冷たい灰がもたらす動乱の風⑨
リチェルドとセレイナも決意を込めて頷いた。その姿を見て、私は微かな勇気を得る。こうして私たちは、この寒冷化と北方動乱への連携策をさらに詰めることになった。具体的な合意としては、以下のような内容がまとめられる。
1. 情報共有の強化
それぞれの領地が得た情報を迅速に交換するため、定期的な使者・連絡係を往来させる。特に北方情勢に関しては、少しの変化でも共有する。
2. 物資交換・支援ルートの試験的確立
フェアレント領が得意とする畜産物やクロイゼル領が保有する森林資源、マルディネール領が得意とする海産物・塩を互いに融通できるよう、限定的だが協定を結ぶ。市場価格に左右されず、必要な時に最優先で交換できる枠を用意する。
3. 王国政府への共同アピール
今回の事態がどれほど深刻かを示すため、三家連名で王都に使者を送る。すでに個別に書簡を出しているが、まとまった形で要請すれば、より重く受け止められるはず。王国として一刻も早い対策会議を開くよう要求する。
4. 防衛協力の検討
北方から難民や暴徒が押し寄せる最悪のシナリオに備え、領地境界付近での治安維持に協力する覚書を交わす。軍事同盟というほど大げさではないが、最低限の連携は必要だろうという認識。
この合意を書面にまとめ、三家が署名を交わしたとき、私はほっと胸を撫で下ろす。もちろん、これだけで大問題が解決するわけではないし、大仰な「連合」ではない。しかし、あまり時間をかけられない中、これほど具体的な行動指針を作れたのは大きな一歩だ。王国政府が重い腰を上げるかは不透明でも、“地方”が自発的に動いている事実が広まれば、波及効果があるかもしれない。
夕暮れが近づく頃、会談はいったん終了し、リチェルドとセレイナはそれぞれ領地へ戻る支度を始めた。私が送り出すために玄関へ出ると、リチェルドは少し寂しそうな目で私を見つめる。「こんな厳しい局面で、以前みたいに呑気なお茶会はできなくなったね……。」
私は微苦笑して首をかしげる。「そうね。でも私たちは今、別の意味で協力し合えているじゃない。大変だけど、きっと乗り越えられるはず。」
リチェルドは静かに笑って、「うん、ありがとう。君のそういう前向きなところ、以前から尊敬しているよ」と言って馬車に乗り込む。そのまま手を振りながら出発していった。なんだか変に胸が熱くなるのを感じつつ、私は振り返ってセレイナを見やる。セレイナは肩をすくめて、「あんな顔してるけど、彼も必死なのよね。私も負けてられないわ。クロイゼル領を守るために、何とか手を打つしかない」ときっぱり宣言し、別れの言葉を残して馬に乗った。
こうして二人を見送ったあと、私は玄関でしばし立ち尽くす。曇天の下、風が館の壁を撫でていく。これからが本当に大変だ――そう思いながらも、仲間と連携できることに微かな安堵を感じるのだった。
数日後、フェアレント・クロイゼル・マルディネール三家から連名の書簡が王都へ向けて発送される。そこには「北方の伯爵領が飢餓と暴動の危機にあり、王国として早急な対応が必要」「火山灰による寒冷化が長期化すれば、王国内の農業や経済に甚大な影響が出る」「中央が指導力を発揮して、『全土の対策会議』を開催してほしい」という要望が盛り込まれた。こんな形で力を合わせたのは初めてだが、少しでも中央を動かしたい――その一心で、私たちは筆を走らせたのだ。
ところが、それから数週間経っても、王都からの反応はほとんどなかった。かろうじて届いた短い返事は「王国政府としても各地の情勢を確認中であり、近日中に会議を検討する」という、実に曖昧な内容。日時や具体策の記載はなく、「のらりくらりとかわされている」という印象を拭えない。しかも噂によれば、中央は貴族派閥の対立が激化しているらしく、地方領主の嘆願など後回しになっている可能性が高いのだ。
その間に、アルヴィル領周辺の混乱はますます深刻化し、別ルートで逃げてきた難民がフェアレント領の一部村に流れ込んだという話も聞こえ始めた。リチェルドからの手紙では「わが領地の村では、難民と住民との摩擦が起き始めており、治安維持に苦慮している。北方へ派遣した偵察隊の証言では、アルヴィル領の内紛が激しさを増しているらしい」と記されていた。クロイゼル家のセレイナからも「森に入り込む難民が増えて、狩猟や薬草採取の現場で混乱が生じている。森を荒らす者までいて、止めるのが大変だ」と嘆く報告が届く。こうなると、“被害”は確実に王国全体に波及していると言えそうだった。
「王国政府は一体何をしているの……? 本当にこのまま手をこまねいている気なのかしら。」
書類を読み終えて机に突っ伏す私に対し、ボリスさんは淡々と言う。「王都も火山灰による影響で米や麦の収穫が落ち込んでいるそうですし、都市人口が増えた分だけ飢えも深刻になりやすい。さらに、貴族派閥が政治の主導権をめぐって争っているという話を、商人ルートから聞きました。つまり、こういうときにこそ王が強権を発動すべきなのに、それを行えるだけの政治基盤がないのでは……。」
私は両手で顔を覆う。「こんな非常事態で派閥争いなんて……。まるで灯台下暗しね。」
そこへ追い打ちをかけるように、新たな連絡が飛び込む。なんと、アルヴィル伯爵領だけでなく、その隣地でも食糧危機と暴動の兆しがあるというのだ。領主が連携しようとしないばかりか、お互いに責任を押し付け合っているとの噂。腐敗官吏が跋扈し、流通を牛耳ろうとする悪徳商人たちが闇市場を形成している――これでは、いつ正式な内乱が勃発してもおかしくない。調査隊が帰還した際の報告によれば、山道は軒並み危険度が増し、武装した無法者が出没するケースも増えているという。使者が往来するだけでも命がけの状態だ。
「もう、王都に書簡を送るだけじゃ限界かもしれないわ……。実際に、私たちが王都へ赴いて直接直訴するしかないのかも。」
私は重々しく唸りながら、地図を見つめる。マルディネールから王都まではそこそこ距離があり、途中で他領を通過する。安全が担保されるルートを選んでも、往復だけで数週間かかるだろうし、館を空けるのも危険だ。ボリスさんが慎重に声をかける。「確かに王都へ乗り込むのは手ですね。しかし、お嬢様が直接行かれるなら、領地の留守はどうします? 寒冷化がさらに進めば、こちらだって混乱に巻き込まれる可能性がありますよ。」
私の頭には、フェアレントやクロイゼルも同じような問題を抱えていることが浮かぶ。おそらく、リチェルドやセレイナだって気軽に王都へ出向ける余裕はないだろう。それでも、このまま書簡の応酬だけでは埒が明かない。さらに日数が経てば、北方の状況は一層手が付けられなくなる――という危機感だけが募る。
しかしそのタイミングで、私たちが待ち焦がれていた調査隊の一部メンバーが、ついに戻ってきた。全員ではなく、半数近くはアルヴィル領の近くで別行動をとっているらしいが、ともあれ途中経過の報告を聞けるのは大きい。私は早速、執務室で彼らから話を聞くことにした。彼らは埃まみれの衣服を脱いで申し訳なさそうに身を縮めている。かなりの苦労をしてきたのだろう。
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