夜にこっそり纏う“もうひとりの姿”――そして次の日、はしゃぐ庭の美少年?
夜の帳が静かに降りたころ、私――リアンナ・クラリオンは、部屋の片隅で胸を高鳴らせていた。明かりを落としたランプのかすかな光だけが、部屋の中をぼんやり照らしている。いつもなら夜更かしは禁物なのに、今日だけは特別。なぜなら、“あの服”が届いたからだ。
数日前から準備していた、マルグリットが仕立ててくれた“新しいスタイル”――そう、表向きには「リハビリ用の動きやすい装い」として頼んだものが、ついに完成して私の手元にやってきた。エミーやローザの目をかいくぐり、マルグリットが届けに来たのは昼間だったが、あのときは受け取っただけで終わり。実際に袖を通すのは、皆が寝静まってから……そう心に決めていた。
(いよいよ……着てみるんだ……。)
ドキドキする心臓の鼓動を抑えきれず、私は部屋の扉に耳を澄ます。廊下にはもう人の気配がない。使用人たちが就寝準備を始め、警備兵は交代制で巡回しているが、この時間、私の私室まではあまり近づかないはず……。エミーとローザも、自室で休んでいるか、あるいは最後の巡回をしているところだろう。とにかく、いまなら誰にも見られずに試着できる。
私はゆっくりと椅子から立ち上がり、ベッドの下に隠した布包みをそっと引き出す。ランプの光に照らされて見えるのは、マルグリットがこだわって仕立ててくれた上下セット。深いグレーを基調にしたトップスとパンツ。余計なフリルはなく、シンプルかつ洗練されたライン。中性的な“スーツ”にも見えるし、少年用の服装にも見える――そんな絶妙なデザインが、そこに詰まっている。
「……本当に、完成したんだね……。」
思わず呟いて、包みからそっと取り出す。触れてみると、滑らかな布の感触が指先を伝って心地いい。いつも着るドレスとはまったく違う重み。しかも裾にはレースもリボンもついていない。ポケットは存在し、胸元には飾りボタンの代わりにシンプルな留め具。これは、まさに“男の子のスタイル”といって差し支えない形だろう。
(なんだか、少し怖いような、でも楽しみで仕方ない……。)
深呼吸して意を決する。急いで着てしまわないように、丁寧に動きを確認しながら、まずは普段の寝間着を脱ぎ、下着だけの状態になる。前世は男だった意識のせいか、まだこうして“女の子としての自分”を見ると落ち着かないが、いまはそれよりも“変身”への高揚感が勝っている。
次にパンツを脚に通すと、すっと布が肌を滑って、膝から下がやけに軽い。いつものボリュームのある裾がないため、足回りが開放されているのが分かる。ドレスでは得られなかった自由さ――その違いが鮮明で、思わず小さく息を漏らす。
「……いいかも……すごく動きやすそう……。」
腰まわりには程よい余裕がありつつ、ダボつきすぎない。マルグリットが“少年らしさ”を意識してくれたらしく、体のラインがストンと落ちる仕立てだ。下着のラインも浮かないよう配慮してくれているのがありがたい。
続いてトップスを頭から被り、袖を通してみる。生地はやや厚手で秋冬向きらしいが、夜の冷え込みを感じるこの部屋ではかえって温かくて心地いい。前を留める留め具をカチリと合わせると、全身がすっぽり覆われた。わずかに肩の可動域を感じつつも、パツパツではなく、ゆったりしすぎない――絶妙なサイズ感だ。
(さて……どうかな……?)
私は胸をどきどきさせながら部屋の鏡に近づく。そして、ほの暗いランプの下で映し出された自分の姿をじっと見つめた。そこには、普段の“クラリオン伯爵家の小さなお嬢様”ではなく、まるで“中性的な美少年”が立っているではないか。
「……え、嘘……これ、ほんとに私……?」
一瞬、言葉が出ないほど衝撃を受ける。髪型こそ肩まで伸びたままだが、前髪を少し横に流すだけでも、顔の印象がぐっと男の子寄りになる。身体も7~8歳の子どもで、男女差が顕著に出る前の時期だからだろうか、ヒラヒラした布が一切ないだけで、こうも雰囲気が変わるとは。
(なんか、本当に少年に見える……。しかも、ちょっと……“可愛い”というか……。)
頭の中で思わず困惑する。前世では“男”として生きていたから、こうした“可愛らしい少年風”になるのは想定外で照れくさいような、でも悪くないような、なんとも言えない感覚が胸をざわつかせる。反面、女の子らしい丸みが抑えられて、足も走りやすそうだし、何より腕や肩の動きがすごくスムーズに感じる。
(すごい……こんなに動きやすいなら、リハビリはもちろん、それ以上に……うん、自由に走り回れるよ……!)
興奮が高まった私は、思わず両腕を上げてみたり、軽く屈伸してみたりする。布が抵抗することなく身体にフィットし、胸元の留め具も邪魔にならない。このまま外を駆け出せたら、どんなに気持ちいいだろう。
「ふふ……最高……!」
声を出すと、壁越しに誰かが気づくかもしれないと焦り、小さく口をつぐむ。危なかった。まだ夜は更けたばかりで、皆が完全に寝付いているとは限らない。落ち着かなきゃ。心臓はばくばくいっているが、ここで見つかったら全てが台無しだ。
(今夜は、とりあえず着てみただけ……。うん、満足。もう少し眺めたら、早めに寝間着に戻らないと……。)
そう頭の中で整理をつけて、鏡の前で“男の子らしい立ち方”を試してみる。肩を少し張る感じ? 前世で男だったころの身のこなしを思い出しつつ、今の幼い体ではなかなか同じようにはいかないが、多少は“らしく”見える。やはり髪の長さがネックだが、ひとまず後ろで軽く束ねれば、更に“少年度”はアップしそうだ。
鏡を見ていると、じわじわと「これが私か」という実感が湧いてくる。女の子としてドレスを着ている自分とは、まるで別人のような見た目。ある意味、前世に近い雰囲気を持つ姿……気持ちの上で“こっちのほうが自然”という感じがあるのが不思議だ。ドレス姿に覚える微かな息苦しさが、ここにはない。
(……本当に、こういう身体だったら……なんて考えるのは、変かな……。)
少し胸が苦しくなる。私はこの世界で“女の子”として生まれた。それは揺るぎない事実だ。それでも、こうして違うスタイルを身につけると、心が軽くなる部分があるのも否めない。前世の記憶を持つ私にとって、これが一種の救いになるのかもしれない。
“本当はこんな自分だったらもっと気楽なのに……”――そんな思いが一瞬こみ上げるが、すぐに頭を振って打ち消す。考えたって仕方ない。実際の性別は変わらないし、ここで生活するには周囲から“お嬢様”として扱われるのが当たり前なのだから。
「でも、少なくとも外を歩くなら、こういう格好のほうが絶対に安全……。」
魔が差して、ほんの少しだけドアを開けてみたくなる。廊下を男の子姿で歩いたら、さすがに誰も私だと気づかないだろうか。でも、もしばれたらエミーやローザ、ボリスやベアトリーチェがどんな顔をするか……考えただけで冷や汗ものだ。
(まだ早い。今はここで満足しよう。)
決断して、名残惜しさを感じながら留め具を外し、そっと服を脱ぐ。すると、肌に当たる生地の感覚が離れていくのが少し寂しい。下着姿になってから改めてその服を畳み、布包みに戻す。仕立てが丁寧だから、しわにはなりにくそうだけど、一応気をつけながら優しく扱う。
(ありがとう、マルグリットさん。本当に素敵な仕上がりだ……。)
そう心で呟いて、ベッドの下にまた隠しておく。この装いは、“リハビリ用”という大義名分で作ったもの。日中でも正式に着られる日はそう遠くないと思う。だが、その前に周囲とのやり取りが必要だろう。ローザやエミーが何と言うか……。想像すると、少し怖くもあるが、同時にわくわくが止まらない。
やれやれ、と息をついて寝間着を着る。フリフリの寝間着は柔らかくて暖かいが、さっきの“少年風”との落差に胸がざわつく。この落差こそが、“私が女の子の身体である”現実を突きつけられている証拠のようで、少し複雑な感情を覚える。だけど、今は早く寝ないと。明日も勉強やリハビリが待っている。
「よし……おやすみ、私……。」
ランプを吹き消して、真っ暗になった部屋で布団に潜り込む。頭の奥には、まださっき着た服の触感が残っている。あの自由さ、あの軽やかさ、あの見た目――どれもが私に“これからの可能性”を感じさせていた。
(いつか本当に、この姿で外を走り回れたらいいな……。)
枕に顔を埋めながら、そんな希望を胸に抱いて目を閉じる。いつの間にか、ドキドキは遠のいて、穏やかな眠気が勝ってきた。このまま心地よい疲れと満足感に包まれながら、私は静かに夜の闇へと落ちていった。
翌朝、ゆっくりと目を開けると、窓の外から差し込む朝日がまぶしい。私は仰向けのまま、昨夜の出来事を思い出して妙に顔が熱くなる。あの“新しい服”を実際に着てみた感触が、まだ手のひらや身体のあちこちに残っている気がするのだ。すぐにでももう一度着たいけれど、周囲の目がある以上、そう簡単にはいかない。
とりあえず、朝食と勉強を終えないといけない。起き上がると、いつものようにエミーが入ってきて、「おはよう、リア。体調はどう?」と微笑む。私は「うん、バッチリ」と返事しながら、内心で「早く昼にならないかな」と思ってしまう。どうやら私にとって、勉強や書簡整理が“早く終わらせたいもの”になっているらしい。昨夜の興奮がまだ続いている証拠だ。
朝食を済ませると、ベアトリーチェやボリスといった大人たちが待つ部屋に向かい、王国の歴史や封建制の仕組みについて教えを受ける。毒事件で休んだ期間の遅れを取り戻すにはまだ時間が必要だが、最近はだいぶ慣れてきて集中できるようになった。とはいえ、今の私には別の楽しみが脳裏をちらついて、正直「早く休憩したい……」という気持ちが大きい。
案の定、午前中の学習を終えると、私はやや疲労感を覚えつつ「ふう……」と息をついた。エミーが「リア、大丈夫? 疲れた?」と声をかけてくれるが、私は「少しだけ疲れたけど、平気。ねえ、午後、庭を歩いていいかな? 体力つけたいし……」と提案する。
「お庭? まあ、いいんじゃない? ボリス様もリハビリには賛成してたし……どうする、ローザ?」
エミーが横を向くと、ローザが「うん、問題ないわ。天気も悪くないしね。ただ、くれぐれも無理しないようにね」と気遣ってくれる。私は心の中でガッツポーズ。ここまでは想定通りだ。
「それなら着替えておいで。ドレスのままだと走るとき危ないし……。あっ、そういえば、先日届いた“あの服”、もう着るの?」
エミーがさらりと言葉に出してきた。その瞬間、私は一瞬息が詰まるが、すぐに自然な口調で返す。
「そう、マルグリットさんが仕立ててくれた“動きやすい服”だよね。うん、せっかくだし、あれで庭を歩きたいんだ。リハビリに良さそうだし……。」
ローザは「うん、それがいいわね」という。よし、これで公式にあの服を着られる。私は急いで自室へ戻り、昨夜隠していた布包みを取り出す。そっと開くと、昨日の夜にちらりと見た、あの少年然としたスタイルが姿を現す。
(さすがにエミーとローザの前で着るとなると、どんな反応になるかな……?)
少し緊張しながら、部屋の扉を閉めて着替える。今日は昼間だから、ちゃんと陽の光が差し込んでいる中で姿を確認できる。昨夜はランプの下だったが、昼の明るさでもやっぱり“中性的な美少年”にしか見えないのだろうか。
留め具を留め、襟を正し、パンツの裾を軽く撫でる。この感触――やっぱり最高。ドレスの中で悩まされていた細かなきゅうくつ感が消え、脚の自由度が段違いなのが嬉しい。
「よし……こんな感じかな。」
鏡を見てみると、やはり昨夜の印象と変わらず、どこから見ても“少年”に近い姿がそこに映っている。髪はいつも通り肩まで伸ばしているが、少し後ろで束ねればさらに男の子っぽくなりそうだ。でも、そこまでするとエミーやローザが驚きすぎるかもしれない。今日はひとまずこのまま。
意を決して部屋を出る。すると廊下で待っていたエミーとローザが、まさに私を見て言葉を失ったように目を丸くした。
「え……え、嘘、リア……それ、ほんとに……?」
ローザが最初に口を開くが、声が裏返っている。エミーも「わあ……すごい。似合うには似合うんだけど……ちょっと驚いた……」と呆然とした顔で私を上から下まで眺め回す。私としては覚悟していた反応とはいえ、ここまで驚かれると照れる。
「どうかな? 男の子みたいに見える?」
私が照れ隠しに言うと、エミーが「うん、正直、かなり……。ちょっとした美少年ね。しかも中性的で綺麗な顔立ちだから、遠目には女の子だって気づかないかも……」と素直に感想を漏らしてくれた。ローザも「まさかここまで“少年”っぽく仕上がるとは……うわあ……」と苦笑いを浮かべている。
(やった……! 私の狙い通り!)
心の中でガッツポーズを取りつつも、外面は「うん、リハビリがしやすいって聞いたからね」とさりげなく返す。するとエミーが「なるほど、確かに動きやすそうだわ。ドレスの裾が引っかかる心配もないし……」と納得しかけたところで、ローザが思わず、「でも……いいの? 伯爵家のお嬢様が、こんな……」と言いかける。
私はそこで一瞬言葉に詰まるが、開き直って笑みを見せる。
「ほら、病み上がりで走り回るなら、これくらいがちょうどいいでしょ? 私、何かあったらすぐ倒れちゃうかもしれないし……。ボリスさんだって、無理しなければ動きやすいほうがいいって言ってたよ。」
そう言えばボリスは「リハビリに適した装いなら構わない」と以前言っていたし、決して嘘ではない。ローザは「ああ、そっか……まあ、動きやすいのは確かね」と少し押し黙った後、「でも、なんだかリアの雰囲気が変わっちゃって……凄い美少年って感じ……」と頬を染めながら笑う。エミーに至っては「これはこれで可愛いかも」と妙にはしゃいでいる。
(よし、これで正式に昼間も着られるんだ……!)
私は心でガッツポーズを改めて作りつつ、「じゃあ、庭へ行こうか」と二人を促す。彼女たちは少し戸惑いながらも、私の“リハビリウェア”姿を全面否定せずに受け止めてくれそうだ。
そして私は、その姿のまま庭に出た。お昼過ぎの太陽がやわらかく差し込み、塀の向こうからは相変わらず町の喧騒がかすかに聞こえてくる。日中の明るい光の下で、私は改めて自分の服装を確認。パンツとトップスの暗めの色が陽に当たると、少し光沢を帯びて見える。マルグリットが選んでくれた布は、触り心地だけでなく、見た目にも高級感がある。
「わあ、すっごく動きやすそう……。リア、走ってみたら?」
エミーが微笑みながら言う。ローザも「でも無理しないでね?」と念押し。私は「わかってる、ゆっくり走るよ」と言って軽く足を動かしてみる。
ゆるやかに石畳の端をトントンと走ると、思っていた通り、ドレスに比べて格段に走りやすい。裾が広がって引っかかることもなければ、スカートの重さでバランスが崩れることもない。風を受ける部分が身体に沿っているから、まるで前世のジャージを着ているかのような気軽さを感じる。
「……すごい……!」
思わず感嘆の声を漏らす。エミーも「ほんと、見てるほうもなんか爽快かも」と目を丸くし、ローザは「こんなに跳ねられるなんて、毒のダメージだいぶ回復してきたのね」と嬉しそうに微笑む。彼女たちは、私が“男の子の服みたい”な姿でいることに微妙な抵抗を感じつつも、回復が進んでいる証拠だと思っているのか、けっこう寛大に見守ってくれているらしい。
しばらく庭を走り回る。石畳から花壇の近くまで駆けたり、そこからまた戻ってきたり。体力はまだ完全じゃないから、すぐに息が上がってきて、途中で止まらざるを得ないけれど、それでも前よりずっと長く走れる。
「……はぁ、はぁ……ドレスだと、すぐ転んでただろうね……こっちなら安心……。」
軽い息切れを感じながら、私は植え込みのそばでしゃがみ込む。するとエミーがタオルと水筒を差し出してくれて、「ほら、汗拭いて水分とって」と言う。いまの私はまるで“男の子が遊んでいる”姿にしか見えないかもしれない。ローザも「これ、ほんとに見慣れたらアリかもね……」と苦笑いしつつ受け入れ始めている。
(嬉しい……女の子としてドレスを着たときの違和感が、今日はほとんど感じない。)
ひざに手を当て、ゆっくり呼吸しながら、内心では最高の気分だ。前世で走り慣れていた感覚が戻ってきたみたいで、しかも“女の子の衣服”に覚える窮屈さもない。もちろん身体はもう女の子だけれど、こうしてズボンを穿くだけで体感がまるで違うのが不思議で仕方ない。
「リア、くれぐれも無茶は禁物よ? いきなり全力はやめといてね……。」
ローザが注意しに来るが、私はすでに満足感を得ているから、「うん、わかってる。もう十分走ったし……ここでちょっと休むね」と応じる。
するとエミーとローザが並んで腰を下ろし、私を見ては「本当に見た目が変わるものね……。こう……キリッとしてて、凄い美少年って感じ……」と改めて感心している。思わず頬が熱くなるが、前世の男意識のせいか、嬉しいような照れくさいような妙な感情が湧いてくる(なんか、ちょっと悔しいというか、惜しいというか。)。
(そっか。エミーやローザも素直に“美少年”って言っちゃうんだ……。でも、これでほんとに男の子だったら……どんな気分になるんだろう。)
よぎった考えに胸がひやりとする。結局、私は女の子の身体であり、周囲は私を“お嬢様”として見ている。でもこの服を着ると、みんなが「少年」に見えると口を揃えるわけだ。ならば、暗殺者だって私を少女だとは思わないかもしれない――そんな希望が湧き上がる。それ以上に、内面的に“しっくり”くる感覚があるのが嬉しい。
(やっぱり、この格好のほうが、私には合ってるのかも……。でもそれって変なのかな……。)
胸のざわめきが止まらない。周囲は「リハビリ用だからね」とわりと好意的に接してくれているが、本人にとっては“何か大きな変化”を得た気分だ。女の子らしいフリルの衣装から解放され、まるで新しい自分を見つけたような――前世に近い身体感覚に近づけたというか、そんな感慨すらある。
それから午後いっぱい、私は庭で軽く走り回ったり、ストレッチ的なリハビリ動作をしたりと、めいっぱい体を動かす。エミーとローザは「ここまで動けるなら、もう毒の影響もだいぶ改善したかも!」と喜んでくれるし、私も最後には息を切らしつつ満足げに微笑む。
「はぁ……はぁ……すっごい疲れたけど、楽しかった……やっぱりこういう格好なら転ばないし、助かるね……。」
私がそう言うと、エミーは「うん、それは良かった。でも、本当に“男の子”みたいよ。ドレスのときとのギャップがすごいもん……」と笑顔を返す。ローザも「もしあなたが本当に男の子だったら、普段からこういう格好で活発に動いてたんだろうねぇ……」と、しみじみと呟く。
その言葉が心に刺さる。“もし本当に、身体まで男の子だったなら”――私は一瞬、「そしたら違和感なんて感じずに済んだかもしれない」と思うが、当然口には出せない。複雑な思いが胸をぎゅっと締めつける。
(だけど、しょうがない……今はこれでいい。周囲も許容してくれたし、私はこれで少なくともリハビリ時には自由に動ける。)
夕刻近くなり、汗をかいた私はそのまま部屋へ戻って着替えることにする。次の食事や勉強も控えているし、この格好のまま食卓に現れたら、他の使用人たちがびっくりするかもしれない。今日はここまで、という線引きが必要だ。
部屋でこの服を脱ぎ、ドレス(簡易的なもの)に着替える瞬間、やはり少しだけ落胆する自分がいる。「もう少しこのままでいたいな」と名残惜しさを感じるのだ。だけど、同時に「また明日もリハビリのときに着ればいい」と思えば気持ちは軽くなる。周囲も動きやすさを認めてくれたし、そこまで違和感を示していない。何より、“凄い美少年”という評価が出たのが面白い。
(そうだ、今後はこの服を堂々と着られるんだ……! 夜だけの秘密じゃなくなる。もちろん、このまま外に出るのはまだ無理だけど、第一歩には違いない……。)
私は心の中で成功を確信する。エミーとローザの驚き方も、否定的ではなく“驚き”に近かった。ボリスやベアトリーチェがどう反応するかは別として、ひとまずリハビリ用という名目は通りそうだ。普段からこれを着る機会を増やせば、いずれ“外に出るときもこれなら安全”という話に持っていけるかもしれない。
(それが実現したら……町へ行ける。中性的な見た目なら、私が伯爵家のお嬢様だなんて気づかれないかも。あの塀の向こうの世界を、もっと自由に見て回れる可能性がある……。)
考えるだけでわくわくしてしまう。ドレス姿での外出は危険だが、もしこの服で変装して出られるなら、暗殺者や怪しい連中も私だと気づきにくいだろう。もちろん、すぐに許可が下りるとは思えないが、いつかやり方を工夫すれば……。
とにもかくにも、今は“勝利の第一歩”だ。私は鏡の前で軽く髪を整え、女の子用のドレスに姿を戻す。依然としてこの姿は微妙にそわそわするが、前世の男だった意識が強い私は、この世界ではこうするほかない。せめてリハビリ時や室内でなら“少年風”で過ごす余地ができたのだから、幸運だと思わなくては。
夕暮れの光が窓から差し込む中、私はベッドに腰を下ろし、小さな溜息をつく。喜びと安堵と、ほんの少しの虚しさが混ざった複雑な気分。この身体は女の子だし、周囲も私を守ろうとするけれど、あの装いなら自分らしく動ける――そんな新しい感覚を得たことで、これから先どう行動するかを改めて考え直す必要があるかもしれない。
(まあ、焦っても仕方ない。とりあえず体力を戻して、当主としての勉強も頑張って、それから……ね。)
部屋のドアの向こうではエミーの足音が近づいてきた。どうやら夕飯の準備が整いつつあるらしい。私は軽く背伸びをして「いま行くよー」と声をかけると、心の中で小さく笑う。今日がこんなに充実するなんて、昨日の夜には想像以上だった。あの服をみんなの前で着たら、いったいどんな反応になるかと不安だったが、結果的には大成功だったのだから。
(エミーとローザには「凄い美少年」って言われたし、悪い気はしないかも。もう少し慣れてくれば、庭だけじゃなく屋敷内でも通用するよね……。)
そう思うと、再び胸が弾む。私の内側にある“前世の男”の感覚と、今の“女の子”の身体が抱える違和感が、ほんの少し緩和された気がする。やはり自分の中で“少年の装い”が自然に馴染む部分があるのだと痛感する。
私は扉を開けて廊下へ出る。エミーが「リア、お腹空いた?」と問えば、私は「うん、ちょっとだけ」と素直に頷く。少し走りすぎて疲れたのか、普段よりお腹が鳴っている。けれど、その疲労感さえ心地よい。ドレスではなく、走り回っても大丈夫な恰好で動けた達成感が“走る楽しみ”を味わわせてくれたのだ。
こうして、短い昼のひとときを経て、私はまたいつもの日常に戻る。でも、もう以前とは違う。あの少年スタイルを手に入れたことで、私の世界が少しだけ広がった気がする。毒や暗殺の脅威はまだ消えていないし、女の子としての生活からは逃れられない。でも、これからは自分で選んだ服で動き回ることができるのだから。
(いつか、本当に外へ出られる日がきたら……この姿で出かけたいな。誰にもバレずに町を歩きたい……。)
その未来を思い描くだけで、胸の高まりは止まらない。途中でエミーが「どうしたの? 顔が赤いけど……」と不思議そうに聞いてくるが、私はただ「ううん、なんでもない……」と笑う。
(“もうひとりの自分”を手に入れたみたい……でも、それは秘密にしておこう。)
秘密の“変装”という言い方をすれば語弊はあるかもしれない。だけど私にとって、この選択肢は大きな自由への一歩でもある。8歳の身体はまだまだ子ども扱いされるが、いずれ成長すればもっと融通が利くはずだ。前世の男だったころに戻るわけではない。けれど、“少年風の姿”で少しでも生きやすくなる可能性に賭けたい――そんな思いが私を支えている。
夕食の席では、ボリスやベアトリーチェが私の“リハビリ成果”を聞き、少しだけ驚きながらも「へえ、そんなに動けるようになったのか。良いことだ」と評価してくれた。誰も「男の子みたいな服はダメだ」なんて言い出さなかったのは幸運だろう。毒事件の後だけに、私が快復しているなら万々歳……という空気があるのかもしれない。
食事中、私は少しだけ違和感を感じる――せっかく昼間に“少年姿”だったのに、いまは女の子のドレスを着けてテーブルに座っている。なんだか落ち着かなくて、姿勢がギクシャクしてしまう。前世の自分と今の自分の板挟み感はまだ抜けきらないらしい。
それでも、今日は確実に前に進んだ。夜中にこっそり試着し、昼間には堂々と着て庭を走り回り、エミーやローザからも概ね受け入れられた。この調子なら、徐々に“男の子のような姿”を当たり前にしていけるかもしれない。危険な外出も、ほんの少し現実味を帯びてきた――そう信じたくなる。
――こうして、私の新たな装いを試す一日は終わっていく。ドレスに隠された“もうひとりの自分”という秘密。自分の身体を少しでも自由に扱える感覚を味わってしまったからには、もう戻れない。
夜、部屋に戻って再び寝間着に身を包んだとき、微妙な息苦しさを覚えるが、私は口をきゅっと結んでランプを消す。
(また明日だ……。私には、あの服がある。それだけで、なんだか救われる。)
枕に頭を沈め、まぶたを閉じれば、昼間のあの自由な疾走感が脳裏に甦る。いつか本当に、この姿で塀の外へ踏み出す日が来るのだろうか? 女の子の身体である自分に抗うわけじゃないが、もう少し好きに動けたら――そう願う思いがひそかに膨らんでいく。
この気持ちを追い風に、私はまた一歩、当主としての義務や、暗殺の危険と隣り合わせの生活を抜け出す道を模索していくのだ。どこまで実現できるかは分からない。だけど、あのパンツスタイルを手にした瞬間の感動を忘れずに――いつか、想像以上の景色を目にする日が来ると信じて、私はゆっくりとまどろみに落ちていく。
(男の子の格好で走り回る――こんなに心地いいなんて……。また明日、庭を走ろう。そして、その先にはきっと……)
夜の静寂に包まれながら、私は胸に湧きあがる期待をかみしめる。身体はまだ8歳の少女――けれど、心のどこかに確固とした“男の子らしさ”が燻っているような気がしてならない。その矛盾を抱えつつも、私はもう迷わない。
“もうひとりの自分”を手に入れたのだから。明日からの日々を、以前とは違う視点で歩んでいけるだろう――そう信じながら、私の長い、そして大きな一歩を踏み出した一日は穏やかに幕を下ろした。
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