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死んだ弁護士、異世界でよちよちスタート!?③

 目を覚ますと、相変わらず私は赤ん坊の姿だった。

 ――いや、目を覚ましたと言っても、赤ん坊なので“はっきり意識が覚醒する”というよりは、何となく寝ていた意識がぼんやり浮かんできた感覚に近い。朝とか夜とかの区別もないし、なんだかよく分からないまま、気がついたら布の上に転がっていた。


 どうやらちょっとした時間が経ったようだ。空腹感がじわじわ湧いているし、体が微妙にダルいというか重たい。前世では感じたことのない違和感が全身にある。そりゃそうだ――私は赤ん坊になってしまったのだから。


 (そうだ、刺された後に意識を失って、それから何がどうなったのか分からないけど……こうして赤ん坊として生まれたっぽいんだよね)


 信じ難い状況だが、この小さな体と、意味不明な言語を喋る人々、そしてあの母親らしき女性の姿を考えると、全てが“夢”とも思えない。それにしてもまだ混乱しっぱなし。前世の感覚で言えば「生まれ変わった」みたいな状況だけど、私自身は「どこか別の世界」に放り出されたとも確信できず、どうにもモヤモヤが晴れない。


 周囲を見ようにも視界がぼやけていて、すぐに焦点が合わない。首を動かしてみても、赤ん坊だからか、思うように動かせない。薄暗い天井と、粗削りな木の梁が、ぼんやりと目に映る。部屋全体は石造りではないようで、木や土壁らしきものが混ざった素朴な印象だ。換気扇なんて見当たらず、明かりはランプのようなものが灯っている。どこか中世か古代の雰囲気を感じる空間……。

 しかし、まるっきり昔そのものかというと、それとも違う。杯みたいな台の上に、光る石みたいなものが置かれた灯りのようなものもある。まるで、部屋の灯りのボタンみたいなものも壁にある。


 (やっぱり、ここは日本じゃなさそう。っていうか、現代社会でもなさそう……。もっといえば、昔でもなく……異世界?)


 ここの人々は、そんなに大きな音を立てないようにそっと歩いているらしく、足音だけが微かに聞こえる程度。ときどき外から誰かの声や、馬か何かの鳴き声が遠くで聞こえてきて、余計に、別の時代、いや別の世界のような、異世界じみた空気を醸し出している。


 そんな薄暗い部屋の中で、私が所在なさげに寝転がっていると――ふいに、ふわりと誰かの腕が伸びてきた。半分見えないが、優しげな女性のシルエット。昨日(というか、いつのタイミングかも不明だが)ミルクのような液体をくれた人かもしれない。顔立ちはよく分からないけど、柔らかな声で何かしゃべっている。もちろん言葉はわからない。


 「……う、ぎゃ……」


 口が勝手に震え、変な泣き声が漏れた。どうやら私はお腹が空いているらしい。あるいはオムツ的なものを替えて欲しいのかもしれない。赤ん坊の体は自分の欲求をうまく調整できないから、何か不快感があるとすぐ泣く。それを認識していても、自分の意志で止められないのがもどかしい。


 しかし、この女性は慣れた様子で、私を抱き上げて大きな布を広げると、ひょいっと下半身を確認してくれる。なるほど、これがオムツ変え。よく分からない布切れや草っぽい素材でできているが、どうもきちんと洗浄して乾かしたものを使っているらしく、そんなに不潔な感じはない。

 やや粗雑な手つきだけど、私の体を傷つけないように気をつけているのは伝わる。きっとこの世界のお世話スタイルなんだろう。顔が見えにくいが、ジェスチャーとか雰囲気で「よしよし、綺麗にしようね」と言っているかのように感じる。


 (うう、ありがたい。何か恥ずかしいけど、こればかりは仕方ないよね……)


 前世ならばトイレは自分で行くのが当たり前だったけど、今は無理。完全に人の手を借りないと生きていけない身分になってしまった。妙な無力感を覚える一方で、この人たちが優しく世話をしてくれているのは救いだ。


 ささっとオムツを換えてもらい、気持ちがスッキリすると、今度はお腹が空いている信号が赤ん坊的に全身を駆けめぐる。声に出さなくても苦しそうにしていたのが伝わったのか、女性は再びあのスプーンのような道具で、温かいミルクらしき液体を口元へ運んでくれた。

 飲み込むと、やっぱり独特の味がする。牛乳っていうより、ヤギか何か別の動物のミルクなのか、それともこの世界オリジナルの調合なのか。薄めてあるので風味は弱く、ほんのり甘い気配がある。


 「ん……ごく……」


 だんだん要領が分かってきたのか、うまく喉を使って飲み下せるようになった。前世の大人だったら意識せずともできる動作が、赤ん坊になった今、微妙に手間取る。ただ、慣れるにつれ空腹が満たされていく心地よさを覚え、自然と体が満足していくのを感じる。


 女性は私を抱きかかえたまま、優しくトントンと背中を叩く。げっぷをさせてくれてるらしい。多少むせかけたが、うまくガスが抜けると呼吸が楽になった。こういうこまやかなケアが必要なのか……赤ん坊って大変なんだなあと改めて思う。いや、大変なのは子育てか。母は偉大だ。そういえば、生まれ変わる(?)前のお母さんはどうしているだろうか。私があんなことになって……。


 さて、飲み終えるころには、もう眠気がまた来ているのが分かる。でも、その前に部屋の中を少しだけ見回した。もっといろんな情報が欲しい。すると、隅っこにある木製の戸棚の上に、ランプのような道具が置かれていて、その光が部屋の形を照らし出している。やはり日本の住宅とは全然違う構造に見える。やや古ぼけているが、壁も屋根もしっかりしていそうだ。


 (やっぱり、これは中世か近世、西アジア、いや、西洋っぽい……いや、それともここの独自文化なのか? しっかりした石造りじゃないし、地域によってはこんな家もあるのかもしれない)


 そんなことを考えているうちに、今度は別の人影が近づいてきた。さっきの女性より少し年上のように見える。言葉を交わしているから、何か相談してるのかな。チラッと見える限りでは、どちらも長めのスカートかワンピースみたいな服装。レースやボタンは少なく、割とシンプルで、洗いざらしのリネンを使っている雰囲気。なんとも素朴だ。それに、これだけ人がいる、使用人?そうすると、もしかすると一般庶民の家ではないのかもしれない……?


 (いや、でもこの人たち、昨日はローブを着た人もいたし……どうなんだろ。あのローブの男は結局何だったんだろう?)


 頭の中に疑問が次々に湧くが、それを解消するすべはない。私はまだ言葉も喋れないし、聞き取りもできない。コミュニケーション手段がゼロに等しいって、こんなにももどかしいのか。


 結局、このまま赤ちゃんの生活を送るしかないんだよなあ……と再認識したところで、妙に哀しくなった。自分でどうにか動きたくても、四肢はヨタヨタして意図的に動かしづらい。首をしっかり支えられていなきゃ大変だし、寝返りなんてできる気配もない。そう思うと、なんか切なくて、涙が滲んできてしまった。赤ちゃんって、気持ちが昂ぶるとすぐ泣いてしまう生き物なんだろう。

 それに、思考ははっきりしているのに、意識がはっきりしない、どうにも妙な気分。


 「……ふぇ……ぎゃあ……」


 結局、情けない声が漏れる。女性たちが「あらあら、どこか痛いの?」みたいな調子(たぶん、そう)で優しくあやしてくれる。抱っこの仕方がぎこちない気もするが、悪意がないのは伝わってくるから不思議と安心感がある。


 (これから先、私はどうやってこの世界で生きていくんだろう。母親らしき人は、まだ回復していないっぽいし……)


 そうだ、母親が危篤状態だったのはどうなった? ちらっと横目でベッドのほうをうかがってみると、今日はいないらしい。そこには寝具が畳まれ、空っぽの状態になっている。

 (もしかして別の部屋で療養しているか、あるいは別の場所に移動したのかな……?)


 ――そのまままた数分か数十分か、赤子の時間感覚が曖昧ななかを過ごし、気づけば眠気がぶり返してくる。飲んで寝て、起きてオムツ替えて、また飲んで……赤ん坊としての生活パターンが、あっという間に身に染みついていく。


 何度目かの眠りから覚めたとき、外は昼間なのか夕方なのか、多少光が差し込んでいた。もしかして、窓の位置によって陽の光が差しているのかもしれない。もぞもぞと動いてみるが、上半身を支えない限り起き上がれない。

 仕方なく仰向けでぼんやりしていると、若い女の子が入ってきた。たぶん十代半ばくらいだろうか。サラサラの髪を後ろでまとめて、エプロンみたいな布を腰に巻いている。私の顔を覗きこむと、柔らかく微笑んで何かつぶやいた。


 「……?」


 私がわけの分からない声を出すと、彼女はクスクス笑っている。ちょっと子どもっぽいあやし方だけど、優しそうな目をしているから嫌な感じはしない。どうやら私を見て「かわいい」とかそういうニュアンスのことを言ってそうだ。言語自体は理解できないが、表情や声色だけで何となく伝わるものがある。


 彼女は私の体を持ち上げ、部屋の隅へ移動すると、小さな桶のようなものに湯を張って私を軽く拭き始めた。つまり、赤ちゃん用のお風呂ってことだろうか。さすがに温度調整とかは大雑把そうだけど、赤ん坊の肌に負担をかけないよう注意してるのが分かる。

 ゴシゴシ洗うのではなく、布でやさしく撫でるように洗われる。あー、これ、気持ちいい……。前世の記憶だと、赤ん坊には沐浴が大事とか聞いたことがあるが、ここでも同じような文化があるらしい。


 幸いにして、この女の子の手つきは荒くない。私はほとんどされるがままだが、それが妙にくすぐったく、そして心地よい。ほかにやることもないし、ぼんやりと天井を見ながら「ああ、昔は自分でシャワー浴びてたのに、今は拭いてもらわなきゃならないんだなあ……」なんて空しくも新鮮な気持ちになる。


 沐浴(?)が終わると、また清潔な布でくるんでもらい、小さめのベッドらしきところへ寝かされる。もしかして、さっきまで寝てた場所とは違う? 部屋のレイアウトは似てるけど、細かいところが違う気がする。何部屋かある家なのかもしれない。あるいは同じ部屋を模様替えしたのか……。

 この家はかなり大きい。病院でもなさそうだから、裕福なのだろうか。


 その女の子は何かを思い出したように手を打ち合わせて、バタバタと部屋から出て行き、再び戻ってきた。両手には、濃い色をした液体が入った小瓶と、小皿のようなもの。それを近くのテーブルに置いてから、私のほうへ戻ってくる。

 嫌な予感を覚えつつ見守ると、彼女はその液体をちびちびとスプーンに注ぎ、私の口へ運ぼうとしている。まさか、変な薬じゃないよね……? あるいはミルクに混ぜる薬なのか? まあ、赤ちゃんだからどのみち拒否できないんだけど。


 「んぐ……」


 一口含まされる。さっきのミルクと違い、どろっとした独特の苦味が舌を刺激した。うわ、ちょっと漢方薬みたい。思わず変な顔をしてしまうが、女の子はニコニコしながらもう一口、もう一口と与えてくる。

 これ、栄養剤か何かだろうか? 母乳代わりに足りない成分を補ってるとか? 赤ん坊の私にはまったく判断がつかないが、彼女の表情を見るに悪いものではなさそうだ。喉を通ると少し体が温まる感じもするし、あとはきっと健康にいいのだろう。


 「う、ぐ……」


 飲み込み終わったあとに、今度は水っぽい液体を飲ませてもらう。どうやら口直し用の何からしい。苦い味が薄れて、口の中がすっきりしていく。女の子も満足したようにうなずき、私の頭をぽんぽんと軽く撫でた。赤ん坊の扱いに慣れてそうな、でもどこかぎこちない感じ。

 (見た目は若いし、実は新人のなにかとか、そんな感じなのかな……?)


 部屋の外から声がかかり、女の子は「はーい」(?)という意味なのか、なにか返事をして去っていく。こうしてまた一人取り残される時間がやって来た。ほんと、一日中こんな調子。赤ちゃんの一日ってきっとこんなものなんだろうな……。


 呼吸を整えながら、私は改めて思考を巡らせる。

 まだ確証はないけれど、ここが“前世の日本とまったく違う世界”である可能性は高い。服装や言語がまるで見覚えないし、前世なら当たり前だった文明の痕跡も見当たらない。そして、どうやら、まるで魔法か何かのような特別な力もありそうだ。燃料も電気も見当たらないのに灯りのようなものがある。

 

 しかし、私は生まれたばかりの赤子。母親は重篤状態から回復していないらしいが、彼女と話ができる日は来るのだろうか。


 (……でも、言葉を覚えるだけでも相当時間がかかりそうだし、そもそもこの家の人たちが何者なのか分からない。金持ち? 貴族? 平民?)


 家の雰囲気は素朴だけど、部屋の数が複数あるっぽいし、私の世話をする人が何人も出入りしている時点で、庶民の一室にしては広そうな。母親がどんな人物かによって、私の立場も大きく変わりそうだ。

 それに、この世界で私がどう成長していくのか……人々は魔法らしきものを使っていた(ローブの男の祈り?)し、不思議な力があることは間違いないかもしれない。でも今は赤子だから何もできない。


 いろいろ考えてはみるが、結局“まだできることは何もない”というのが結論だ。あまりにももどかしいが、とりあえず生き延びないと先に進めない。周囲の人々に身を委ね、成長を待つしかない――前の世界、つまり前世では考えられなかった無力感だ。


 (まあ、焦っても仕方ない。生きてさえいれば、いずれ状況を把握できるはず……)


 そんな開き直りに近い考えを抱きつつ、私はまた眠くなってきた体を受け入れる。赤ちゃんの体はエネルギーを大人ほど貯め込めないらしく、すぐにバッテリー切れを起こす。

 今日が何日目なのか、時間がどう流れているのか、まるで分からない。でも、“私”としての意識は、はっきりとここに存在している。弁護士としてそこそこ頑張ってきたあの頃が、どんどん遠い昔のようにも感じられてきた。


 (いつか本当に歩いたり話したりできるようになったら、この世界の人たちにも「言葉が通じる」日が来るのかな。母親とだって……話したいよね。私を産んでくれた人だもん……)


 まだ見ぬこの世界のことを、はやいところ、知っておきたい。

 そんな好奇心も芽生えつつ、今はただの赤ん坊として日々を送る以外に術はない。飲んで寝て、排泄して、また飲んで……を繰り返す。しかし、きっとここが“新しいスタート地点”なんだろう。


 次に目が覚める頃には、また少しだけ世界が見えてくるだろうか。そう期待を抱きながら、私はぐらぐらする意識の中、また一歩深い眠りへと沈んでいった。


前世 日本国 民法

3条1項 私権の享有は、出生に始まる。

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