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溶けゆく毒と、消えない決意――7歳当主は眠らない③

 静かな闇の底から、意識がゆっくりと浮上していく。最初は音も光も感じられず、ただ全身の疲労が鈍く脈打つだけだった。それがほんの数秒か数分か、もっと長い時間だったのかは分からない。やがて遠くのほうで人の話し声がぼんやり聞こえだし、まぶたの裏に淡い光が差し込んでくる。私はごく小さく唸りながら、重たいまぶたをゆっくりと開けてみた。


 (ここは……医務室、だよね……?)


 視界はまだぼんやりと霞んでいるが、白い壁と淡いランプの光、そして薬草の匂いが鼻をかすめる。この医務室特有の落ち着いた空気に覚えがある。何度か瞬きを繰り返し、ピントを合わせようとすると、ほんの少し視野がクリアになる。自分はベッドに寝かされていて、胸元まで毛布がかけられているらしい。


 「あ……リア、起きたの……?」

 かすれた声が聞こえて、そちらに目を向けると、エミーが顔を覗き込んでいた。彼女の眼差しは涙で濡れているように見える。半分泣き笑いのような表情で、私の目覚めに気づいたらしい。

 続いてローザも駆け寄り、「よかった……リア、ずっと心配してたんだから……」と小さく鼻をすすりながら言う。二人とも、すっかり目が赤い。私のせいでまた泣かせてしまったのかと思うと、胸が痛むが、今はうまく言葉にならない。


 「あ……ぁ……」

 声を出そうとしても喉が酷く痛み、ガラガラとしたかすれ声しか出ない。毒が体を蝕んだのか、嘔吐しすぎたのか――とにかく声帯に負担がかかったことだけは確かだ。


 「大丈夫、話そうとしなくていいよ」

 エミーがそう言って、優しく私の腕を撫でる。彼女の手はほんのりと温かいが、手の震えから大きな緊張や不安を感じる。視線を動かすと、ローザだけでなくベアトリーチェやボリスの姿も少し離れたところに見えた。どうやら皆、私の容態を見守っていたらしい。


 「ちょっと落ち着いたのね。よかった……」

 ベアトリーチェが安堵の笑みを浮かべる。ボリスも頷き、「急に発作を起こした後、長く眠っていました。医師によると、まだ完全に解毒できたわけではないが、危機は脱したとのこと」と静かな声で説明してくれる。


 (そう……危機は脱した……。じゃあ、私はまだ生きてるってことか……)


 心の中でほっと安堵する一方、相変わらず体中に残る痛みと疲労に、満足に身動きできない。手足が鉛のように重く、ひとつひとつの筋肉が張り詰めたままになっているような感覚だ。


 「ほとんど動けない……」

 ようやく言葉を紡ぐが、声はほとんど聞き取れないほどか細い。するとエミーが「うん……まだ毒の影響が残ってるし、嘔吐と痙攣で体力を消耗したからね」と答える。続いてローザが布にくるんだ柔らかそうなパックを取り出し、「薬草から作った特製のおかゆ……。少しずつなら口に入れられると思う」と、遠慮がちに差し出してくれた。


 「……食べられる……かな……?」

 内臓を握り潰されるような痛みは確かに和らいだが、まだ胃や喉にズキズキとした痛みが走る。とはいえ、何も口にしないでいれば回復は見込めないのだろう。私は意を決して頷き、ローザがスプーンで少量をすくって口もとへ運ぶのを待つ。


 とろりとした液状のものが舌先に触れる。ハーブの香りが強めだが、苦すぎないように何か甘みが加えられているらしい。すこし生薬っぽい風味にむせそうになるが、我慢して飲み込む。思ったよりも胃が拒否しないので安心したが、痛みがないわけではなく、飲み込むたびに喉から胃へじんわりと苦しさが広がる。


 「う……ぅ……」

 再び嘔吐感が襲うかと身構えたが、数秒耐えているうちに、それはなんとか治まった。エミーとローザは固唾を飲んで私を見守っており、吐き戻さないのを見て少し安堵の表情を浮かべる。私もほっと息をつき、「も、もう少し……食べる……」と頼む。これまで胃に何も残らなかったから、できるだけ栄養を摂らないと、この先の回復もおぼつかないだろう。


 ほんの少しずつ、合計でスプーン三杯ほど口にしては、息を整える。痛みはあるものの、我慢できないほどではないし、吐くほどの激痛は消えているようだ。まだ汗がにじみ出るが、致命的な発作の波は越えた――そんな手応えが微かにある。


 ベアトリーチェがそっと近づき、「どうやら落ち着いたようですね。医師が“あと数日は安静にすれば大丈夫だろう”と言っていました」と柔らかい声で告げる。その口調に少しホッとしたが、頭に引っかかる疑問がある。私は唇を震わせて、なるべくはっきり話そうと努力した。


 「……原因は……本当に、ラズィーナ……なの……? なぜ、そんな……毒……」

 声がまだ掠れているが、どうしても知りたい。だって、私はあれを見たとき“贈り物の一環”だとエミーたちが言っていたし、現にこの国でも割と流行している果実と聞いたことがある。なのに、あんな猛毒とも言える効果を引き起こすなんて普通じゃない。


 ベアトリーチェは困ったような視線でボリスを見やり、ボリスは低く息を吐いてから私に向き直った。「本当はもう少し回復してからのほうがいいと思いましたが……リアンナ様が、今、知りたいと仰るのであれば、説明いたしましょう。うん、その方がいいと思います。」と頷く。


 私は弱々しく頷き返す。正直、痛みや疲れは抜けていないが、頭はある程度クリアだ。ここで曖昧にされてしまうと、また同じことが起こらないとも限らない。今こそきちんと真実を把握しておきたい。


 「結論として、やはりラズィーナ自体に“毒”が仕込まれていた。しかも、ごく最近に混入された形跡があり、フローレスク家は関与していない可能性が高い。そもそも彼らはラズィーナを栽培していないし、『そんなものを送った覚えはない』と明言している」

 ボリスが淡々と話す。続いてベアトリーチェが引き継ぐように口を開いた。「どうやら、途中の運搬ルートで混入が行われたと思われます。大勢の業者が仲介しますので、チャンスはあったのでしょう。」

 ボリスが付け加える。「本来、当家に入る前に、確認はするのですが、今回は、付き合いのあるフローレスク家のもの、しかも、普段から食べ物を贈ってこないので、担当者が『フローレスク家のものは外見だけ簡単に調べればいい』と考えて、検査をすり抜けたようです。」


 「そ、そんなこと……」

 私は思わず息を呑む。わざわざ途中で毒入りの果実を紛れ込ませるなんて、手がこんでいるというか、悪質すぎる。しかも子どもの私を狙った可能性が高い。それだけ当主の座を奪うことに価値があるということだろうか。


 「犯人はまだ断定はできませんが、過去の事例を考えると、ラグレン家か、その関係する勢力の関与が高いです。そして、ラグレン家は、家の相続争いで似た毒を使ったことがあると噂されている」

 ボリスが鋭い眼差しを向けながら言う。私は頭の中で、前の暗殺未遂や様々な噂話を思い出す。やはり、“領土を奪おうとする勢力”――ラグレン家――が関わっている可能性が高いのだろう。いま名前を聞くだけでも身の毛がよだつ。


 (子どもの私を殺そうとするなんて……。領地を得るためなら手段を選ばないのか……?)


 恐怖と同時に強い嫌悪感がこみ上げる。前世でも、戦争や権力闘争で子どもが犠牲になる歴史を学んだことがある。理不尽に命を奪われる子どもたちの悲惨な記録を目にし、胸が痛んだ記憶がある。ここも同じなのだ。殺意を持った相手にとっては、私は単なる“障害”であり、手段として殺人を選ぶのを厭わないということ。


 (前世の日本の法律でいえば、殺人よりも強盗殺人ってとてつもなく重い罪だったよな……)


 ぼんやりした頭の中で、そんなことを思い出す。“人殺し自体が重罪”なのは当然だが、“領土や財産を狙うための殺人”はさらに悪質だ。前世日本でいえば、殺人よりも殺人を手段にして強盗する強盗殺人は死刑や無期懲役のみが法定刑の非常に重い部類の犯罪だ。怪我をさせる強盗傷害ですら、殺人罪に匹敵する刑罰が定められている。

ここでは、財産だけではなく、権力を得るための殺人を企む人がいるのか……暗殺という手段が存在し続けている現実に寒気がする。


 「ごめんなさい……ごめんなさい……あのとき止めておけば……」

 急にローザが泣き崩れるように謝罪し始めた。どうやら「ラズィーナを食べようとしたとき、もっと強く止めればよかった」と自責しているらしい。エミーも涙をこらえきれず、「私も、もっと注意して、止めるべきだった……」と声を詰まらせている。


 「いえ、ローザたちは悪くないですし、検査した人間にも、そう落ち度があったとは言い難いでしょう。」

 ボリスが厳かに断言する。「あれほど巧妙に仕込まれた毒であれば、普通の検査では分からなかったでしょう。しかも“ただの流行の果物”に見せかけたのですから。あなた方も責められる筋合いはありませんよ」


 ベアトリーチェも同意し、「そうです。むしろ私たちがもっと安全対策を強化するべきでした。贈り物だって油断できないという認識が足りなかった」と唇を噛む。エミーとローザはまだ涙を浮かべて「でも……」と繰り返すが、私のほうこそ、そんな責任を彼女たちに負わせたくはない。私が好奇心を抑えられず「あの果実を食べたい」と言ったのも事実だし……。


 「……二人のせいじゃない……。あれは……誰にも分からなかったはず……」

 私は掠れた声でなんとかそう告げる。喉が痛くてうまく喋れないが、少しでも伝えたい。この毒の被害に関して、エミーとローザが自責するのは辛い。それより、私は彼女たちに感謝こそすれ責める気持ちは一切ないのだ。


 すると二人はハッとしたように顔を上げ、涙目で私を見つめてくる。私は精一杯の笑みを浮かべたつもりだが、うまく表情がつくれない。でも、手を差し伸べると彼女たちが優しく握り返してくれ、目には安堵の色が混ざっていく。


 「……ありがとう、リア。あなたにそんな言葉をかけられるなんて……余計に申し訳ないわ……」

 ローザがまた少し泣きそうになる。エミーも手を握ったまま「リアは何も悪くないのに、こんな……」と唇を噛む。私の胸がちくりと痛むが、何より今は、共に生き延びてまた顔を見合わせられることに安堵を感じる。


 それから私の体調を見極めるため、医師と魔術師が改めて検査を行い、最低限の治療行為を施していく。「まだ安静が必要ですが、命に別状はなさそうです。毒が身体の各所に回りかけていましたが、魔力による除去と自然治癒力で何とか食い止めることができました」と医師が説明する。私はその言葉に、ようやく自分が“本当に死を免れた”と実感して、ほろりと涙がこぼれた。前世でも体験したことがないほどの恐怖と苦痛をくぐり抜け、なんとかここに生きている。


 「リアンナ様の安全面からして、医務室も警戒を強化していましたが、やはり自室のほうが落ち着くと思われます。近くの部屋に護衛を配置しますので、移動してもよろしいですか?」

 ベアトリーチェが不安げに尋ねてくる。どうやら医務室は他の人も運び込まれることがある場所なので、セキュリティ面では完全とは言い難いらしい。安全確保のため、私専用の自室で療養したほうがいいということだ。私は寝床を移すのも正直しんどいが、変に医務室に拘泥する理由はない。


 「うん……自分の部屋に戻って……少し休みたい……」

 か細い声でそう言うと、エミーとローザが顔を見合わせ、「じゃあ私たちが支えながら移動しましょう。歩くのも辛いだろうから、椅子に乗せてもらう? あるいはボリスさんたちが抱きかかえて……?」と相談を始める。


 正直、抱えられるのは少し恥ずかしいが、今は7歳の子どもであり、体力がほとんど残っていない状況だ。前世の男としてのプライドなど言ってる場合じゃない。結局、私はボリスの部下二人が持ってきた小さな担架のような椅子に乗せられ、そろりそろりと廊下を運ばれていく。


 廊下は静かだが、要所要所に警備兵が立っており、以前より物々しい雰囲気を醸している。まるでまた暗殺未遂が起きるのではと警戒しているのだろう。そんな緊迫感を肌で感じつつ、私は椅子に身を預け、エミーとローザがそばで付き添ってくれている安心感を得ながら、自室へと戻った。


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