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死んだ弁護士、異世界でよちよちスタート!?②

 暗闇のなかを、私はどこまでも沈んでいた。

 つい先ほどまで、地方裁判所の庁舎前で債務者の社長に包丁で刺されていた……はず。それからどうなったのか、まるで記憶がつながらない。痛みは確かにあったはずだが、今はそれすら感じない。


 ただ、真っ暗な世界が広がっている。まるで意識だけが残されてしまったように、体の感覚も時間の概念もない。どれくらいこうして浮遊していたのかは分からない。


 突然、“病院で聞くような機械音”が遠くで鳴った。心電図のビーッというビープ音、誰かの慌ただしい足音。ドラマのワンシーンで聞く音みたいだ。ここは夢なのか現実なのか、よく分からない。


 「……先生、呼吸が……!」

 そんな叫び声がかすかに聞こえ、次の瞬間――ビーーーッという長い警告音が耳を打つ。

 (あ、ヤバい。私、死んじゃうかも……)

 そう思った途端、周囲の音も意識も再び遠のき、私は闇の底へ引きずり込まれていった。

 

 

 今度は、不思議な温もりが全身を包みこんでいることに気づいた。湯船に浸かっているような、体がじんわり解けていくような心地よさ。どこか、海辺のような音まで聞こえる……。苦しくはない。むしろ安心する。


 (ここは……どこ?)


 疑問が浮かぶ間もなく、急に周囲がせり出してくるような圧迫感が襲ってきた。ぎゅううっと締めつけられ、通り道を強制的に押し流されるような感覚。どうにもならない圧力に耐えていると、急に目の前がぱっと明るくなって――。


 「……う、あ……」


 冷たい空気が鼻や喉に流れ込み、全身がびくんと震える。肺がいきなり活動を始めたようで、思うように息ができない。あまりの刺激にうろたえていると、勝手に喉が震え、声を上げた。


 「おぎゃあっ……!」


 え、赤ん坊の鳴き声? まさかこれが私の声なのか? 驚きで頭が追いつかない。先ほどまで死にかけだったのに……いったい何がどうなっている?


 目を凝らしても視界はまだぼやけている。瞳に入ってくるのは、人影らしきもの。数名の女性のように見えるが、どこか見慣れない雰囲気をまとっている。日本人でもなければ、東洋人、西洋人でもないような……。彼女たちが何か言葉を交わしているようだが、まったく聞き覚えのない言語だった。


 腕とも脚とも呼べない小さな四肢が、勝手にばたばた動いている。まるで私は、生まれたばかりの赤ん坊としてそこにいるみたいだ。理屈は分からないが、今の身体感覚がそう示している。

 女性たちは優しい表情を浮かべて、タオルのような布で私をくるんでくれた。さっきまで刺されて死にそうだった私が、なぜこうなっているのか……頭がぐるぐるしてまとまらない。少なくとも、傷はない?のか?


 そんな中、部屋の奥のほうで誰かが苦しそうに声を上げた。私を産んでくれたのだろうか、ベッドのような場所で横たわる女性の姿が目に入る。

 汗で濡れた髪が張り付き、顔は青ざめている。周りの人々が言葉をかけたり、必死に手当てらしきことをしているが、どうやらまだ危険な状態のようだ。

 ローブをまとった人物が入ってきて、何やら祈りめいた行為で治療を試みている(?)ものの、成果はよく分からない。呼吸がかなり浅いように見えるけれど、今のところ命はつながっているようだ。


 「……大丈夫……なのかな?」


 といっても、赤ん坊の喉から出てくるのは、相変わらず「おぎゃあ」みたいな泣き声ばかり。自分の意志で言葉を発することができず、どうにももどかしい。

 前世であれば、緊急車両とか輸血とか最新医療とか、いろんな手段があったかもしれない。でもここにいる人々は、どこか古めかしい雰囲気の道具ばかり使っている。病院なんてないのかもしれない――ともかく、今は混乱が収まる様子はない。


 ほどなくして、苦しそうだった女性が静かにまぶたを閉じた。といってもまだ絶命した……わけではなさそうだ。呼吸は乱れているが微かに上下しているように見える。隣の女性が慌てて何かの薬液を取りに走り、ローブ姿の男性は必死に呼びかけている。

 どうやら母親はまだギリギリ生きているようだ。しかし、その顔色がとても悪い。後で改めて大きな病院か、専門医に診せられればいいのに……いや、そもそもここはどこなのか。


 私はただ抱かれたまま、周囲のバタバタに翻弄されるしかない。

 (まさか赤ん坊として生まれ変わった? それとも変な夢を見ているだけ?)

 しかし、このリアルな息苦しさや、空気の匂い、そして人々が必死に動いている光景は、どう考えても夢には思えない。


 やがて、いっときの慌ただしさが落ち着くと、タオルにくるんだ私を見て、「一旦休ませてあげよう」とでもいうように、女性の一人が柔らかそうな寝具を用意してくれた。もう一人が、薄めたミルクのような液体をスプーンで口元へ運んでくれる。初めて味わう不思議な風味だけど、空腹と疲労が限界だったのか、ごくごくと飲んでしまった。

 飲み終えると、体がじんわりと暖かくなっていく。さっきまでの混乱や不安を抱えたままなのに、どうしようもない睡魔がやって来て、頭がふらふらする。


 (今は……眠るしかないのかな……。母親っぽい人は大丈夫なのかな……)


 母親――と呼べるのかも分からないが、私を産んだであろう女性の容体が気になる。うっすら見える横顔はとても弱々しく、あのままで回復するのかどうか、心配だ。医療設備なんて見当たらないし、ここが日本ではないような気配すらある。

 しかし赤ん坊の体は正直だ。どう頑張っても眠気に抗えず、意識が遠のいていく。せめて、目が覚めたら状況がよく分かればいいのだけど――。



 眠りの中で、断片的なイメージが頭をかすめる。

 私は確か、弁護士になって2年ほど経ち、だいぶ慣れてきた頃だった。今日みたいに遠方の裁判所へ出張して、初回期日に出廷するだけの簡単な仕事を任されていた。相手企業から「仮差押えを解いてほしい」と懇願されても、依頼者の許可がなければ応じられない……そんな話をした矢先に、債務者の社長が逆上して包丁で……。

 その後は病院で心肺停止の警告音が聞こえたような気がするけど、結局どうなったのか。私、本当に助かったの? それとも――?


 (生まれ変わった……に近い状況? でも、まさか本当にそんなことがあるのか……)


 当然、はっきりとした確信は持てない。夢かもしれないし、脳が死ぬ前に見せている幻なのかもしれない。どこかで、そんな話を聞いた覚えがある。

 とはいえ、あの冷たい空気や、今の身体の小ささ、周りの人たちの見たこともない服装や言葉――全部が妙にリアルだ。


 とにかく、状況を……。でも、眠い……。

 そして、意識は再び深い眠りへと落ちていく。私が本当に赤子だとしたら、生まれたばかりの赤子にとって、何よりの仕事は“休むこと”なのだろう。


 (母親の容体……どうか良くなってほしい。私だって話を……直接、聞きたい……)


 弱々しく願いながら、私は小さな息を整え、温かな布団のなかで眠りに沈む。


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