魔法はだめでも法律ならば! 当主見習いの本当の得意分野
朝日が窓辺のカーテンを透かして差し込んでくる。いつもなら、その柔らかな光が心をほぐしてくれるのに、きょうはどうにも体がだるい。ベッドのなかで一度寝返りを打ち、再度目を開けると、もうエミーとローザが起き出して、簡単な身支度を始めているのがわかった。私も布団から抜け出さなければいけないはずなのに、疲労感がじわりとまとわりついて、なかなか体を動かす気になれない。
「おはようございます、リアンナ様。きょうは少し寝坊気味ですね?」
エミーが微笑みかけてくる。私は布団を抱え込むようにして「……おはよう」とだけ返す。声に力が入らない。ローザが鏡の前で髪を整えながら、「昨日の子どもたちの相手は大変でしたもんね」と同調するように言う。昨日の記憶がよみがえり、思わずため息がこぼれた。
家臣の貴族たちの子どもを預かって遊ばせたのはいいが、正直なところ、あんな大勢に囲まれるのは想定外すぎた。子どもは嫌いじゃないはずだけど、前世が男だった身としては“女の子”として子どもをあやす自分の姿に落ち着かなさを感じるし、なにより体力も精神力もどっと削られる。何度も走り回ったり花かんむりを作ったり……結局、あの子たちが笑顔で帰ってくれたのは嬉しかったけれど、夜ベッドに倒れ込んだときにはエネルギーを吸い尽くされていた。
「はいはい、起きてくださいな。きょうはまた別の仕事がありますよね?」
ローザの声に押されるように、私はようやくベッドを抜け出す。本来なら朝食をとってから領主見習いの時間に臨むのが日課。子ども相手は確かに大変だが、その分“領主”としての仕事をサボるわけにはいかない。何より、ボリスさんが「新しい報告があるから」と約束してくれていたことを思い出すと、体の重みがすこし軽くなった気がする。
魔法の才能はないし、華やかに輝ける要素も少ない私だが、前世で培った法律や制度の知識なら少しは役に立つかもしれない。その思いが“やっと自分の出番かも”という期待を呼び、胸をかすかに弾ませる。
子ども相手の疲労を引きずったまま、簡単に身支度を整え、エミーとローザに促されて部屋を出る。廊下を歩く足取りはまだ重いけれど、頭のなかでは「登記制度の話を聞けるかも?」という期待がふくらむ。前世からこの世界に来て、性別や立場が変わってしまった中で、“法律”というのは唯一、自分の得意分野として活きそうなものだと思っていた。もちろん、前世の法律は一つも通用しないけれども、こちらは領主の立場、法律を作る、つまりルールメイキングだってできるんだし。
子どもの相手をするのも悪くはないが、そればかりじゃせっかくの知識がもったいない。
ダイニングで朝食をとり終えるころには、なんとか目が覚めた。食器を片付けてもらい、いつもの執務室へと向かう。そこでは、ボリスさんが既に机に書類を並べて待っていた。摂政である彼は、いつも通り、私の代理人として、この領地を治める役割を担っている。
「おはようございます、リアンナ様。昨日は大変だったようですね」
ボリスさんは控えめな笑顔を向けてくる。私は苦笑いしながら「ええ、子どもって思った以上に体力を奪っていきます」と答える(まあ、私も、体はまだ子どもなのだけれどもね。)。ボリスさんは「ご苦労さまです」とだけ言って書類の束を持ち上げた。
「さて、きょうも領主見習いとしてのお仕事がありますが、その前に例の登記制度の件でご報告があるんです。いかがですか? ご気分は大丈夫ですか?」
「大丈夫です。むしろ、その話を聞きたいです。前世……というか私の過去の記憶が役に立ちそうですから」
あやうく口を滑らせたが、ボリスさんは私の言葉の真意を深く探るわけでもなく、「そうですね。では順を追ってご説明しましょう」と軽く頷き、書類を机に並べ始めた。私は椅子に腰を下ろしつつ、心の中で「やっと私の“チート”らしい能力が試せるのでは」と少しだけ胸を高鳴らせる。
午前中は別件の書類整理や簡単な相談ごとを処理する。村の水路整備の報告や、商人からの相場価格についてのレポート、それに対していくつかの指示書に署名をするなど。領主見習いとして、これはこれで大切な業務だけれど、私の頭には「登記の報告はまだかな……」という思いが渦巻く。ボリスさんも他の担当者と短く打ち合わせをしながら、落ち着いたタイミングを待っているように見えた。
そして、昼前にひと段落がついたころ、ボリスさんが改めて「お時間よろしいですか?」と声をかけてきた。私は小さく頷く。ローザとエミーが部屋を出てドアを閉め、ここからがいよいよ本題だ。
「では、登記制度の運用状況をざっとお話しします。思ったよりも多くの人が登録したい、と言ってきてくれてはいるんですが……やはり従来の方法で土地を受け継いできた家も多いので、手続き自体がわからないとか、わざわざ書類を作るのが面倒という声もあって、完全普及にはまだまだ時間がかかりそうですね」
ボリスさんが書類を数枚広げる。そこには“登記された土地とその持ち主”が並んでいるリストのようなものが書かれていた。私は視線を落として、なるほど名前がきれいにまとめてあるなと感心する。
「不動産登記は基本的にみんな大事だって意識してたから、所有権を主張する人はこぞって手続きすると思ったのだけど……まあ、この世界ではまだまだ余裕がない人も多いし、書類文化が薄いものね」
自分で言いながら、「こういうときだけ語彙が妙に専門的になってしまう」と怪しまれないか、と不安になる。そういえば、前世でも、相続登記が進まないで、所有者不明土地の問題があったっけ。
でもボリスさんは真面目に頷いて、「ええ、その点も含め、こちらで働きかけを続けていく必要があると感じています」と返してくれた。
「ただ、問題はそれだけじゃありません。裁配人……紛争処理を担当する役人ですね。彼からの報告で、『登記を利用した詐欺まがいの行為』が既に起き始めていて、処理に迷うケースが出てきたと」
「……ああ、やっぱり出てきましたか、そういうの」
私は少し重たい気分になる。前世でも“登記”という制度が完璧ではなく、悪用する輩は必ずいた。いわゆる地面師とかいわれる人々だ。ボリスさんは書類を指先で示して続ける。
「具体的には、まず“他人の土地を勝手に自分名義に登記する”という騙りのケースですね。こちらは書類だけ見てるので、うまくすり抜けられたらしい。現に問題なっているパターンですが、本当はBさんの土地なのに、Aが嘘の申請をして、登記簿上はAさんが所有者になっているように見えてしまう。そこに、AさんがCさんへ売却したとき、Cさんは“登記を見て所有者はAさんだ”と信じる……となると、実際の所有者はBさんなのに、Cさんが知らずに買っちゃったわけです。そういうとき、Cさんに所有権を認めるのか、Bさんが取り戻すのか、どう扱うか……」
「うーん、典型的な他人物売買ですね。あ、いや、他人のものを売っちゃうんですね。」
なるべく専門用語は避けないといけない。怪しまれるだけではなく、説明がわかりにくくなってしまうからだ。しばらく使っていなかった法律家としての感覚をがんばって取り戻そうとする私。
私のぼそっとしたつぶやきを聞いて、ボリスさんは「まさにそこなんです」と真剣な表情になる。「昔は、書類に不備があったとか、所有者でないとか、そうであれば、即無効という考え方でしたが、登記制度を導入した以上、登記を信じた人を保護する必要があるのかどうか……領地の法整備というか、解釈がまだ、しっかりとされていません」
「もし偽の登記でも、それを見て買ったCさんが保護されるなら、Bさんは自分の土地を勝手に売られたあげく権利を失うわけで……それも酷い話ですよね。逆にBさんを守るとすれば、Cさんは“え? 登記を信じたら損した”となってしまう」
ボリスさんが深いため息をつく。確かにどちらを優先するかで被害を受ける側が変わる。私は前世での知識を思い出しながら「登記に公信力(権利がないが、権利を持っているように「見える」人から権利を得た人を保護する効力)を持たせるか、そうでないか」という法制度の問題など、いくつかの概念を頭の中でまとめていく。やっと自分の法律知識がフルに活きる場が来たかと思うと、不思議と心が躍る。魔法の才能はからっきしだが、これなら“チート”扱いされてもおかしくないかもしれない。
「もう一つ、二重売買の話もあるんです。こういう例です――AさんがBさんに土地を売ったのに、Bさんが登記をする前に、Aさんが別のCさんにまた売ってしまった。Cさんは登記を確認して“まだAの名義だから安心”と思ったら、先にBに売られてたなんてケースですね。BとCが互いに『自分が正当な買主だ』と争い出したら、どちらを優先すればいいのか……」
「なるほど。早い者勝ちにしてもいいけれども、それは、領主が横領を推奨しているみたいになっちゃいますよね。どちらを優先させるかだけではなくて、その理由付けも大事ですね。」
ボリスさんは、「Bさんが買ったけれど登記を怠ったがために、後から買ったCさんが守られるのか否か。その落としどころをどうするか……。裁配人も困るのは当然です。ルールがはっきりしていないから、どっちを優先していいか判断材料がない」
ボリスさんの口調は重いが、私は内心うずうずしている。やっと“法律チート”っぽい活躍ができるじゃないか。ここで私の前世知識を総動員して、それっぽい条文や理屈を提案できれば、彼らに感謝されるだろうし、領内の制度はより進化するかもしれない。そう考えると、昨日まで感じていた子守疲れが吹き飛ぶようなワクワクが湧いてくる。
「でしたら、私なりに考えがあります。判断基準や理由づけを論理的に整理して……ボリスさん、今後の領内ルールとして根回しすることは、できますよね?」
「え?そんなこと急に・・・。根回しはできますけれども、リアンナ様は、もうお考えがあるのですか?もちろん。こちらも何とかしたいですし、領民からの訴えや被害が出始めているので早めに手を打ちたいですし、リアンナ様がまとめてくれればありがたいですよ。裁配人も、どんなふうに処理すればいいか早く知りたいと言っています。でも、大丈夫ですか?」
“頼りにされている”という実感に、私は思わずにんまりしてしまう。最近は“可愛いお嬢様”とか“子どもをあやすお姉さん”だとか、女としての役割ばかり突きつけられていたが、こういう制度づくりのアプローチこそが私の居場所なんだと感じる。魔法なんて難しすぎて上達しないが、法律や制度の話ならば頭の中に形ができる。
早速私は、手元の紙に簡単な図を書きながら、ボリスさんへの説明をはじめた。
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