革命の足音、暗殺の影──9歳の彼女が選ぶ服と未来
朝の空気はまだひんやりとしているのに、庭には既に日差しが差し込み、緑の芝がほんのりと光を帯びて見える。私は石畳の端に立ち、軽く呼吸を整えてから、ゆるやかに膝を曲げ、準備運動を始めた。
半年ほど前に完成した“少年風”の衣装――私にとっては、いまや“日常着”といってもいいくらいお気に入りの装いだ。裾が短めで動きやすく、レースやフリフリが一切ないから、まるで前世の運動着のような感覚で身体を動かせる。この世界での女性としてのドレスは、ほとんど“外来客に見せる公式用”になりかけている。
ただ、まわりも完全に容認しているわけではない。「貴族であり、当主である女の子が男の子みたいな恰好をするなんて」と眉をひそめる使用人はまだいるし、エミーとローザでさえ最初こそ戸惑った。けれど、私が毒の後遺症を克服し、体力をつけるために庭で運動を続ける姿を見れば、誰も強く反対はできないのだ。幸い、この姿で庭に出ることも少しずつ認められ始めているし、何より「少年にしか見えない」と言われるのが、私にとっては微妙に誇らしい。
そう、私はリアンナ・クラリオン。9歳になったばかりの伯爵家の当主……という名目だが、実際にはいまだに周囲の大人たちに守られてばかり。前世の記憶を抱え、この世界では“女の子”としての身体を使いこなしきれないまま、日々の勉強や領地の雑務、そしてリハビリも兼ねた運動を重ねている。毒混入事件から2年以上たち、体はもうすっかり回復したが、暗殺や政治的な不穏要素がいつ再燃するかも分からない。
「よし……スタート、っと!」
小さく呟いてから、石畳の上を軽く駆け出す。以前の私なら数十メートル走っただけで息が切れていたのに、いまは数回庭を往復してもまだ余裕がある。ズボンで動き回れる開放感と、毒の後遺症がほぼ消えた事実が重なり合い、走るだけで気分が高揚する。
朝の空気は冷たく、鼻に刺さるようだが、私はそれさえも楽しんでいる。ここ数か月、勉強の合間にこうして身体を動かすのが日課になったのだ。
ゆるく走り終えて、花壇の前で止まると、待っていたエミーがタオルを差し出してくれる。ふわりとした茶色の髪をまとめた彼女は、私を見て微笑む。
「リア、頑張るわね。最近はもうほとんどリハビリも要らないんじゃない? 前みたいに倒れる心配はもうなさそうだし、毒の後遺症も見当たらないって先生も言ってたよ。」
私はタオルで汗を拭きながら、軽く肩をすくめる。「うん、体はだいぶ楽。動くだけなら全然平気。勉強も……そこそこだけど、領地のことを考えると、まだ覚えることだらけ。」
そう、最近の私の生活は、勉強と領地に関する雑務のサポートで大半が埋まっている。書簡の整理、要望書の確認、簡単な指示書の作成など、当主としての初歩的な仕事を練習させられている形だ。もちろんベアトリーチェやボリスが本格的に采配するのだが、私も書類に目を通して意見を聞かれることが多くなった。
エミーが「今日も午前中は書簡の仕分けと学習よ。午後は空いてるから、また庭で運動でもいいし、部屋で読書でもいいわね」とスケジュールを教えてくれる。私は「分かった、まずは書簡を終わらせなきゃ……」と少しだけ嫌そうに返事をする。それでも、以前なら「勉強ばっかり嫌だ」と思うだけだったのが、いまは“領地のことを学ぶ機会”として少し意欲も湧いているのだ。
私が9歳になって、もう3ヶ月は経つ。身体が成長するにつれ、周囲も「いつまでも子ども扱いするわけにはいかない」と考え始めているのだろう。暗殺の危険はまだ解消されていないものの、あれから何も大事件は起こっていない。領内も平和が続いているし、王国内では大きな争いごとは見受けられない――ただし、大陸の東部では小規模な紛争が頻発しているという噂が絶えないが、ここ西部まで飛び火する見込みは薄い……少なくとも今のところは。
部屋へ戻って簡単に着替えを済ませ、朝食をとる前に、私は書斎で手紙の山を確認する。王国内外から届く報告や依頼が、机の上に並べられていて、ベアトリーチェがあらかじめ分類しておいてくれた。毒混入事件のあの苦い経験以来、食や警備に関する文書は入念にチェックするのが当たり前になった。
「また色々届いてるな……」と何気なく封を開けていくと、東大陸での小競り合いに関する話題が目に飛び込んでくる。そこでは、かつて存在したアウレリア帝国の後継を名乗る帝国が、支配権を広げようと硬軟織り交ぜた手段で、周辺の独立勢力にプレッシャーをかけているらしい。これは物騒な話だが、ここからはかなり遠い。
一方で、王国内の状況はどうかといえば、魔法技術の発展で豊かになっている部分が大きい。特に食糧生産が向上しているのは事実で、大陸西部の多くの領地が収穫量を増やし、輸出も盛んに行っているそうだ。ただ……報告の端々に、「貧困層への配慮が行き届いていない」「裕福層向けの高級作物が増え、庶民が食べる作物が高価になり、供給も減っている」といった懸念が綴られていた。
(魔法技術で農地が肥沃になるのはいいとして、結局、高く売れる品ばかり作るようになると……庶民の生活は苦しくなるか。なんだか前世と似た図式だな……。)
バイオエタノールが食糧問題を悪化させたとか、牛肉1キロを作るために穀物は6キロ以上必要であるとか、そういう話も思い出す。前世を去ってからあと少しで10年。私は、前世のことを意識して思い出し、そのときの知識を生かすように心がけている。
次の手紙に目を通す。今度は中位貴族や事業を興した庶民の台頭についての話題だ。領地を持たないが、領地役職や商業利権を得て急速に財を成している人々が増えている。それに伴い、彼らが「王族や上級貴族に見合う影響力を要求」する動きが出始めているらしい。
「王や公爵、伯爵たちに直接意見してくるってことか……これまでみたいに『黙って従う』だけじゃ済まないんだろうね……」
前世で言う「中産階級の発生」に近いのかもしれない。農業と魔法技術の結びつきが進む中、流通や商売の分野が爆発的に伸びて、商人上がりの庶民や領主ではない中位貴族が大きな力を持ち始めている。そんな彼らが、王族や上級貴族(領地を持っている公爵や伯爵)に政治参画を求めるのは当然の流れだろう。
(もしこのまま、魔法技術や商業がさらに発展して、庶民や中位貴族が力をつけたら……? 王や伯爵家などの“古い支配層”に対して不満が募るかもしれない。最悪……何か革命めいたことが起きないとも限らないよね。)
ぼんやりそんな想像をして、私はほんの少し震える。もちろん、私の住むマロヴァ王国はまだ健全(?)な封建体制が保たれているし、伯爵たちは大陸西部で安定を維持している。戦火を交えるほどの内乱が起きる気配は薄い。けれど、歴史を見れば、少しの火種から一気に革命が勃発することもあり得る――前世の知識がそう教えている。
庶民の大多数が困窮しているだけなら、上級貴族の権力は揺るがない。だが、中産層や中位貴族が庶民の不安や不満を取り込んだら? その力は侮れない。
「……いまは暗殺の恐れもあるし、将来的に革命めいたことが起きても、私も狙われる可能性あるよね。ここは“伯爵家”なんだから……」
そんな不安を呟くと、ドアをノックする音がした。ローザが顔を覗かせ、「リア、朝食の時間だよ」と呼んでくれる。私は「うん……すぐ行く」と返事しつつ、手紙をそっとまとめて引き出しにしまった。
いまの私に、大きな政治変動を食い止める力はない。けれど、当主としていつか直面しなければならない問題――王と貴族の力関係、庶民の困窮、そして中位貴族の台頭。頭では分かっていても、まだ9歳の身体ではどうにもならない現実がもどかしい。
朝食後、ベアトリーチェのレクチャーを受け、私は王国内の封建制度や経済の基本を学ぶ。ここでも「魔法技術と農業革命」が話題になり、ベアトリーチェは淡々とした口調で、
「領地を持たない貴族や事業主が増えているのは確かです。王や上級貴族が彼らを軽視し続ければ、いずれ衝突が起きるかもしれませんね……」
と口にする。私が「衝突って……革命とか?」と素直に尋ねると、彼女は苦笑交じりに首を振る。
「そう簡単にはいきませんよ。現状、王族や有力公爵が圧倒的な軍事力と財力を保有しています。ですが“中級層”が庶民を結集させ、さらに魔法技術をうまく活用すれば、歴史にない形の争いが生まれる可能性はありますね……。リアンナ様が大人になる頃には、世界が変わっているかもしれません」
彼女の言葉にゾッとする。前世の歴史に似ているようにも思える。
「早く大人にならなきゃ……」という思いが強まる。いまはまだ、目の前の暗殺への備えすら万全ではないのに、未来の革命のリスクまで考えるのか。もう、残された時間は短いのかもしれない。
「私も、もっと自分で動けるようになって、領地の声をちゃんと聞いておかないと……いつか困るよね。ここが巻き込まれる可能性もあるし……」
ぽつりと漏らすと、ベアトリーチェは「ええ、当主として学ぶべきことは山ほどあります。今日も頑張りましょう」と微笑む。私は内心、「まだ9歳なんだけど……」と愚痴をこぼしつつ、覚悟を決めてテキストに向き合う。
午前中の勉強を終えたあとは、簡単な領地関係の手伝い――文書の仕分けや、要望書への目通しなどをこなす。書類の山をめくるたび、庶民の生活の不安や、大きな事件こそないものの小さなトラブルが絶えないことに気づかされる。特に農業の転換期が進む中、貧しい地域では作付けの作物が激減しているそうだ。
「やっぱり……食糧増産といっても、その恩恵にあずかれない人たちもいるんだね」
エミーが私の横で嘆きながら書簡をめくる。「この村、作物を高値で売れる品種に変えた結果、自分たちで食べる分が足りなくなってるって……。王都に輸出すれば儲かるからって、領主代行が方針を押しつけたんだとか」
私は軽く眉をひそめる。マルディネール伯爵領の中にも、まだまだ問題が山積みだ。以前の毒事件に比べれば、命の危険と隣り合わせというわけではないが、静かに庶民の暮らしが揺らいでいるのは確かだろう。
「なんだか……普通に暮らしてる人たちが苦しむのって、悲しいね。私も当主として、もっと直接話を聞ければいいんだけど……」
でも、まだ9歳の私には“外に出て自由に動き回る”権限すらない。暗殺の恐れも完全に消えたわけじゃないし、大人たちが許可する場所は“庭等の敷地内”に限られている。
午後になると、いつものように私はお気に入りの“少年風の装い”に着替えて庭へ出るのが日課だ。エミーやローザも最初こそ苦笑していたが、いまでは「リハビリ運動にはそのほうがいいわね」と、すっかり呆れつつ公認している。リハビリはもう終わりだけれども、それでも、そういうことで納得を得られているのは、ありがたい。
芝生の上で軽くストレッチをしていると、ローザが「リア、体の調子はどう?」と問う。私は「うん、絶好調」と答え、軽く爪先立ちして肩を回す。体操のような動きだが、この格好だとまるで“男の子が運動している”ようにしか見えないらしい。周囲の使用人が私を見て「まるで美少年ね……」と噂話をしているのが微かに聞こえる。
(こういうときは、なんだか嬉しいような、変な感じがするな……。)
私は少しだけ頬を赤らめながら、ゆっくりと芝生をジョギングする。男の子に見えるといっても、実際の身体は女の子だ。それでも、前世で男だった感覚を引きずる自分としては、この装いと動きのほうが自然に思えるのだから不思議だ。
庭を一周走り終えて息を整えると、ローザが軽く手を叩いてくれた。「すごいわ、ここまで走れるようになって……本当に暗殺未遂の頃が嘘みたいね。」
私も笑って「まあね。体は成長してるし、毒の影響はほぼないし」と答える。だが、その成長が追いつかない“政治の危機感”が頭をよぎり、少しだけ暗い気持ちになる。
(9歳だからしょうがない、ってみんな言うけど、問題が山ほどあるのに、大人になるのを待ってるだけじゃ手遅れなんじゃ……。暗殺される危険だって残ってるし。)
走り回りながらそんな考えが脳裏をかすめる。いつかは外へ出て、自分の目で町や村を回って状況をつかまなければ……このままじゃ領主として不十分だ。
シャワーのような水で軽く汗を流したあと、私はベンチに腰掛け、エミーから受け取った書簡の控えを眺める。そこには大陸全体の状況をまとめた簡単なレポートがあり、改めて東部の不安定さと西部の相対的な平和が対比されていた。
この“相対的な平和”こそ、私たちが享受している現実だ。ラグレン家との暗殺騒動も、今は動きが見えない。王国そのものは表面上、経済拡大で潤っている。だけど、その裏で生じる格差や庶民の不満が積もれば、いつかどこかで爆発するかもしれない。
「そういえば、ベアトリーチェが言ってたっけ……“リアンナ様が大人になる頃には、世界が変わるかも”って。」
私は呟き、少年風のズボンの膝を軽く叩く。ほんの数年後には、政治や外交の荒波に翻弄されるだろうし、自分の力で領地と人々を守らなきゃいけない立場になる。考えただけで胃が痛くなりそうだ。
けれど、前世の知識が心を支えている部分もある。歴史上、強大な王権が絶対と思われていた時代が、崩壊してしまう例は珍しくない。だが、革命というものは成功したからといってみんなが幸せになるとも限らない。多くの血が流れ、混乱が長引き、さらに悲劇を生む場合もある――それらを、私は前世の史実で学んでいる。
(もし本当に“革命前夜”みたいな空気が高まっても、簡単には崩れないかもしれない。かえって長期にわたる苦しみが生まれるだけかも……。)
そんな暗い想像を振り払い、私は立ち上がる。今はそんな遠い未来の話よりも、目の前の課題――暗殺や領地経営の改善が優先だ。早く成長して、この身体と政治の知識を自分のものにしなければ、という焦りだけが募っていく。
夕方になると、私は部屋でゆったりとしたドレスに着替え、ボリスやベアトリーチェと合流し、簡単な領地の定例ミーティングを受ける。いつものように、私は椅子に腰を下ろし、紙とペンを準備してメモをとる。そこに並ぶ話題は多岐にわたる。
まず安全面について。暗殺の危険は一時期よりも落ち着いているが、監視は続けるということ。ラグレン家の動きは表面化していないが、油断はできない。さらに、庶民や中位貴族の台頭について、王国から方針が下りてきており“刺激しすぎないよう配慮しつつ、上手く協力関係を築いてほしい”とのこと。
「つまり、彼らにある程度の政治参加を認める形で、上級貴族の座は守るってことよね」
私がまとめるように呟くと、ベアトリーチェはおだやかに頷く。「そうです。どこもそうやって折り合いをつけるしかないのです。万が一、彼らを完全に排除すれば、国の内外に敵を増やす結果になるでしょうね。」
ボリスも腕を組みながら、「真に怖いのは、強大な軍事力を持つ有力公爵や大商会のリーダーが、庶民を焚きつけることだ。もしそうなれば、一介の伯爵家では対抗しきれない……」と低く呟く。
私はドキリと胸を突かれる。やはり前世の革命や内乱の怖さが脳裏をよぎる。小規模な暗殺ならまだ対策できても、もし大規模な暴動にまで発展すれば、私の領地だって無傷ではいられない。
「でも、今すぐそんな心配をしても、どうにもならない。私にはまだ……力が足りない。」
そう言うと、ベアトリーチェが微笑を浮かべる。「リアンナ様は、まだ9歳にしてはよく学んでいますわ。焦らなくても、少しずつ経験を積み重ねていきましょう。いざというとき、見識が生きるはずです。大人になる頃には、さぞ聡明な領主様になっているでしょうね」
(少しずつ、なんて悠長にしていて間に合うのかな……。)
内心そう思いつつも、実際、いまの私に大きな行動は不可能だ。どれだけ少年スタイルで走り回れたところで、国家規模の問題に介入できるわけでもない。
ミーティングが終わり、夜の闇が濃くなってくる頃、私は自室の窓から外を眺める。星が瞬き、屋敷の塀の向こうにうっすらと町の明かりが見える。あの先には庶民の暮らしがあり、さらに遠くには王都や他領地が続いている。その先、さらに東の方では火種が燻り、西部でも小さな不満が積もりはじめている。
「私は、もっと……この身体で、領地を守らなくちゃいけない。毒で倒れていたころからすれば、だいぶ動けるようになったけど……まだまだだよね。」
ベッドに腰かけ、そっと右手を握りしめる。前世の私ならもっと大人の考え方や身体の力があったのに、今は9歳の子どもで女の子としての扱いを受ける身。とはいえ、少年の格好をすれば多少は自由度が増すし、今後、外出もできる可能性がある。それでも、戦いや政治的に大きな行動を起こすには程遠い――そう痛感する。
「でも、やるしかない。私の領地だもの。いつかこの平和が脅かされるなら、絶対に守らなきゃ……。それに、今まで、みんなが、私を守ってきてくれた。だから、いつか、私が、みんなを守れる側にならないと。」
声に出すと、胸の奥が小さく震える。まだ守られる立場でありながら、将来的に革命や紛争に巻き込まれるかもしれないと思うと、居ても立ってもいられない。だが、それこそが“当主”の重責ということだろう。女の子だからとか、9歳だからとか、そんな言い訳をしても運命からは逃げられない。
真夜中、部屋のランプを落とす直前に、私はタンスを開けて“少年服”をちらりと確認した。
いつの日か、この格好で領内の視察を本格的にやりたい――そう思うと、胸が高鳴る。暗殺の危険がなければ、すぐにでも街へ飛び出して現実を見たいのに。いまはまだできない。
わずかな成長に安堵しつつ、同時に「もっと、早く力をつけないと」と焦る。革命が起きるかどうか分からないが、庶民の不満が蓄積していけば、いつ暴発してもおかしくない。むろん、王と上級貴族が強い軍事力を持っている今は平和が続くだろう。しかし、中産層や中位貴族が庶民をまとめたら、魔法技術を駆使して戦火が広がる可能性もゼロではない。
私はベッドの上に腰かけ、軽く膝を抱えてつぶやく。
「きっと、裏切りもあるよね……どこかの貴族が、庶民を味方につけて逆に私たちを倒しにくるかもしれない。ラグレン家みたいに暗殺を狙う奴らだけが敵とは限らない……。」
低い声で呟いた言葉が、部屋の空気に溶けて消える。前世で読んだ歴史書では、反乱や革命の舞台裏に“別の権力者”が暗躍し、弱者の不満を焚きつけて古い支配者を倒し、新たな支配体制を築く――そんなケースはいくらでもあった。もしこの世界でもそうなったら、私の首も危ないどころではすまない。
「だから……早く強くならないと。身体も、政治の知識も……全部が足りない。私は9歳だけど、そんな悠長にしてる場合じゃないかもしれない……。」
眼を閉じると、昼間走り回ったときの風の感触がよみがえる。あの自由は素晴らしかった。私が女の子の身体を持っているという現実を嫌悪しているわけではない――それでも、“少年風”で動くほうが自然に感じる瞬間がある。変な違和感がうずくのだ。前世とのギャップなのか、あるいは単にドレスが苦手なだけなのかは自分でもよく分からない。
ともかく私は、暗殺への備えや将来の不穏な情勢のためにも、もっと努力して成長しなきゃいけない。守られるだけじゃなく、自分で考え、行動し、領地を導ける力を手にしなきゃ――そう、私は思いを新たにして布団に潜り込んだ。
どこか胸の奥で、また小さなざわめきが起きる。“もし私が完全に男の子だったら、もっと軽々と政治に踏み出せたのだろうか”……そんな思いがかすめるたび、切なさが広がる。けれど同時に、この女の子の身体でさえ“少年スタイル”をとれば心地よく動き回れるのだから、可能性は捨てがたい。いずれにせよ、性別のことも含め、今は先のことを考えるだけではどうしようもない。
(とにかく、絶対に負けない。暗殺にも、革命にも、裏切りにも……。)
頭の中でそう繰り返すと、ぼんやりと眠気が訪れてくる。護られているだけの9歳の子どもが、未来の激変にどう立ち向かえるのか――今はまだわからない。けれど、翌朝また走り込んで体力をつけ、勉強して領地を学ぶ。その積み重ねが、きっといつか大きな力になると信じたい。
翌朝、私はいつも通り庭に出て、涼しい風を受けながら軽い駆け足をする。エミーとローザがいつものように見守り、使用人たちは「リアンナ様、すっかり元気になったわね」と微笑んでいる。私が“少年服”で走り回る姿は、この屋敷ではもう珍しくなくなった。暗殺の恐怖に怯えていた頃とはまるで別人みたい――もっとも脅威が去ったわけではないけれど、ここ数年でだいぶ安心感が生まれたのは確かだ。
前を見れば、塀の向こうに町並みが広がっている。外へ出るのはまだ制限されているけれども、ここから先、さらに私が“当主”として成長すれば、領内の端々まで実地で見回れる日が来るだろう。
ただ、その頃までに大陸情勢や王国内部がどう変化するか――そこが問題だ。経済発展に伴う不満や、中位貴族の台頭で、今は見えない火種が膨らんでいるかもしれない。暗殺を企むような敵対者だって、ラグレン家以外にも出てくる可能性がある。
私は小さく拳を握り、息を吐き出す。まだ9歳、されど9歳だ。体はもう毒事件前の弱々しい状態ではないし、政治や歴史についても勉強を積んでいる。少年風の服で行動しやすい形を確保できたことで、一歩は踏み出した。ここから先は、より強い意志と知識、そして周囲との連携が必要になるだろう。
(いつか、この西部が戦火に巻き込まれる日が来るかもしれない。それでも私は、ここを守らなくちゃいけない。庶民の暮らしを、そして私が築く未来を……。)
朝の光の中、私はさらにスピードを上げて庭を駆け抜ける。ズボンの裾が揺れ、心臓がドキドキと高鳴る。ほんの少し前まで出来なかった疾走感を味わいながら、私は改めて誓うのだ――「私はきっと、強くなる」と。
どんな政治の嵐が吹き荒れようと、幼い女の子の身体であろうとも、私は前世を生きた記憶を武器に、立ち向かえるはず。もちろん、その道は容易じゃない。でも、だからこそ私は走り続ける。少年風の格好を装いながらも、いずれは堂々と当主としての責任を果たすために。
自由に身体を操れるようになったいま、昔のように閉じこもっているだけじゃ済まされない。絶えず変わる世界で、生き延びるためには、走り続けて体を強くし、頭脳を磨いて“私だけの道”を切り開くしかない――そう強く思いながら、私は何度も何度も庭を往復する。
遠くからエミーの声が聞こえる。「リア、無理しすぎないでね!」。ローザも「本当に体力ついたよね~」と笑っている。私は「だいじょうぶ!」と軽く手を振り返し、さらにもう一周、加速する。空気が肌をなで、全身が熱を帯びる。
「ううん、走るだけじゃ足りない。成長なんて、もっと加速しないと……。」
自分の中で小さく呟いて、ラストスパートをかける。足が地面を蹴るたびに、前世で男として過ごした記憶が浮かび上がり、けれどいまの私は9歳の女の子。若干の違和感を覚えながらも、全力で走るたび、身体は軽く、心は躍る――いつか本当の意味で、この世界を変えられる存在になれるかもしれない、という一縷の希望が湧いてくるから。
もし革命が来るなら、私はそれを阻止するのか、受け入れるのか……まだ答えは出ない。でも、私が成長していけば、きっと自分なりの道が見つかるはずだ。暗殺にも、裏切りにも負けないだけの強さと知識を身につけて――当主として、そして“私自身”として生き抜くために。
こうして、私はまた次の一歩を踏み出そうとしている。
走る庭には、朝の光がさらに眩しく差し込んできて、背中を押されるような気がした。いまは小さな一歩でも、続ければいつの日か大きな力になると信じて――何度も、何度も石畳を踏みしめる。その足跡が、やがては来るかもしれない政治の嵐や、暗殺者たちの脅威、さらには庶民や中位貴族のうねりを乗り越える糧になるのだろう。
まだ9歳でも、もう9歳。毒を耐えて得た今の身体と、前世の記憶やスキルを武器に、私はきっと強くなる――それを胸に強く誓いながら、私はこの世界の変革の予感を感じずにはいられなかった。
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