『女の子なの…!?』驚きの成長と忍び寄る足音を感じるころ①
私――リアンナ。もうすぐ2歳と6か月。前世の知識を持ったままこの異世界に転生してきたとはいえ、いまだ赤ちゃん生活と幼児生活のはざまを行ったり来たりしている。先日までは「言葉が分からない」「二足歩行は危なっかしい」など、赤子としての不自由を嘆いていたけれど、この半年ほどでまた少し状況が変化してきた。周囲の話を聞いて理解する力も増え、“ちょっとした会話”なら成り立つようになったのだ。もちろん、まだ2歳児の口舌に過ぎないから、完全なコミュニケーションには程遠い。それでも、自分の意思を伝えられる機会が増えたのは、日々の生活を大きく変えている。
この時期になると、私の身体能力も確実に伸びていた。簡単なものなら自分で持てるし、積み木を組み立てて遊ぶといった“幼児らしい”遊びが一気に増えた。はいはいだけではなく、伝い歩きを経て、よちよちと小走りの一歩手前くらいまで到達する瞬間すらある。もっとも、少し調子に乗ると転んでしまうし、足元がおぼつかないのは変わらない。私の頭の中にある“前世の大人”の感覚と、今の身体の実際とのギャップは、いまだ私の行動を制限しがちだ。
その一方で、エミーやローザ――私の世話を主にしてくれる若い侍女たち――の呼びかけを耳にして、「あ、これ言ってるのはあの単語かも」とピンとくる場面が増えてきた。彼女たちのやり取りをじっと見つめていると、だいたい会話の流れや場面から言葉の意味が推測できる。たとえば「イクラ」という単語は“食事”を意味しているらしく、実際、昼ごはんやおやつの時間帯になると頻出するし、彼女たちがスプーンや皿を運んでくる状況とセットで耳にする。そうやって“単語を実体験に当てはめる”ことで、私の中で語彙が形作られていくのを感じる。赤ちゃん~幼児の脳が吸収しやすいとはいえ、前世の私はもう大人だったから、自分なりに「これはこういうコンテクストで使う言葉か」と理屈っぽく覚えてしまうのが面白い。
そんな成長の兆しの中で、最近いよいよ始まったのが“トイレトレーニング”だ。正直いって、赤ちゃんのうちは普通に布おむつで用を足していたわけだが、2歳半近くなった今、「そろそろおむつ卒業を目指すの?」という雰囲気が屋敷全体で漂い始めたらしい。侍女長ベアトリーチェはもちろん、エミーやローザも「トイレ練習?」「どうやる?」という感じで戸惑いながら、でも私を一段上の“幼児”に育てようとしてくれているようだ。前世でも“2~3歳でトイレトレーニングが始まる”なんて話を聞いた覚えがあるから、この世界でも大体同じタイミングなのかもしれない。
しかし、私にとっては若干の抵抗があった。そりゃ前世で大人だった身からすると“トイレは当たり前に自立しているもの”なのだけれど、今の体は2歳児の身体。それに、いままでは周囲があたりまえのようにおむつ替えをしてくれて、“自然”に排泄を済ませられる生活に慣れてしまっていた。そこに「トイレ行こうね?」「おしっこはここでね?」と介入されると、妙にくすぐったいし、気恥ずかしい感覚もあるのだ。頭では「そんな当たり前のこと、すぐに受け入れればいい」と思っても、何かこう、プライドのようなものが引っかかると言うか、あるいは“自分は2歳児のはずなのに、急にトイレの意識を持っていいの?”というギャップを感じると言うか。実に複雑だ。
もっと言うと、私が再び“赤ちゃん”としてこの世界に生まれ落ちてから、ずっと気づかないふりをしていた事実がある。――そう、私は女の子だ。生まれてすぐに母親を失い、さらに父親も半年後に亡くしてしまったので、“身体の違い”をあれこれ検討する余裕もなかった。でも、実際に生後半年を越えたあたりから、おむつを替えられるときに「ああ……前世と違う」と気づいていたし、沐浴のときにも侍女たちが “女の子扱い” する仕草はうっすらと伝わっていた。とはいえ、あえて深く考えず、2歳になるまで“ぼんやりスルー”してきたのだ。
だが、トイレトレーニングの段階になると、もはや否応なく向き合わざるを得ない。おむつを外して“おまる”的なもの(この世界ではもっと木製の簡易椅子みたいな造り)に座らせられるとき、「ああ、私は完全に女の子の体なんだな……」と嫌でも視界に入る。もちろん、この年齢の子どもなら普通のことだし、侍女も慣れた様子でケアしてくれるだけだけれど、前世で男性だった記憶を持つ私には、微妙な感情がこみ上げる。羞恥とも困惑ともつかない感覚が胸をくすぐるのだ。
最初はその居心地の悪さに反発しそうになったが、「エミーやローザを困らせるのも悪いな……」という気持ちが勝った。彼女たちは本当に優しく、「こっちに座ってみよう? もしおしっこが出たら、こうやって……」と懇切丁寧に説明してくれるし、私が黙りこくったまま座っても「うん、ゆっくりでいいよ」と時間をかけてくれる。前世で散々当たり前にトイレを使ってきたのに、いまさら“教わる側”というのも何とも言えないが、それが今の私の現実だ。
そのうち、日中はできるだけ“布おむつをはかずに、おまるで排泄する”というステップに進むと、自然と“トイレを意識”する回数が増える。おしっこがしたくなったら(と言っても2歳児の感覚は曖昧だが)、「あ……しー……」とか「おしっこ……?」と伝える練習をする。するとエミーやローザが「そうそう、しーって感じたら教えてね。すぐ連れていくから」と応じ、私をおまるへ運ぶ。初めて成功したときは、二人が拍手して大喜びしてくれたので、私もまるで“偉業を成し遂げた”ような謎の達成感を味わってしまった。もちろん、前世なら当たり前すぎるのだけど、やはり幼児の体は“できなかったことができるようになる”一つひとつに誇りを覚えるみたいだ。
逆に失敗して床に漏らしてしまったときは、「ああ……ごめんなさい……」とすっかりへこんでしまう。だが、二人は「大丈夫、2歳児なら普通だよ」と笑って拭いてくれ、嫌な顔一つ見せないのが救いだ。ベアトリーチェやほかの侍女も同様で、誰も私を叱ろうとはしない。「焦らず少しずつ慣れればいい」と優しい声をかけてくれるので、私はそれに甘えて日々トレーニングを続けることができる。とはいえ、やはり前世の記憶がある身としては“お漏らし”自体が恥ずかしく、“こんなはずじゃなかった”と内心で赤面する瞬間も多い。だけど、2歳児の神経は“ちょっと失敗してもまあ仕方ない”くらいに切り替わってしまうのが不思議だ。生物学的な反応と言うか、幼児的な思考が半分を占めているんだろうか。
そんなトイレトレーニングにまつわる中で、私は完全に「自分が女の子なんだ」という事実を直視するようになった。以前は意図的に避けていたが、オムツを外した状態で自分の体を見ると、やっぱり“前世の男性の体”とはまったく違う。改めて「私はこの体で生きていくんだ……」という軽い衝撃を受ける。少し考えれば当たり前のことだし、この世界に来てもう2年以上が経っているのに、いまだにどこかで“自分は男だ”という意識を捨てきれていなかったのだろう。だが、“領主としての私”を演じる以上、女の子であることは避けられない道だ。いや、それ以前に普通の生活でも服装や身体の成長が、いずれもっと顕著に男女の差を出してくるに違いない。
エミーやローザは今のところ、私に男女の差を強く意識させるような扱いはしていない。むしろ子どもの服は性別をはっきり分けないデザインが多いようで、薄い色のチュニックやズボンなど、割とユニセックスな格好をさせられている。とはいえ、将来は“女の子らしい服”を着るようになるのかもしれない……と想像すると、少し気が重い。まさかフリルやレース満載のドレスを着るような日が来るのか? 私が“男としての人生”に慣れた前世の意識を持っている分、“女の子の装い”には抵抗もあるが、周囲がそれを希望するなら拒否するのも難しい立場だ。領主様=家の顔ということは、人前に出るときは相応の格好をする必要がある。焦りや不安がぐるぐる回るが、今は2歳半。服選びの主導権など持てるはずもない。“女児としてのこれから”をどう受け止めるかは、また別の問題になるだろう。
その一方で、私のなかには“領主として生き延びたい”という切実な願いがある。男性であろうと女性であろうと、両親を失った幼い当主という存在は、多分“政治的に危険なコマ”に過ぎない可能性が高い。陰謀があれば真っ先に狙われそうだし、政略結婚だとか、家督争いだとか、そういった波もいずれ押し寄せてくるかもしれない。幼い女の子なんて、身体的にも政治的にも“最弱”ではないか……と考えると、一刻も早く成長して、言葉や知識を身につけ、マギアについても多少は理解し、人を指揮できるだけの存在になる必要があるのでは……と焦りが募る。
「しかし、焦っても2歳の体が追いつかないんだよ……」と、寝る前に自問自答してしまう。昼間はトイレトレーニングに励んで、失敗すれば涙を流し(2歳の体が精神に影響を与えるのがもどかしい。)、成功すれば大はしゃぎ。そんな幼児丸出しの生活をしている自分を客観的に見ると“本当にこれで大丈夫か?”と不安になる。でも、こればかりはやるしかない。ここで育たなければ、将来的に屋敷や領地を握るどころか、生存すら危ういのだ。マギアに関する情報も、もう少し大きくなれば体系的に教わる機会が来るとベアトリーチェが言っていたが、それがいつになるか分からない。幼少期の今こそ、言葉の習得と身体的な自立が優先だ――自分自身にそう言い聞かせる。
トイレトレーニングは、その「身体的な自立」の一環として非常に象徴的な意味を持っている。自分で排泄をコントロールできるようになるというのは、人間としてある程度の自立を得る第一歩だ。前世ではまったく意識することなく当たり前の行為だったけれど、今はそれが“修行”に近い感覚なのだから面白い。最初におまるに成功した日は、侍女たちが「すごいすごい!」と大拍手し、エミーが「よくがんばったね!」と私の頭を撫でてくれた。そのときの高揚感は予想外に大きかった。まるで裁判に勝訴したときのような達成感……と言うのは少し大げさだが、幼児の体は“褒めてもらう”ことでモチベーションが爆上がりする仕組みのようだ。
同時に、前世との違い――つまり“女の子である”事実をつきつけられるたび、胸のどこかがヒリヒリする。おまるで排泄するとき、侍女たちが当たり前のように私の下半身を確認してくるのも、“成人男性”だった頃の意識があると戸惑う部分が大きい。口に出して「恥ずかしい」などとは言えないが、実際、赤面のような熱さが頬にこみ上げるのを自覚する。それでも「2歳半の女の子なんだからこれが普通」と自分に言い聞かせ、その場をやり過ごすしかない。何より、こちらが躊躇していると侍女が「どうしたの? 痛い?」とか心配して大騒ぎしてしまうので、余計面倒なのだ。なるべく自然体を装って「しー、した……」と報告し、あっさり済ませるのがベストという結論に至った。
服装に関しては、まだそこまで“女の子らしい”という区別はなく、淡い色やシンプルなデザインの服が多い。でも、いずれはもっと露骨に“女児向け”のドレスやスカートを着せられる日が来るんだろうな……と思うと、なかなか心が落ち着かない。前世で女性の服装を身につける機会など一度もなかったから、どう振る舞えばいいかすら分からないし、何より“似合うのか?”という変な不安まで湧く。侍女たちは「将来はきっとかわいいドレスが似合うよ!」と微笑んでいるが、私にとっては軽くホラーだ。想像しただけで身震いする。だが、それも避けられない運命だろう。私が領主として表舞台に出る際には、女性としての格式を示す衣装が必要になる――この世界の常識がどんなものか正確には分からないが、貴族や領主階級なら尚更である。
まあ、それらの問題は“トイレトレーニング”ほど切実ではない。なにしろ、今は排泄をきちんとコントロールし、言葉を確実に覚え、もう少し身体を鍛えることが先決だ。日中、おむつを外したまま部屋の中をちょこちょこ歩き回る練習が増えた結果、最初の頃は週に何度も失敗していた漏らしが、最近は2、3日に1回まで減ってきた。エミーやローザは「ちゃんとおしっこしたくなったら言ってね」と声をかけるたび、私も「はーい」と元気に返事する。それが成功すれば褒められ、失敗しても責められず、「次は一緒にがんばろうね」で終わり。なんとも優しい世界で、前世の厳しい弁護士業界とは対照的すぎて、思わず笑ってしまうことすらある。しかし、これが2歳半の私のリアル。わずか2年半で人生観がここまで変わるとは、やはり転生というものは侮れない。
私自身、言葉とトイレが少しずつ自立してきたことで、最近は心の安定感が高まっている気がする。以前までは、ちょっとしたことで泣き叫んでしまう赤子気質が強かったが、今は「泣く前に言葉で何とかしよう」と頭が働くケースも増えた。例えば、腹具合が悪いときは「おなか、いたい……」と漏らせば、侍女がすぐ対処してくれるし、トイレに行きたければ「しー……きた!」と言って状況を告げれば焦らずに済む。もちろん、まだ言いそびれて泣くこともあるが、確実に“コミュニケーション力”が上がることで、私の心が余裕を持てるようになっているのだろう。
さらに、この成長ぶりにベアトリーチェが一目置いてくれているらしく、最近は私を少し長めの廊下散歩に連れ出すことも増えた。文官や兵士が行き交うエリアで何が起きているか、私が興味を示せば「見学くらいなら」と許可してくれる。とはいえ、あくまで“散歩の延長”だから深くは突っ込めないが、それでも役人が紙をやり取りしている光景や、兵士たちが鎧を整備している場面など、以前よりも“日常の裏側”を覗けるようになってきた。ここで私の意欲が刺激され、“彼らが何をどう管理しているか”を早く理解したいと思う気持ちが湧き上がる。2歳の体ではまだ到底無理だが、将来への準備として語彙を増やし、大人の会話をなるべく聞き取れるようになりたい。
そんな中、ベアトリーチェがにこやかにこう言う。「リアンナ、言葉がだいぶ上手になってきたわね。あともう少し落ち着いたら……ちゃんと文字も教えてあげたいの。でも、まだ焦らなくていいわ。2歳6か月なら、トイレのほうが先決でしょう?」私は「うん……」と素直に返事する。トイレ優先というのは妙にリアルで、文字を学ぶよりもまず排泄管理が先か、と前世の自分なら爆笑しそうだが、今や“体”と“生活”が優先だと痛感している。文字を読めるようになれば、マギアの基礎理論なども早く吸収できるかもしれないが、ベアトリーチェがそう言うならきっと正しい順序なのだろう。私がいくら前世の記憶を持っていても、この身体は2歳6か月。言い聞かせるしかない。
また、女の子としてのファッション的な話題には、周囲はまだ踏み込んできていない。せいぜい「そのうち、かわいいドレスも着れるかな?」とローザが冗談めかして言うくらいで、実際にドレスを見せられたりするわけではない。だが、侍女同士の会話から「領主家の女児として、もう少し大きくなったら儀式用の衣装が……」とか、「いつかほかの貴族との子供が集まる場に出るかも?」という雑談を小耳にはさんでいる。そう考えると、近い将来に本格的に“女の子らしい衣装”を着るイベントがあるのかもしれない。焦る気持ちがありつつも、いまはトイレトレーニングのほうでいっぱいいっぱい。2歳児の体に無理をさせると熱を出したり泣きじゃくったりして、結局自分が辛くなるのがオチだ。
あとは、2歳半に差しかかったとはいえ、夜泣きや昼寝のリズムはまだまだ乱れる。夜中に目覚めて「あ、しっこ……」と感じると、意識がぼんやりしたままベッドから降りようとして転びそうになる。そこですぐ泣いてしまい、エミーが飛んできてあやしてくれるという。自分でトイレに行けるようになるまで、まだ時間がかかるのだと思い知らされる。彼女たちは「大丈夫、大丈夫、リアはがんばってるよ」と背中をさすってくれるが、前世の記憶があるぶん、私は「こんな幼稚なこともできないのか……」と落ち込んでしまうこともある。だが、侍女に見守られながらおまるに腰掛け、何とかやり遂げたときには安堵感と達成感がブワッと広がるから人間は不思議なものだ。これが幼児ライフか、と思いきり体験している。
そうして、日々少しずつ進む“トイレトレーニング”。成功率が上がるにつれ、私の心も落ち着いてきて、「やっと“幼児としての誇り”が芽生えたかも」と感じる瞬間がある。失敗しても泣く時間が減り、自分で「ごめんなさい、間に合わなかった……」と伝えられるだけでも大きな進歩だ。エミーたちは「ちゃんと報告できたね!」と盛り上がるし、私は照れながらも次回は失敗しないよう気をつけようと思う。まるで小さなPDCAサイクルを回しているかのようだ。この繰り返しによって2歳6か月の幼児は排泄自立への道を歩んでいくのだな、と実感する。
そして、女の子としての体を自覚するたび、軽い焦りを抱える。領主でありながら幼女という立場は“最弱”かもしれない――自分の中でそう結論づけてしまう面もあるが、逆に言えば“幼い女の子だからこそ警戒されにくい”利点もあるのでは? と考えたりもする。例えば、クーデターや陰謀を企む人がいても、「あの子はまだ子どもだから……」と油断するかもしれない。その隙を突いて味方を増やし、いざというときに自分の存在を示す――なんて、大人びた戦略を妄想するのは前世の名残だろうか。今は身体が幼児で頭もぼんやりしている時間が多いのに、そんな小賢しい計算をする自分がどこか滑稽に思えて仕方ない。
ともあれ、トイレトレーニングが順調に進むにつれ、“自分の身体を意識する”機会が増えたのは事実。以前ならおむつ替えを受動的にされるだけだったが、今は能動的に「あ、そろそろ行かないと」と自分から言い出す練習をしている。やがて、失敗がほとんど無くなったら完全におむつを卒業し、パンツのようなものをはけるようになるかもしれない。侍女たちは「そうだよ、最初は布のパンツをはくことになるかな。あと、女の子はスカートやワンピースも……」と言うが、私は「わ、わんぴーす?」と頭が混乱し、「……う、うん……」と曖昧に返事してしまう。それを聞いたエミーが「ふふっ、楽しみね!」と笑うから、私は内心「楽しみじゃないよ……」と思いつつも反論しづらい。だって、こちらは2歳児として発音もままならない。どうやって複雑な感情を表せばいいのか。仕方なく苦笑いでごまかす。
もちろん、これらの問題――性別の違和感、領地の不安――はまだ本格的に浮上していない。2歳6か月の私には日常生活を成立させるだけで手一杯。とはいえ、小さな一歩が大きな未来を築くと信じ、私はトイレにも言葉にも体力づくりにも励んでいる。周りの侍女や兵士が私を“領主様”と敬うのは形式上のもので、実際には“幼児の私”を守り育ててくれているだけ。だからこそ、私はいずれ恩返ししたい。両親はいなくても、この家や領地の人々が私を支えてくれているのが日々伝わるのだから。
夜寝る前、エミーが「今日はトイレ何回成功したか覚えてる?」と笑顔で尋ねる。「えーと……2かい?」と指を2本立ててみせれば、彼女は「そうだね、あと1回は失敗だったけどがんばったね」と頭を撫でてくれる。私は素直に嬉しくなり、「うん、ばいばい…しっぱ……」とうまく言えず噛みながらも意思表示を試みる。するとローザが「失敗って言いたいの? でもいっぱい成功したよ!」と補足してくれ、みんなで笑い合う。たかがトイレの成功失敗でこんなに温かな笑顔が生まれるのだから、2歳の世界はある意味で幸せに満ちているのかもしれない。前世の忙殺された日々では感じられなかった小さな充足感がここにある。
やがてブランケットにくるまり、まどろむころ、私は「女の子として生きるの、悪くないかも」と思う瞬間が増えてきたのを感じる。もちろん複雑な感情や抵抗が皆無ではないが、“この体で生きていく”と腹をくくるほうが、今後の成長にプラスになると本能的にわかっている。領主の地位を脅かされるかもしれない不安は尽きないが、だからこそ“自分の体”を使いこなし、言葉を学び、いつか堂々と人前に立てるようになる必要がある。2歳6か月、ようやく自分の運動機能とトイレをコントロールし始めた段階だけれど、この地道な努力がいずれ“王道を歩む力”につながると信じたい。
翌朝、私は目覚めるとすぐ「エミー…しっこ……」と訴えてみる。半分眠い状態で言えた自分に内心ニヤリ。エミーが「はいはい、行こう」と抱き上げておまるに座らせてくれる。まだ少し尿意が曖昧だけれど、それでも何とか用を足すと、彼女が「おー上手!」と拍手。そこにローザも加わって「おめでとー! 朝からいい調子だね」と笑い合う。私も恥ずかしさをこらえつつ、心の中でガッツポーズだ。こんな何気ない日常の小さなハードルをクリアしていくことで、2歳半の私が確実に前へ進んでいると感じる。前世の自分だったら微塵も想像しなかった“トイレの成功に対する幸福感”が、今は何よりの励みだ。
そして私は、その“成長”を糧に、いつか必ず“領地を守る”力を得ると決意する。男女関係なく、幼少の身を狙う陰謀があるなら、それを回避し、人々を支えたい。この世界がどう転がろうと、私には前世の法的知識と今世のマギアや貴族制度を掛け合わせる潜在的可能性がある――そう考えるとワクワクするから不思議だ。もちろん、まだ何年も先の話だろうが、2歳6か月という時点でのトイレトレーニング、言葉の習得、そして“女の子としての自意識”との向き合いが、すべて未来へつながる基礎になるはずだ。
ライトノベルの中には、赤ちゃんに戻ることをメリットと捉えるチート系主人公もいるらしいが、私はまったくチート能力を与えられず、純粋にこの身体の成長と周囲のサポートに頼っている。それでも、侍女たちの優しさと自分の地道な努力によって、ほんの半年ほどでここまで進めたのだから、悪くないペースではないかと思いたい。何より、日常の合間に感じる“小さな達成感”がとても心地いい。かつて仕事の大案件を勝ち取ったときの快感とは別種の、もっと穏やかで柔らかな喜びだ。
そうやって感慨に浸りながら、昼間の廊下でよちよち歩きつつ「おむつ……もってきた……?」とローザに尋ねると、彼女はびっくり顔で「え? おむつ持ってきてないよ?」と返す。私が「あ……ま、いっか……」と微妙な言い方をすると、ローザは笑って「トイレ行けばいいもんね?」と満面の笑顔。私は恥ずかしくなって「うん……トイレ……」と二語文で答え、うつむいてしまうが、彼女は「えらいね~!」と抱きしめてくれる。その瞬間、2歳半の私が心底温かい気持ちに包まれ、“女の子でもいいかな。少しずつ大きくなって、自分の道を切り開こう”という決心を再確認するのだった。今はまだ不自由も恥ずかしさも多いが、次に踏み出す一歩はきっとそこにある。それが私の、赤ちゃん生活を脱しながら幼児としての世界へ入っていく“通過儀礼”なのだ。
こうして、私の2歳6か月の時期は、言葉とトイレ、そして“自分が女の子である”認識を深めていく大切なプロセスとなっている。毎日のように失敗と成功を繰り返しながら、少しずつ体を使いこなし、言葉を操り、“女の子としての自分”を受け入れている。前世の成人男性だった私には想像もつかなかった道だが、だからこそ面白いし、新鮮だ。何よりエミーとローザ、そしてベアトリーチェの優しさが、私の小さな成功を喜び、失敗を優しく包んでくれるのがとてもありがたい。いずれ立ち向かう大きな責任や陰謀があるかもしれないが、今はこの“幼児成長ライフ”を全力で駆け抜けるのみ。とりあえず目下の目標は“おむつ卒業”――ささやかだけど、この世界での私の第一歩を踏みしめるために不可欠な課題だ。どんな敵が現れようと、まずはトイレと会話ができれば少し安心(?)というわけで、今日も一歩ずつ、“幼児領主”はがんばっているのだ。
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