表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

102/156

“嬉しいですわ”とか言っちゃった私、どうしてこうなった!

 部屋の真ん中に置かれたテーブルをはさんで、わたしとリチェルドは向かい合って座っている。まわりには特別な装飾もなく、いつもの応接用の家具が整然と並んでいるだけ。それなのに、どうしてこんなにも息苦しいのだろう――と、心のなかで考えながら視線を落とす。


 ふと顔を上げると、リチェルドが優しく微笑みかけてくれていた。

「……あの、こうして改めて二人でお話できるのは、ちょっとうれしいです。大丈夫……ですか?」

 何やら、こちらを気遣うような声音。彼はいつでもまっすぐな瞳で、わたしが嫌がっていないかを確かめるかのように見つめてくる。その人懐こさに、胸がドキリとしてしまうのを止められない。


 その視線を気にしながら、わたしは「は、はい……大丈夫です」とぎこちなく答える。エミーとローザが控えているせいか、微妙に落ち着かない。この二人は、どうしても“恋愛講座”だとか“女性らしい所作”だとかを思い出させてくるから、頭のどこかがムズムズして困るのだ。まるで、わたしが本物の“可憐なお嬢さま”として振る舞うのが当たり前、という空気ができあがっているかのように感じてしまう。


 リチェルドはお茶のカップを手にして、軽く一口含んでから「このお茶、美味しいですね。まろやかな香りが口のなかに広がる感じがいいな」と感想を漏らす。

「ありがとうございます。エミーとローザが用意してくれて……」

 そう答えたところに、ローザが「はい、がんばりました!」と妙に張り切った声を返してくる。エミーが横で「リチェルド様、お砂糖は足りていますか?」と微笑むと、彼はにこやかに首を振った。なんだろう、この微妙に和やかな雰囲気。わたしだけが呼吸を詰まらせているようで、さらに居心地が悪い。


「えっと、リアンナ様……」

 リチェルドが名前を呼ぶときの声音は、どこか優しくてまっすぐで、わたしは自然にまぶたを伏せたくなる。

「はい……なんでしょう、リチェルド様……」

 こうして改めて二人きりで視線を向け合うと、また違った緊張感が生まれてしまう。前世では男だったという意識が、今の女性の身体を纏った自分にはそぐわない、そんなモヤモヤがあるのだ。

 すると彼は「あ……あの、もし失礼でなければ」と、何かを言いかけて伏し目がちになる。小さく咳をしてから、「その服装、やっぱり可愛らしいと思います」と、恥ずかしそうに笑う。わたしは思わず背筋がこわばった。


「か、かわいい……ですか……」

 自分で口にすると妙な照れがこみ上げてくる。こういうとき、恋愛講座では「素直にお礼を返して笑顔になると印象が良い」と教わったのを思い出す。わたしは、ぎこちなく笑顔を作ろうとするけれど、変に強張って失敗した気がする。


 その瞬間、頭のなかで講座の“好印象テク”が急にフラッシュバックし、「少しうつむきながら甘い言葉を返すと可憐な印象に」なんて声が聞こえた気がした。いや、そんなこと――と思いつつ、

「そ、そ、それ、嬉しいですわ……」

 自分でも驚くほど可愛いお嬢さま口調が飛び出してしまい、即座に「え、いまの言い方なに……」と内心でパニックに陥る。なんというか、無理やり習得した笑い方や言葉が急に噴出した感じだ。前世が男だった自分にとって、こんな女性らしい言い回しは恥ずかしすぎる。

 しかし、リチェルドは『え……いつもと少し違うんだね。でも……かわいいと思います』と微笑んでくる。わたしの心臓は一瞬で大暴走し、(うわ、もう穴があったら潜りたい……!)と内心叫ぶほど顔が熱くなるのを止められない。あまりの恥ずかしさに、頭のなかで警鐘がカンカン鳴り響くような気さえする。


「い、いまのは、別に……その……」

「いえ、すごく自然に見えましたよ?」

「し、自然だなんて……」


 言葉を失いかけていると、エミーが横から「いや~、さすがリアンナ様。上品ですね!」と大げさに褒めてきて、わたしは「やめてよ……」と小声でうめく。しかし二人の侍女の瞳は「ほら、講座の成果が出てる!」と言わんばかりに輝いている。


「そうだ、リチェルド様。最近お気に入りのご趣味は何ですか?」

 ローザが話題を振ると、リチェルド様はすっと表情を明るくさせて、「ああ、実は領内で男の子たちと集めてるものがあって……」と語り始める。どうやら戦具の模型だとか馬具のミニチュアなど、少し男の子っぽい趣味。わたしは(面白そうだな)と実際に思って、思わず声に出そうになったが、咄嗟に「わたしも……(男のころは…)いや、なんでもない」と口をつぐむ。


 するとエミーがこっちを見て、「ん? 二人で男の子みたいな話をしようとしてません?」と目を細める。わたしはドギマギしながら「べ、別に……男の子の話とかじゃなくて……」と濁すしかない。リチェルドは首をかしげ「どうしたの?」と問いかけるが、こちらの狼狽にさほど深い意味を感じていないらしく、大して気にしていない様子。そこが救いでもあるが、なんとも言えないもどかしさがある。


 そんなこんなで、わたしが戸惑いを続けるあいだにも、侍女たちは合いの手を入れたり勝手な共通点を作ったりして盛り上げる。

「リチェルド様は、お料理とか好きなんですか? ねえ、リアンナ様もお料理得意ですよね!」

「い、得意じゃないし……!」

「へぇ、そうなんですか? いや、女性が料理好きだと楽しそうだなあ」

「べ、別に……ちょっとくらいなら……(料理講座なんて受けてないよ……っていうか、“女性が”って限定するのはどうなの!?)」


 いちいち頭の中が混乱し、わたしはとにかく今の時間が早く過ぎてほしいという気持ちでいっぱいになる。リチェルドに悪意があるわけじゃない。むしろ優しいし素直で、周りから見れば絶好の好青年……なんだけど、エミーやローザが過剰に“恋愛空気”を煽るせいで、正気を保つのが大変だ。(誰か助けて、わたしの心は今やカオス状態……!)


 そうしてしばらく会話が続いた後、エミーが「リチェルド様、そろそろお時間ですね」と微妙に促し、彼もはっとして「ああ、そうか……もうこんな時間か」と名残惜しそうに呟く。わたしは安堵が混じる中で、扉のほうにリチェルド様を案内する。気づけば夕方の光が部屋の窓辺を薄オレンジに染めていて、いつの間にかすっかり時間が経過したらしい。


 扉前で、「きょうは……本当にありがとうございます、リアンナ様」とリチェルドが照れたように頭を下げる。わたしがどう返事すればいいか考えていると、エミーが「もっと一緒にいられたら良かったですね~」と助言してきて、わたしは慌てて口を開いた。

「い、いえ、こちらこそ……あ、あんまり大したお話もできず、すみませんでした……」

 ギクシャクする言葉選び。心臓がドクドクと音を立てる。するとリチェルドが少し躊躇いながら「えっと……また、来てもいいでしょうか。もう少しお話したいことがあるんです」と申し出る。


 その瞳はまっすぐで、純粋にこちらの返事を待っている。侍女たちが「きました!」とばかりに顔を見合わせ、わたしをどやすような視線を送ってくる。逃げ場がない。

「……はい、よろしければ、また……来てください……」

 自分でも声が震えているのがわかる。それを聞いてリチェルドは、ぱっと笑みを浮かべるから、こちらの胸が少し痛くなる。こんなに喜んでくれるなんて――ああ、でも、わたしの中身が男だって知ったらどうなるんだろう。馬鹿みたいな想像がふと脳裏をよぎって、苦笑が出そうになるのを必死にこらえる。


「わ、わたしも……それを楽しみに……してます」

 適当な言葉を並べて笑う。すると彼は「きょうは本当に楽しかったです。ありがとうございます」ともう一度言って、エミーとローザに見送られつつ扉の外へ出て行く。

 最後に交わした視線が、やたらに印象的で、わたしの心を締め付けた。なんだか申し訳ない気持ちと、ほのかなうれしさが混ざっていて、自分でも説明がつかない。


 彼が姿を消すと同時に、ローザが「はーい、お疲れさまでした!」と拍手を打ち鳴らし、エミーが「今日は絶対にうまくいきましたね、リアンナ様♪」と浮かれまくる。わたしはと言えば、声にならない溜め息だけが漏れてしまう。

 恋愛講座だか何だかの成果が発揮されてしまったせいで、つい「嬉しいですわ」なんて言ってしまったことを思い返すと、顔から火が出そうだ。どうしてこんな恥ずかしいセリフを堂々と言えたのか――自分が怖いし、今さら取り繕う余地もない。


「も、もう……何なの……」

 と小声でつぶやくと、エミーが「え、何か言いました?」と首をかしげる。わたしは「い、いえ、なんでもないです!」と雑にごまかし、足早にその場を立ち去ろうとする。頭のなかが熱でいっぱいだ。部屋を出る際、チラリと窓の外を見ると、斜陽がじわじわと空を染めていて、まるで今の自分の頰の赤さを象徴しているみたいに感じられた。


 部屋へ戻る途中、「やっぱり可愛い返しとか、私には似合わないのに……」と自己嫌悪がこみ上げてくる。前世が男だったのに、こんな乙女なフレーズを使ってしまうなんて、どうにも居たたまれない。

 だけどリチェルドの笑顔を思い出すと、少しだけ悪い気もしないという不思議な感覚がある。「はあ……わたし、これからどうなるんだろう」とつぶやきながら、扉を開けて自室に逃げ込む。ベッドの端に腰かけ、深く息を吐く。

 おそらく、きょうの出来事はほんの序章で、彼はまた気軽に「近いうちに来るね」と言いだすだろう。侍女たちの煽りも加わって、わたしは今後も“女の子らしい返し”を求められるのか。恋愛講座の先生がどんなに“笑顔と上品さ”を推奨していても、内面が男の自分としては居心地が悪いまま、でも相手をがっかりさせたくない、という矛盾に苛まれ続けるわけだ。


 それを思うと、気が重い。だけど少しだけ、心の片隅に残る“あの笑顔を見て嫌な気分になったわけじゃない”という思いが自分でも不思議だった。嫌悪感だけではない、どこかくすぐったいような感覚。

 結局、鏡に映る頰の赤さを見つめながら、「なんでわたし、こんなになってるんだろう……」と呟く。前世が男なんだから、かわいい返しなんて恥ずかしくて仕方ないはずなのに……と繰り返し自問自答。しかし答えは出ないまま、わたしはベッドへ倒れこみ、ひとまずこの疲れを寝てごまかすしかないと決めた。


 布団をかぶり、瞼を閉じると、リチェルドのまっすぐな瞳が脳裏に焼きついて離れない。もう一度顔が熱くなるのを感じるが、時間が経てば忘れられるかもしれない。そんな都合のいい期待を抱きつつ、心のざわつきと闘いながら静かな夜を待つのだった。


【作者からのお願い】

もし、「おもしろい」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマーク登録をしていただけるとうれしいです。また「いいね」や感想もお待ちしています!

また、☆で評価していただければ大変うれしいです。

皆様の応援を励みにして頑張りますので、よろしくお願い致します!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ