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あんよも言葉もよちよち進行? 幼児領主はがんばりたい!②

 2歳を迎えて少し経った私は、まだまだ赤ちゃんと変わらぬ暮らしをしている――そう思っていたのだけれど、最近、その認識が少し変わってきた。どうやら“言葉”の壁が、ゆっくりではあるが、かなり崩れ始めているのを感じるのだ。前まではエミーやローザの話す言葉が“音のかたまり”にしか聞こえなかったのに、この数か月で急に「あ、今の単語、前にも聞いた」「ここでこの単語を使っている理由は……?」と、断片同士をつなげる感覚が芽生えてきた。


 もちろん、まだ完璧に聞き取れるわけではない。侍女たちが楽しそうに雑談している内容を、全て理解するのは無理がある。けれども、特に私に関する話題になると急にピンと来る単語が増え、「あ、これって私のこと言ってる?」と勘づくことも出てきた。2歳から2歳半くらいの子どもが一気に言葉を吸収する、という前世の知識をどこかで仕入れた記憶があるけれど、それが自分に当てはまりつつあるのかもしれない。身体的な発達とともに、脳の働きもぐんとスピードを増しているような、不思議な感覚があるのだ。


 さらに、理解だけじゃなく、自分で話すほうも少しずつ進歩している。まだ単語を口にするだけで精一杯だったのが、最近は2語文や3語文らしきものが出始めた。たとえば、エミーが「リア、イクラ(ごはん)?」と尋ねてきたときに、私が「ごはん、たべる……」とぎこちなく返してみると、彼女は目を丸くして「え、今“食べる”って言った?」と大興奮。私自身も「あ、今ちゃんと『2語文』になったかも」と驚いたものの、彼女たちが歓声をあげて喜んでくれると、それだけで嬉しくなる。するとその成功体験が次の練習意欲につながるのだから、子どもというのは単純だ。


 そんな私の言語成長は、赤子のころとは比べ物にならないペースで加速しているように思う。おそらく2歳を越えたあたりから、舌や口の筋肉が発音に対応できるようになってきたのだろうし、脳の“理解する領域”が広がっているのかもしれない。実際、エミーやローザを指して「エミー」「ローザ」と呼ぶのも容易になってきたし、彼女たちが驚いたり泣いたりすると「どうしたの?」「だいじょーぶ?」とカタコトながら問いかける余裕も生まれてきた。もっとも、彼女たちはそんな私の喋りに感動するばかりで、“会話”として返してくれようとすると早口すぎて何言ってるか分からない……というのが現状だ。


 でも、その“分からなさ”すらも以前よりはマシで、なんとなく“こういうふうに応えているんだな”と推測できる程度には耳が育っている気がする。前は10の単語のうち1つか2つしか耳に残らなかったのが、今は半分くらいの単語を拾えるときもあり、そうすると意味の一端が見えてくる。2語文や3語文を使えるようになったのは、たぶんこうした“受け取る力”が成長したからなのだろう。侍女同士の会話をじっと盗み聞き(?)する癖がついたのもあるかもしれない。文官や兵士が廊下を通るときも「クズラ」「トンナ」「ラント」など、以前から聞き覚えのある単語に加え、新しい音の組み合わせをいくつか拾っては、頭の中で反すうしている。


 そのうちのいくつかは、自分の口で試してみる。ときにはエミーが「なにその言葉? 変なの~」と笑いながら、私の舌足らず発音を訂正してくれる。そうやって少しずつ“人の言葉を真似る”回数が増えていき、自然と自分のボキャブラリーが膨らんでいく感じだ。前世で英単語を覚えたときも、“意味を意識して解釈しながら口に出して繰り返す”のが一番早かったっけ……なんて、英語や司法試験の勉強を思い出して妙に懐かしくなる。


 もっとも、この世界の言葉は前世の英語とも日本語とも全然違うし、文字も独特な記号(アルファベット?に似ている様な気もする。)のようだ。侍女長ベアトリーチェが書類を眺めている姿を垣間見て、そこに書かれた文字に目をこらしたことがあるが、私にはただの模様にしか見えない。字を読めるようになるには、まず言葉をマスターしてから、その後さらに“文字学習”が必要だろう。2歳児がそこまで飛躍するのはさすがに先の話……と思いたいけれど、私は前世で文字の大切さを嫌というほど学んでいるから、いずれは挑戦したいと思っている。


 さて、こうして少しずつ会話が成り立ちかけるようになると、日常の風景も変化してくる。以前なら「抱っこしてほしい」ときは指差しや唸り声でアピールしていたが、最近は「だっこ、して」と二語文を繋げて言える。するとエミーも「あら、はいはい、抱っこね」と笑顔で抱き上げてくれるし、私も“気持ちよく伝わった”という満足感を味わえる。ローザが新しいオモチャを持ってきたときに「ちょーだい」「それ、みる」「いっしょ!」と片言を浴びせれば、「わかった!」と言わんばかりに彼女が私の横で遊び方を見せてくれる。まだ文が完全じゃなくても、要望を口にできる喜びは大きい。


 私自身、言葉が増えると同時に“自我の主張”も強まっているのを自覚する。2歳児といえば「イヤイヤ期」という言葉が前世の育児本にあったが、まさにそんな感じだ。たとえば寝る前に「もー、あそぶ!」「ねない!」と駄々をこねてしまうと、エミーが苦笑しながら「リア……もう遅いよ、ラトゥ(寝るよ)」と優しく諭してくる。それでも、なだめられながら強引にベッドに連行されるときもあり、そんなときはギャン泣きしてしまうこともある。2語文や3語文が話せるようになっても、感情が爆発すると理屈など吹き飛んでしまうのがこの年頃の恐ろしさだ。やはり、体の成長段階におうじて、精神が影響を与えているのだろう。


 しかし、言葉があるだけで泣いている時間は格段に減った。ちょっと不快なときやイラッとしたときも「やだ」「こわい」と口にできれば、エミーやローザが「どうしたの?」と対応してくれる。そのまま落ち着けばニコニコに戻るし、逆に言葉がうまく出ずに泣き続けるときは、まだ赤ちゃん時代の名残が強いのだと痛感する。自分が2歳児の体と心に侵食されているというか、前世の大人らしい冷静さを維持できない場面は格段に減ったものの、まだまだ少なくなく、ゼロにはほど遠い。それが“生まれ変わり”の面白さなのか、悲しさなのか、私にもまだ判断がつかない。


 身体面でも、2歳半に近づくにつれ、動きが洗練されつつあると感じる。伝い歩きはかなり安定し、何かに掴まらなくても数歩ならスタスタ歩ける日も増えた。ちょっと調子に乗って走ろうとすると危なっかしいが、少しはスピードをつけられるようになってきた。部屋の中でお気に入りの人形(ニセラと呼ばれる物)を追いかけ、勢い余って転ぶこともあるが、以前ほど大泣きせず、すぐに立ち上がろうとする自分がいる。床でお尻を打った瞬間は痛いが、「いたい……けど、だいじょぶ……!」と言葉で表すと、なぜかちょっとだけ自信が出るから不思議だ。


 そして、そんな私の姿を見て、エミーやローザは目を潤ませたり、盛大に拍手したりと大騒ぎ。私が二三歩歩くだけでも「すごい!もう走れそう!」なんて言うし、2語文を話すと「えらい!ちゃんと言えたね!」と大喜びしてくれる。その反応の大きさに、私のほうが気恥ずかしくなるときもあるが、やはり褒められると嬉しい。何より彼女たちが心の底から私を可愛がってくれているのが伝わってきて、胸があたたかくなるのだ。前世で顧客対応をしていたときの「どう理解していること、寄り添っていることを伝えるか」「どうフィードバックを与えるか」といったテクニック論とは違い、ここでは純粋な感情の交流がある。それが私の“幼児モード”を加速させるのを実感する。


 マギアという魔法技術についても、少しずつ単語を覚え始めた。たとえば「ルクス」という単語をローザがランプに向かって言うと、光が微妙に強まる場合がある。どうやら“光を明るくする”魔法の呪文らしいが、詳しいことは分からない。そんな場面を私が物珍しそうに見つめていると、ローザが「この言葉を唱えると明かりが変わるの」と教えてくれる。私が「あ、あ……る、く……す?」と喋ってみたところ、ちょっとだけランプがチラつく気がしたが、それが私の声のせいなのか偶然なのかは不明。まだ魔法を扱える段階ではないし、そもそも私には“領主”としての権威はあってもマギアの資質があるかどうかは誰にも分からない。ただ、こうしてマギア絡みの言葉を断片的に吸収していくのは、将来きっと役立つはずだ。


 2歳過ぎから2歳半くらいにかけて、私はこうした“小さな革命”を毎日味わっている。自分の口から出る言葉が少しずつ増え、周囲が話す内容も何となく脳内で繋がり始める。まだ完璧にはほど遠いが、2歳児なりに“会話って楽しい”と思えるようになったのは大きな進歩だ。寝起きや空腹のときはイライラして泣きがちだが、一度言葉で“何が嫌か”を伝えられれば、侍女たちが素早く対処してくれるから、泣き続ける時間が格段に減った。夜中に「みず、ほしい……」と言えれば、ローザがさっと起きて水を持ってきてくれるので、以前なら大泣きしていた場面が五分以内に解決することも珍しくない。子どもにとって言葉は最強の武器とは、よく言ったものだ。


 一方で、両親を失った現実は変わらないし、領地をめぐる政治や陰謀がどう動いているかも、私にはまだよく分からない。ときどきベアトリーチェが渋い顔で書類を確認していたり、ボリスという家令が屋敷の外へ出入りしているのをちらっと見ることがあるが、詳しく事情を知ることはできない。私が2語文、3語文で「なに……してる……?」と聞いたところで、ベアトリーチェは優しく笑って「リアンナにはまだ難しいお話よ」と返すばかり。悔しいが、こんな会話ができるようになっただけでも上等なのだろう。


 それでも、私の中には“いつか自分が立ち向かわなきゃいけないんだろう”という予感がうずまいている。このまま大人たちに放っておかれるなら楽かもしれないが、父母亡き後の領主を私が継いでいる限り、いずれ嫌でも“幼い領主様”として表に立たされる日が来るに違いない。そのときに全く話せないのでは話にならないし、周囲と意思疎通が取れなければ危険すら避けられない。たとえば陰謀が起きても「わたし、わかんない」では済まされないだろう。だからこそ、今のうちに言葉を身につけ、2歳半を越えるころには自分の意思をもう少し明確に伝えられるようにしておきたいのだ。


 最近、私が憧れるのは、エミーやローザと「一緒に遊ぶ」だけでなく、「会話しながら遊ぶ」こと。以前なら彼女たちが私をあやし、一方的に話しかけるだけだったが、いまは私から“お話”を仕掛けることも増えている。「これ、なに?」とか「どうやる?」と拙い言葉で質問すると、二人が「あ、それはね……」と説明してくれる。正直なところ、その説明の大半は理解できていないが、単語一つひとつをゆっくり繰り返してもらえるチャンスになる。「いっしょ、やろ?」「たのしー!」などのやり取りもできるので、遊びを通じて言葉を獲得している感じだ。2歳児がこうやって周囲との関係を深めていく仕組みは、前世で多少なりとも知識はあったが、実際に体験すると本当に面白い。


 身体面でも、小走りこそできないまでも、軽く両手を振って歩く姿勢が板についてきた。少し大きめの部屋なら、端から端まで歩いて往復できることもある。もちろん疲れるし、転ぶ危険もあるが、何度か挑戦しているうちに足さばきがだいぶ安定する瞬間がある。エミーやローザが「がんばれ、がんばれ」と声をかけてくれると、なぜか体が軽くなる気がするから不思議だ。おむつをはいたこの身でヨチヨチ歩く私の姿は、きっと微笑ましいものだろうけれど、当人としては“いつか外へ出たい、誰にも支えられずに”という燃えるような目標があるので、遊びついでに筋力トレーニングをしている感覚すらある。


 そんなある日、私はついに“ある程度まとまったフレーズ”を口にすることができた。といっても三語程度の簡単なやつで、「エミー、これ、たべる?」みたいな、とても幼稚な一言だ。が、それでも言えた瞬間、部屋にいたローザや先輩侍女が息を呑んで「いま……えっ?」と固まり、次の瞬間爆発的に盛り上がった。「リアが3語言った!」「すごい!ほんとに話してる!」と全員が拍手喝采。私としては照れくさいが、周囲の反応があまりに大きいので、私も思わず笑顔で「うん、しゃべった……」と呟く。そうすると「しゃべった! しゃべったー!!」と二重三重の歓声だ。


 あまりの大騒ぎに驚いたのか、廊下を通りかかったベアトリーチェまでやってきて、「リアンナ、今なにか話したの?」と目を丸くして尋ねる。私もドキドキしながら「……エミー、これ、たべる?」と再度トライ。ぎこちない発音だが、ベアトリーチェは「まあ……ほんとに、こんな早くに?」と呟きつつ微笑み、ゆっくりと私の頭を撫でてくれた。そのとき、「やはり大人の頭があるから早いのかな」という気持ちと、“2歳児の体が自力でしゃべった”という喜びが入り混じって、なんともいえない達成感で胸がいっぱいになる。前世で大きな裁判に勝ったときとも違う、純粋な嬉しさ――なるほど、これが幼児としての人生を歩む醍醐味かもしれない。


 そうやって言葉が少しずつ増えてくると、侍女たちの呼びかけ方も変化し始めた。今まではほぼ「リア?」と赤ちゃんに話しかけるような優しい声色だったのが、最近では「リア、これ持ってみる?」とか「リア、どうしたい?」と質問してくる頻度が上がったのだ。私が「んー、あそぶ」「あち、いく」と答えると、「いいよ、わかった」と積極的に対応してくれる。結果的に“自己主張”の場面が格段に増え、“私が好きな遊び”や“好きな食べ物”をリクエストできるようになった。もちろん、全部が叶うわけじゃないが、否定されても「いま、むり」「あとで、ね?」と侍女たちが説明してくれるので、それで納得できる場面も多い。なんと平和的でスムーズな世界だろう! 言葉って偉大だ……と、実感せずにはいられない。


 2歳を過ぎ、2歳半に近づくほど言語表現が増えていくと、こちらからも侍女や兵士、時には文官に対して声をかけてみたくなる。しかし、まだいきなり大人の話に割り込むのは難しい。向こうも“赤子”が声をかけてくるなんて思っていないから、最初は「え? なに?」と戸惑うだけ。まあ私のほうも半分しか文法ができていないし、単語も不足だらけなので、まともに会話になることは稀だ。けれど私が廊下で文官っぽい人を見て「おじ……さん? なに、もってる?」と指差せば、それだけで相手が「え? あ、これ? 書類だよ。大事な……」とか返事してくれる。何を言ってるかは半分くらい不明だが、私も「そ、かー」と相槌を打てる。そんなやりとりが生まれただけでも、大きな一歩と言えるだろう。


 さらにはマギア関連の言葉にも少し冒険したくなる。「ルクス(灯り)」「ネブロ(霧?)」「ラティーナ(聖なるもの?)」など、侍女たちが口にする謎の単語を何度か呟いてみるが、舌が思うように動かず、エミーが聞き返してくる。「え? 今なんて?」「ラティナ? どうしたの?」――そうしてまた両者で通訳ごっこみたいなことになり、結果的にはあやふやなまま終わることも多い。それでも、こうして自分から未知の単語を発してみるのは、言葉を覚える近道だと信じている。2歳半の子どもにしては背伸びした勉強法だけど、前世の記憶がある私としては“積極的アウトプットは重要”という理論を捨てきれないのだ。


 もどかしいのは、両親の死後、屋敷がどう運営されているか、誰が責任を取っているかなど、政治的な部分にまったくアクセスできない点。私自身は“領主”だと聞かされているが、2歳でそこを把握しようとしても、言葉の壁や大人たちの配慮があって踏み込ませてもらえない。しかし、2歳半に近づけば、もう少し複雑な会話を理解できるかもしれないし、文官や兵士とも円滑にコミュニケーションできる日が来るかもしれない。そのときに無知のままではいられないから、せめて日常の中で少しずつ語彙を増やし、“この世界の文化”を体得しておきたいと思っている。


 エミーもローザも、私の言葉の成長ぶりに感心しつつ、「無理はしないでね。いまは体も大事にしなきゃ」と釘を刺してくる。確かに、しゃべりすぎると舌が疲れるし、まだまだおむつや昼寝が必須な身分。あまり急激に背伸びしても体力が追いつかず、体調を崩すことだってあり得る。彼女たちが前世の母親がわりのように気を配ってくれるおかげで、私は安心して“幼児モード”を実践していられるのだ。もしこの支えがなかったら、私は赤子のころからとっくに陰謀に巻き込まれて潰されていたかもしれない……なんて想像すると、二人への感謝が尽きない。


 2歳から2歳半は、子どもの世界で“爆発的に言葉を覚える時期”だとされる――前世でちょっと読んだ育児情報によると、そんな記述があった。まさに私もその真っ只中にいて、毎日が語彙のチャレンジだ。見たもの、聞いたものを片っ端から口にしてみると、驚くほど記憶に残る単語が増えるのを実感する。侍女長ベアトリーチェがやってくるときは特に学びのチャンスで、彼女が口にする少し格式ばった言葉を真似してみると、「あら、私の話し方を真似してるのね」と優しい苦笑を浮かべる。私が「……べ、アト……りーち……ぇ」と舌を回しながら呼ぶと、「いいわよ、ゆっくりでね、リアンナ」と答えてくれる。こういうやりとりが増えるたび、“会話って楽しい”と改めて思う。


 おかげで、数か月前までは想像もできなかったような2語・3語文が出始め、「わたし、やる!」「ねえ、いっしょ、あそぶ?」「それ、なんだ?」といった指示や疑問を投げかけられるようになった。そして、彼女たちの返事も以前より理解できるようになりつつある。もちろんまだ“半分わかるかどうか”というレベルだけれども、それでも日常生活を円滑に回すには十分な段階が見えてきた。彼女たちが私の背中を押しながら「よかったね、リア。もうお話できるんだね」と微笑む瞬間は、私の幼児ライフをますます彩り豊かにしてくれる。


 とはいえ、2歳半になったとしてもやはりまだ幼児。言葉が通じるといっても“子ども同士の会話”に毛が生えた程度で、政治や経済の難しい話を理解できるわけではない。マギアの専門用語も断片的で、魔法書を読める日など遥か先のことだろう。せいぜいランプや水桶などの簡易なマギア道具で遊んでは、「これ、どうやって光るの?」とエミーに尋ねて「うーん、よくわかんないけど、ボタンを押すと変わるよ」と教えてもらう。私が「ボ、タン?」と復唱すれば、「そうそう、“押すところ”のこと」と笑われる。前世の私からすると“スイッチ”っぽい概念だが、ここではいちいち違う呼び名があるのが面白い。


 そんなこんなで、2歳を越えた今、私は“言葉”という新たな翼を得つつある。2語文・3語文を操れるようになったことで、自分の意思をはっきり伝えられ、周囲の反応が格段に早くなった。「喉かわいた」「おなかすいた」「だっこして」「いっしょに、あそぶ」――どれも幼稚なフレーズかもしれないが、私にとっては大きな進歩だ。前世で仕事していた頃、“言葉がすべての基本”と強く感じていたのは、今の私にも当てはまるわけで、やはりコミュニケーション手段を持つというのは人間(あるいは子ども)にとって最大の武器なのだと思う。


 この調子で行けば、あと半年もすれば普通に会話らしきものが成立するかもしれない。そうなったとき、私はやっと周囲の大人たちが抱えている問題――領地の経営や、陰謀、社会不安――に言及できるようになるだろう。もちろん2歳半そこそこで政治の舵取りをするなんて無理だが、少なくとも状況を把握するくらいはできるかもしれない。ベアトリーチェやボリスは“幼い領主”に対してどう振る舞うのか、そこには危うさもあるが、私は私で自分の身を守る術を確立していきたい。マギアをもっと知りたいという好奇心もあるし、エミーやローザに借りっぱなしの優しさにいつか応えられるようになりたい。


 なにより、私自身が“幼児”としての生活に慣れ切る前に、大人の頭で考えられることを最大限活かしておきたい。言葉の爆発期は数年以内に終わるだろう。そのあとは“この世界の標準的な成長”をたどるわけで、前世の知識がどこまで保持されるかも分からない。だからこそ、いまは貪欲に周囲から学び、盗めるものは何でも盗んでおきたい――そんな意識が私を突き動かしているのだ。もっとも、2歳児の体力でどこまでできるかは未知数だが……。


 とにもかくにも、言葉がわかり始め、2語文や3語文を口にできるようになった今が私にとって大きな転機だ。廊下を歩いているとき、侍女同士が「あの子、最近は、本当に言葉が速いわね」と囁いているのを耳にすると、ちょっと得意な気分になる。前世の意識が影響しているかどうかは分からないが、周囲には“神童”くらいに映っているのかもしれない。ともすれば周りの期待が高まりすぎる懸念もあるが、2歳児ができることなんてまだ限られている。そこは無理せず、むしろ自分の可能性を広げるチャンスだと割り切るほうが得策だろう。


 こうして、2歳半に差し掛かる私の世界は、少しずつ明るさと広がりを増している。はいはい中心だった移動が、立ち上がって歩く楽しみに変わり、単語の羅列だった発声が、2語・3語文へとレベルアップして周囲とコミュニケーションを深める――その一つひとつが、大人だった前世では味わい得なかった充実感をもたらしてくれる。まだまだ道のりは長いし、領主としての未来は不透明だが、今は言葉がわかる喜びに浸りながら、微笑んでくれる侍女たちとの日々を満喫しているのだ。


 いつか本格的に“屋敷の運営”や“マギアの仕組み”を理解するための学習を始める日が来るだろう。そのときに私が持つ“2歳児の記憶”と“前世の大人の知識”とが、どんな化学反応を起こすのか、自分でも楽しみで仕方ない。だからこそ、一歩ずつ丁寧に歩き、毎日の交流や会話を大切にしていきたい。エミーもローザも、私が話すたびに「かわいい!」「もっと教えて!」と目を輝かせてくれるし、彼女たちと一緒に成長していける未来がなんだか楽しみなのだ。


 そんな思いを胸に、今日も私は彼女たちに手を引かれながら廊下をよちよち進む。時々「いっしょに、あし、そろえよ?」と声をかけて、二人が「うん、そろえよう!」と笑顔で歩調を合わせてくれる。自然とステップが合い、三人で少しの距離を進むだけで、大きな達成感がある。一年前なら想像もできなかった光景が、2歳過ぎのいま、こうして当たり前になってきた。自分の足と、掴みかけの言葉。その二つを武器に、まだ見ぬ世界へ踏み出す準備は着実に進んでいる――そんな予感にワクワクする日々だ。

 自分の心が幼児化してしまっているようで、少し恥ずかしい気もする。しかし、それは、正に神のみぞ知る話だし、現に、幼児なのだから気にすることではないだろう。と自分に言い聞かせている。


 教育というのはなにより大事だ。効果が出るには時間がかかるが、個人の幸せのためにも、社会の発展にも必要不可欠だ。ふと前世のことを思い出す。前世でも、大学や司法修習(司法試験に合格後に受ける研修のことをいう。裁判所や検察庁、法律事務所で研修をするほか、学校のようなところで座学も行う。)といった教育プロセスで、専門スキルの基礎を身につけた。この世界でも、言葉を覚え、ゆくゆくは、何か専門を学べればいいな、と思う。


 そして夜が訪れると、少し高揚したままの気持ちを抱えながらベッドに潜りこみ、頭の中で今日覚えた単語を復唱してみる。「いっしょ」「やりたい」「おなか、すいた」……いずれはもっと長い文を言えるようになるかもしれない。2歳半を迎えるころには、“幼児会話”が本格化し、エミーやローザと笑いながらもっと情報交換ができるかもしれない。そう思うだけで胸が躍るが、体は幼児仕様だから眠気には勝てない。まぶたを閉じると、すぐに意識が遠のいていき、最後にはローザの優しい声が聞こえる。「リア、おやすみ……明日もいっぱいお話しよ?」――思わず「うん……」と返事して、また一歩、自分が幼児であることを受け入れつつ夢の世界へ落ちていく。


 こうして言葉がわかるようになった実感は、私の2歳ライフを格段に色鮮やかにしている。まだ赤ちゃんの残り香を引きずりながらも、確実に“幼児”としての時期を駆け抜け始めた私。2語文や3語文が口から飛び出るたびに、周囲の人々が笑顔をくれる。そして、その笑顔がまた私に“次はもっと話したい”“もっと覚えたい”という意欲を与えてくれるのだ。マギアの存在や領主の責任はいずれ重くのしかかるだろうが、今はまだ日常を楽しんでいていいのだろう――そう背中を押してくれるのが、エミーとローザ、そして私自身の“成長欲”なのだろう。そうやって私は一日一日言葉を重ね、2歳から2歳半へ、その小さな足で着実にステップアップしていくのだ。


前世 日本国 憲法

26条1項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

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