冷たい灰がもたらす動乱の風⑦
その日の夜半過ぎのこと、やや湿った海風が館の屋根を撫でていく。窓の隙間から微かに入り込む冷気が、シーツの上で身を横たえる私の肌を震わせた。けれど、その寒さ以上に、頭を離れないのは「アルヴィル伯爵領」の混乱と、この先に広がる“灰色の未来”の不安だった。まるで深い霧の中を手探りで歩いているような心地が続いている。朝になれば、派遣した調査隊からの最初の連絡が届くかもしれない――そう思いながら、私は疲れた体を寝台の奥に沈めた。微睡みかけた意識の奥で、「灰に閉ざされた大地」と「逃げ惑う人々」のイメージがぼんやり漂っていた。
翌朝、薄い朝日がようやく窓辺を照らし始めるころ、私は侍女のエミーに起こされると同時に執務室へ向かった。ドアを開けた先では、すでにボリスさんが待っていて、落ち着いた声で言う。
「お嬢様、フェアレント家とクロイゼル家から急ぎの返信が届いています。おそらく、北方情勢に関する情報かと。」
「そう……! 早いわね、助かるわ。読ませて。」
私はほとんど寝起きのまま封筒を受け取り、勢いよく封を破く。中には、いずれも簡潔ながら緊迫感のある文面が並んでいた。まずフェアレント家――リチェルドからの手紙にはこう書かれている。
「そちらからの書簡、確かに受け取りました。わがフェアレント領も、噴火による寒冷化で小麦の一部が不作の兆しを見せています。漁業は持たない領地なので、長期化すれば大きな影響を受けそうです。
ところで、北方のアルヴィル伯爵領に関する話、我々にも伝わっております。周辺の諸領も不安を抱えており、領都の近くで紛争が起きたという噂さえ飛び交っています。わが家としては、できる限り周辺領と連携して乗り越えたいのですが、具体策はまだ。
近々、そちらと直接会い、情報交換を図りたいと考えています。もしよろしければ、マルディネールのほうで会談の場を設けていただけないでしょうか。できるだけ早い時期に伺いたいと思います。
――リチェルド」
手紙を読み終えた私は、小さく息をつく。リチェルドがこうして率直に「会いたい」と書くからには、相当事態が深刻なのだろう。彼はフェアレント家の次男で、相続権があるわけではないが、実質的に領内の一部を任されている。そのためか、近頃は家庭内の問題や将来の進路で悩んでいる様子だった。そんな彼が「周辺領と連携をしたい」と言い出すのは、相当覚悟を決めている証拠だ。
次に、クロイゼル家の長女セレイナからの手紙に目を通す。こちらも端的だが要点を突いている。
「あなたからの書簡、拝見しました。わがクロイゼルも寒冷の影響を受けつつありますが、森と湖から得られる資源で当面はしのげそうです。ただし、北方域から逃れてくる人々のうわさが、私たちの森の周辺でもちらほら耳に入ってきました。
私としては、やはり情報交換が不可欠だと考えます。どうも、王国政府が動いていない以上、私たち若い世代で先に話し合う必要があるのではないかしら。もしそちらで会談を提案してくれるなら、できるだけ早く参加したい。
――セレイナ」
ふたつの書簡を続けて読み、私は顔を上げてボリスさんと視線を交わす。彼も薄く笑みを浮かべ、「やはりフェアレント家とクロイゼル家も危機感を抱いていますね。お嬢様が書簡を出したのは正解でした。どちらも『早急に会いたい』と述べている以上、こちらで場を設けるのがいいかもしれません」と言う。私もうなずくしかない。
「ええ、きっと二人とも気が気じゃないのよ。もしかすると、フェアレント領もクロイゼル領も、もう余裕がなくなりつつあるのかもしれない。なら、早急に会談しましょう。場所はうちの館か、あるいは港町のほうがいいかしら……。」
ボリスさんはしばし考えてから、「館のほうが警備もしやすいですし、地の利がありますね。もしアルヴィル領あたりから奇妙な刺客が入り込む恐れがあるとすれば、港町は人の出入りが多く、かえって危険かもしれません。ここマルディネール伯爵家の館でお二人をお迎えするのが最適でしょう」と提案する。確かに、今は不測のトラブルを警戒せざるを得ない。私は素直にそれに同意し、すぐにフェアレント家とクロイゼル家へ「会談を開きたい」と返書を送ることを決めた。
こうして、しばらくの準備期間を経て、リチェルドとセレイナが同じ日にマルディネールの館を訪れることになった。以前にも何度か顔を合わせた三家の若い世代が再び集結する形だ。問題は、この場で具体的にどこまで話を進められるか――北方で進む混乱への対応、そして自領の寒冷化リスクへの備え。どちらも難題であり、下手をすれば暗いだけの集まりになりかねない。それでも今は情報交換が命綱になるかもしれないのだ。私は少しだけ胸をはずませながら、侍女たちと共に館の迎賓室を整えた。火山灰の影響で日差しが弱い昼下がり、私は入り口近くで待機し、やって来る二人を見守る。
最初に姿を見せたのはリチェルド。颯爽と馬車から降りてきた彼は、いつもの優しい笑顔を浮かべているものの、頬はどこかやつれて見える。長旅の疲れか、あるいは領内の現状に疲弊しているのかもしれない。私は出迎えて声をかける。「リチェルド、久しぶり。大丈夫? 疲れてそうだけど……。」
すると彼は少し苦笑して、「やあ、リアンナ。いろいろあって、夜もあまり眠れていないんだ。ここへ来るまでにも、小麦の価格が高騰しているとか、隣の領地でトラブルがあったとか、嫌な話を耳にしてね。でも、こうして会えて嬉しいよ。あなたが声をかけてくれたおかげで、少し安心できる」と語る。その言葉の端々に、不安と葛藤が入り混じっているのを感じる。
続いて到着したのはセレイナ。クロイゼル家の長女である彼女は、森を守る気高い雰囲気を纏っているが、こちらもやはり無理をしているらしく、目の下にうっすらクマがあるように見えた。彼女は軽く息を吐き、「リアンナ、呼んでくれてありがとう。ここ最近、あっちでもこっちでも不安材料が増えてきて、領民のケアだけでも手いっぱいなの。正直、息が詰まるわ。こうしてあなたたちと話ができれば、少しは気が晴れるかも……」と率直に漏らした。セレイナが弱気な言葉を発するのは珍しい。いつもは堂々としているのに、それだけ今の状況が重いのだろう。
私は二人を館内へと案内し、暖炉を焚いてある迎賓室へ通す。暖かい香草茶と軽い食事を用意し、落ち着いた雰囲気の中で会談を始めることにした。窓の外は午後の灰色の空が広がり、わずかに吹く風が館の庭木を揺らしている。三人が椅子に腰かけ、ボリスさんや侍女たちが控え室で待機する中、私は話の口火を切った。
「まず……こうして来てくれてありがとう。二人とも、領地が大変なのに時間を作ってくれたことに感謝しているわ。さっそくなんだけど、アルヴィル伯爵領の話は聞いてるわよね? たぶん、私たちが知っている以上に、現地は混乱しているらしいの。実は調査隊を送ったんだけれど、まだ戻ってこなくて……正直、心配だわ。」
言葉を発しながらも、アルヴィル領の現実が脳裏に浮かぶ。飢え、暴動、跡継ぎ問題の対立……。リチェルドは苦い顔で下を向き、「僕のところにも似た情報が入っている。山の集落では、家畜を盗まれる事件が多発しているとか、領主が動かないので民衆が自警団を作ってしまっているとか……。いずれにせよ、もう普通の取引じゃ収まらない危機だよね」と吐き捨てるように言う。
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