をするのが日課。毒の後遺症もほぼ治り、体力が戻ってきた私には、外周を走ることも苦にならない。ただし、安全確保のためにエミーやローザが近くで見守っているのは変わらない。


 いまの私の装いは、半ズボンとシンプルな上着――いわゆる“少年スタイル”だ。ドレスに比べて格段に動きやすく、見た目もすっかり“中性的な美少年”と評判だ。ベアトリーチェやボリスでさえ、最近は「リハビリ用だしまあいいか……」と目をつぶってくれる。


「ふう……」

 走り終えて息を整えながら、私はぼんやりと塀の向こうに広がる町の屋根を眺めた。あの先には市場があり、行き交う商人がいて、農地から運ばれた作物が売買される。私が当主として知っておくべき世界――なのに、ずっと屋敷内から見るだけ。


(実際に行ってみたい。見て回って、話を聞きたい。男装すれば、怪しまれないんじゃない? 危険度も減るはず……。)


 こうして、私は何度目か分からない決意を再確認したのだった。



 夕刻、部屋に戻り、勉強机の上に地図や書類を並べて考える。領内で“リオン”として歩くなら、どう名乗れば自然だろう? たとえば「クラリオン家の分家の息子」なんて設定はバレやすい。もっと違う貴族の家名を借りるほうがいい。でも下手に他家の名前を使ったらトラブルになるかもしれない。

 熟考の末、「当家に仕えている某貴族の息子」というのが無難じゃないかと思いつく。実在する貴族の一人を説得して、“いま屋敷で勉強中の息子”という形で振る舞えれば、自分の姿を見られても不審に思われにくい。


(それに、名前も私の“リアンナ”を少し変えた“リオン”なら発音も似てるし、紛らわしくなくていいよね。)


 ベッドに転がって想像を膨らませる。「リオンです。○○家の次男なんです」などと自己紹介する自分の姿を思うと、妙にわくわくしてしまう。前世の男だった意識がくすぐられるのもあるし、“自由に外を歩けるかも”という期待が胸を躍らせるのだ。



 翌日、私は書簡整理をひと段落させたころ、思いきってエミーとローザを部屋へ呼び出した。二人とも「どうしたの? そんな改まって」と不思議そうだが、私は覚悟を決めて口を開く。


「実は……私、男装して領内を見て回りたいの。偽名を使って、貴族の息子のフリをするの。……ダメかな?」


 言い終わるや否や、二人は「えええっ!?」と同時に声を上げる。予想はしていたものの、その反応はなかなか衝撃的。エミーは「何を言い出すの、リア!? 危ないよ!」と即座に反対。ローザも「外には暗殺の危険があるんだよ? あれほど怖い思いをしたのに、また外に出たいなんて……」と顔を曇らせる。


「もちろん分かってる。でも、報告書だけじゃ分からないことが多すぎるし、私が伯爵家の女の子のまま出歩いたら、目立って危ないのは当然。だからこそ……男の子の姿になれば、警戒されにくいでしょ?」


 切々と訴える私。二人は目を見合わせて、困惑の表情を浮かべる。確かに私の理屈には一理あると感じてくれたのだろう。エミーは小さな声で「でも……」と唇を噛み、ローザは「あの……場所にもよるよね。市場とか農地の近くは人が多いし……」と視線を彷徨わせる。


「うん、もちろん安全な場所限定でいいから。明るい時間に、近場に出るだけでもいいし。私ひとりじゃなくて、エミーとローザも一緒に来て、ちゃんと護衛もつける。……とにかく、私、実際にこの領地の様子を見ないと納得できないの。前世――じゃなくて、昔から、現場を見ることは大切だと思っているし、当主としても放っておけない気がするんだ。」


 思わず“前世”と言いかけて慌てて言い直すが、二人は気に留めず、真剣に耳を傾けてくれる。しばらく沈黙が続いたあと、エミーがふうっと息を吐いた。


「でも、さすがにボリスさんやベアトリーチェさんの許可がなきゃ無理よ? 私たちだけで勝手に外に連れ出したら大問題になるもん。」


「そう……まずは説得するしかないよね。協力してくれる? エミーとローザが反対しないなら、まだ可能性はあると思う。」


 私が期待を込めて尋ねると、ローザは困ったような笑みを浮かべ、「正直、不安しかない。でも、リアがどうしてもって言うなら、私も全力で反対は……できないな。いままでがんばってるの知ってるし……」と呟く。エミーも「危険だけど、場所を限定すれば……かえって、目立たないかも」と頭を抱えながら首肯。どうやら一歩前進だ。



 そして数日後、エミーとローザを伴い、私はベアトリーチェとボリスに面会を求める。書斎で向かい合う形になったが、二人の表情は終始“何ごとか”と疑問符が浮かんでいる。そりゃそうだ。屋敷の外に出たがるだけでも警戒されるのに、私が男装して偽名を名乗ろうというのだから……。


「……男の子の格好、ですか? それで外へ?」

 ボリスが低い声で問いかけてくる。私はゴクリと唾を飲んでから、今まで考えてきた計画をなるべく論理的に説明する。

 どうしても現場の様子を見たいこと。女の子の姿で当主の外出が公になると危険が大きいこと。実際、暗殺の可能性がゼロじゃないし、私も幼い子どもの女の子という立場だと注目されすぎる。ならば、警備が行き届いている領内の安全な地域に限って、“勤務する貴族の息子”という設定で昼間だけ散策すればよい――そう持論を述べた。


 ボリスは腕を組んだまま黙り込み、ベアトリーチェが困惑の表情で「しかし、リアンナ様、それほどまでに外を……」と声を漏らす。私は大きく息を吸い、意を決して言う。


「書簡や報告書だけじゃ分からないことだらけ。私は当主なのに、現実を見たことがないまま判断するなんて嫌なの。お願い……明るいうちだけでいいから、安全な場所限定で出してほしい。名前は“リオン”で、貴族の息子だと名乗る。」


 エミーとローザが横で「私たちも必ず付き添います」「護衛だってしっかりつける」とフォロー。私はさらに「あぶなそうならすぐ屋敷に戻るし、ボリスさんやベアトリーチェの指定した範囲以外には行かない」と条件を付け加える。


 沈黙が長く続くかと思われたが、やがてボリスが小さく溜息をつきながら、「……暗殺に関しては、ここ数年静かですし、周辺治安は悪くありません。条件を守るなら、今回は……。なによりも、お嬢様のお考えですし……」と口を開く。ベアトリーチェも「リアンナ様がそこまで仰るなら、私たちも全力で安全を確保しましょう。明るいうち限定……場所はごく近場。それなら……」とうなずいてくれる。


「ありがとうございます……!」

 思わず立ち上がって小さく頭を下げる私。エミーとローザもほっとした表情だ。こうして、ついに私の“男装外出計画”が正式に許可されたのだ。



 自室に戻ると、私は跳ねるようにベッドに飛び込み、枕を抱きしめながら「やった……!」と大声を出しそうになるが、ぎりぎり自制する。こんなに嬉しいのは久しぶりだ。庭で走るだけでは得られない“本物の外の世界”に触れられるチャンスが来るとは。ずっと夢見ていた瞬間だ。


(やった、やった……とうとう外に出られる! しかも“リオン”として、男の子の姿で……。これはもう、小さな冒険!)


 次の瞬間、私は前世での遠足や修学旅行前夜を思い出す。“子どものように”胸をときめかせて、あれこれ想像がふくらむ。市場にはどんな人々がいるだろう。農地はどうなっているのか。庶民や商人と話をできるだろうか――考えるだけでワクワクが止まらない。



 そして迎えた外出前日。準備と称してエミーとローザは「せっかく初めて外へ出るんだから、きれいにしておかなきゃね!」と妙に張り切りだす。私は嫌な予感がしたが、予想通り、お風呂に連行されてしまった。


「ちょ、ちょっと待って、いつもいっているけれども、私ひとりでも洗えるし……!」

 あたふたする私を無視して、二人は容赦なく体を洗い始める。髪だけでなく腕や脚、背中からくまなくゴシゴシ。しかも「髪はこれくらいサラサラにしておけば、明日セットもしやすいね」とか「男の子っぽい姿でも、あまりにも汚れてたら台無しでしょ?」と言いながら、あちこちチェックしてくるから、なんとも恥ずかしい。


「や、やりすぎ……! そんなとこまで洗わなくても……!」

 思わず声を上げてしまうほど、徹底的に洗われる。まだ9歳の身体とはいえ、私の中では前世の大人の意識もあるので、これはなかなか居心地が悪い。しかし、エミーとローザは「あら、ちょっと恥ずかしがってる?」などとニヤニヤ。一体誰のための洗浄だ……。


 30分以上かけて全身をきれいにされ、上がる頃にはクタクタ。それでも、髪や肌はツルツルになり、二人は「これなら万全!」と満足げにタオルで拭いてくれる。


(はあ……こんなに恥ずかしい思いをするとは……。外出前ってこんな感じだっけ……。)


 苦笑しながら寝間着を着て部屋に戻る。エミーとローザは「明日早いから、しっかり寝るのよ」と言い残して去っていくが、恥ずかしさでまだ顔が熱いまま。



 ベッドに横たわっても、頭の中は明日のことでいっぱいだ。市場や商人、実際の作物……どんな光景が広がっているのか。男の子“リオン”として歩き回る自分のイメージが脳裏を駆け巡る。実際子どもなのだから仕方ないとはいえ、この興奮は遠足前夜にそっくりだ。


(はあ、眠れない……でも、ちゃんと寝なきゃ明日体力もたないし……。)


 枕を抱きしめて、深呼吸を繰り返す。毒混入事件で感じた恐怖や、暗殺の危険がまだゼロじゃないことは頭の片隅にある。だけど、ボリスとベアトリーチェが許可してくれたのだから、しっかり護衛がつくはずだ。何より昼間限定で、治安の良い場所に行くだけ。大きな事故はない……と思いたい。


 それ以上に「現場を見に行けるんだ!」という気持ちが勝ってしまい、興奮でまぶたが全然重くならない。前世で、弁護士として働いていたころも、なにか大きな裁判前とかは、こんな感じだったかな?と懐かしく思う。――いや、今は完全に“9歳の子ども”としてはしゃいでいるだけかもしれないけど。


「早く朝にならないかな……やばい、本当に眠れない。」


 もぞもぞとシーツを引き寄せて姿勢を変える。暗い部屋の中に小さく耳鳴りがするほど静寂が深い。夜の匂い、冷たい空気……まぶたを閉じると、頭のなかで既に“リオン”としての姿が動き出す。ズボンを履き、前髪をちょっと工夫すれば、誰が見ても少年らしく見えるはず。

 「はあ……」と思わず溜息をついて、腕を伸ばす。見慣れた天井はいつもと変わらないのに、明日には外へ出るという事実が大きく違う。先日の説得が成功して本当に良かった……。


(そうだ、明日が初の外出。たとえ一時的で近場だけでも、これは私にとって大きな第一歩……。)


 幸福感と微かな緊張が入り混じり、脳が冴え渡って眠りを拒否する。だからといって、このまま夜を明かすわけにもいかない。必死に自分を落ち着かせようとして、ゆっくり呼吸を繰り返す。

 暗殺の恐怖、将来の革命や不穏な空気――いろいろ考えることは山積みだけど、とにかく明日は“現場”を見に行けるかもしれない。書簡や理屈だけじゃない、本物の人々や作物、市場の活気。それを目にしてこそ、当主としての判断材料が増えるし、何より私自身が世界を知るきっかけになるはず。


(もう少しだ……眠らなくちゃ……。明日、私が“リオン”になる。)


 何度も頭を振り、一生懸命まぶたを閉じる。やがて、いつの間にか意識が朦朧としていく。最後に浮かぶのは、肩まで伸ばした髪を少し短くまとめ、ズボンとジャケットを着て街角を駆け回る自分――いかにも“男の子”な微笑みを浮かべて。

 そう、私はもう一つの姿を手に入れる。“女の子”としてではなく、前世の男を思い出させる少年として。これはどんな結末を迎えるのか、私にも分からない。でも、とにかく今は期待に胸を膨らませながら、静かにまどろみへと沈む……。



 廊下の扉の向こうでは、かすかな足音が去っていく。使用人たちも寝静まるこの時間、私は布団の中でほんの少し不安と興奮を噛みしめる。

 外出先で何かトラブルが起きないか――暗殺者が潜んでいないか――頭をよぎるが、ボリスたちが厳重に警備を用意してくれるはず。治安の良い地域に昼間だけ行くのだから、そこまで危険は高くない。大丈夫、きっと上手くいく……。


「……明日、楽しみ……。」


 微かな寝言のように呟いて、私は深呼吸をする。前世の遠足前夜ならガイドブックや準備物を確認したけれど、いまの私は頭の中だけでシミュレーション。男装の仕度も事前に整えてあるし、偽名の“リオン”という響きも練習済みだ。

 まるで新しい扉が開かれようとしている――9歳の私が踏み出す小さな冒険。けれど、それはきっと当主としても、そして自分自身の“もう一つの姿”を確立する上でも大きな一歩だと信じている。


 次に目を覚ましたとき、朝の陽射しが眩しく部屋を照らすだろう。いよいよ“リオン”として街へ出る日が来たのだ。

 ――暗殺や将来の革命の不安は消えないが、いまはその恐れを上回る高揚感が胸を支配している。私は小さく笑みを浮かべながら、闇のなかで目を閉じ、遠足前夜さながらの期待と胸の鼓動を感じながら、ゆっくりと眠りへ落ちていく。


 (この服を着たら、私はきっと……別の自分になれる。体は女の子でも、これなら自由に動けるし、思いきり現場を見に行けるんだ……!)


 そんな思いを最後に、私の意識は闇に溶ける――そして、静かに夜が更けていく。だが、明日からの物語は、果たしてどんな光景を私の目に映し出すのだろうか。気になってしょうがないけれど、今は眠るしかない。

 こうして、待ちに待った“男装外出”の朝が、確実に近づいていた。


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