手に入れたい“もうひとりの自分”──秘密の段取り、進行中③
体力の快復と、王国の勉強。そして“男の子の服”という、いわくありげな計画。
そんなあわただしい日々が続く中、私はいつも通りの書簡整理とリハビリ、そして封建制や領地経営の復習に追われる。まだ完全に毒の影響が抜けたわけではなく、長時間の作業には体力がもたないが、周囲のサポートを受けながら少しずつ前に進んでいる。おかげで“当主”として学ぶべき内容も、ようやく遅れを取り戻しつつある。
ところがある日の朝、エミーとローザがそれぞれ用事で出かけてしまい、屋敷には私を丁寧に看病してくれる侍女たちがいるものの、「エミーとローザが一緒に留守」というのは珍しい状況が生まれた。二人とも、滅多に同時に出払うことはないのだが、どうやら王都方面から来た客人への対応を分担しなければならないらしい。
二人がいないと寂しいな、と私が思っていると、そこへドアをノックする音が響いた。侍女の声がして、「失礼します。リアンナ様、仕立屋のマルグリット様が『仮縫いをお持ちしました』とおっしゃっていますが……」と控えめに告げられる。私の胸が、一気に高鳴る。
「え、もう仮縫いが? こんなに早く……!」
時計を見ると、まだ午前中。しかもエミーとローザがいないタイミング。まさか、こんな絶妙なタイミングでマルグリットが来るとは。私は一瞬テンパりそうになるが、すぐに「どうぞ」と落ち着いた声を装って返事する。侍女が了解してドアを開けると、マルグリットが小柄な助手とともに、さまざまな布や裁縫道具を抱えて入室してきた。
「リアンナ様、ごきげんよう。この前のパンツスタイル、ちょっと時間はかかりますとお伝えしましたが、意外と作業がスムーズに進みまして。まずは仮縫いの段階で一度フィッティングをしていただきたいと思ったのです」
マルグリットは朝の光を背に受けながらニコリと微笑む。灰色の髪をすっきりまとめた姿は、どこか優雅で頼もしい。助手が広げるのは、確かに私がリハビリ用に頼んだ“パンツスタイルの上下セット”らしき服。しかしまだ仕上がり前なので、糸の仮留めや余分な布があちこちに残っている。
「こんなに早く……ありがとうございます。あの、実はエミーもローザも留守で……」
私が言いかけると、マルグリットは軽く手を振って「かまいませんよ。とりあえず仮縫いを合わせてみて、調整点を確認すれば後々スムーズでしょう? せっかく来たのですから、リアンナ様がよろしければ試着してみましょう」と言う。助手の女性も、「採寸時にお伺いしていた内容を踏まえて、まだデザイン部分は融通が利きます」と笑顔でフォローしてくれる。
(まさに、今が絶好のチャンス! エミーもローザもいないから、遠慮なく“もっと男の子っぽく”お願いできる……!)
私は胸の奥で小さく喜びを噛み締めながら、自然体を装って「ぜひお願いします!」と返事する。侍女がそばで心配そうに立っているが、私は「大丈夫、毒の後遺症も今日は落ち着いてるから。試着や打ち合わせくらい、平気だよ」と笑ってみせる。侍女は「はい、では何かあればお呼びください」と退室してくれた。まるで、私とマルグリットたちに気を遣ってくれたようだ。
「それでは早速、こちらを羽織ってみましょうか。無理に動き回らなくても大丈夫ですから、要所だけ確認しましょうね」
マルグリットの丁寧な指示で、私は机を離れて部屋の隅へ移動する。そこに用意された屏風の陰で仮縫いの上着とパンツを手渡される。ドレスを脱いで下着姿になるのは少し恥ずかしいが、彼女たちは慣れているし、私もパパッと済ませてしまいたい。前世が男だった意識は微妙に抵抗を覚えるが、もう何度か仕立ての際に経験しているから割り切れてきた。
仮縫いのパンツを脚に通すと、まだ縫い代が多く残っていて、少しぶかぶかだ。だけど、ドレスに比べれば圧倒的に動きやすい――太ももを締めつける違和感が少なく、裾のフリルも一切ない。私は思わず「わぁ……」と小さく声を漏らす。
「どうです? まだ正式な仕上げ前ですけど、裾はこれくらいの長さでいいかしら。もっと短くすることもできるし、足首まで伸ばすことも可能ですよ」
マルグリットの声が屏風の向こうからかかる。私は裾の長さを確認しながら、「うーん、ちょうど、ひざ上くらいだね。これくらいがちょうどいいです。」
すると、彼女は、
「はい。わかりました。」
と、すぐ答える。
上着についても、余分な布が仮留めされていて少しゴワゴワしているが、前を留める仕組みや袖の形はすでに見えている。私が袖を通して鏡の前に立つと、助手の女性が数か所のピンを外して調整を始める。
「肩幅はちょうどいいですね。ウエストは……ここをもう少し絞ってもいいかもしれませんが、お客さまの体調を考えると、ゆとりがあったほうが楽かな。どうなさいます?」
「んー、あんまりピタッとするより、動きやすいのがいいから、今のままで大丈夫かな。あ、でも裾のラインは……もうちょい直線的というか、男の子っぽく見えたほうが……」
言葉を選びながら、私は遠回しに“より男の子みたいなシルエット”をリクエストする。マルグリットは楽しそうに「なるほど。じゃあ、ふんわり広がるAラインじゃなくて、肩からスッと下りるような形にしちゃいましょうか。まさに少年服の雰囲気ね」と笑う。心なしか、彼女も“面白い依頼”と捉えて、すこしノリノリのようだ。さすが熟練のプロ、新しい挑戦にも積極的だ。
「面白そうですよね、本格的な少年用の型紙もあるんですが、まだ幼いお嬢様には少し調整が必要で……。でも私は大歓迎ですわ。お客さまの好みが一番大事ですし、可愛くてもボーイッシュでも、結局は着る人の満足が大切ですもの」
「そ、そうですよね……! 嬉しいです。あまりローザやエミーには言いづらくて……」
私が少し口を滑らせたら、マルグリットは目を輝かせて「エミーさんやローザさんも悪くないですが、若いお嬢様はもっといろいろ試してみるべきですわ。私も手伝いますよ。遠慮なく何でも言ってください」と頼もしい言葉をくれる。やっぱり職人は“お客が求めるもの”に真摯に向き合う姿勢があるのだろう。
ここから先は私は多少大胆に、「裾の飾りリボンはいらない」とか、「胸元のラインをもう少しシンプルに」とか希望を述べていく。助手が笑顔で「かしこまりました」と応じ、マルグリットは巧みな手捌きでピンを動かしていく。8歳の身体では微妙な調整が必要だが、数分後には“ほぼ少年服”に近いシルエットが鏡に映っている。
(すごい……まるで前世でいう子ども用スーツみたい。ちょっとだけ丸みは残ってるけど、ドレスの雰囲気は完全に消えた……!)
私は胸の奥で歓喜を噛み締める。完璧に男の子に見えるかどうかはわからないが、ひらひら感が消えただけで心が軽くなるのを感じる。袖を軽く振ってみると、ドレス特有の窮屈さやレースの引っかかりがなく、スムーズに動ける。内心「早くこれを着て庭を走り回りたい!」とワクワクする。
「では、これをもう少し仕上げてから、お届けいたしますね。2週間以内には何とか完成を目指しますので。それまでに体調が変わったら教えてくださいね? 仕上げ寸前で変更できますから」
マルグリットがそう締めくくり、仮縫いの服を脱ぐのを手伝ってくれる。私は惜しい気持ちをこらえつつ、「はい、お願いします。すごく楽しみ……!」と素直な感想を漏らす。助手も「リアンナ様の雰囲気なら、きっとお似合いになりますよ」と微笑み、軽くお辞儀をする。
こうして仮縫い作業がひととおり終わり、私がいつもの部屋着に戻ると、マルグリットと助手は手際よく道具を片付け始める。エミーもローザも不在のまま、私は少々後ろめたさを感じつつも、ここぞとばかりに「もう少し男の子っぽくして」なんて頼みを連発した結果、ずいぶん満足のいくデザインが固まった。
(これなら……今までの“リハビリウェア”なんて言い訳を超えて、完全に少年服として着られそう……。問題は着た後にエミーやローザが何と言うか、だけど……)
でも大丈夫だ。私はなんとか「リハビリしやすいように……」という大義名分を掲げられているし、マルグリットも「お客さまの好みが大事!」と割り切ってくれている。あとは完成した服をどう着こなすかだけだ。髪型をアレンジして帽子をかぶれば、意外と女の子だとバレにくいかもしれない。それは実際に届いてから試してみるしかないが、気分はもう“変装成功”へ向かっている。
やがて片付けが済んだころ、マルグリットがふと少しだけ身を屈め、私に耳打ちのように囁く。
「リアンナ様、私どもは何でも作れます。もし、もっと本格的に“男の子の装い”をご希望されるなら、いつでも言ってくださいね。先ほど見せていただいた姿勢や好みを踏まえれば、こちらもいろんな工夫ができますので」
「本格的に……!」
私は目を丸くする。まさか、ここまで理解してくれるとは。マルグリットの瞳には、職人としての創作意欲が宿っているようにも見える。私はドキリとしながらも、少しだけ声を落として「その……機会があれば、ぜひまた相談させてください」と返す。彼女は「ええ、いつでもどうぞ」とウインクしてみせる。
心強い。こんなに頼もしい仲間が現れるとは思わなかった。そもそも私は“女の子の服”を拒みきれない日々を過ごしてきて、周囲に口出ししづらい部分をためこんでいた。だが、マルグリットなら話が合いそうだし、職人として面白がってくれるなら遠慮なく頼める。いま私は本当に救われた気分だ。
それからしばらくして、マルグリットたちは帰っていく。私は彼女たちが去った後の応接室に佇み、しばし余韻に浸る。エミーやローザが不在のタイミングで、これだけ自由に希望を伝えられたのは幸運だった。出来上がりがどんな形になるか――想像するだけで胸が高鳴る。
ちょうどそこに、廊下のほうから「リアンナ様、失礼します」と控えめな声が聞こえる。さっきの侍女が戻ってきたようだ。「マルグリット様はもうお帰りになったんですね。何かご用はありませんか?」と聞かれるが、私は「ううん、もう大丈夫。ありがとう」と答える。心底うれしそうな顔をしていたかもしれないが、侍女はあまり深く詮索しないらしく、「では、また何かございましたらお呼びください」とだけ言い、足早に去っていった。
独りになった私は、「ああ、もっと男の子寄りにしちゃってよかったかな……」と少し欲張りな気持ちが湧いてくる。けれど、これでも十分すぎるくらい冒険したはず。少なくとも形だけ見れば立派な“少年スタイル”だ。実際に納品されたら、エミーとローザは驚くだろう。ボリスやベアトリーチェから何か言われる可能性も高いが、私には“リハビリのため”という最強の言い訳がある。
(そして、その先……この服を着て、もし外に出る機会があれば――こっそり町を歩き回れるかも? さすがにすぐは無理だけど、絶対にいつか……!)
思いがどんどん膨らむ。前世の男性としては当たり前だった「街を歩く」「自由に走る」行為を再び体験するために、いまはこの小さな準備を重ねるしかないのだ。
もっとも、暗殺の危険がある状況で安易に屋敷を抜け出すのは不可能だと分かっている。だが、いつか必要なときが来るかもしれない。“どうしても外に出て情報を集めたい”“周囲には秘密に動きたい”そんなとき、男の子の姿なら敵の目をかいくぐれる可能性が高まる……。
(心なしか、女の子としての服装への違和感が強まってる気もする。毒事件以来、ドレスを見ると息が詰まるような感じもあるし……。自分が無理してるのかもしれないな。)
どこか心の奥で“前世の自分”が囁く。女の子扱いされる生活を嫌っているわけではない。でも、違和感が拭いきれない事実は変わらない。むしろ毒事件を境に、「このまま大人しくしていたら、次は本当に殺されるかもしれない」という不安が大きくなり、“男の子の姿で外へ出る”という発想に強く惹かれるようになった。
「……さて、今日はもう書斎に戻って、勉強の続きをするかな」
深呼吸をして自分を落ち着かせ、私は書斎へ向かう。マルグリットとの仮縫い合わせで大きく気分が弾んだが、現実的にはまだこの屋敷に閉じこもり、地道に体力と知識を蓄えるしか道はない。焦って行動を起こせば暗殺者の思う壺だし、無茶をしてエミーやローザの心配を増やしたくない。
ちょうどそのタイミングで、侍女が私を呼びに来る。「リアンナ様、ベアトリーチェ様がお時間をいただきたいそうです。王国の書類について確認したい、と……」という報告だ。私は「分かった、今行くね」と返事しつつ、ほんのり名残惜しい気分。せっかくマルグリットとの打ち合わせが終わって浮かれていたのに、またお勉強モードに引き戻される。
(しょうがないか……当主としての務めも大事だし、外へ出る準備だって、結局は私が領地のことを知っていないと意味がない。ラグレン家の脅威もいつ再燃するか分からないし……)
そう自分に言い聞かせて、廊下へ足を踏み出す。ほんの数分前までの興奮が嘘のように、屋敷の静かな空気が私を包む。だけど胸の奥には、確かに“希望の種”が芽生えている。あの仮縫いの服が完成し、さらにもう少しパワーアップすれば……私には“男の子の姿”という隠れ蓑が手に入るかもしれない。
そして、数日後――というか翌週。エミーとローザが「またマルグリットさんが来るって」と慌てて報告してきた時点で、私はピンときた。どうやら仮縫いの最終調整が早まったらしい。二人は「前回の段階でも結構斬新なデザインだったけど、本当にあれでいいの?」と首をかしげているが、私は強気に「うん、リハビリのためだし、パンツがいいの」と押し通す。
だがその日はローザが別の来客対応に回され、エミーが私の付き添いをすることになり、なかなか“男の子っぽく”大幅修正を依頼するのは難しい雰囲気だった。結局、「まだ完成までは時間がかかるから、もう少し待ってて」という形で終わってしまう。お預け状態だ。
そしてさらに数日が経ち、私が部屋で書簡を整理していると、ひょんなことからエミーとローザが揃って王都方面の打ち合わせに呼ばれて留守になる。ちょうどそのタイミングを狙ったように、マルグリットが「最終の仮縫いと布の納品に伺います」と再び屋敷へやってきたのだった。
(やった……これこそ絶好のチャンス! エミーもローザもいないから、思いきり調整してもらえる!)
あの二人がいないことを申し訳なく思いながらも、私としては内心ガッツポーズだ。今度こそマルグリットに遠慮なく「もっと男の子っぽく!」と頼めるし、彼女も喜んで応じてくれるだろう。
案の定、マルグリットは応接室で私と対面すると「リアンナ様、今回はちょっと面白いものを持ってきましたよ」と意味ありげに微笑む。助手が開いた箱には、前回のパンツスタイルよりも“シャープ”なラインを想起させる裁断が揃っている。色も大人しめのダークトーンや、少年向けのシックな色合いが混ざっていて、まさに私が求めていたテイストだ。
「エミーさんとローザさんがいないなら、気にせず修正できますね? リアンナ様がより動きやすく、男の子風に仕上げたいなら、どんどん言ってください。わたくし的にも燃えてまいりました!」
マルグリットが声を弾ませて言う。私も負けじと「ぜひお願いします! もう少し肩から腰にかけて真っ直ぐ落としたいし、飾りは最小限で……」と要望を並べる。助手が笑顔でメモを取りつつ、持参の針やピンで布を調整していく。
短い時間で集中して打ち合わせを進めた結果、今度はさらに“女の子要素”が削ぎ落とされ、ほぼ少年向けと言っていいほどボーイッシュなデザインに到達した。マルグリットは「まるで小さな王子様みたいですね」と冗談交じりに言うが、私は「うっ……」と心の中で苦笑い。男装計画を称して“王子様ルック”は少しこそばゆい。でも可愛さは必要最低限にしてあるから、私としては理想的だ。
最後に一通り調整が済んだあと、マルグリットは嬉しそうに「もう仕上げに入っても問題ないですね。きっとあと数日で完成します」と宣言する。私は思わず唾を飲みこむ。数日後には、この服が私の手元に届くわけだ。もちろん、エミーやローザが見たら「こんな男の子みたいな服、大丈夫?」と疑問を抱くだろう。しかし、リハビリを理由にすれば、最終的には通るはず――マルグリットも「わたくしが責任を持って説明しますから、安心してください」と応援してくれている。
「これで完成したら……あとは私が着るだけですね……」
私はささやくように呟く。いよいよ私が男の子の格好を手に入れる――そんな考えに、胸が高鳴る。前世の男としては当然のはずなのに、今の私は“可愛いお嬢様”扱いを続けられてきたから、服装ひとつとっても自由がなかった。しかし、この服を着ればドレスの締め付けやフリルの煩わしさから解放されるし、場合によっては“少年”に見えてしまう効果も期待できる。まるで新しい自分への扉が開きかけているようだ。
マルグリットたちが帰るころには、私の頭の中はその服の完成形でいっぱい。いつかこの世界で堂々と走り回り、町に出られる未来を夢見ている。暗殺の脅威はもちろん忘れてはいないが、少なくとも“女の子の姿”で目立つよりはマシかもしれない。前世の男意識との間で抱えてきた“違和感”も、これを機に少し解消されることを願いたい。
午後になってエミーとローザが戻ってくると、私はあえて何も言わず通常の勉強をこなした。彼女たちは「マルグリットさんが来たんでしょ? 仮縫い、うまくいった?」と軽く尋ねるので、「うん、特に問題なし。ちょっと修正してもらっただけ」とさらりと答えておく。二人も「そっか」と納得して、あまり深く突っ込まない。どうやら留守の間に何があったか詳しく確かめる気もないらしく、ほっと胸をなで下ろす。
(あとは服が届くだけ……!)
そう思うと、私は日々の勉強も捗るように感じる。毒からの回復も少しずつ進んでいるし、暗殺者に対する恐怖だって、もう極端に震え上がるほどではない。むしろ気を抜けばまた狙われるかもしれないが、その警戒心を抱きつつも、私は“どんな状況になっても生き延びる手段”を模索している――そのひとつが男装計画だ。
そして、それから数日後のある朝――マルグリットから新たな連絡が届く。「本日、完成した服をお届けいたします」というのだ。私がその知らせを受け取ったのは、ちょうどエミーが庭の掃除に出かけ、ローザが買い出しチェックに忙殺されている時間帯。何というタイミングの良さだろうか。
「ついに……届くんだ……」
私の心は高鳴る。部屋の扉を開けて侍女の報告を聞き、胸の奥がじわじわと熱くなるのを感じる。あの男の子スタイルの服――それも、私の要望を最大限に聞き入れてくれた“ほぼ少年服”。エミーとローザが同時不在とまではいかないが、二人とも手が離せず私を見張る余裕がないこの瞬間は、まさに“ベストタイミング”かもしれない。
ほどなくして、マルグリットの店のスタッフらしき若い女性が大きな包みを抱えてやってきた。マルグリット本人は別の仕事で来られないらしいが、伝言を預かっているとのこと。「リアンナ様のご希望通りに仕上げました。ぜひ一度、落ち着いたら着てみてください」とのことだ。私はドキドキしながら、包みを受け取る。
「えっと……ありがとう。後でマルグリットさんにお礼伝えてね?」
「かしこまりました。では、失礼いたします」
スタッフが去り、私は一人きりで包みを見つめる。大きな布に包まれたそれは、確かに“パンツスタイル”の上下。もう時間もあまりないから、今すぐ着るには侍女たちの目が気になる。エミーやローザが戻ってくる前にチラリと試着する選択肢もあるが、万が一途中で見つかったら怪しまれるだろう。
(慌てて着るよりは……夜になって、みんなが落ち着いて寝静まった後にこっそり試すほうがいいかもしれない。)
そう考えると、胸が高鳴って仕方ない。実際にこれを身に纏えば、女の子のドレス姿から解放され、前世で馴染み深かった“ズボン”という衣服の自由さを体感できるのだ。さらに仕立屋がこだわってくれたシルエットや色使い――私が鏡の前でどんな感情を抱くだろう。ワクワクが止まらない。
私はそっと布包みを抱え、部屋の隅に隠しておく。焦って今すぐに開いて騒ぎになるのは避けたいし、“このまま今日は開かずに終わる”というのももったいない。夜、更けてからこっそり広げるのがベストだろう。
(ドキドキする。なんだか子どものイタズラみたい。でもいいの。私、女の子扱いに押し潰されそうだったし、暗殺の危険に何もできないままは嫌だし……。まずはこの服を味方につけて、一歩踏み出すんだ。)
自分自身を納得させるように深呼吸をして、布包みをギュッと抱きしめる。明らかに女の子用ドレスとは違う質感――パンツやジャケット系のしっかりした生地だ。まるで少年用の制服のような手触り。手のひらで確かめるたび、体内が震えるような感覚に襲われるのだ。
まさに「ここからが本番」というところで、私はふと時計を見やり、大慌てで包みを隠す。廊下からローザらしき足音が近づいてくるからだ。
――そう、いま私はまだ何も着ていないし、ただ受け取っただけ。試着はしていない。けれど、これで十分。“服が届いた”という事実こそが、私の計画の礎になる。着るのはもう少し後、夜がいい。周囲が寝静まれば、誰にも干渉されずにこの服を味わえるはず……。
(そうだ……もう少しあとで……私が一人になったときに、そっと袖を通してみよう。あの仮縫いで感じた解放感をもっと味わいたい……)
期待に胸をふくらませながら、私は部屋の扉へ向かい、ローザの出迎えをする。まだ試着前だけれど、心の中は高揚感で満ちている。もしこの服を着た私を鏡が映したら、どんな姿になるのだろうか。女の子の身体でありながら“少年”という見た目を手にする――想像するだけで頬が熱くなる。
もちろん、この服をどう使うかはまだ秘密だ。男装して外へ出るのは先の話だし、計画がバレれば周囲に全力で止められるかもしれない。だが、いまはそのことを気にせず“自分の新しい一面”を探す権利くらいあるだろう。この世界で生き残るための選択肢を広げるのだ。
――そんな決意を胸に秘めながら、私は視線を落とし、足元に隠した布の包みを一瞥する。ローザの軽やかなノックが扉の向こうで響く。声を出して「はい」と応じるころには、私は落ち着いた笑みを浮かべていた。
(服はもう届いた。あとは夜になったら……ゆっくり着てみよう。)
騒がしい日常に戻る前の、束の間の静寂。私はそこで“初めて着る服”への高ぶりを抑えきれないまま、心の中でつぶやく――この先、思っていた以上に困難が待ち受けているかもしれない。でも大丈夫、私にはもう一つの姿があるのだから。
そう、女の子としての身体でありながら、前世で男だった自分を思い出させる装い。これが“当主”を守る盾になり、私を未知の世界へ踏み出す足がかりになると信じたい。
まだ手を通してはいないけれど、その服こそが私の小さな革命――私の進むべき道を切り開く鍵なのだ。
――そう思いながら、私はドアを開け、ローザと顔を合わせる。彼女は「リア、大丈夫? 顔が赤いけど……熱でもある?」と首をかしげるが、私はただ笑みを返すだけ。
(今は何も言わない。夜になったら……この服を着てみよう。)
こうして、男の子の服はまだ袋の中。私は、この世界に着てから、おそらく一番ワクワクしながら、夜を待ったのであった。
前世 日本国 民事訴訟法
249条1項 判決は、その基本となる口頭弁論に関与した裁判官がする。
同2項 裁判官が代わった場合には、当事者は、従前の口頭弁論の結果を陳述しなければならない。
同3項 単独の裁判官が代わった場合又は合議体の裁判官の過半数が代わった場合において、その前に尋問をした証人について、当事者が更に尋問の申出をしたときは、裁判所は、その尋問をしなければならない。
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