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鏡越しに見つめる、新しい私の足どり①

 朝の光が柔らかく差し込む廊下を歩くとき、私はなんとも言えない緊張を抱えていた。ゆるやかなカーテン越しに揺れる光は温かいはずなのに、心の奥にはひんやりとした不安が渦巻いている。今日から新しい家庭教師がやってくる。それもただの教師ではなく、「舞踏と立ち居振る舞い」を専門に指導してくれるという人物らしい。貴族の令嬢としてダンスや礼儀作法の基礎は必要とされるし、それ自体はわかっている。でも今さらドレスを着てくるくる回るような練習をさせられるのかと思うと、少し気が重い。というのも、私は――まだこの体での“女性らしい動き”に慣れきれていないのだ。


 「リアンナ様、おはようございます。きょうはいよいよ舞踏の先生がいらっしゃるとかで、楽しみですね!」と声をかけてきたのは侍女のローザだ。彼女は私の斜め後ろをウキウキとした足取りでついてくる。もう一人の侍女エミーは、「大丈夫ですよ。基礎の基礎から教えていただけると聞いておりますし、リアンナ様ならすぐに飲み込めます!」とこちらを励ますように微笑んでくれる。私は「そ、そうかな……」とぎこちなく返事しながらも、実は内心で胸がざわつくのを止められない。せっかくドレスにも少し慣れたと思った矢先に、新しい試練が訪れるのか。私の前世はまぎれもなく男性だったから、フォーマルな舞踏会に行った経験といえばただの客として立ち見していただけで、自分が踊るなど思いもしなかった。今回はその“踊る側”として習わなくちゃいけないなんて……どうしても身構えてしまう。


 廊下を曲がると、執務室の近くでボリスがすでに待機していた。落ち着いた面持ちで私を迎え、「おはようございます、リアンナ様。舞踏教師のマダム・ベネディッタがお越しになっていますよ。応接室でご挨拶をなさってください」と促してくる。マダム・ベネディッタ――その名前を聞いた瞬間、どこか気品ある響きを感じて、私の心臓がどきりと高鳴る。教えが厳しいとか、個性的な指導をするだとか、いろいろな噂を耳にしていたからだ。小さく息をついてから、私は意を決して応接室の扉を開いた。


 部屋の中には、エレガントな黒いドレスをまとった女性がすっと背筋を伸ばして座っていた。年の頃は四十代くらいだろうか。髪をきっちりとまとめ、瞳の奥に芯の強さが宿っているのがわかる。私が入っていくと、彼女は静かに立ち上がって会釈した。その動作だけで、長年積み重ねてきた優雅さがうかがえる。私は少し胸が詰まる思いで挨拶を返し、「クラリオン家の当主見習い、リアンナと申します。きょうからどうぞよろしくお願いいたします」とぎこちなく言葉を並べた。するとマダム・ベネディッタは、微笑みながら「お会いできて光栄ですわ。さっそくですが、今日は舞踏の基礎をしっかり押さえていただきますからね。よろしくお願いしますよ」と、心地よい低音で返してくれる。


 私がほっと息をついたのも束の間、マダム・ベネディッタの次の言葉に耳を疑った。「それでは、まずは着替えの用意をお願いします。短パンとゆったりめの上着、できればTシャツのようなものを用意していただけますか? 脚のラインと動きやすさを重視したいので」……短パン? Tシャツ? 貴族の舞踏レッスンといえば、レッスン用のやや簡素なドレスを着たりするんじゃないの? と頭の中にクエスチョンマークが広がる。私は思わず「え、と……ドレスではないんですか?」と聞き返した。するとマダムは優雅な微笑をたたえながら、「ドレス姿で踊るのは最終目標ですけれど、まずは体のバランスとステップをしっかり鍛えるために、運動しやすい服装で臨むことが大事なんですの。下半身のフォームや筋力を確認しませんとね」と言い切った。


 それを聞いたとき、私は背筋がひやっとした。短パン姿……たしかに動きやすいけれど、そんなに脚を露わにした格好、私はこの世界で一度もしたことがない。普段はスカートかロング丈のドレスが当たり前だし、肌を大きく見せるのはお風呂に入るときくらい。でも、「舞踏のため」と言われると断りにくいし、侍女たちも「わかりました、すぐに用意します!」と元気よく返事をしてしまった。「や、やめてよ……」と小声で言いかけたが、そんな雰囲気でもなく、結局私は半ば押し流されるように着替えを命じられることになった。


 数分後、私の部屋に戻ると、エミーとローザが「こんな感じでいいんじゃないですか?」と用意してくれた動きやすい上着と短パンがベッドの上に畳まれていた。といっても、短パンは本当に膝上どころか太ももの真ん中あたりの長さで、私にしてみればかなり露出度が高い。思わず顔が熱くなってしまい、「これ……ちょっと恥ずかしくない?」と声をこぼしてしまった。しかしローザは「運動しやすいのが一番ですから! お嬢様、頑張ってください!」と背中を押してくる。エミーもニコニコしながら「いつも重たいドレスですもの、たまには脚を動かしやすい服装も気持ちいいですよ」と言い、私を説得する。


 しぶしぶ着替えを始めると、裾の短いパンツが脚に触れてゾクッとするような感覚を覚えた。この世界の生地はわりとしっかりしているけれど、そうはいってもこんなに脚を出すなんて初めてに等しい。「うわぁ……ほんとに太ももの半分が見えてる……」鏡を覗き込むと、白い脚がはっきり映り、これが自分かと思うほどドキリとする。前世が男性だったせいもあるかもしれないが、どうにも見慣れない光景で恥ずかしさが限界に近い。上半身はそれほど問題なくとも、腰やお尻のラインまでなんとなく意識させられてしまい、顔から火が出そうだった。エミーは「大丈夫ですよ。ちゃんと身体にフィットしてますし、踊りやすさも重視したシルエットですから。素敵ですよ」と言い、まったく悪気のない笑顔でスカートに代わる動きやすい服を推奨する。私はなんとか「そ、そう?」と返すのが精一杯だった。


 そして、マダム・ベネディッタの指示通り、ひとまず廊下に出てみる。さすがにドアを開けて廊下を歩き出した瞬間、スカートの感触がないことに異常にソワソワしてしまった。歩くたびに生地が太ももにぴったり密着するし、空気が脚に直接触れるのがくすぐったくて落ち着かない。でもエミーやローザが「大丈夫ですよ、変じゃないです!」と明るく声をかけてくれるものだから、なんとか足を進める。途中でボリスが目を丸くしていたのがチラリと見えたが、何もコメントはせずに微妙な顔で会釈してくれた。私も目を合わせずにすれ違い、結局、ダンス用のレッスンルームへと向かう。


 レッスンルームは、普段の儀礼用ダンスの練習を想定して作られた部屋らしく、広いフロアに鏡がはめ込まれている一角があった。そこに足を踏み入れた瞬間、マダム・ベネディッタが「よろしい、まずは身体のウォームアップから入りましょう」と声をかける。彼女も動きやすいドレスに着替えていて、足元は低めのヒールを履いていた。顔を見るとまったく悪びれた様子もなく、「じゃあ始めますよ」と強い口調でレッスンをスタートさせる。私はそれにつられて、首を回し、腕を広げるといった簡単な準備運動から始めるのだが、ふと自分の姿が鏡に映ったとき、再び息が詰まりそうになる。


 鏡の中には、短パン姿で脚を大胆に出している少女が映っている。髪をまとめているから首筋やうなじも出ていて、なんとなく“スポーティーな女の子”という印象を否定できない。しかも、薄手の上着とパンツのシルエットで、腰やお尻のラインがわかりやすく浮き出てしまうのだ。こんな状態で動き回るなんて……正直、ドレスで舞踏をするより恥ずかしいんじゃないかと思ってしまう。マダムの指示に従い、腰を回したり、軽く屈伸運動をしたりするたびに、太ももが露わになり、布がスライドしていく感触がありありと伝わる。私は恥ずかしさで頬を火照らせながらも、「しょうがない、これが舞踏の基礎トレーニングなんだ」と自分に言い聞かせる。


 マダムは容赦なくステップの練習へ移っていく。「それでは、足の裏全体で床を踏む感覚を身につけましょう。まずは一歩ずつゆっくり前に進み、次に後ろへ下がる。それを繰り返して体の重心を安定させるのです。姿勢はまっすぐ、顎を引きすぎないように」といった指示が飛んでくる。私は言われるがままに足を動かしてみるが、慣れない短パンのせいで気が散ってうまく集中できない。前に出たときに布がピタッと張りつく感覚があると、「わっ、今どんな格好になってるんだろう……」と頭がいっぱいになるし、鏡に映る自分の脚があまりに女の子らしくて目を背けたくなる。こんな気持ち、ドレスを着ているときより強烈かもしれない……。


 とはいえ、マダムの教えは的確で、上半身と下半身の連動を意識させるようなステップが次々と展開される。腕を開いて重心を意識しながら移動するとか、背筋を伸ばしつつ膝を柔らかく使うとか、前世の私が経験したことのない動きばかりだ。一度は頭がパンクしそうになるが、マダムが淡々と指示を出してくれるので、意外とついていけている自分に驚く。エミーやローザも端っこで見守っており、「すごい! リアンナ様、だんだん様になってきましたよ!」と手を叩いて喜んでいる。私は「それどころじゃないんだけど……」と内心思いながらも、慣れない短パン姿を何とか受け入れようと必死だ。


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