『女の子なの…!?』驚きの成長と忍び寄る足音を感じるころ③
私が「トイレに行く」と自分で言い出し、そして実際に一人で行けるようになる――そんな日が来るなんて、ほんの数か月前までは想像すらできなかった。だけど、2歳半から始まった本格的なトイレトレーニングを経て、私はついに“おむつ卒業”を果たし、“自力でトイレへ行く”という世界的ビッグイベント(私基準)をやり遂げたのだ。
そもそも、私——リアンナがここまで自立できるようになったのは、間違いなくエミーとローザのサポートがあってこそ。二人の侍女は「焦らないで」「ちょっとずつね」と言いながら、毎回おまるに座るのを手伝ってくれたり、失敗して床を濡らしてしまったときも「大丈夫、気にしないで」と優しくフォローしてくれたり……。嫌にならず続けられたのは、本当に彼女たちの温かさゆえだと思う。
しかし“ほぼ3歳”に近づいたここ数週間で、私のトイレ成功率が格段にアップしてきた。昼間はほとんど失敗しなくなったし、夜中も「あ、おしっこ……!」と自分で感じ取れることが増えてきたから、エミーたちを呼べば間に合うケースが多い。結果、ベアトリーチェをはじめとした屋敷の大人たちも「いよいよトイレを一人で使わせてみても大丈夫かもしれない」となり、ついに私専用の子ども用トイレを部屋に用意してくれたのだ。
もっとも、いきなり「はいどうぞ」と放り出されるわけではなく、基本はエミーかローザの付き添いがあってこそだけど、何かの都合で二人が席を外しているときでも、自力で部屋の隅にある“小さめの扉”を開けて個室トイレに入り、おまるよりもう少し本格的な便座に座れるようになった。これ、いわゆる“トイレの個室”ってやつだろうが、前世の私の感覚でいえば“子ども用便器と簡易水洗がセットになったスペース”という感じ。侍女が後始末をしてくれるとはいえ、自分で行って、用を足して、水を流すなり、全部一連の作業をほぼ一人でこなせるようになったという事実は、私にとって小さくない達成感がある。
「やった、これで本当に“幼児”として合格だ……!」と心が躍る一方で、トイレに行くたび“女の子である”身体を再認識する瞬間がやってきて、複雑な気分になるのも事実だ。前世は完全に男性として生きてきた私が、今こうしてスカート状の服をめくって、幼児用の下着を下ろして、用を足す……。そのプロセス自体が「おいおい、マジかよ」とツッコミたくなるくらい違和感だらけ。でも、もうちょっとで3歳になるこの身体は、恥ずかしいとか戸惑うとかを越えて、“これが普通だ”と受け入れ始めている。女性の身体は面倒くさいというか、何かと勝手が違うのは否めない。
そんなふうにモヤモヤしている私をよそに、エミーとローザは「おめでとう! もう一人で行けるんだね」と目を輝かせてくれるので、なんとも言えない。まるで私が信じられないほどの偉業を成し遂げたように喜ぶのが、ちょっと居心地悪い……でも悪くない。照れくささと“やっぱり嬉しい”が同居する不思議な気分だ。2歳児から3歳児に移り変わるこの時期の成長を、こんなにも大人たちが祝福してくれるのだから、素直に乗っかってしまうのも悪くないかもしれない。
そして、私の部屋――といっても私だけが使うのではなく、エミーとローザが一緒に寝起きする3人部屋――には、その“個室トイレ”が組み込まれる形になった。ちょうど部屋の隅に小さな扉が追加されて、そこへ続く段差が低めのステップになっている。これなら私でも背伸びせずに入れるし、内部は狭いながらも便器と多少の洗浄設備が備わっていて、マギアで汚れを流す仕組みらしい。まだ仕掛けの詳細は分からないが、エミーいわく「時々結晶を交換しないといけないんだよね、でもまあ簡単だし、衛生的でいいよね」ということだ。前世でいう下水道があるわけでもないが、どうやらこの世界の魔法技術でそれらを何とかしているのだろう。
この“自分専用スペース”ができたおかげで、私はトイレトレーニングが完全に終わったと言ってもいいくらい自由度が増した。夜中に目覚めて「あ、おしっこ……」と思ったら、侍女たちを呼ばずとも勝手にトコトコ歩いて行けば用が足せるわけだ。もちろん暗い中で転ぶのが怖いし、まだ3歳前なので失敗することもあるけれど、そこはエミーが「夜は小さなランプを灯しておくから大丈夫だよ。何かあったら呼んでね」と、ちゃんと保険をかけてくれている。結果、夜泣きの回数がまた減り、私は一歩“普通の子”に近づいた気がして嬉しくなる。
もっとも、「女性は面倒だなあ……」という気持ちはしぶとく残っている。スカートをめくったりパンツを下ろしたりする所作自体が、前世の男としては恥ずかしいと感じてしまう。ただ、今や“3歳の体”だからか、その恥じらいも薄らいできたのが正直怖い。こんな調子で数年後には完全に“女の子の自分”として馴染んでしまうんだろうか……。想像すると頭がぐるぐるする、というか背筋が凍るほど怖いし、なんなら嫌悪感すら感じる。だが、ここに来て何を嘆いても仕方ない。とにかく当面は“自立した幼児”を目指して、言葉や習慣を身につけるのみ。
私がそんな内的葛藤を抱えているうち、外壁の拡張工事はだいぶ完了が近いようで、以前は朝から晩まで響いていた「ガンガン」という石材を叩く音が少し落ち着いてきた。エミーが「もうじき完成らしいよ!」とウキウキ顔で教えてくれるし、ローザも「これで静かになるかな」とホッとした表情だ。でも、どうやらトラブルがゼロだったわけではない。資金繰りや人件費で揉めたり、外壁を広げるために周囲の土地をどう扱うかで近隣の村人と交渉があったり……日々いろいろ話が飛び交うのを耳にする。私には詳細不明だが、“私が将来使う予定”だというだけでこんなに大きな騒動になるなら、本当にごめんなさいって気分でもある。
しかし、ベアトリーチェやボリスが不穏な空気を察してうまく手を打ってくれたようで、表立った揉め事には発展せず、工期は最終段階へと移行しているようだ。私から見ても、石の壁がほぼ形になっているし、大型の木材を運び込む人たちの数が明らかに減っている。あれだけ忙しそうにしていた文官も、最近は少し余裕を取り戻したらしく、廊下で私を見かければ「リアンナ様、こんばんは。調子はいかがですか?」なんて声をかけてくることもある。私も「あ、こんばんは……げ、んき……です」とつっかえつっかえ返事ができる程度にはコミュ力が上がった。大人同士の真剣な会話に混ざるのはまだ無理だけれど、会釈だけでもスムーズにできるようになったのは、かなりの進歩ではないだろうか。
ところで、私は最近ずっと「外へ行きたい!」と強く思うようになっている。2歳半~3歳手前までの間、廊下を散歩したり、庭の端っこに連れていってもらったりはしたが、もうちょっと先――屋敷の敷地外の世界を見てみたいのだ。前世でもそうだったが、“行動範囲を広げる”ことで、より多くの情報や体験が得られる。幼児の身体が不自由なぶん、動ける範囲を増やしたい気持ちは日に日に募るものの、エミーやローザが首を縦に振ってくれない。「だって危ないよ。外壁工事が終わったばかりで地面が不安定なところもあるし、人もいっぱい来てるし……」と、まるで箱入り娘扱いだ。実際、私がもし転んだり迷子になったりしても自力でどうこうできないので、反論が難しい。結果、「外にはまだ出られない……」という結論に落ち着いてしまう。
その代わり、ローザが提案してくれたのが「バルコニーに出してあげる」案だった。私の部屋……というか“3人部屋”の隣には小さなバルコニーがあり、夜風を感じるのにちょうどいいらしい。侍女二人が安全を確かめて抱っこしてくれれば、手すり越しに外の景色を見下ろせる。私は「それ、行きたい!」と大喜びした。いくら廊下をうろうろしても、ここが“異世界”という実感は薄れがちだったし、せめて外の風景を目にすれば、何か新鮮な発見があるかもしれない。
で、実際に行ってみたら――思った以上にインパクトがあった。バルコニーに出た途端、私の周囲を包む空気がひんやりしていて、それだけで屋敷の室内とはまったく違う開放感がある。エミーにしっかり抱っこされながら手すりのほうへ移動すると、下のほうに広がる敷地の端が見え、さらにその向こうには……何やら中世ヨーロッパ風の風景? と見せかけて、ところどころ奇妙な形の建物が混ざっているのが分かる。塔がくねくね曲がっていたり、壁面に大きな紋章が浮かんでいたり、あれはもしかして“マギア”で強化しているのだろうか。しかも、視界を横切る鳥が妙に派手な色彩で、赤と紫の羽を広げながら飛んでいく。こんな鳥、前世の地球にはいなかったはずだ。
「すごい……!」と思わず口から声が漏れると、ローザが「きれいだよね。わたしもあの鳥、たまに見たことあるけど……ほら、あそこ!」と指をさす。鳥はぐるりと旋回して、遠くの森へ落ちていくように消えた。幻想的な色合いに釘付けになる私の耳に、エミーの声がかかる。「どう? 外ってやっぱり広いよね。もうちょっと背が伸びれば、ここからもっと遠くが見えるんだよ」
私は抱っこされながら「そ……か。あれ、なに……?」と指を動かす。するとエミーが「ああ、あの建物? あれは魔道士が管理してるって聞いたけど……詳しくないな。変な形でしょう?」と笑う。確かに遠目に見ても、歪んだ柱やら意味不明な飾りがにょきにょき生えている。そうか、やっぱりこの世界にはそれなりに“魔法専門”の人たちがいるのだな……。まるでおとぎ話みたいだけど、私にとってはリアルそのもの。どうやらドラゴンの姿は見えないが、それっぽい生き物がいても不思議じゃない雰囲気が濃厚に漂っている。
このバルコニーに出て外を眺めることが、私の新たな日課になった。天候が悪くなければ、一日に一度はここに出してもらい、エミーかローザに抱かれて遠景を見下ろすのだ。まだ幼児の私には柵から覗くのも危ないから、しっかり支えてもらわないと不可能なのが悔しい。でも、そのぶん前より高い位置から眺められるし、“ここはやっぱりファンタジーっぽい世界なんだ……”という実感が強まって、一種の昂揚感すら覚える。今はこんなに守られている幼児だけれど、いつかはこの外に出て、変な形の建物を直接見に行ったり、あのケバケバしい鳥を追いかけたり……そんな冒険もしてみたい。まあ、しばらくは無理だけどね。
トイレトレーニングを終えた今、私の一日の流れはさらにスムーズになった。朝起きたら「トイレ……」と自分で言って個室へ行き、食事のあとも自分で確認していく。昼寝前や就寝前に一度トイレに行けば、失敗のリスクがだいぶ減る。それに加えて、言葉だって2語文・3語文を超え、簡単な受け答えが自然にできるようになり、「ベアトリーチェ様に聞いてみようよ!」くらいの台詞なら言えるのだ。もちろんまだカタコトだが、私としてはここまで伸びたことが嬉しくて仕方ない。前世では当たり前だったことを、一つずつ“幼児の新鮮味”とともに習得するのが面白いというか、皮肉というか……。
そんなこんなで、私は日々バルコニーから外を眺めるのが大好きになった。先日は夕暮れ時に出してもらい、真っ赤な空を背景に、森や遠い町並みらしきものがシルエットになって浮かび上がるのを見たら、なんとも言えない神秘的な気分になった。「ここ、すごい……」と呟いた私に、ローザが「そうだね、きれいだね!」とニコニコしながら返事してくれる瞬間が、私の幼児ライフを最高に彩ってくれる。前世では“景色を楽しむ”なんて心の余裕はあまりなかったし、こうして誰かと共有することも少なかったから、今は妙に胸が温かくなる。
もっとも、外壁工事や庭の拡張が終わってきたとはいえ、不穏な噂が完全に消えたわけではないらしい。ときどき文官同士が「このままでは……」とか「領主が幼すぎるうちに、何か計画を……」みたいな暗い声を落としているのを小耳に挟むと、背筋がぞわりとする。私の前世的勘が、何か大きな“危機”が水面下で動いているのではと警告している気もするが、いかんせん3歳児の私には詳細を聞き出すことすら難しい。実は弁護士は、法律知識よりも、こういう危険を嗅ぎ分ける嗅覚こそが生かされることが多い。私の前世の「スキル」は、危険をしっかりと感じていたが、何も手が出せないのが辛い。
せめて言葉がもっと自由に使えれば――そう思っても、身体が追いつかない。幼児としての情緒が先走りして、いざ大人に声をかけようとすると心臓がバクバクしてしまうこともあるのが情けない。
とりあえず、私ができるのは成長しながら情報を拾い集めること。“女児だけど領主”というキャラを武器にするかどうかは定かじゃないが、周囲に溶け込みながら自分の立場を確保していくしかない。鏡に映る幼い姿を見ながら、私は心の奥底で決意を新たにする。……と言っても、毎晩ベッドに倒れこむように眠り、朝起きたらまず「トイレ!」と叫び、昼間はバルコニーから外を眺め、たまに“変な形の建物”を見てワクワクし……そんな幼児丸出しの暮らしをしているうちは、まだ大人の陰謀から完全に外れた平和な日々だ。いつか嵐が来るかもしれないけれど、今はまだ3歳になるかならないかという年齢。たとえ危機が忍び寄っていても、その影に気づくのはもう少し先になるのかもしれない。
そして、そんな私がいよいよ“3歳”を迎える日が目前に迫っていた。エミーとローザは「リアはもうすぐ3歳! パーティやる?」なんて冗談めかして言うが、たぶん小さな祝いをするくらいだろう。両親がいないから盛大にはならないと思うが、屋敷の人たちがちょっとしたお菓子やプレゼントを用意してくれるかもしれない。そういう噂を聞くたびに私はほんのり嬉しくなるのだが、同時に「3歳って、まだまだ何もできないよね?」という半ば冷めた気持ちも芽生える。前世では仕事でバリバリ動いていた自分が、いまや女児として誰かに抱きしめられて眠る毎日……。もっと強くならないと、この立場でいつか本当に喰われるんじゃないか――そんな不安を抱える一方で、身体は正直に成長のペースを守り、できることを増やし、日々を過ごしている。まるで、幼児期の無邪気さと前世の理性がせめぎ合うみたいだ。
だが、それが私の“運命”なのだろう。抱き上げられ、バルコニーへ出て、遠くを見渡しながら「あの鳥また飛んでるね」「町のほうに煙が見える……あれはお祭りかな?」とローザとおしゃべりする時間が、いまは一番の癒やしだ。どこかで誰かが危機を醸成しているかもしれないけど、それに気づけるほど私はまだ言葉も社会の仕組みも知らない。大人の陰謀が着々と進んでいても、3歳児が対抗できるわけもない。いっそ“このまま、平和に成長したい”と願わずにはいられないけれど、そんな甘い考えで済むほどこの世界は優しくなさそうだ。
そう、いま目の前に広がる、奇妙な形の建物やカラフルな鳥が飛ぶファンタジーな風景。これが私が生きていく「本当に異世界」なのだ――3歳になったとき、その実感はさらに深まり、“ここを支配する理”が私に何を要求してくるのかを、いつか否応なく突きつけてくるに違いない。だけど、まだそんな気配は誰の目にも見えていない。侍女たちも、ベアトリーチェも、工事に関わる文官たちも、表面的には落ち着きを取り戻し始めている。領地は一見安定しているかに見えるし、私はかわいい女の子ということで誰からも疎まれず、幼児らしく扱われている。ただ、それは“嵐の前の静けさ”なのかもしれない――前世の勘がうっすらそう警告しているが、まだ確信を得られる証拠は何もない。
こうして私の3歳直前の生活は、トイレも一人で行き、言葉も日に日に滑らかになるなか、バルコニーで外を眺めるのが日課になる――という、幼児としては穏やかだが、どこか落ち着かない日々で幕を閉じようとしている。明日か明後日には“3歳”の節目を迎えるが、それでも私はまだ自分が女の子であることへの違和感を抱えつつも、楽しく生活している。エミーやローザに小さなことで大げさに褒められたり、あるいは体を洗われるときも慣れたとはいえドキドキする。でも、トイレは完全にマスターしたし、表情や単語でしっかり感謝や喜びを伝えられるのは嬉しい。着実な前進だ。
守ってもらえるということは本当にありがたい。いつも身近に接するのは、エミーやローザだが、ベアトリーチェさんも、ボリスさんも、私に見えないところで、私のためにいろいろとしてくれているのだろう。ふと、前世の「親権」の概念を思い出す。「権」とあるけれども、実態は義務だ。あえて権利という言葉を遣うのであれば、「義務を果たす権利」といえる。
そんなことを考えつつ、私は、今のところは、ゆっくりと、でも着実に成長する日々を送っている。
……もっとも、その先に待ち受ける波乱を、この3歳児の私はまだ具体的に想像できていない。周囲が気づいていないだけで、陰謀や危機の影は着実に近づいているのかもしれない。私が生まれた時点で失った両親、そして幼い“女の子領主”という立場が、いずれ大きな運命を呼び寄せる――。だが、その影を敏感に察知する者はまだ屋敷には現れず、私をとりまく侍女や文官、兵士たちも「まあ順調だろう」と安堵するばかり。私もまた、見えない不安を抱えながら「きっと何とかなる」と自分に言い聞かせていた。
そうして3歳の誕生日の前夜、私はいつも通りエミーとローザに「おやすみ~」と小さな声で告げ、薄暗いランプが静かに揺れる部屋で眠りにつく。自分専用のトイレを使いこなし、バルコニーから世界を眺めるようになった“幼児リアンナ”の日々は、一見平和そのもの。しかし、その静寂の裏に何が潜んでいるか――、どんな悪意が芽生えつつあるのか、この瞬間はまだ誰も知らない。三度目の誕生日を迎えようとする私に、運命はどんな試練を用意しているのか。夜の窓外には、かすかに月光が差して、工事がほぼ終わった外壁を照らし出す。その景色はどこか物寂しくもあり、私はまた少し胸騒ぎを覚えながら、柔らかなブランケットの温もりに沈んでいった。どうかこのまま、穏やかに時が流れますように……そんな幼い祈りを胸に抱きながら――。
前世 日本国 民法
820条 親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。
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