『ありがとう』が言えたよ。2歳の病で深まる絆①
「ん……? なんか……だるい……」
――いつもの朝なら、ミルクのにおいを嗅いだだけで嬉しくなるはずなのに。
2歳になったばかりの私は、いつもエミーやローザが差し出してくれる朝のミルクや柔らかい野菜スープを、まるで宝物のようにありがたく食べていた。なのに今日は、どうにも体が言うことをきかない。頭がぼんやりしていて、視界も少し霞んでいる気がする。
黒髪の少女――ローザが、心配そうに顔を覗き込んでくる。いつもなら「ほら、食べよっ!」って感じの満面の笑みでスプーンを持ってくるのに、今日は違和感を抱いている様子。隣には少し年上のエミーがいて、こちらも戸惑っているみたいだ。
エミーが口を尖らせながら、ミルクの器をそっと揺らしている。でも、私の胃は全く反応しない。むしろ、気持ち悪いような気さえする。
(あれ……これって“風邪”とか……?)
前世の大人としての知識が頭をよぎる。でも言えるわけもなく、私は「う……」と半端な声を出すだけ。もどかしい。口を開こうにも、喉がひりひりしてうまくしゃべれないし、体が妙に熱っぽい。
我ながら「今の私は2歳の幼児なんだ……」と思わされる瞬間だ。前世なら「風邪気味だから薬飲んで寝よう」くらいは自力で判断できたのに、いまは言葉をはっきり発せられないから周りに伝わらない。
ローザがスプーンを差し出すが、私は首を横に振ることしかできない。さっきまでダルさに加えて、軽い頭痛も混ざってきた。視界の端がじわりと揺れる。
エミーが焦ったように目を泳がせ、ローザと顔を見合わせる。二人の不安そうな様子を見ると、私まで急に心細くなる。2歳の体は体力が少ないし、大人の意識で「大丈夫だろう」と思っても、身体がついてこないのだ。
(うう……声出したいのに……出ない……)
赤子のころから何度も経験した“体の制限”に、改めて苛立ちを感じる。少し前まで「ナッサ(いいね/かわいいね)」「ラント(頑張る/お仕事)」とか単語を懸命に覚えてきたのに、こういう状況で説明する言葉を知らない。そして何より、喉の痛みと倦怠感が私から声を奪う。ちょっと動いただけで汗が出るし、力が入らない。
すると、部屋の入り口から別の侍女が顔を覗かせ、声をかけてきた。
エミーが何やら焦りながら状況を説明しているようだ。侍女仲間も首をかしげる。
さらに数分もしないうちに、廊下からも人の気配が増えてきた気がする。私という“領主”を守る人々は、少しの異変でも「何事だろう?」と探り合うのだ。まだ周囲がそこまで騒いでいるわけではないが、なんとなく嫌な予感が胸をざわつかせる。
ローザがそっと私のおでこに手をあてる。私は「熱が出ているの……助けて」と内心祈るように思うけど、言葉にできない。
ローザが何か驚いた声を出す。エミーが「本当?」と飛びつくように近づいてきて、私の首筋にも触れる。何か顔が青ざめたようだ。どうやら、これで確定だ。私は“熱が上がっている”らしい。
エミーがそそくさと部屋を出ていく。だれか呼びにいったのだろう。
ほどなくして、足早にエミーが戻り、背後にまとめ役らしき女性が続く。最近知ったが、どうやら、彼女は「ベアトリーチェ」というらしい。彼女は30歳前後の落ち着いた雰囲気をまとっていて、ゆったりとした歩幅で私に近づいてきた。
優しい声で、何か言いながら、私を抱き上げる。その瞬間、フッと安心感に包まれるのを感じる。体が辛いからこそ、大人の人に抱かれると心が少し落ち着く。ベアトリーチェは私の額や首筋に手を当て、頬に触れると、軽く眉をひそめた。
彼女は、“うんうん”と頷きながら言葉をまとめている。エミーとローザは真剣な表情で聞き入り、何か声をそろえて返事をする。
私は「う、うん……」と返事したいが、喉が痛んで声も出ない。意識がぼんやりして、頭がクラクラする。もし前世の大人の体だったら、“水分取って安静にしていれば回復”と割り切れるかもしれないのに、今の私は身体が幼児なうえに言葉がまだ不自由で、不安が募るばかり。
(熱がある、つまり“風邪っぽい”のはわかったけど……幼児の体じゃキツイな……)
そう考えつつ、意識が半分浮遊している。と指示を出すのを背中越しに聞く。2人が「はいっ!」と素早く動き、私をベッドへ運んでくれた。
私はベッドに横たわり、改めて自分の体温が上がっていることを嫌でも感じる。脳がじわじわ熱を持っているようで、息苦しく、目を開けるのもしんどい。幼児の体だから余計に熱の影響が大きい。大人ならもう少し余裕があるかもしれないが……と考えるが、今さら嘆いても仕方ない。
何かベアトリーチェが淡々と指示を出しているのが聞こえる。普段あまり表に出ない彼女だけど、こういうときに頼りになる。
「わ、わかりました……! え、っと、他には……?」
エミーが緊張気味に尋ねる。ベアトリーチェは、それに対して、何か指示をする。
エミーとローザが真剣な顔で頷き、部屋の外へ声をかけに行ったり、タオルや水を用意してバタバタと動き回る。
ベッドに横たわる私の耳に、廊下のざわめきが微かに伝わってくる。どうやら、あの「たまに見かける屋敷のとりまとめ役のおじさん」も何か指示をしているらしい。私はその人の名前がボリスだとなんとなく聞いたことはあるが、詳しい立場はまだ知らない。屋敷のみんなは「あの人がいると安心」と言ってるので、きっと偉い人なのだろう。
(屋敷中がなんだか慌ただしいな……)
頭の片隅ではそう感じながらも、私は熱のせいで思考が定まらない。2歳の幼児にとって、風邪の発熱は想像以上に苦しい。呼吸をするだけでも体が重く、意識がぐらついていく感覚に襲われる。
エミーとローザが急ぎ戻ってきて、私の額に冷やしたタオルをそっと乗せてくれる。
ローザが、何か優しく声をかけ、エミーも微笑む。
(怖い……? いや、怖いよ……)
私は内心、“こんなに体が言うことをきかないの初めて”と怯えている。前世では大人だったから少々の風邪くらいどうにかできたが、いまは体が2歳。むしろ幼児ならではの「何もできない」不安がどんどん大きくなってきた。重篤な病気じゃないかという可能性も頭をよぎり、意識がまともに集中できないまま、私はじっと天井を見つめる。
エミーが、いろいろ語りかけながら、優しく私の手を握ってくれている。その温もりを感じながら、“ほんとに大丈夫かな……”という不安と、“このまま眠れば治るかも”という希望がせめぎ合う。
パタパタと廊下を走る侍女や兵士の足音を聞きながら、私は生まれて初めての“幼児としての病気”に立ち向かうことになったのだった。
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