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6歳の領主が知る世界──手紙と不穏な隣国の影③

 エミーとローザに誘われ、私は小さなサロンへと足を運んだ。柔らかな午後の光が窓から差し込む部屋の中央には、丸いテーブルが置かれ、その上には花柄のクロスと小さなティーセットが並んでいる。ごく普通の屋敷内の一角なのに、こうしてティータイムの支度を整えるだけで“ほんのり優雅”な空気が漂うのだから不思議だ。

 (といっても、私にはまだ敷居が高い感じだけど……)


 あれだけ手紙を読んで少し疲れたとはいえ、6歳の体は昼寝を挟むほどではない。けれど体力は大人に比べてかなり少ないし、集中を使い果たすと短時間でもぐったりしてしまう。そんな状態を見越して、エミーたちが休息の場を用意してくれたのだろう。先ほどのお菓子で心が温まったとはいえ、こうして改めて“ティータイム”を迎えるのは、なんとも気恥ずかしい。


 「リア、ここに座って。今日はあまり長くしないから、軽くお茶を飲んだら横になってもいいんだよ」

 エミーが私の椅子を引いてくれる。私は「ありがとう……」とおとなしく腰を下ろす。ワンピースの裾がふわりと揺れ、レースのついた袖口が視界の端をくすぐる。前世では絶対に着なかった類の服だが、だんだん慣れてきている自分もいるのが不思議だった。とはいえ、心の奥にある“男としてのプライド”がまだ完全には納得していない感じがする。


 「今日はローザと手分けして、簡単なスコーンを焼いてみたの。バターやジャムを塗ればさらに美味しいし、リアでも食べやすいと思うよ」

 テーブルに小皿が置かれ、ふわふわのスコーンが並ぶ。甘く香ばしい香りに、思わず幼い体が「わぁ」と歓喜しそうになるが、前世の意識が「また甘いのか……」と苦笑する。結局、この“二つの感情”が交錯するのがいつものパターンだ。

 「……いただきます」


 お辞儀をするように小さく頭を下げ、スコーンを手に取る。一口かじると、ほんのり甘い生地の風味が口に広がって思わず頬がゆるむ。目の前にあるのは子ども向けサイズのティーカップで、以前ほど扱いに戸惑うことはなくなってきた。少しずつ“女の子のマナー”にも馴染んでいる証拠だろうが、その事実がやけにむず痒い。


 「ねえ、リア。さっきボリスさんやベアトリーチェ様と話したでしょ? ラグレン家のこと、何か言ってた?」

 スコーンをおかわりしながら、ローザが軽い調子で尋ねてくる。私は思わず言葉に詰まったが、頬張ったスコーンを飲み込んでから答える。

 「うん……村で不審者の目撃情報があるとか、詳しい確認をするって話をしてた。大騒ぎにはしたくないみたいだけど、警戒は強める、みたいな……そんな感じ」


 ローザは少しうなずいて、「そうよね。いきなり正体不明の連中を取り締まるのは難しいけど、だからって放置もできない。バランスが難しいって、ベアトリーチェ様も頭を悩ませてたわ」と続けた。隣でエミーも同意している。

 「……私も何か手伝えると思うんだけど、やっぱり外に出られないし、体力もないし……。書簡の仕分けとか、そういうことしかできないのかな」


 誰にともなく呟いた言葉に、エミーが小さな笑みを浮かべて「リアは十分頑張ってるよ」と声をかける。ローザも「そうそう、手紙を読んで必要な情報をまとめるだけでも大したものだよ」と続ける。気遣い混じりの励ましと分かっていても、心が少し救われるのを感じる。幼児だから仕方ないのかもしれないが、この温かい環境に甘えている自分が、またどこか申し訳なくもある。


 「それと、リアの体、大丈夫?」

 ローザが念押しするように尋ねるので、私は「うん……大丈夫。ちょっと足が重いけど、痛いわけじゃないし」と答える。本当はもう少し動けるんじゃないかと思うが、下手に無茶するとエミーやローザが心配しすぎるので自制せざるを得ない。


 スコーンを食べ終え、ハーブティーをひと口飲む。いつの間にか、頭がほんのり軽くなってきた気がする。甘いものの効果か、それともこの“お嬢様風ティータイム”に心がほぐされているのか……前世だったら考えられないが、6歳の身体は素直に反応するらしい。

 (でも、前世にこだわってばかりいてもしょうがないってことか……。どこかで割り切る必要があるのかな)


 そんなことを考えていると、エミーが「ほら、クリームもあるから塗ってみる?」と微笑み、ローザが「もう一枚スコーンどう?」とおかわりを差し出す。私は「う、うん……」と言いつつ戸惑う。前世なら甘いものをたくさん食べるなんてほとんどなかったのに、この体だとやけに“甘さ”が嬉しく思えてしまう。

 (これは、女の子になったからじゃなくて、子どもだから……だよね? いや、どっちにしろ同じか)


 苦笑しながら、追加のスコーンを受け取り、口に運ぶ。さくりとした食感とクリームのまろやかさに舌が喜ぶのが分かる。“美味しい”と感じられること自体はいいことだが、そのたびに前世の自分から「お前、そんなに甘いもの好きだったか?」という冷ややかな声が聞こえる気がして落ち着かない。


 「ふふ、リア、すっかりスコーンに夢中?」

 ローザがクスクス笑い、それを見たエミーも小さく肩を震わせる。彼女たちにとっては“可愛い幼女が楽しそうにお菓子を食べている”微笑ましい光景なのだろうが、私としては複雑。

 「べ、別に夢中ってわけじゃ……。でも美味しいから……」

 不器用な言い方になってしまう。前世の自分ならもう少しクールに振る舞えたはずだが、いまの幼い声と小さな体が邪魔をして「照れた子ども」のように見えているのだろう。


 そうこうしているうちに、ティータイムは一段落。温かい飲み物と甘いスコーンで、体力も気力も少し回復した気がする。大人のプライドを持つ自分をちくちく刺激するが、これがいまの“女の子としての身体”なのだろう。

 「ごちそうさま……少し落ち着いたよ」

 私が小さく頭を下げると、エミーは笑顔で「よかった」と答え、ローザも「また疲れたら言ってね」と応じる。


 サロンを出たところで、時間を確認すると、まだ夕方には早い。どうやら今日は特に大きな用事もないらしい。私が部屋に戻って読書をするか、少し勉強をするか、あるいはまた手紙の仕分けを少しだけ続けるか――そのあたりは自由だ。だが、心の中では「まだ身体が幼いし、無理してもしょうがない」という思いと、「役に立ちたい、もっと知りたい」という衝動が渦巻いている。

 (もうちょっとだけ、頑張ろうかな……? でも無理して倒れちゃ意味ないし……)


 迷いつつ廊下を歩いていると、背後から声がかかった。

 「リアンナ様、先ほどの書簡の続きをどうされますか? まだ少し残っていますが……」

 侍女のひとりが、手紙の束を抱えて尋ねてくる。私の胸はドキリと高まった。

 「うん……そうだね、ちょっとだけ続けたい。もう少し読んで領民の状況を知りたいから……」

 思わずそう答えていた。エミーやローザが「大丈夫? 疲れてない?」と心配顔を向けてくるが、私は「少しだけなら平気。もし体がしんどくなったらすぐやめるから」と笑ってみせる。


 前世なら、こうした事務処理は苦にならなかった。まだ6歳の身体だから集中力には限界があるけれど、せめてあと一時間くらいは頑張れるかもしれない。最近、読み書きの速度も上がってきたし、“手紙を仕分ける作業”は意外と楽しいと思う部分もあるのだ。何より、これが今の私にとって“外の世界”と繋がる手段――そう考えると、少しくらい無理をしたくなる気持ちも理解してほしい。


 エミーとローザは顔を見合わせ、「じゃあ私たちも手伝うよ。無理はだめだからね」と言ってくれた。大人たちには到底及ばないだろうが、せめて一通でも多くの声に触れてみたい。その中から、ラグレン家の新たな情報や、領民の困りごと、あるいは私にできることのヒントが見つかるかもしれない。

 (この女の子の身体で、しかも屋敷に閉じこもったまま。それでも、私は当主なんだから、少しでも前に進みたい)


 そう決意し、手紙の束を受け取って廊下の奥へ向かう。侍女が用意した小さな机と椅子に向かい、エミーとローザが机の周囲を整えてくれる。ドレスではなくワンピースだから動きやすいし、ティータイムでリラックスしたおかげで頭もスッキリ。

 「さて……どんな手紙が来てるのかな」


 ゆっくり椅子に腰を下ろして、新たな手紙の封を開ける。そこには、「最近、村の治安が不安」「ラグレンの連中が出没」という言葉がちらほら。やはりラグレン家に関する記述が増えている印象だ。以前より領民が“ラグレン家”を意識し始めているのかもしれない。もちろん、ただの噂話に過ぎない可能性もあるが、暗殺未遂の事件があった今、疑ってかかるしかないのが現実だろう。


 (早く決着がついて安心できるようになればいいのに……でも、そう簡単にはいかないか)


 手紙を一通ずつ整理し、気になるワードをメモする。いつの間にか、私の心は集中モードに入りかけていた。6歳の子どもの体とは思えないほどの熱量で読み進めてしまうあたり、やはり前世の仕事感覚が残っているのだろう。

 エミーとローザが驚いたように「リア、すごいスピード……でも、無理しないでね?」と何度も声をかけるが、私は「うん、分かってる」と答えつつ手を止められない。どこかテンションが上がっている自分がいる。


 (外に出られない、女の子の体で何もできない――そんな無力感はいやだ。せめて、ここで情報を取り込んで力を蓄えたい。……前世でも、こうやって書類の山を処理してたな。なんだか懐かしい)


 そんな回想に浸りつつ、読み進める手紙の中には「領主様に感謝」「御領主様は6歳くらいのお嬢様とのことですが、お健やかにしていらっしゃいますでしょうか?」といった優しい言葉もあって、心があたたかくなる。

 (ありがたいけど、“お嬢様”って……やっぱりまだ慣れないな。私が“女の子の領主”だなんて……)


 戸惑い混じりに読み続けていると、またしても眠気や疲労が蓄積してきたのを感じる。文字を追いかけるのは意外と体力を使うのだ。頭がぼんやりとして、思考がまとまりづらくなる。

 「リア、そろそろ限界じゃない? 顔色がよくないよ」

 隣で様子を見ていたエミーが心配そうに声をかける。ローザも「そうだね……もうやめたほうがいいかも。あまり無理すると倒れちゃうよ」と言った。


 たしかに手が震えかけてきたし、文字がかすんで見える。ここまでか……と、悔しいけれど仕方ない。私は小さく息を吐いて「……分かった。もうやめる……」と呟く。

 エミーが机から手紙の束をすっと引き離して、「よし、あとは私たちがやっておくから、リアはベッドで休もう」と微笑む。ローザも頷いて「また明日でもいいし、焦らなくても大丈夫」と安心させるように言う。


 「……うん。ごめんね、途中で放り出しちゃって」

 情けない気持ちと安堵感が入り混じるなか、私はふらつく足取りで机を離れ、エミーたちに支えられて部屋へ向かう。

 (やっぱり、6歳児の体では一日中作業は無理か……でも少しずつ慣れていくしかない)


 部屋へ戻ると、柔らかなベッドがやけに恋しく感じた。幼い身体が無理をするとすぐ眠気が襲ってくるという事実が憎たらしい半面、“このまま休んでもいいや”と甘えたくなる気分も湧いてくる。結局、前世ならあれこれ頭を張り巡らせて動いていたのに、いまはこうしてシーツに沈むだけで精一杯――そんな自分に苛立ちつつも、安らぎを感じるという矛盾がたまらない。


 「リア、布団かけるね。ゆっくり休んで。夕食までまだ少しあるから、時間を気にしなくていいよ」

 エミーの優しい声が耳元に響く。ローザも「気が向いたら呼んでね。お茶でも持ってくるから」と声をかけてくれる。

 私は布団の中で「うん……ありがとう……」と小さく呟く。まぶたがだんだん重くなってきて、意識が薄れていくのが分かる。こんなふうに“甘やかされる”ことにまだ抵抗はあるけれど、体は幼く正直だ。


 (いつか、強くなれるかな……こんな女の子の体でも、もっと自分らしく領地を支えられるようになれるのかな)


 思考がぼんやりとして、前世と現世が混ざり合うような感覚に陥る。ラグレン家の脅威、領民の困りごと、そして“女の子”であることへの違和感――課題は山積み。でも、当主として責任を果たしたい気持ちと、この身体ならではの感受性や可愛さを受け入れる気持ちも、少しずつ芽生えている。それらが相反するというわけではないのだろう。

 (焦らなくていい……まだ6歳だから。前世の頃と比べて、一度子どもに戻ったんだもの。時間はあるし、無理は禁物……)


 そんな自分への言い聞かせをしながら、私は布団の中で瞳を閉じる。寝息がゆるやかに深くなるにつれ、頭の中ではうっすらとラグレン家の暗いイメージが浮かんでは消える。もし彼らが本格的に動いてくるなら、そのとき私はどうするのだろう。幼い女の子でいるだけでは済まされない場面がきっと来る。

 けれど、いまは考えすぎても仕方ない。まずは体を休めなくては、次の一歩を踏み出す余力も生まれない。


 ――こうして、私は静かな昼下がりの空気の中でまどろみへと落ちていった。いつか、本当に屋敷の外へ出て、暗殺の恐怖やラグレン家の脅威を乗り越えられるときが来るのか。まだ誰にも分からない。だが、6歳の“女の子”として、少しずつ領地の現状を知り、当主としての意識を育むこの日々は、決して無駄ではないはず……。

 布団の柔らかさが、私の小さな身体をそっと包み、前世の男としての名残を抱える心をもまるごと受け止める。そんな不思議な“子どもライフ”に戸惑いながらも、やがて軽い眠りが訪れ、薄暗い部屋にはかすかな寝息だけが響いていた。


 (いつか、本当に自分の道を見つけるために……もっと成長したい。女の子としても、当主としても――前世の自分に恥じないように……)


 そう願う想いが、まどろみの中に溶けていく。ラグレン家の脅威はまだ遠くで蠢いているが、いまは一歩ずつ進むしかない。ほんのわずかながら手紙の仕分けで領民に貢献できたという実感が、私の背中をそっと押してくれる。やがて訪れる夕食のあとには、また明日が続く――いつか、この違和感とも上手く付き合えるようになる日が来るかもしれないと信じて。


 ——六歳の伯爵家当主は、まだ眠りの途中。けれど、一歩ずつ成長を重ねながら、ラグレン家の影を照らす光になれるのかもしれない。外に出られない館の中で紡がれる小さな物語は、いま静かに深い眠りと共に幕を下ろす。


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