5歳の優雅と違和感──お嬢さまマナーに戸惑う日常③
夕食までにはまだ少し時間がある。けれども、私はあのままソファでじっとしているのが落ち着かず、気づけば屋敷の廊下を一人で歩いていた。ドレスも脱ぎ、足に大きな痛みは感じない。ごくゆっくりとした歩幅だけれど、部屋の外に出て数メートル進むだけでも、空気の入れ替えみたいに心がリフレッシュされる。
薄暗いランプがともる廊下を、ぽつぽつと足音を立てて歩く。大人が聞けばかすかな音だろうけれど、私の耳にはやけに響いて感じられる。5歳の身体はまだ小さいし、手足の動きも幼いままだ。けれど、最近は、自由に色々と動けている。
(さっきの“ティータイム講座”は、やっぱり恥ずかしかったな……。あれを“楽しい”と思うには、もう少し慣れが必要かもしれない)
そう頭の中でぼんやり振り返りながら、私は足元を見つめる。ドレスを着ていない今、ワンピースではなく普段着の部屋着に戻っただけで、こんなにも身軽になるとは――フリフリのスカートやレースの袖がないだけで、気分が解放される。
前世の男性意識が「そうだ、これが落ち着くんだよ……」と主張してくるが、なぜか同時に「あの可愛いお菓子や華やかな空間も悪くなかったな」という小さな声も聞こえるから、ますます混乱してしまう。
(あのドレス、思ったより動きやすかったし……慣れれば、ちょっとはラクに楽しめるのかな……。だけど、女の子らしいポーズとかマナーとか、ああいうのは正直まだ抵抗ある)
廊下を曲がり、使用人が行き交う広間の端まで来ると、料理のいい匂いが漂ってきた。夕飯に向けて厨房が忙しく動いているのだろう。いま私は5歳児。さっきまでお菓子を食べていても、やはりこの年齢の体はすぐお腹が空く。
自然と「あー、ちょっとお腹すいたかも……」という感覚がわき上がり、思わず苦笑する。前世なら「食べすぎ注意」とか考えていたけれど、今は「いっぱい食べて大きくなれ」と周囲が勧めてくれる立場だ。
「リアンナ様、散歩ですか?」
不意に声をかけられ、振り返ると、そこには侍女長ベアトリーチェがいた。書類を片手にして、少し急ぎ足で歩いていたようだ。30代の落ち着きある彼女は、私の保護者的存在でもある。
「こんばんは、ベアトリーチェ。ちょっと歩いてた……。あ、でも邪魔だった?」
私は少し遠慮がちに尋ねる。すると彼女は微笑みながら首を振った。
「いいえ、邪魔だなんてとんでもない。むしろ、今日のティータイム講座、お疲れさまでした。短時間でしたが、リアンナ様が意外とスムーズにカップを持てていたので驚きましたよ」
ベアトリーチェの言葉に、私は「あ……あんなもので良かったのかな……」と肩をすくめる。
「もちろん最初はぎこちなくて当然です。でも、あれだけ落ち着いていられるのは大したものですよ。まだ5歳ですし、普通はもっとドタバタするものなんです」
その評価を聞いて、私は複雑な気持ちになる。嬉しい反面、やはり「5歳児なのに、こんなことができるなんて」という扱いである以上、“子ども”としての制約からは逃れられない。前世の大人としては「これくらい大したことないよ」と言いたくなるのだが、身体が幼い以上、どうしても周囲の対応は変わらない。
「……ありがとう。でも、もう少し上手にならないといけないのかな……ドレス着たりするのは、まだ抵抗あるんだけど……」
気づけば、そんな本音をポツリと漏らしていた。ベアトリーチェは穏やかな目を向けながら、「ドレスが苦手、ということですね?」と優しく確認する。
私は少し躊躇いつつも、「うん……」と頷く。
「えっと、恥ずかしいっていうか……前に仕立ててもらったあのピンク色のドレス、すごく可愛いけど、あんまり私に合ってる気がしなくて……」
言葉を探しながら話すしかない。まさか「前世は男だった」とは言えないし、ただ“性格的にフリフリが苦手”で通すしかないのだろう。
ベアトリーチェは意外なほど深く頷き、「なるほど……そうですね。ドレスの好みは人それぞれですから、あまり無理強いするわけにもいきません。ただ、女の子として“華やかな場”に出るときは、どうしても必要になる場合もあるんです」と 語る。
「ですが、いまはそこまで急ぎませんよ。ティータイム講座も短めにしているのは、そのためです。無理やり詰め込んでもリアンナ様が疲れるだけでしょう?」
言われてみれば、確かに今日のレッスンも短い時間で切り上げられた。以前の私なら「もっとやれそう」と思っていたかもしれないが、実際には想像以上にヘトヘトになった。ベアトリーチェは私の体力や気持ちに配慮してくれているのだろう。
「……そう、だね。ありがとう。べつにドレス全部が嫌いじゃないし、最初より動きやすくなってたし……」
正直にそう言葉を紡ぎながら、(ああ、ちょっと慣れ始めてる自分がいるな……)とも思う。5歳児の身体には、ピンクのフリフリが思いのほか映えるし、甘いお菓子との組み合わせも絵になる。そんな光景を客観視したら、まさしく“お嬢様のティータイム”にしか見えないだろう。
「焦らなくて大丈夫ですよ。リアンナ様はまだ5歳。これから先、もう少しずついろいろ経験して、好きなものを見つけられるはずです。“ちょっと心地よい”と感じられるものがあれば、それを取り入れたらいいんじゃないかしら」
ベアトリーチェの柔らかな声に、私はどこかホッとする。全力で“女の子らしさ”を押しつけられるのではなく、「合うものを選んでいい」と言われると、少しだけ肩の力が抜ける気がする。
そうこうしているうちに、キッチンのほうからかすかに呼び声が聞こえた。どうやら、使用人たちが「ベアトリーチェ様、こちらへ」と用事を伝えているらしい。彼女は「では、また後で」とにこっと微笑んで去っていった。
私はひとり、廊下に取り残される形となったが、その言葉のおかげで胸のもやもやが少し落ち着いた気がする。
(焦らなくていい……そうだよね。まだ5歳なんだもん。前世の記憶があるとはいえ、いまは“女の子”としてこの世界で生きてるわけで……無理に“男らしく”ある必要もないのかもしれない)
もちろん、自分を女性扱いされることにまだ抵抗はある。少しずつ成長していくうちに、ドレスを着こなし、女の子のしぐさを当たり前にこなすようになったら、前世の男としてのアイデンティティはどうなるのか――その不安は消えない。
けれど、目の前の世界がこうして暖かくて、周囲の人たちが優しく接してくれるのなら、そんなに身構えなくてもいいのかもしれない。無理に拒否してギスギスするより、“合わない部分”は少しずつ調整しながら、できる範囲で受け入れていく。それがいまの私には自然なのかも、とぼんやり思う。
やがて、夕飯の支度が整ったのか、廊下の奥でバタバタと使用人たちが行き交い始める。私は足取りをそちらへ向けようとするが、さすがに一日フル稼働したせいか、また軽い疲労がにじんでいるのを感じる。ふらつかないようにゆっくり歩を進め、そのままダイニングの近くへと移動した。
そこでは、ローザが「リア、夕飯の準備できたよー」と手を振って待っていた。彼女の表情を見ていると、さっきカーテン替えに付き合わせたことを申し訳なく思っているのか、どこか優しい眼差しを向けているように感じる。
実際、私からすれば「いろいろと経験できて良かった」と思っているけれど、5歳児が無理をすると大人のほうが気を遣うのだろう。
「お腹すいた……」
素直にそう洩らすと、ローザがクスクス笑いながら「なら早速座ろうか。今日はスープと、お魚がメインだって」とエスコートしてくれた。私はハイハイ、と頷きながらも頭の片隅で「いや、さっきお菓子を食べたし……」と突っ込みつつ、やはり幼児の身体は正直に食欲を訴えてくる。
軽くテーブルにつき、スープが運ばれてくるのを待っていると、エミーが「今日はリアの好きそうな具材も入ってるから食べやすいと思うよ」と笑顔で教えてくれた。
(甘いものと塩気のあるものを交互に食べるのは、いかにも子どもらしいけど……まあいいか。私は女の子で、しかも5歳なんだから、ここは素直に食べよう)
スプーンを手にして、具だくさんのスープを一口すくって口に運ぶ。野菜の甘みと、ちょっとしたハーブの香りが広がって思わず「おいしい……」と呟きそうになる。前世の大人だったころは、忙しくてインスタント食品や外食で済ませることも多かったから、こうして丁寧に作られた手料理を味わうとホッとする。
周囲を見渡すと、使用人たちも自分のタイミングで晩ごはんをとっているようだ。ボリスやベアトリーチェの姿は見当たらないが、彼らはまだ書類仕事や警備の確認に追われているのだろう。
食事の合間、エミーやローザが何か話しかけてくれるが、私はあまりしゃべる余裕がなく、ほとんど「うん」と相槌を打ちながら食べ進める。幼児の体はすぐに疲れるし、頭が回らないときもある。
それでも、ドレス姿のときほど肩に力は入っていなくて、リラックスした雰囲気で食事を楽しめるのはありがたい。先ほどまであれこれ考えていた“女の子の違和感”も、スープの温かさに溶かされていく感じがする。
やがて、食事が終わると、軽いデザート――甘いヨーグルトのようなものが少しだけ出てきた。私は少し迷いつつも、一口だけ味わって「もうお腹いっぱい……」とスプーンを置く。エミーが「ちゃんと残さず食べたら偉いけど、無理しなくていいよ」と言ってくれ、私はほっと息をつく。
こうして夕飯を済ませると、今度はお風呂の時間。まだ足が完全に治ったわけではないし、湯舟で転倒しないよう、必ずエミーかローザが付き添うのが習慣になっている。これは以前から変わらない――しかし、5歳になったいま、前世の男としては「自分でできるところは自分でしたい」という気持ちも強く、毎回どうしても恥ずかしい思いをする。
「今日は軽く済ませようか? 足も疲れてるだろうし」
そう提案してくれるエミーの表情は優しいが、私としては微妙に複雑だ。先ほどもドレスで“少女感”を強めに意識させられたばかりだし、人に洗われる状況にまだ慣れきれない自分がいる。とはいえ、幼女の体はすぐ汚れやすいし、怪我のケアもあるから仕方ないという理屈もわかる。
(いつか、ちゃんとひとりでお風呂に入れる日が来るんだろうか。)
そんなモヤモヤを抱えつつ、今日はエミーの手を借りて短時間でささっと入浴を済ませた。思った以上に汗をかいていたため、湯船で軽く温まると妙に気持ちが良い。前世で男だったころには味わえなかった“幼児の体を丁寧に洗われる感触”は、正直どこかこそばゆいが、体は正直にリラックスしてしまうのだから困る。
風呂上がり、私はタオルで髪を拭かれながら、ベッドへ向かう。エミーとローザが「今日は色々と頑張ったね」と褒めてくれるが、私としては頑張ったというより“振り回された”感覚のほうが強い。それでも、二人の笑顔を見ていると、それが悪いことでもないと思えてくるから不思議だ。
「エミー、ローザ……ありがとう。えっと、ドレスのこととか、急にやるって言われて戸惑ったけど……ま、楽しかった、よ……」
やや照れくさいが、そんな言葉が自然と出てきた。実際、ティータイムの華やかさは嫌いじゃない。ただ、“女の子らしさ”を意識させられるのがまだ恥ずかしいだけだ。
エミーは「うれしいこと言ってくれるじゃない。また次回もぜひやろうね」と目を輝かせ、ローザも「そうそう、無理しない範囲で少しずつね」とうなずく。私は内心「次回か……」と早くも憂鬱になるが、お菓子が美味しかったのは事実なので、完全否定する気にもなれないのだ。
ベッドに潜りこむと、もう頭がぐわんぐわんしてきて、体がどっしりと重い。5歳児はやはり疲れが出るのが早い。つい数時間前にはドレスでティーカップを持ち、模様替えにも参加したのだから、そりゃ消耗するだろう。
「今日はお疲れさま。ゆっくり寝て、明日も頑張ろうね」
エミーが子守唄のように囁いてくれる。私が「うん……ありがとう……」と返すと、ローザも「明日は計算の復習と、文字の書き取りもやるんだよね。無理しないでね」と付け足した。
暗殺者の危険はまだあるし、屋敷の外には出られない。でも、こうして一日を過ごすだけで学ぶことは多い。ドレスを着て“女の子の所作”を教わること自体、前世なら想像もしなかった。
そして5歳の今、ふわふわの布団に包まれて眠りにつく瞬間、妙に落ち着くのも事実。ドレスやマナーへの抵抗はあるけれど、優しく世話される快適さを拒めるほど強い意志があるわけでもない。
(なんか、少しずつこの“女の子の身体”に慣れちゃってる気がする。それがいいのか悪いのか、わからないけど……。どうせ5歳だし、体の成長に合わせて色々変わっていくもんね……)
思考がそこまでたどり着いたところで、まぶたが重くなっていく。エミーとローザの声が子守唄のように遠のき、意識は眠りの中へと沈んでいく。
――自分が女の子であることの違和感はまだ消えない。しかし、ドレスを着て華やかなティータイムに参加したり、屋敷の模様替えを手伝ったりする日常が、少しずつ“悪くない”と感じられるようになりつつあるのも事実だ。何もかも拒絶して過ごすよりは、周囲の優しさや楽しさを享受してもいいんじゃないかと思い始めている。
(暗殺の危険が解決したら、外の世界にももっと出られるのかな。そのころには、私……もっと女の子っぽくなっちゃってたりして……)
そんな半ば冗談めいた考えを抱きながら、私はフワフワの枕に頭を沈め、ゆっくりと夜の闇へ溶け込んでいく。前世の男だった自分が、こんな風に“女の子の生活”に微妙に楽しさを見つける日が来るなんて、皮肉というか、運命の悪戯というか……まだ上手く割り切れないけれど、抗いきれない潮流を感じるのも事実。
――いつか、このちぐはぐな気持ちに答えが出る時が来るのだろうか。少なくとも今は、周りの人たちの優しさや、甘いお菓子、そしてレースとフリルのドレスが無理なく受け入れられる程度に慣れるまでは、もう少し時間が必要かもしれない。
でも、今日の小さなティータイム講座やカーテン交換の作業を思うと、“女の子としての日常”も悪くない――そう思わせてくれる小さな幸せが、確かにあった。ほんの少し幼い胸が、何かポカポカしたもので満たされている気がするのだ。
そうして意識が限界に近づき、エミーとローザのやわらかな見送りの言葉に包まれながら、私はスヤスヤと寝息を立て始める。
部屋には新しいカーテン越しの月明かりが、うっすらと差し込んでいる。レースのドレスはハンガーにかけられて、私のいないところで静かに揺れているかもしれない。いつかあれをまた着る時が来るだろう。
――そのとき私は、いまよりもほんの少し“女の子”に近づいているのかもしれない。それが少し怖くもあり、ワクワクもする。どこか甘美な夢を見そうな気配を感じながら、私は完全に眠りの世界へ落ちていった。
明日が来ればまた勉強だ。計算に文字の練習。体力が許せば、ちょっとしたリハビリも続けていきたい。それらの合間に、あの“女の子のティータイム”の復習をするのかも……想像するだけで少しドキドキするけれど、嫌悪感ばかりでもない不思議な感情が胸を揺らす。
自分が女の子であることにまだ抵抗はあるし、前世の記憶も払拭できないけれど、“伯爵家の令嬢(より正確には当主)”としての日々が動き出しているのを感じる。
――そしてこの夜、カーテン越しの月が屋敷を照らす中、私は安らかな寝息のなかで、そのちぐはぐな生活をほんの少しだけ許容できた自分を感じ取りながら、静かに朝を待ち続けるのだった。
【作者からのお願い】
もし、「おもしろい」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマーク登録をしていただけるとうれしいです。
また、☆で評価していただければ大変うれしいです。
皆様の応援を励みにして頑張りますので、よろしくお願い致します!




