表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

133/156

パン生地が紡ぐ、あたたかい記憶②

「うわ、もうこの段階でこんなにまとまりがいいなんて……。ボクでもその段階に至るまであと数分はかかりますよ」

 若い使用人の男性が驚いた声をあげ、ほかの参加者たちも「え、すごい!」「プロのパン職人みたい!」とざわつき始める。私はそれを聞いて急に胸が熱くなり、「いや、慣れてないです、ほんとに」と慌てて弁解するのだが、エミーやローザはにやにやした顔で私を見つめるばかり。料理長でさえ「こんな手つきをされるとは……いや、びっくりしました。何か独自で修行をされました?」と半笑いで質問してくる始末だ。


 「そ、そんな修行なんてしてませんよ。だ、だって私、まだ十四歳……」

 自分で言うのも奇妙な話だが,思わず口を滑らせる。周りは気にしていないみたいだけれども。自分で言っておきながら、なんだかこういう場面で「十四歳の少女」として扱われると変に恥ずかしいような、気まずいような感情がこみ上げてくる。内心で「ほんとは昔、もっと年を重ねていた時期にパン作りにハマってたんだよ」なんて言い訳をするものの、当然そんなこと口にできるわけがない。結果として、周囲から「すごい才能ですね」なんて褒めちぎられると、うまく反応できずに頬が熱くなる。ちょうどいい具合に上ずった声で「そ、そうかなぁ……?」と返事をするのが精一杯だった。


 そんなこんなで周りに注目されながらも、一通り生地がまとまったところで、次はハーブを混ぜ込む工程に入る。料理長が「これは苦味が強いので、入れすぎにはくれぐれも注意してくださいね。香りが弱いからといって欲張るとあとでエグみが残りますよ」と説明している。その間、私はすでにざっと分量を頭の中で計算し、「だいたいこのくらいなら大丈夫かな……」と勝手に見立てを立てる。実際に葉っぱを何枚もぎ取って指先で刻み、広げた生地の上に散らしていくと、台を覗き込んでいた見習いの若者が「ちょ、ちょっと多くないですか? 苦味が強いんじゃ……」と青ざめた顔をする。だが、私は「ううん、これくらいならあとで発酵させたときに辛みが抜けるんですよ」と自信ありげに答えてしまった。


 料理長は最初こそ息を飲んだようだったが、次第に「なるほど、そういうやり方もあるんですね。私も発見だ」と唸るように納得してくれた。私が少し面食らうのは、伯爵家の“お嬢様”として動いているはずなのに、いつの間にか周囲から“パン職人の師匠”のように見られ始めていることだ。エミーとローザは「お嬢様、すごい! ここまでできるとは思いませんでしたよ!」と大喜び。頬を膨らませたくなるような嬉しさと同時に、どうしようもない照れが込み上げてくる。周囲の目が痛いというか、恥ずかしいというか……それでも手は素直に動くのだから、自分でもどうにもならない。


 なんとかハーブを折り込んだ生地を形作り、布をかぶせて室温で一時発酵に回す。「二次発酵まで待ってから焼きに入るらしいけど、どれくらい時間かかるんだろう」と考えていると、料理長が「ここで一旦小休憩を入れましょう。生地が発酵するまで待つしかありませんからね」と案内してくれた。その言葉に合わせるように、参加者たちも調理台を片付け始める。私も粉が飛び散った周囲を手早く拭き取り、ボウルや道具を洗いに行く。まわりの使用人たちは私の動きに慣用句みたいに「ああ、段取りが完璧だ」「もはやパン職人の化身だ……」などと口々に感嘆していて、うれしいやら恥ずかしいやら。絶対に“前世で身に着けたスキル”だなんて言えないけれど、こんなふうに誉められて悪い気はしない。


 エミーが「いやぁ、リアンナ様、ちょっと予想以上でしたよ。あんな短時間で生地がツヤツヤになるなんて、私たちも驚きました」と声をかけてくる。ローザも「パン作りって結構体力使うのに、全然息が上がっていないですよね? すごい……。これって鍛錬の成果なんですか?」と矢継ぎ早に問いかける。私は照れ隠しに「そ、そんなに体力使うわけじゃないよ。私のやり方が合ってただけ……かな」とごまかしてしまう。心の中では「いや、本当は前世でコツを知っているから、あまり力を使わなくてもうまいこと生地をまとめられた」なんて言い訳を用意しているのだが、さすがに口には出せない。


 休憩スペースに移動すると、テーブルの上にはパン職人が用意してくれた焼き立ての小さなパンがいくつか置かれていた。もともと早朝から仕込んでいた別の生地を試し焼きしていたらしく、参加者たちはこれをつまみながら発酵の待ち時間を過ごすらしい。私もひとかけらを口に運ぶと、ほんのり甘い風味とバターのコクが広がって、思わず「おいしい……」と呟いてしまう。するとエミーとローザも嬉しそうに目を輝かせ、「ほんとですね!」「まだ小腹がすいてる時間だから余計においしいです!」と喜んでいる。さっきのパン作りの緊張感が少し和らぎ、私自身もほっとした気分になる。こういうときは普通の十四歳らしく、ペロッとおいしいパンを食べて笑っていたいものだ。


 だが、そんな穏やかな時間を過ごしている間も、私の頭の片隅には「このあと焼きの工程が待ってる」「二次発酵をどれくらいの温度でやるんだろう」「ハーブが入った生地って焼き具合を見極めるのがちょっと難しいんだよね」といった考えが次々と浮かんできて、どうにも落ち着かない。きっと前世で培った習慣がそうさせているのだろう。あのころは“焼き色”が命で、数分でもオーブンの扉を開けるタイミングを間違えたら生地がへこんだり、色が変になったりした。だからこそ、私はどうしても細かな手順を入念にチェックしたくなってしまう。


 「お嬢様? どうなさったんですか。目が少し宙を泳いでいるように見えますけど……」

 エミーの声にハッとして、私は「あ、いや……次の工程のことをちょっと考えてただけ」と正直に答える。すると彼女は「さすがー!」なんて呑気に褒めてくるから、もうどうしようもない。私は紅茶をすすりながら、内心で「こんなに想像力をふくらませすぎるのも変に思われそうだな」と自戒する。周りから見れば、ただの料理講習会にそこまで執着するなんて奇妙かもしれない。早く気を抜かねばと自分に言い聞かせる。


 パン職人や料理長が「生地がだいたい膨らんできましたよ」と声を上げたのは、それからしばらく経ったときだった。私はスカートの裾が邪魔しないように軽くたくし上げて、再び調理台へ向かう。今度は一人ひとりがテーブルに戻って、発酵が進んだ生地を成形する段階に移る。私の生地を確かめてみると、すでにふわりと柔らかい手触りで、軽く指で押すと少し弾力を残しつつ戻ってくる。これはいい感じに二次発酵が進んでいる証拠だ。思わず「やっぱり分量は間違ってなかった」と心の中でガッツポーズをとってしまう。


 「お嬢様、ひとつの大きなパンを焼く形にしますか? それとも小さめのロールパンにしますか?」

 料理長が質問してくるので、私はちょっと迷ってから「小さめにいくつか分割してみたいです。きっと食べやすいと思うので……」と答える。内心、前世で好んで焼いていた「ハーブロールパン」に近い仕上がりを目指していて、試すなら今のうちだ。生地をくるくると丸め込んで小さな球体を作るとき、指先に水分が少し付着して、ハーブの匂いがほんのり漂ってくる。この工程がなんとも楽しい。エミーが「あれ、手早いですねえ」と感心したように目を細めて見ていたが、私は恥ずかしくてあまり応答しないまま作業を続ける。


 「こんなふうにして丸めるんですね。なるほど……。あ、いい香り!」

 ローザが隣でぎこちなく生地を丸めていて、見ているとずいぶん不器用だ。生地が指先にくっついてしまって形が崩れているのに、彼女は楽しそうに笑っている。私は「あ、ローザ、手に粉を軽くまぶしてから丸めるといいかも」と小声でアドバイスすると、「なるほどー!」なんて大げさに感動される。まるで新人に仕事を教えているような気分になって、少しこそばゆい。何というか――私がこんなふうに料理を教えている構図が、当主の立場の少女としては変な感じもするけれど、今日だけは特別だからいいやと自分に言い聞かせる。


 そして、成形を終えた小さなハーブパンの生地たちを、料理長の指示に従って天板に並べていく。生地の表面がつやっとして、あちこちに緑色の葉が透けて見えるのが目に心地いい。仕上がりがますます楽しみになってきて、私はちょっとウキウキしながら配置を微調整していた。すると料理長が笑い混じりに「ああ、お嬢様、そこまで几帳面に並べることはありませんよ。焼きあがりがくっついちゃうときは、軽く離しておくだけで十分です」と肩をすくめる。まったくその通りなのに、妙にこだわりたくなってしまうのは私の癖だ。


 天板を石窯へ運ぶのは力仕事なので、さすがに使用人の男性たちが率先してやってくれた。私は「お願いします」と一言添えて見送ったあと、焼き上がりを待つまでの時間がまたやってくる。先ほどの休憩が終わったばかりだというのに、またウズウズした気持ちが押し寄せてくるのだから困ったものだ。適当に会話しながら気を紛らわせようと思い、周囲を見回すと、エミーやローザが講習の他の参加者と和気あいあい話しているのが見えた。


 私はその輪に加わろうか迷ったが、なぜかちょっと離れた場所で一人になりたい気分になって、窓際へ足を向ける。窓の外を見ると、明るい光が差し込む中庭では、まだ朝の冷たい空気が風に乗って枝葉を揺らしている。手先に残った粉のざらつきやハーブの匂いを感じながら、その光景にぼんやり目をやると、ふと前世の休日の朝が脳裏をかすめた。あのころは休みになると、朝からキッチンに立ってパンや菓子を焼き、焼き立てをいろんな人に振る舞うのが趣味だった気がする。もちろん立場も年齢もまるで違ったけれど、好きなことに没頭している時間は最高の贅沢だった。

【作者からのお願い】

もし、「おもしろい」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマーク登録をしていただけるとうれしいです。また「いいね」や感想もお待ちしています!

また、☆で評価していただければ大変うれしいです。

皆様の応援を励みにして頑張りますので、よろしくお願い致します!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ