あんよも言葉もよちよち進行? 幼児領主はがんばりたい!①
この世界に来てから、考えることはできても動けない、伝えられないことをもどかしく感じていた。どうやら、前世の記憶や知識に基づいて考えるのであれば、それは前世通り考えることができ、支障は無い。精神についても、自分の精神がしっかりと存在していることはわかる。ただ、体は2歳児そのものだし、運動能力も同じだ。そして、2歳児の体が、自分の精神、気持ちに影響与えることも感じる。たとえば、必要以上に寂しくなったり、不安になったりして、泣き出してしまうこともある。思考はそのままだといっても、体は幼く、かつ、その体が精神に影響を強く与えるというわけだ。
さて、私が2歳になったといっても、日常の多くは“赤ちゃんライフ”とほぼ変わらない。まだ抱っこされる時間が長いし、はいはいとよちよち歩きを駆使して部屋のなかを移動する程度。お皿やコップを使いこなすにはほど遠く、まだスプーンですくってもらうか、エミーやローザの手で口元へ運んでもらうのが当たり前だ。自分の手で持てるといっても、飲み物をこぼさずに飲むのはまだ難しい。あれこれ手を焼きながらも少しずつ、私なりに“できること”を増やしている最中である。
この世界に来てから早2年。私――リアンナが赤ちゃんとして再スタートしていると知った頃は、何もかもが未知で戸惑うばかりだった。でも最近は「はいはい→伝い歩き→ちょっとだけ一人で立つ」まで到達し、おかげで視野がずいぶん広がった。前世の感覚では“歩く”なんて当然の行為だったのに、今の体にとっては一大イベントだ。とはいえ、2歳児に過度な期待は禁物。立ち上がるだけでバランスを崩しやすいし、まだ疲れやすい。ひとしきり動くと、あっという間に息が上がってしまうのが現実だ。だが、何もできなかった頃と比べると段違いの進歩を感じていて、そこにささやかな満足感がある。
言葉についても、ようやく「ありがとう」に近い音や、侍女たちがよく使う「ナッサ(肯定や“いいね”を示すらしい)」などを口にできるようになってきた。けれども相手の話を十分に理解するのはまだ先のこと。エミーとローザが楽しそうに会話しているとき、五割もつかめれば大成功だ。だいたい半分くらい、単語の切れ目を聞き取れるときもあれば、まったく頭に入らないときもある。さらに、ちょっとでも眠かったり気持ちがぐずっていたりすると、脳がオフになってしまい、何も覚えられずに終わることもしょっちゅう。前世の私なら「話を聞くときは集中力が大事!」なんて偉そうに語れたけれど、今は2歳の脳ではどうにもならないもどかしさがある。しかし、ここ最近、言葉の理解度は、大幅に上がった感じがする。一気に言語能力が発達するころなのだろう。
それでも、侍女たちが「リア? アナ?(あなた?)」と覗きこみ、何か確認するように言ってくるときは、雰囲気で「うん(イエス)」「やだ(ノー)」くらいは伝えやすい。前世で「根拠と論理が大事」と学んでいた身からすると信じられないほどアバウトなコミュニケーションだけど、これが今の幼児世界の現実。思い返せば、私が弁護士として仕事をしていた頃は、クライアントとの会話も論理のすり合わせも、すべて言葉が土台にあった。いまはその基本の“言語”がままならないのだから、たとえ2歳児としては普通でも、私の中では相当なフラストレーションだ。
ただ、それを埋めるように、エミーやローザは私の仕草や表情をすぐ察してくれる。私が廊下に出たそうに指をさせば「そっち行く?」と笑い、あやしてもらいたげに腕を広げれば「抱っこしたいの?」と声をかけてくれる。私も赤面しながら「う……」とか「あ、あ」と微妙な声を発するだけで通じる場面があり、思わずホッとすることが増えた。こういう小さなやりとりが、自分が“赤ちゃんから幼児へ”移行する過程だと実感させてくれる。
朝から機嫌が悪い日は、エミーが部屋のベッドに腰かけて私を抱っこし、「よしよし……」と軽く体を揺らしてくれる。前世の大人だった頃は抱きしめられるなんて考えもしなかったけれど、今はこの小さな体にとって最高の安心が得られる時間だ。空腹や眠気が重なって泣きそうになるときも、エミーのやわらかな声とローザの笑顔があるだけで気持ちがほどけていく。ときには「ラトゥ(寝る)」と言われ、そのまま寝かしつけに入ることも多い。私が「ら……とぅ……」と繰り返せば、二人は歓声をあげて「かわいい!」と大盛り上がり。泣き虫な自分にも腹が立つが、こうして受け止めてくれる存在がいるのは本当にありがたいと思う。
昼前になれば、屋敷の廊下へ“お散歩”に出るのが定番だ。どうやら父も母も亡くなってしまった私に対し、周囲は“身の安全”を最優先しているらしく、外へはほとんど連れて行かれない。せいぜい庭にごくたまに行くか、廊下を少し散歩する程度。私としては、異世界の景色を見たいという好奇心が強いのだけど、2歳児にはどうにも決定権がなく、エミーやローザの“安全第一”方針に従うしかない。けれど廊下だけでも結構発見が多い。床の材質が部屋ごとに微妙に違っていて、ある場所では敷物がふかふか、別の場所では少し硬めの木が敷かれている。大きな柱の根元には宝石のような石がはめ込まれていて、そこから薄い光が漏れることもある。
この前、エミーが言うには、その光の出る石は「マギアの結晶みたいなもの」だとか。どうやら魔法を使う際の動力源か、あるいは補助的なものらしいが、私にとっては「へえ、ランプがなくても明るいんだな」くらいの感想しか言えない。前世のように電気の灯りが当たり前なわけでもなければ、ここでは炎を使った照明ばかりではないらしく、“マギア”を通した様々な装置があるようだ。具体的には部屋の温度を快適に保つ仕組み、料理の際に火を起こす方法、さらには掃除の道具にまでマギアが利用されているとか……。私の耳には断片的に入ってくる程度で、いまだ何がどう機能しているのかは未知数だ。
そうこうしながら廊下を伝い歩きしていると、2歳児の体はすぐにバテてしまう。五分、十分ぐらい動いただけで、息が上がり、汗がじんわり浮かんでくる。立ち止まって「はあ……」と息をつくと、ローザがすかさず駆け寄って「大丈夫?」「お部屋戻る?」と尋ねてくれる。私は「う……ん」と半分泣き声で頷くしかない。情けないと思いつつ、同時にそれが2歳児の限界なのだと痛感する。前世なら軽くジョギングできたのに、いまや十数メートルの散歩でへとへとになるなんて……。
部屋に戻れば、私のために用意された小さなイスとテーブルがあり、そこにちょこんと座らされることもある。といっても、長時間じっと座れるわけじゃない。腰がぐらつくし、すぐに退屈してしまう。それでもローザは「ほんの少しだけ慣れようね?」と微笑み、絵が描かれた紙や積み木などをテーブルに置いてくれる。「ナッサ?」とか言いながら指をさして、私に教えるように喋るのだが、私にはその内容の半分も分からないことが多い。それでも言葉を浴びることに意味があると信じて、私は一生懸命耳を澄ます。前世の学習経験からすると“インプットが増えれば、いずれアウトプットにつながるはずだ”という論理が働いているわけで、実際この方法は効果がありそうだ。
さて、お昼前後になると、お腹が空いて機嫌が悪くなることもしょっちゅう。エミーやローザが「お腹すいたの?」と問うように「イクラ?」と言ってくる場面は多い。たまに彼女たちが先にその単語を言い忘れると、私が「あ……い、く、ら……」としどろもどろに呟き、伝わると「はいはい、ごはんだね!」と彼女たちが大喜びで食事を持ってきてくれる。前世で成人男性をやっていたときは、こんな初歩的なコミュニケーションに喜びを感じることは想像もできなかった。だが今は、小さな一言が通じ合うだけで、日々がカラフルに色づいていくような不思議な感覚がある。
食事の内容は、麦や芋や野菜が中心で、肉が使われることもあるが、煮込まれて柔らかくなっていることが多い。味付けは前世的にいえば薄味だが、2歳の舌には十分な刺激で、“うわ、ちょっと苦いかも”と思うようなスープも慣れればおいしいと感じるようになった。味覚が子ども仕様になっているんだろうか……なんて考えると、少し面白い。エミーが「これは○○(聞き取れない言葉)の野菜だよ」と教えてくれるが、それがどんな植物なのかは分からない。見た目はカボチャに似た何かだったり、根菜に見えるけれど中が鮮やかな色だったり、未知の食材ばかりだ。時々、まるで苔みたいな葉っぱをすりつぶしたペーストが出てくることもあるが、意外と優しい苦味でイケる。侍女たちは「すごい、ちゃんと食べられるんだね!」と笑うけれど、私からすれば“食べなきゃ生きていけない”という本能のほうが大きい。
食後は少し遊んで、あるいは窓の外を眺めることもある。広い庭があるらしく、私の部屋から見える範囲だけでも花壇や芝生が整備されているのが分かる。時折、兵士や使用人がそこを横切る姿を見かけるが、外に出られない私にはそれだけで新鮮な光景だ。もしもっと言葉が話せて、しっかり歩ければ……この庭を探索する機会も増えるのだろうか。その先にある世界、町や村はどうなっているのだろうか。普通の人々は、どんな暮らしをしているのか――。考え始めると、好奇心が止まらなくなるが、今はただの2歳児。いざ動き回って疲れたら、また昼寝に入るのが関の山だ。
そうやって昼寝を挟むと、あっという間に夕方。侍女たちが帰ってくる(そもそも部屋を離れること自体少ないが、掃除や用事で出入りしている)ときも、「リア、お着替えしようね」「今日は少し寒いからこれを着て」と言って、布や小さな上着を持ってきてくれる。2歳児にとって、着替えはけっこう大変。スムーズに腕を通すだけでもバランスが崩れそうだし、なにより自分でやれと言われても難度が高い。ここでもエミーとローザが「よしよし」と優しくサポートしてくれるから成立している。自分一人だったら、どんなに泣き叫んでも服がまともに着られなかったはずだ。
夕方には、部屋に薄暗い照明が灯る。これも“マギア”の力だそうで、外が暗くなると自然に光が柔らかくなり、部屋全体を仄かに照らし出すから不思議だ。前世の常識でいえば「人感センサー付き照明?」とか想像してしまうが、当然そんな電気技術は存在しないはず。代わりにこの世界には魔法技術(?)がある。侍女たちは「ああ、マギアの調整がうまくいってるのかな」と言いながら、壁の端子を軽く押す仕草を見せる。どうもスイッチ的な何かがあるらしいが、私が触っていいものなのかは分からないし、操作方法もまだ謎のまま。もし大きくなって使いこなせる日が来れば、何かと便利かもしれない。
夜になると、2歳の私はやはり早めに眠気が訪れる。普段なら夕食を食べて、30分くらい遊んでいるうちにまぶたが落ちる。エミーとローザが歌いながら、私をベッドへ運んでくれて、抱っこしながらトントンされるともう抗えない。私の意思とは関係なく、体が「もう寝る時間ですよ」と言い張ってくるのだ。前世では夜更かしも自由だったし、仕事で徹夜もしていたが、いまはとてもじゃないが無理。寝なければ翌日がしんどい……どころか、その日の夜にまで影響するくらいだ。
そんなふうに、私の2歳児ライフは一見のどかに見える。もちろん楽なことばかりではない。言葉が通じないもどかしさ、足腰の弱さ、そして外の世界へ出られない閉塞感。それに“領主”という立場を相続してしまった重みが、将来的にどうのしかかってくるかを考えると、夜も眠れない……わけでもなく、結局2歳の体は疲れればすぐ寝落ちしてしまうのだ。体に押し流されるまま、私は「まあ、今できることをやろう」という結論に落ち着く。周囲の大人たちがどう政治を回しているか、屋敷の外でどんな陰謀が進んでいるか、不安は尽きないが、現段階では手も足も出ないから仕方ない。
侍女長ベアトリーチェは時々、「リアンナがもう少し大きくなったら、ちゃんと勉強もしなきゃね」と言い含めるように話す。エミーとローザには「言葉を教えるなら、なるべく優しい単語から。無理に難しい概念を押しつけず、自然と覚えさせてあげて」と指示しているらしい。2歳の私には難しい言い回しだが、「いずれお勉強が待っている」というニュアンスは伝わる。前世で法律の勉強に明け暮れた私からすれば、再び何らかの学びに没頭できる日が来るのはむしろ楽しみだ。まさかこの世界独自のマギア理論や、貴族制度の仕組みを勉強することになるとは夢にも思わなかったが、きっとそれは私の生存戦略にも関わってくるはず。
そして私は、夜、ベッドでまどろみつつ考える。「もっと言葉がわかれば、マギアをもっと知れるかも。マギアがわかれば、将来何かあったとき自分や領地を守る手段になるかも……?」と。この世界では私が知っている日本の法律は通じない。代わりに魔法の技術や貴族の規則、古来の慣習などが支配している可能性が高い。となれば、私にできるのは、そのルールを学び、場合によっては交渉術や論理を使いながら、どうにか自分と周囲を守ることだろう。まさか幼児の身でそんな先のことを見通すのは難しいが、今のうちから“土台”を作っておきたいと思う。言葉と体力はその第一歩だ。
そういう未来に対する意気込みがあっても、いざ日中に動くとすぐ疲れ果て、泣きそうになったりぐずったりしてしまうのが2歳児の宿命。たとえば、廊下でバランスを崩して転んだときは、本当に痛くて泣いてしまうし、周囲に誰もいないと一瞬パニックになって涙が止まらなくなる。エミーやローザがすぐ駆けつけて「痛かったね……」と抱っこしてくれればまだしも、二人とも別の仕事でいなかったりすると、私はどうしようもなく孤独を味わう。そんなとき、私は心の中で(早く言葉で助けを呼べればいいのに……)と嘆くわけだ。
あるいは夜中に目が覚めて、水が飲みたくても飲めないこともある。自分でコップに注いで飲むには大変だし、部屋の一角に置かれた水差しをうまく使いこなせない。喉が渇いてぐずり泣きすると、ローザかエミーが飛んできて「どうしたの?」と水を差し出してくれる。私は「ん……」とわずかに声を出すだけで伝わる場合もあれば、二人が状況を把握できずにさらに時間がかかる場合もある。そんな小さな行き違いで大泣きしてしまったりして、情けないやら悔しいやら……。しかし、これが赤ちゃんから幼児への道なのだと、最近は割り切れるようになった。
さらに付け加えるなら、“おむつトレーニング”的な話もある。2歳になると、そろそろトイレを意識してどうこう……という話が前世であった気がする。でもこの世界に普通のトイレがあるのかどうかもよく分からない。少なくとも私の部屋の端には「子ども用の排泄スペース」みたいなものがあり、侍女に支えられてそこで用を足すこともたまにある。ただ、タイミングが合わなければ布おむつが基本で、そこにしてしまったらすぐ交換するという方式だ。エミーやローザは「焦らなくていいよ」と言うように笑ってくれるが(実際そう言っているかどうかは、まだ微妙に分からないが、そんなニュアンス)、私はできるだけ意思表示で「今、トイレに行きたい」みたいなサインを示す練習中だ。言葉が通じずとも、指差しや「あ……あ……」という音の強弱で二人が察してくれるケースもあれば、失敗しておむつにしてしまうケースもある。失敗すると恥ずかしいやら情けないやらだが、こればかりは身体の成長待ちだろう。
こうして振り返ると、2歳児の私にとって日常の全てが“小さいけれど大きな挑戦”だ。もちろん、お昼寝を挟みながら毎日が繰り返されるわけだから、単調なようにも思える。ところが、自分の成長が実感として刻まれるので、飽きることはない。不思議なもので、今の私は本当に“幼児モード”に身を委ねている部分が大きく、前世の理性や論理で把握しきれない“感情”に突き動かされる瞬間が多い。それが時に苛立ちや涙を生み、時に笑いや興奮をもたらす。大人だった私なら、こんなに感情をむき出しにすることはなかったはずだが……。それでも、侍女たちが優しく受け止めてくれるから、自然と甘えるようになってしまう。ある意味、それが2歳児としての生存戦略なのかもしれない。
そんなふうに、エミーとローザの存在が私にはかけがえのない支えだ。二人はよくお互いを「エミー」「ローザ」と名前で呼び合いながら、私を交互に抱っこしたり、服を着替えさせたりしてくれる。二人とも十代半ば~後半くらいらしいが、私からすればずいぶん“大人”に見える。彼女たちは仕事の合間に「もう少ししたら、リアはもっと喋れるようになるかな」「そのうち一緒に外へ散歩行きたいね」「マギアの灯りに興味あるみたい」と、いろいろ話している。言葉の端々しか分からないが、私への愛情を持って接してくれているのは明確だ。ときおり、ベアトリーチェやほかのメイドに叱られながらも私の世話を最優先してくれるところを見ると、本当に私を大事に思っているんだなと伝わってくる。
夜になり、眠りに落ちる寸前、私はいつも心の中で“明日はもう少し言葉を覚えよう”“明日は転ばずに廊下を回れるようになりたい”と考える。前世なら「こんなちっぽけな目標」と笑ってしまうところだが、今の私には大切なステップだ。1日1日の積み重ねが、いつか大きな力になる――そんな予感だけはあるから。チート能力は手に入らなかったし、現代日本の法律も役に立たないかもしれないが、この世界に適応しながら“自分の武器”を作っていく他ない。それがどれほど時間を要するかは分からないし、そもそも育つ前にクーデターや内乱が起きるかもしれない。ただ、そのときはそのとき。私ができるのは、毎日の小さな成長に集中することだ。
そして、たまに夜中に目を覚ましてしまうこともある。そんなとき、不安感に襲われる瞬間がある。屋敷の外の情勢は? 両親が死んだあとの領地は誰が運営している? ボリスというまとめ役、(いわゆる「家令」か?)らしき人が淡々と業務をこなしているのは知っているが、きっとその裏で権力争いがあるかもしれない。私という“赤子領主”を利用しようと企む人物がいてもおかしくないのだ。2歳でそんな大人びた心配をするのは変かもしれないが、前世の記憶がある以上、どうしても頭をよぎる。眠れずにぐずぐずしていると、ローザやエミーが抱き上げてくれて、「どうしたの?」とあやしてくれる。その温かさに包まれて、私はまた夢の世界へ引き戻される。安堵と焦燥が入り混じった、不思議な夜を過ごすのだ。
こうして、私の2歳生活は“一見ほんわか”、でも“じわじわとプレッシャーが迫る”という両面を抱えながら進んでいく。伝い歩きの練習、舌足らずな単語の発音練習、そしてマギアに対する興味。両親の不在や領地の不安定さは、いずれ否応なく私を巻き込むだろうが、その日が来るまで、せめて基礎を固めたいと思う。歩くこと、話すこと――これらが自力でできるようになれば、屋敷の中でもっと情報を集められるかもしれないし、エミーやローザだけでなくベアトリーチェにもいろいろ訊ねられるようになる。いや、場合によっては兵士や文官に声をかけてみたいとも思う。もちろん、それが安全かどうかは分からないけれど、今は何も知らずにいるよりはいいだろう。
夜、ベッドに横たわり、かすかなランプの明かり――いや、マギア式照明の明かりを目にしながら「明日こそ“マギア”ってはっきり言えるかも」とつぶやく。舌を動かして「マ、マ、マ……ギ、ア……」と息を合わせようとしてみるが、結果は「マ……ぎあ」あたりで終わってしまう。小さな成長に大きな時間を費やすのが赤ちゃん――いや、幼児期の宿命。苛立つ気持ちもあるが、それと同時に、こうして初歩から積み上げる経験は貴重だと感じる。前世の私も法律をゼロから勉強して弁護士になったように、今度は“言語”や“魔法”、そしてこの世界のルールを一から学ばなければならないのだ。
まだチート能力などまるで見当たらない。身体も言葉も不自由なまま、いつ事件が起きてもおかしくない状況。しかし――一歩ずつ前に進むしかない。エミーとローザの優しさ、ベアトリーチェの穏やかな指導、そのほかの屋敷の人々の助け。私がそれらを上手に活かしながら、どこまで成長できるのかがこの先のカギになるだろう。焦っても2歳の体が思うように動かないし、言葉だって自然に覚えていくより他にない。もどかしいけれど、この“成長する喜び”を感じながら、2歳児としての日々を過ごすのも悪くないと思えてきた。
――気づけば、私はうつらうつらしながら、エミーの子守唄を聴いている。彼女の声はどこか調子外れだが、それがまた愛らしいし、安心を誘う。ローザも時々加わって二人で歌ってくれるときは、私がどんな声を出しても笑って許してくれるから嬉しい。こうして何度も何度も繰り返される、小さな笑いと涙。2歳の身体が疲れを訴えたときは、素直に寝るしかない。前世のような徹夜は無理だし、過労で倒れるリスクなんて考えるまでもなく、今の私には自然と眠りが訪れるのだ。
そうして夜ごとに閉じるまぶたの裏で、“いつか自由に話せて、自由に動けるようになった自分”をほんのり想像する。伝い歩きどころか、走り回れるなら、庭や廊下だけでなく、屋敷の外にだって行けるはずだ。そこで見える景色、町並み、農地、王都(この世界に王都があるかどうかも分からないが)の人々……。未知のすべてが、私を呼んでいる気がする。そして、もしかすると“領主としての責務”が待ち受けているかもしれないが、今はそれを恐れるよりも“知りたい”“見たい”という気持ちのほうが強い。そこへ向かうために、まずは日々の練習――はいはい、伝い歩き、簡単な言葉の発声を頑張るのだ。
今はまだ赤ちゃんじみた私でも、毎日ほんの少しずつ強くなり、少しずつ賢くなる。それがいずれこの家や領地を守る武器になると信じている。ベアトリーチェが示唆するように“マギアの勉強”ができる日が来るなら、そのときは前世の勉強方法も活かせるだろうし、論理的思考だってきっと役に立つ。チートなしで転生した私がこの世界で成功するには、自力で道を切り開くしかない。焦りすぎず、でも少しずつ。今夜の子守唄が終わるころ、私はそう自分に言い聞かせつつ、心地よい眠りに落ちていく――。
こうして、2歳の私の“赤ちゃん(幼児)ライフ”は、まだ大きな事件も起きないまま続いている。だが、大人たちのひそやかな動きや、社会不安の噂、そしてマギアの存在が、やがて私を波乱の運命へと導く予感は拭えない。それでも今は、何もかも練習段階。はいはいから歩きへ、単語から言葉へ――その一歩一歩が、私の未来を左右する大きな道のりなのだ。いつの日か、両親を失っても私を支えてくれた人たちの力になれるように、そして不穏な陰謀や内乱を避けられないなら、それを乗り越える術を身につけるためにも、私はこの2歳の世界を精一杯生きている。今日も小さな声で「マ……ぎ……あ」と呟きながら、ブランケットにくるまって夢の続きを見る。前世とは真逆の環境に戸惑いつつも、ここで得るものはきっと大きいと信じて。そんなほんのりとした安堵が、私をぐっすりとした眠りへ誘ってくれるのだった。
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