偽る自分と純粋な彼、エッチな本が照らす歪な友情
朝、目を覚ますと同時に重苦しい頭痛が押し寄せてきそうな気配がした。身体がだるいわけではない。むしろ昨夜は早めに寝たのだから、体力的には十分なはずなのに、妙に胸の奥がザワつく。たぶん理由はわかっている。昨日のことを思い出したくもないのに、頭が勝手にそこへ引き戻そうとするからだ。
わたしはいつものように部屋から出て、侍女のエミーとローザの顔をなるべく見ないようにしながら、身支度を進める。見られたらきっと「どうしたんですか、その暗い顔?」と問い詰められるに違いない。昨日の疲れが表情に出ているかもしれないし、そもそも落ち込んでいる理由を説明できるわけもない。どう言いつくろっても怪しまれそうだから、やたらと目を合わせずにすませたい。
結局、小さな会釈だけで朝食の席を終え、わたしは自室に戻った。机の上にも領主見習いとして片づけねばならない書類が山積みなのに、今はまったく集中できる気がしない。昨日のこと――秘密基地でフューゴと一緒に、大人向けの本をこっそり見て、さらに抱き合いのポーズを半ば強要されて――その記憶がこびりついて離れない。前世が男だったわたしならば、そんな内容の本は珍しくもなかったはずだし、男同士のちょっとした好奇心くらい笑って受け流せたはず。でも、いまは違う。どんなに頭の奥で「まあ、こんなの普通だろ」と割り切ろうとしても、身体が勝手に恥ずかしさで強張ってしまうのだ。
さらに追い打ちをかけるように、きのうの夜、遅い時間にフューゴから伝言が届いた。館の小間使いに頼んだらしい走り書きのメモには、「あさっても秘密基地に来てくれよ。前回読めなかったとこを見ようぜ!」とある。この一文を読んだとき、わたしは思わずメモを放り出しそうになった。まだ続くのか、と。どうしてそこまで熱心にエロ本を極めようとしているんだろう、あの少年は……。しかもその“相棒”としてわたしを誘うなんて。内心「ああ勘弁して」と悲鳴を上げつつも、無視してしまうのも気が咎める。フューゴは友達としてわたしを完全に信頼しているのだから。
「はあ……」と長いため息を吐く。もしわたしがこの体ではなく、前世の男としてこの年齢だったら、ちょっと照れながらもフューゴに合わせて楽しめていたのかもしれない。だけど今は13歳の少女――実際の外見はそうだし、日常ではドレスや化粧を求められる身なのだ。その自分が男装でフューゴと過ごし、男友達としてあれこれ共有している。この事実が複雑すぎて、頭がどうにかなりそう。前世とのギャップが違和感となって、どこへぶつければいいのか分からない。
そんな焦燥感を抱えたまま、結局あさっての午後がやって来る。午前中のうちに館の書類仕事を片づけ、どうにかエミーとローザに言い訳をして外出の許可を取る。「男装で出かけるなんて……また変なことを」と呆れられながらも、わたしはどうしても行かねばならないような気がしていた。フューゴとの約束を破れない自分がいる。あるいは、あの本の“続きを見る”ことに、どこかで興味があるのかもしれない。思春期というのは、こんなふうに自分でも理解できない感情に振り回されるものなのか。
着替えを終えたわたしは、男物の服をまとい、こっそり館を抜け出す。やはりドレスに比べれば動きやすいけれど、お尻や胸を少しだけ締め付けている感覚はある。前世の体ならそもそも必要のない誤魔化しだが、いまはそうもいかない。道すがら何度も「こんな姿を誰かに見られたら面倒だな……」と嫌な想像をしつつ、なんとか町外れの林へと足を運んだ。
秘密基地に近づくたび、またもや鬱屈した息苦しさを覚える。しかしフューゴは満面の笑みで迎えてくれた。「リオン、よく来たな! 実はこの本さ、昨日中途半端で終わったろ? ちゃんと最後まで読みたいんだ」と嬉しそうに言う。その姿を見ていると、わたしまで肩の力が抜けてしまう。あまりにも無邪気で、男同士のエロ本語りを当たり前に考えているフューゴが羨ましいやら困るやら、よくわからない感情がじわじわ湧き出す。
わたしは苦笑いしながら基地の床に腰を下ろす。相変わらず狭い空間で、足を少し曲げただけでフューゴの膝に当たりそうだ。外の光が差し込むだけなので薄暗く、埃が舞う匂いがする。こういうシチュエーションなら普通はワクワクした秘密基地ごっこが楽しいはずなのに、いまのわたしはただただ心臓が忙しく脈打つ。
「ま、また…あの本、見るんだね」とぎこちない声を出すと、フューゴは迷いなく「ああ、まだ見てないところ多いから。ほら、この挿絵……」とページを開いて見せつける。さっそく視界に飛び込んでくる大胆なイラスト。男女が絡み合ってどうのこうの。前世的には全然珍しくないというのに、いまはとんでもなく羞恥心を刺激されるから不思議だ。
「こ、これ以上見る必要ある? だって結構刺激強いし……」とわたしが弱々しく言うと、フューゴはまじめに首を振る。「ちょっと待て、俺たちで恥ずかしがる必要ないだろ。俺たちが嫌がる理由あるのか?」といかにも当然の理屈のように言ってくる。その“男同士”という単語を聞くたびに、わたしの内面はグサリと抉られる思いがする。わたしは女なのに。でもそれは絶対に言えない。
「そ、そうだね……」とだけ返事をしていたら、フューゴが本を開いたまま「このページ、抱き寄せるタイミングとか書いてあるんだ。実際どう動けばいいかわかんねえから、ちょっと試してみようぜ?」と、また馬鹿なことを軽々しく言いだした。脳内に警報が鳴り響く。そう、前回もこんな流れになった。スキンシップ的な練習をしようとして、わたしはほとんどパニック状態だったのに。まさかもう一度同じ展開を繰り返すというのか。
「いやいや、そんな変なこと……! どう考えてもおかしいだろ、男同士が抱き寄せる練習なんて……!」わたしは咄嗟にそう訴えるが、フューゴはむしろ当然のように「だってさ、一人で鏡を見ても限界あるだろ? こういうのは実践あるのみじゃん?ポーズくらいは分かんないとさ」と熱っぽく続ける。
男装しているわたしは、ここで強く拒絶すれば「こいつ、女の子みたいに嫌がってる」とか思われるかも、と変に意識してしまって何も言えなくなる。結果的に「そ、そっか……」と曖昧に相づちを打つ。心の中では(違う! 私は女だからそんなの嫌なんだよ!)と叫びたくてたまらないのに、口に出したら全部終わる。
フューゴはさっそく立ち上がり、雑誌を片手に「じゃあ、まずは壁際に追い込むやつな。ほら、ここに描いてある」と指さす。わたしは「うわあ、まじでやるの?」と背筋が凍る。そもそもこの秘密基地に“壁ドン”できるような広い壁があるかと言えば、そこそこあるにはあるのか。でも距離が狭すぎるから、めちゃくちゃ密着度が高くなりそうだ。
案の定、フューゴがずいっと寄ってきて「こんなふうか?」とやるもんだから、わたしは背中をぎゅっと木の壁に押しつけられる形になる。近っ! 本当に顔が数センチしか離れてない。フューゴの呼吸が自分の頬にかかるたび、13歳の少女の身体が反応してしまうのを抑えられない。前世が男であれば、こんなことしても内面は「いくら男同士でもこれはないわー」くらいの感想かもしれないが、今のわたしは嫌とかキモいとかよりも、身体が熱くなる戸惑いが勝ってしまう。
「ん? なんか変な顔してんぞ。苦しい?」とフューゴが覗き込む。近すぎるせいで、わたしは声を上げる寸前。「ちょ、近……離れて……!」と体を逃がそうとするが、足をもつれさせて小屋の床にドテッと倒れこむ。フューゴも巻き添えで「わっ!」と尻餅をつき、そのまま二人して大騒ぎ。「お、おい、大丈夫か?」とフューゴは笑いながら手を伸ばすが、当人のわたしはもう顔が真っ赤で言葉にならない。
そのあたりで空気も微妙に変わる。フューゴははしゃいでいたくせに、いざ体が触れ合った瞬間、「前も思ったが、お、お前なんかすごい華奢だな……」と口ごもり始める。わたし自身も「ねえ、それは……」と言いかけて固まる。もしフューゴが少しでも鋭い感覚を持っていたら、胸や腰のラインの違和感に気づいてしまわないか。そう考えるだけで心臓が飛び出るほど怖い。幸い彼はまったく疑う様子を見せず、「まあ貴族の坊ちゃんだし、あんまり運動してないんだろ?」と一人納得している。
「そ、そうだね。あんまり、こういう体を動かすのは……慣れてなくて……」と返事するわたし。情けない声が出るが仕方ない。そうこうしているうちに、また外で物音がして「うわ、やばっ!」と本を急いで隠したりして、結果的に前回とほとんど同じ騒ぎを繰り返すのだ。フューゴは「またかよ! ほんと落ち着かねえな」と笑っているが、わたしはもう疲労困憊で息が切れる。何度こんなスリルを味わわなきゃいけないのか。
ようやく足音が遠ざかって安心すると、フューゴがチラリとわたしの顔を覗いてくる。「お前、さっきから変じゃないか? もしかして、こういうの嫌? 気を悪くしてたらごめん」と少し申し訳なさそうに言う。その言葉に、胸がちりちりと痛む。確かに嫌――ではないが、困る。昔の男の意識なら多少は平気でも、今の状況が平気じゃないのだ。でも、どう説明すればいい? わたしはぎこちなく首を振る。
「嫌ってわけじゃないけど……なんか、変な感じで、えっと……動揺しちゃうんだよ、いろいろ……」と濁すような言葉。フューゴは「そっか。そりゃ、俺も少し戸惑うっちゃ戸惑うけど、男同士だしいいと思った」とおとなしく呟く。彼の声がどこか寂しそうに聞こえて、わたしは罪悪感を覚える。「ごめんね、わたし……がちょっと過敏になってるだけ。いろいろ複雑なんだ」と答えながら、本当の理由を明かせないもどかしさに胸を締めつけられる。
少ししんみりした空気の中、「じゃあ、もうこれくらいでいいか」とフューゴがため息をつきかけたところで、何を思ったか「あ、でも最後の方のページ、まだ見てなくね?」と声を上げる。わたしは「は……?」と固まる。いまのしんみり感はどこに消えたんだ。やっぱり少年の好奇心は止まらないのか。完全に振り回されっぱなしの自分が情けない。
「ここだよ、ほら。最後の見開き、かなりやばいイラストだろ?」とフューゴが指し示す。仕方なく覗き込むと、確かに前にさらりと流した部分よりもさらに過激なシーンが描かれている。イラストだけでなく、大人っぽい文章が添えられたコラムもあって、よく読むとかなり具体的に説明しているらしい。フューゴが息を飲んで「す、すげえ……大人ってこんなことまで……」と驚く横顔に、わたしはもう何度目かのため息を吐きかける。
前世の大人として経験はあれど、いまの自分にとっては直視がきつい。年齢の問題か、あるいは身体の性が変わったからか、あるいは両方なのか。様々な要因が胸をざわつかせる。フューゴもさすがに「あー…これは、ちょっと、まだ無理かもな」と苦笑する。彼にとっても衝撃が大きいのだろう。わたしもようやく一息ついて、「そ、そうだよね。やっぱ早いよね……」と頷いた。
「うん。とりあえず封印するか。まだ少しガキだしな、俺たち」とフューゴが結論づける。その言葉に心底ホッとする。いつもならエッチな本に好奇心いっぱいの少年が、いまは珍しく大人びた表情で本を閉じ、古い布で包む。わたしは思わず「うん……いずれ大人になったら勝手にすればいいし、今は見ないほうがいいかもね」と返事。彼はわずかに笑い、「じゃあ隠そう。次に読むときはもっと準備してからにするよ」と言うから、ほんの少し複雑な気分も覚える。次はあるのか……だけど、とりあえず今日が終わるならまあいいや、と思う自分もいる。
それからわたしたちは本を何重にも布で巻き、秘密基地の棚の奥に差し込んだ。フューゴは若干未練がましく、名残惜しそうに手を触れていたが、「まあリオンも疲れた顔してるし、今日はこれで終わりにしよう」と苦笑する。今更だけど、友達をここまで巻き込んでおいて、さすがに悪いと思ってるのかもしれない。
「じゃあ、そろそろ帰るか」とわたしが声をかけると、フューゴは静かに頷いた。なんだかいつもの無邪気さが少し影を潜めている気がする。もしかして、わたしが変に嫌がっていたのを気にしているのかもしれない。申し訳なさと同時に、これ以上付き合わせるわけにもいかないという安心が入り混じって、どう反応すればいいか自分でもわからない。言葉少なに再び外へ出ると、林の出口でフューゴはちらっとわたしを見て、「なあ、リオン。こんな形でしか誘えなくて悪かったな。お前、なんだか他の奴より大人っぽいし、いろんなことを気にしないと思ったんだ。俺ももっと考えなきゃだったかも」と小さく呟く。
わたしは戸惑いながらも、「い、いや、そんな…大丈夫だよ。ただ、ちょっとびっくりしただけで……」と慌てて言葉を探す。フューゴは「そっか」と笑って、「じゃあ、また遊ぼうな」と軽く手を振る。完全に気まずくなったわけではなさそうなので、わたしも「うん、またね」と笑みを返した。
帰り道。夕焼けが林の隙間から射し込み、オレンジ色に染まる景色を眺めながら、わたしは歩を進める。男装姿のまま深いため息をつく。フューゴとの仲は、もしかしたら深まったと言えるのかもしれないけど、わたしの内心はめちゃくちゃだ。前世の男としてなら「青春ってこんなものかな、微笑ましいイベントだな」と思うかもしれないのに、今は少女の体が自分の感覚を狂わせる。フューゴの腕が触れた時のドキドキや、あのイラストを見た時に感じた熱さ、どうしてこんなにも振り回されるんだろう。自分がどこかに行ってしまいそうな、危うい感覚がある。
館に戻ると、侍女たちは相変わらず鋭い目で「今日もどこへ行ってたのです?」と尋ねてくるが、わたしは適当に「散歩だよ」とはぐらかして、そそくさと部屋へ引っ込む。二人ともこれ以上詮索はしてこないけれど、「最近ちょっと様子が変だわね」とヒソヒソ話すのが聞こえてきて、胸が痛む。しかし、彼女たちに相談できるような話題でもないから、仕方ない。
結局その夜も眠れず、ベッドの中で昼間の出来事を思い返してはゴロゴロ悶えることになる。秘密基地でフューゴと並んで座った時の体温、息遣い。前世だったらこんな至近距離で抱き合う練習なんてあり得ないし、仮にあっても「男同士ふざけてやってるだけ」と割り切れただろう。なのに今は、わたし自身が女だという事実が心を乱しまくる。触れられるたび、どうしようもない“ドキッ”を感じてしまうし、そんな自分が信じられない。
「こんなの、おかしいよ……」
枕に顔を埋めながら、声にならない叫びが何度も漏れる。でもやっぱり、こういう感情を誰かに打ち明けるわけにはいかない。フューゴに言ったところで困らせるだけだし、エミーやローザに告白するなど論外だ。わたしはきっと、このまま何も言えずに悶々とするしかないのだろう。あのエッチな本は秘密基地に封印したから、もうすぐに見ることはないと思うけれど、フューゴが再び「気にならないか?」とか言い出す可能性はあるし……。
思考がさらに巡り、いまの自分にとっての“性”とは何なのかを考え始める。前世で培ったもの、今の年齢・身体。二つが混ざり合った違和感と、少年に抱きしめられた時に感じた奇妙な胸の高鳴り。どれもが噛み合わなくて、頭が痛い。もし普通に少女として育っていれば、こういう刺激的な本を男友達と読んで抱き合いごっことか、絶対しないはずだ。でも、男装のおかげでそんな状況に陥ってしまうなんて……。
「これから先、どうなるんだろう……」
最後にぽつりと溜息混じりの言葉が零れ落ちる。疲れ切った意識がじわじわ薄れていくなかで、フューゴの笑顔や、押し倒された時の熱量が、まぶたの裏に焼きついて離れない。前世の自分なら、こんな青春じみた悩みとは無縁だった気がするのに、いまはそうはいかない。年齢差も性別も、すべてがズレてしまっている。あまりに複雑すぎて、自分の心さえ自分で理解できないまま、暗い闇に沈むように眠りに落ちていく。
――あしたになっても、この胸のざわつきは晴れそうにない。わたしはその事実を自覚しながら、深夜の布団の中でほんの少しだけ涙ぐむ。エミーやローザを呼ぼうかと迷う気持ちも一瞬湧いたが、結局声に出せず、ひんやりしたままの夜に意識を手放すのだった。恥ずかしさと寂しさと、ほんのわずかな期待が入り混じったまま、次の朝を迎える覚悟もできないままに。
それでも――フューゴとの奇妙な友情だけは確かに存在し、次に会ったときはどんな顔をすればいいのか、想像するたび胸が苦しくなる。こんな状況、いったいどう落とし前をつけるのか、わたし自身もよくわかっていない。だけど時間は止まってくれないし、わたしは領主見習いとしての日常をまたこなさなくてはならないのだ。少しでもまともな笑顔を作ってみせるために、あしたはせめてゆっくり眠りたい――そう願いながら、微熱じみた意識の奥へ沈んでゆく。
【作者からのお願い】
もし、「おもしろい」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマーク登録をしていただけるとうれしいです。また「いいね」や感想もお待ちしています!
また、☆で評価していただければ大変うれしいです。
皆様の応援を励みにして頑張りますので、よろしくお願い致します!