動くのも勉強も大変だけど… 今日の晩餐は逃せません!②
夕暮れの空をオレンジ色に染める光が窓の外で揺れる頃、私はソファの上でそっと足を引きずりながら座り直した。左脚の痛みはもうだいぶ治まり、普通に歩けるまであともう少し――とはいえ、まだ痺れたような感触が残っているのが不安だ。あのバルコニーでの暗殺未遂が起こってから、私の怪我は順調に回復し、日常生活に必要な動作はほぼ問題なくこなせるようになっている。それでもマギアの治療師や医者いわく、「無理は禁物」だそうで、今は“新しい部屋”で快適に過ごしながら、念入りなリハビリを続けている。
この“新しいお部屋”は本当に便利で、まるで私一人を徹底的に保護するための要塞のようだ。天蓋付きのベッドはもちろん、魔道具で温度と湿度が自動調整されるから、暑すぎず寒すぎず。洗面所やお風呂も部屋に直結していて、移動の負担が極端に軽い。何より、頼りになるエミーとローザが二人揃って同室にいてくれるので、夜中に怖い夢を見て起きても、すぐに彼女たちの寝顔を確認できる安心感がある。
「リア、足の痛みはどう? またうずいてるんじゃない?」
ふと、ローザが声をかけてくる。彼女の笑顔は明るく、私が傷の具合に神経質になっていないか気遣ってくれている。私は少しだけ首を振って「うん、もう平気……。ちょっとジンジンするくらい」と答える。実際、痛み止めの魔法の効果もあって、今なら部屋のなかをひと通り歩ける程度には回復しているから、あまり大げさに心配されるのは気恥ずかしい。
「よかった。あまり無理しないようにね。勉強も頑張りすぎると、疲れちゃうでしょう?」
ローザの言葉に、私は照れ隠しに肩をすくめる。確かに最近、私の“お勉強熱”がかなり高まっている。3歳も半ばを過ぎた今、読み書きの基礎はだいぶ覚えられてきたし、この世界の歴史や仕組みも少しずつ理解できるようになってきたから、つい夢中になってしまうのだ。実際、ベアトリーチェが教えてくれる文字練習の時間など、私はもう待ち遠しくて仕方がない。
これまでは「クラリオン」「マルディネール」という呼び名を漠然と知っていただけだったけれど、勉強を始めてからようやく「クラリオン伯爵家」と「マルディネールという領地」の区別をしっかり把握できた。私の家は“クラリオン”で、領地は“マルディネール”。前世的な感覚で言うと、「○○家が治める××という土地」と理解するのと同じだが、幼児の私にとっては大発見。実はこの領地は思った以上に豊かで、農業や鉱産資源の生産がバランスよく行われ、経済的にもかなり恵まれた地域らしい。
「そろそろお勉強、休憩しない?」
エミーが机に向かう私の背後から声をかける。私は持っていたペンを置き、背伸びをする。小柄な体がきしんだように震え、左脚にまだ微妙な引きつりが走るが、以前の激痛に比べればずいぶん楽だ。
「そう……だね。ちょっと疲れたかも。あ、でも、もうすぐ文字の練習に一区切りつきそうだから……もう少しだけ……」
私が小声でゴニョゴニョ言うと、エミーは苦笑しながら「はいはい、ほどほどにね」と返してくれた。以前の部屋では足の痛みでまともに勉強できなかったけれど、いまはマギア治療で痛みが軽減されているので、机に向かう時間も延びている。3歳児というには少し早過ぎるペースらしいが、私の内には前世の意識もあり、危機感が背中を押しているのだ――何しろ、隣の領地“ラグレン公国”のエルネスト公爵がいつまた暗殺者を送り込むか分からない(確定では無いにしても、もっとも動機があるのは間違いない。)、という恐怖があるのだから。
この世界の通貨制度にも興味がわいてきた。どうやら基本の単位は「アウレナ」という名前らしい。庶民の最低生活費は月額5万アウレナほど、ちょっと豊かになると10万アウレナくらい。富裕層や下級貴族は月50万~100万アウレナほどを使う場合が多いとされ、領地持ち貴族になると“個人”の概念を超え、何千万アウレナも動かすのが当たり前だとか……。私自身は3歳だからまだ実感が湧かないけれど、数字を見ていると驚きばかりだ。
(1千万アウレナというと……いや、前世の貨幣価値との比較も難しいけど、随分とスケールが違うんだなあ……。)
ざっくり理解しただけでも、私の家――クラリオン伯爵家――は少なくとも生活費周りだけでも“数千万アウレナ”は動かしているらしい。もちろん、領地の予算はまた別だろう。まだ具体的なことは知らないけれど、領主としての責任は相当に重いということだ。
「リア、ちょっとこっちに来て。今日はね、新しいお洋服が届いたんだって」
エミーが楽しそうな声をあげる。私は机から顔を上げ、足を引きずりながら部屋の奥へと向かう。そこにはローザが、いろいろなデザインの服を広げていた。ドレスに近いものから、動きやすそうなチュニック、さらにはちょっと男の子っぽいズボンスタイルのものまで、実にカラフルだ。
「うわ……すごい……」
思わず呟いた瞬間、エミーがニコニコ顔で「どれがいい?」と尋ねてくる。どうやら、彼女たちは私を“着せ替え人形”にしたいらしく、これはこれで楽しんでいる節がある。確かに、3歳の子どもにとって、可愛い服を着せられるのは一般的なことかもしれないが、前世が男だった私には少し抵抗が……。
「……あんまりヒラヒラしたのは、いや、かも……」
私の素直な感想に、エミーは吹き出しかけ、「えー、でもすごく可愛いよ?」と食い下がるが、私は首を横に振る。
(女の子になってしまったから仕方ないが、せめてドレスだけは……)
結局、私は比較的シンプルで男の子っぽいシャツとズボンがセットになった服を選んだ。エミーとローザは「もー、せっかくリボンやフリルいっぱいあるのに」と残念がるが、悪いがこれが限界だ。そうは言っても3歳らしい可愛い色合いを避けられないので、淡いピンクやパステルな配色が自然と混ざってしまう。そこはもう、多少の割り切りが必要らしい。
「うん、これなら動きやすそう。怪我した脚にも負担かからないし」
ローザは納得顔で頷いてくれる。そう、あくまで“動きやすさ”重視という建前があるから、男の子っぽい服を選んでもそんなに不自然ではない。私にしてみれば単にフリフリが苦手だという理由だが……。だけど、エミーに「でも、そのうちドレスも着てみてね? 領主様らしく華やかなのも似合うよ」と笑顔で詰め寄られると、何も言えなくなってしまう。いつかはドレスを着なければならない日が来るのだろう。結局、女の子として生きていく運命から逃げ切れないのだと再認識して、また微妙に胸がもやもやする。
そんなちぐはぐな気持ちを抱えつつ、一方では“勉強が順調”という手応えも出始めている。特に、マギアについての基礎知識は興味深い。内的マギア、つまり体内に魔力を持つ者は稀少で、王族や貴族が管理している場合が多い。逆に、外的マギアは魔道具を使って誰でもある程度操作できる――そんな基本構造があるらしい。私に内的マギアの資質があるかどうかは分からないが、ベアトリーチェがいうには「もし資質があったとしても、3歳ではまだ判定しづらい」とのこと。これが成長してみないと見極められないというわけだ。
(もし私に魔力があったら、暗殺から自力で逃れられるくらいの術を身につけたい……でも、そんなに甘くはないかもしれない。)
前世のように「努力すれば報われる」という単純な理屈でどうにかなるかは不明だ。しかし、魔法や道具が溢れるこの世界に慣れていくためにも、外的マギアの仕組みを学んでおくのは重要だろう。いつか政治や交渉でも役立つかもしれない。
昼下がり、そんな勉強をしていた私に朗報が飛び込んできた。なんでも、「領内の経済状況が好調で、使用人や家臣を集め、盛大なディナーを開く」らしい。これは表向きには“領地の繁栄を祝う食事会”という名目だけれど、実質的には「私の怪我が回復したお祝い」とか、「暗殺未遂でも負けていないという意志表示」みたいな意味合いが強いようだ。
「リアンナ様も参加します? エミーとローザと同じ席にしておきますので……」
ボリスがそう訊ねてきたとき、一瞬私は“子どもだし、どうせ参加できない”かと思ったが、彼の言い方は「どうなさいますか?」という尊重のスタンス。その質問に対し、私はしっかり頷いて「出たい」と答えた。実際、久々に大勢の人が集まる場に顔を出すのは不安もあるが、同時に新たな刺激を求めている気持ちもあった。
「分かりました。では、開催日の夕方、エミーとローザと一緒に主賓席へどうぞ。あまり無理はしないでくださいね」
ボリスがそう告げて一礼する。その背後で、ベアトリーチェが優しげに笑いながら「みんながあなたの元気な姿を喜びますよ」と声を添えてくれる。マギアによる痛み止めを駆使すれば、短時間のディナーならなんとかいける気がする。問題は私が“幼児として”どう振る舞うかという点かもしれないが、エミーとローザがサポートしてくれるなら平気だろう。
こうして“食事会に参加する”という新たなイベントが私のスケジュールに加わった。長らく部屋の中で引きこもりがちだったから、久々に人前に出る機会が得られるのはちょっと楽しみだ。どんな料理が出るのかも気になるし、領地の使用人や家臣たちと顔を合わせる機会は私にとっても貴重だ。
(いまや私が“領主”だと知っていても、3歳の子どもだからどんな反応をされるんだろう? 優しく扱われるだけか、それとも……)
不安と期待が入り混じるが、エミーとローザに言わせれば「美味しいご飯が食べられて、みんなが喜ぶおめでたい場なんだから大丈夫」という。確かに、暗殺の可能性を考えれば護衛体制も強化されるはずだし、変なトラブルは起きない……と信じたい。
そんなわけで、私はディナーへの参加を決めた。その夜、天蓋付きのベッドに入ろうとしたとき、エミーがふと「あ、そうだ。ドレス着ないの?」と軽口を叩いてきて、私は即座に首を横に振る。
「いや、男の子っぽいのがいい……。動きやすいし……」
エミーは苦笑いしながら「領主様だから、ちょっとはおしゃれしてもいいと思うのに……」と呟くが、私は抵抗感が強く、首を縦には振れない。いずれドレスを着る日が来るかもしれないが、今はまだ……その心の準備ができていない。3歳児だから大人用ドレスでもないし、膝上の可愛いスカートでちょこちょこ歩く姿は、周囲からすればほのぼのかもしれないが、私にはどうしても落ち着かないのだ。こういうとき、前世で男だった意識が小さく悲鳴を上げているのをはっきり感じる。
「ま、いいや。無理強いはしないよ。いつか見たくなるかもだけど」
エミーは冗談めかしてそう言い、布団を整えてくれる。ローザは「そうそう、今は好きな格好でいいんじゃない?」と笑って、私の足元にクッションを置いてくれた。怪我がほぼ治ったとはいえ、まだ少し腫れが残るので、夜も足を高くして寝るのが定番だ。
「ありがとう……ふたりとも……」
その言葉を呟いた瞬間、私の胸に温かい何かが広がる。守られているだけかもしれないが、こうして安心できる環境を与えられたことに感謝しないではいられない。犯人や黒幕は捕まっていないが、私が学びと気力を得ている今、いつか必ず返していけるよう頑張ろうと思う。
(ディナー、楽しみだけど……私がどんな服を着ればいいんだろう……。ま、男の子っぽい服を選ぶんだけど、多少は華やかな要素もいるのかな?)
頭の中でそんなことを考えているうちに、眠気がじわじわと押し寄せてくる。3歳児の体はやはり疲れやすく、昼間に勉強を詰め込んだ分、夜になるとあっという間に意識が揺らいでいく。天蓋越しの灯りがぼんやり霞むなか、エミーとローザが「おやすみ、リア……」と小声で囁いてくれるのを聞きながら、私はゆっくりと瞼を閉じる。
――こうして、快適な部屋での日々は続く。怪我からの回復、勉強の進捗、そして可愛い服を見ては半分恥ずかしくなりながら、男の子っぽい服を選ぶ自分。女の子として生きることに慣れない違和感を抱えつつも、エミーとローザの優しさや、ベアトリーチェ、ボリスの導きによって、3歳の私は日々成長している。
次なる行事は、この領内の盛り上がりを祝う“豪華な食事会”への参加。大勢の使用人や家臣が集まる場に、私自身が顔を出すとどうなるのだろう? 不安と期待が入り混じりながらも、楽しみな気持ちが芽生えている。なんとなく、私は「領主として“自分も守ってみせる”気構え」を感じ始めているからだろうか。
いずれにせよ、エミーとローザと同じ席であれば大丈夫――私はそう自分に言い聞かせ、ほんのり期待を抱いたまま眠りに落ちる。夜の静けさのなか、レースのカーテンが小さく揺れ、魔道具の灯りがゆらゆらと光をともしていた。そう、この部屋での日常はしばらく続くが、そこに新たな刺激を加えるのが“食事会”というわけだ。大きな事件が起きないことを祈りつつ、私は明日に向けて静かに瞼を閉じた。
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