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贈答品の輝きに潜む、ラグレンの企み④

 「あとは、これを写本して、ラグレンの使者に渡せばいいんですよね」とローザが確認する。ボリスがうなずき、「はい。念のため副本をこちらに保管し、マロヴァ王国にも同じ内容で通達しておくと万全でしょう。ラグレンが何か言いがかりをつけてきても、『我々は王国に連絡を済ませている』と主張できますから」と付け加える。私は「じゃあ、さっそく取り掛かろう」と椅子から立ち上がった。


 こうして、一通り返事の方針は固まった。が、不思議と不安は消えない。ラグレンがこの返事を受けて素直に引き下がるとは思えないし、むしろ次の手を打ってくる可能性だってある。それでも今の私たちにできる最善策は、軽率に動かないこと、そして王国を盾にすること――これしかない。自室を出て、廊下を進みながら、私は心の中で何度も言い聞かせる。前世の知識がどこまで役立つかはわからないが、いずれにしても相手をよく知り、こちらの立場を崩さないようにするのが鉄則だ。


 倉庫へ向かう途中、朝方の霧はすっかり晴れて、窓ガラス越しには白い雲がのんびりと空を流れているのが見えた。なんの変哲もない穏やかな昼下がりだが、私の胸はまだざわついたままだ。外見だけ見れば、どこにでもある平和な貴族の屋敷なのに、その実、内部ではラグレンからの謎めいた贈答品が山積みになっていて、先方はじわじわと“次の一手”を迫っているような状況――こんなに落ち着かない日常は初めてかもしれない。


 「リアンナ様」

 不意に声をかけられて振り向くと、ボリスが私の少し後ろを歩いていた。彼はゆったりとした歩調を崩さずに近づき、「先ほどの書状ですが、お見事でした。これで当面、ラグレンに理不尽な口実を与えずに済むかと思います」と穏やかに微笑む。私はなんだか恥ずかしくなって、「ありがと。ボリスさんの助言があったから書けたんだよ」と答えた。ボリスは一瞬目を伏せてから、ふっと笑いを浮かべ、「それでも、その言葉をペンに載せたのはリアンナ様自身です。領主としての責任を負い、文字で意思を示すというのは、簡単なようで難しいものですから」と言う。まるで親が子を励ますように優しい声色だった。


 その言葉が妙に胸に染みて、私は思わず足を止めてしまう。確かに、そうだ。どんなに周囲が手を貸してくれても、最終的に「こうする」と決めて署名をするのは私自身だ。前世がどうであろうと、今の私は“クラリオン家の当主”として決断しなきゃいけない立場にある。怖いし、責任は重いけれど、そのぶん“やりがい”みたいなものを感じる瞬間も、ほんの少しだけある。私は自分の足を見下ろし、さっきまで感じていた不安に混ざるように湧いてきた不思議な活力を噛みしめた。


 「そうだね……。ちゃんとがんばらなきゃ。ありがとう、ボリスさん」

 私がそう言うと、ボリスは恭しく頭を下げ、「いえ、私はあくまで補佐役。最終的に伯爵家を導くのはリアンナ様の役目ですからね」と言葉を返してくる。そのやりとりを横で聞いていたエミーやローザが、微笑ましそうに顔を見合わせるのが視界に入った。小さな励まし合いだけれど、こうして周りのみんなが一緒にいると、私はすごく心強い。きっと、まだこの先に何が起きるかはわからないけれど、私たちならなんとか乗り越えられる――そう信じたくなる。


 その日の午後、私は書き上げた返書を丁寧に封をして、王家に提出するための副本も用意した。ラグレンの使者には、できるだけ礼儀正しくこちらの立場を伝え、「あくまでも王国を通して交渉を進めたい」という方針を示すことになる。心の底では「これ以上、余計な揺さぶりをかけないでほしい」と祈るような気持ちだが、現実はそう甘くないかもしれない。近いうちに、またラグレンからの追加連絡が来るだろうし、そのときに何を言われるかは想像がつかない。


 夜になり、執務室の灯りが少し弱まったころ、私はペンを置いて窓の外を見た。昼間よりも濃い群青色の空が広がり、星がひとつだけ瞬いている。静かな空気に耳を澄ますと、館の廊下ではローザやエミーが軽く言葉を交わす声が聞こえ、寝台のある部屋のほうでは火を落とす準備が行われているらしい。先ほどまで一緒にいたボリスさんも、今は書類整理のために書庫へ向かっている。


 私は椅子から立ち上がって、そっと伸びをした。紙とインクの匂いが鼻先から離れないのは、今日ずっと手紙や契約文を書いていたからだろうか。少し前までは、こんなに大量の書類仕事に追われるなんて想像もしていなかった。普通の十四歳の少女なら、ドレスを選んだり、お茶会の会話に夢中になったり、そんな日々を過ごしているはずなのに――思わず苦笑してしまう。こうなったら開き直るしかない。私は伯爵家の当主として生きる以上、抱えるべき責任があるんだ。たとえ幼くても、体は軽くても、私が逃げないかぎり道は続いていく。


 窓硝子に映る自分の姿は、少し前より険しい顔つきをしているかもしれない。でも、そこには確かな意志の輪郭も見える。ラグレンの思惑はわからないが、私たちの領地を守り抜くことが最優先だ。もし相手が本当に友好を望んでいるなら、それはそれで悪くないかもしれない。でも、疑わしい限りは甘く見てはいけない。まだ交渉の入口に立ったばかりだけれど、しっかり見極めていくしかないのだ。


 「……よし」

 心の中で静かにひとつ息を整え、部屋の灯りを消す。扉の向こうからはエミーの「リアンナ様、そろそろ休まれますか?」という優しい声が届き、私は「うん、ありがとう。今日はもう寝ることにする」と答えた。こうして深い夜が降りてくるのを感じながら、私は明日の自分に少しの期待と大きな不安を抱えつつ、廊下を歩いて寝室へ向かう。あしたになれば、ラグレンの使者に改めて手紙を渡して、この曖昧な関係の一手を打つことになるだろう。果たして、その先に待つのは和解か、それとも新たな火種か――私にはまだ見通せない。でも、もう止まれないのだから、前を向くしかない。


 頭の中には、あの大量の贈り物の光景がしつこく残っている。宝石のようにきらびやかな織物、貴重なワイン、陶器、そして正体不明の古布――どれも目を奪われるほど豪華に見えるけれど、その裏に潜む意図は底知れない暗さを宿しているかもしれない。それでも、当主として私がすべきことは、周囲を守り、王国にも波紋を広げないように立ち回ること。自室へ戻り、ベッドに腰を下ろしたとき、私はもう一度だけ深呼吸をして、そのまま柔らかな布団に身をあずけた。今はしっかり休んで、体を回復させないと――気づけば、一日の疲れがどっと押し寄せてきて、瞼が重くなる。


 まだ胸にひっかかる不安を抱えつつ、私は目を閉じる。穏やかな眠りの中で、ほんの少しでも、この状況を打開するヒントを夢見ていられたらいいのにな――などと、幼い期待を抱きながら。外は風が冷たく吹いているのか、窓枠がかすかに揺れる音が聞こえた。明日の朝、ラグレンの使者がどういう反応を示すのか、そこからまた新しい一歩が始まるだろう。怖いけれど、もう後戻りなんてできないのだ。前世の思い出にしがみつくことはできない今、私はただ、今世の“私”としての道を歩いていくしかない。


 ――ふかふかの布団に包まれて、私は重くなったまぶたに逆らわず、ゆっくりと意識を手放す。廊下のほうからエミーとローザが小声で何か話している気配が聞こえるが、それさえ遠くの雑音に変わっていく。いつの間にか、織物の華麗な色彩がちらつく夢のような世界へ落ちていきながら、私は頭の片隅でラグレンとの駆け引きを思い描く。戦いになるのか、協定になるのか。それとも――。

 答えはまだ、霧の向こう。けれど、この道はもう引き返せない。すべては私の判断にかかっている。それだけは忘れないようにしなきゃ――そんな決意だけを最後に意識に留め、私は静かに眠りに落ちていった。


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