死んだ弁護士、異世界でよちよちスタート!?①
私が弁護士登録してからはや2年、ようやく“新人”の肩書きが外れつつある気もするけど、まだまだ多くの案件で先輩や上司にフォローされながらの日々だ。とはいえ、最近は簡単な案件なら一人で動けるようになってきたし、新しい分野――とくに話題の「ルールメイク」なんかにも興味が湧いていた。
たとえば地方自治体の条例づくりに関わるとか、規制緩和と新しいビジネスを提案するとか。頭の中では夢が広がっているが、現実問題としては日々の仕事をひとつずつこなすので精一杯だ。
それでも、たまに、「将来、数年後、十年後はどんな仕事をしているのだろう。」と思うことがある。たまに同期と話すと、皆、実に色々な仕事をしており、キャリアに関する興味にはいつも尽きない。
そんな私に、また“突然の穴埋め役”の依頼が舞い込んできたのは、火曜の朝だった。事務所に行くと、姉弁(先輩弁護士のことをこう呼ぶ。ほか、兄弁とか。疑似兄弟関係で呼ぶが、これではまるで任侠の世界みたいだ。)が申し訳なさそうに声をかけてくる。
「先生(うちの業界では、お互いにこう呼ぶ)、悪いんだけど、後輩の山崎が風邪で倒れててさ。今日の午後の法廷に出る予定だったんだけど、誰も代われる人がいないんだよね。○○地方裁判所○○支部で、初回期日があるって話……覚えてる?」
「あ、ああ……確か売掛金請求で、既に仮差押えをしてある案件ですよね?」
受任時、少しだけ起案(うちの業界では、書類作成のことをこう呼ぶ。)を手伝った事件だ。取引先の中小企業から売掛金の支払いが滞っていて、うちの依頼者がやむなく仮差押を申し立てた――という経緯だと聞いている。
仮差押というのは、裁判の前に差し押さえだけ先に仮にする手続だ。
通常、裁判をして判決をもらって、それにもとづき強制執行(差押)をする。だが、それを待っていては、相手の財産が無くなって回収できなくなりそうな場合に、裁判をする前に、仮に財産を差し押さえるというわけだ。相手からすれば、ある日、いきなり口座のお金を持って行かれるようなもので、奇襲攻撃といえる。
もちろん、あくまで、「仮」なので、実際にこちらのお金にするには、通常通り裁判をしなければならない。その本訴訟を起こす手続きも既に進行していて、今日がその第1回口頭弁論期日(最初に開かれる正式な法廷の期日のことをいう。双方に弁護士がついている場合は、取り消されて非公開の手続にすぐ移行することも多い。)。山崎先生が担当していたのだが、急に風邪で休むとは……。
「うん、それ。もう被告会社に対して仮差押済みだし、初回期日だし、相手の社長だって出てくるかもわからないから、行って陳述だけだと思う。」
「行って陳述」というのは、そういう用語がある訳ではないが、裁判の原則としては、法廷で「話した」ことだけが、裁判所の判断資料になる、というルールがある。もちろん、読み上げるのではなくて、事前に提出した書面のとおりに「書面を陳述します」といって、おしまいである。書類は出しただけではダメで、この「陳述します」が必要だから、行って陳述する必要があるということだ。
「なるほど、じゃあ、私が代打で問題ないですね。でも、○○地方裁判所って……ちょっと遠いですよね?」
「そうなのよ。電車で乗り継いで片道2時間弱はかかるかな。ごめんね、他に入ってる事件も多くて、私が行く余裕がまったくなくて」
あの地方裁判所か……と頭を巡らせる。確かに事務所からはかなり遠い。もし車を使えばもう少し楽なのかもしれないが、私はペーパードライバーであり、先輩たちも今日は全員スケジュールが詰まっているらしい。やむを得ない。
姉弁の言うことはちゃんときくに限る。この業界は、「義理」とか「筋」とかを非常に大事にする。不義理は許されないし、独立するときも、「○○先生のお許しを得て独立しました」と挨拶状に書く。ますます任侠の世界みたいだ。なんなら打ち合わせで、よく事件の見通しという意味だが「筋」なんて言葉が出てくる。これで争い事を扱うのが生業とくると、国家資格でなければ、本当に任侠というかヤクザみたいなものだ。
「分かりました。行ってきますよ。事件のファイル、どこにあります?」
「ありがとう! ファイルは彼のデスクにあるわ」
行って陳述なので、移動は大変だが、気は楽だ。トラブルが起きるとしたら、むしろ被告側から「仮差押えを解除してくれ」と交渉されるくらいだろう。
といっても、念のために書類をざっと読み込むと、事件の全容が見えてきた。依頼者は都心で商社を営む法人で、被告は地方の中小企業。500万円くらいの売掛金が長期間未払いで、社長と連絡を取ろうにも「資金繰りが苦しい」の一点張りで、しまいには電話すら繋がらなくなったらしい。
そこで、依頼者の伝手で、被告会社が他の取引先から入金されるであろう日を狙って、仮差押をした。幸い情報が正確だったので、ちゃんと押さえることができた。
相手としてはかなりキツいはずだが、払うべきお金を払ってないのは事実。今後は、本訴で判決を得て回収する、という何の変哲も無い方針だ。
本当に行って陳述くらいの話しだ。
「まあ、行ってみないと分からないけど……」
私は電車の時刻を調べ、急ぎ準備を整えた。そして数十分後には事務所を飛び出し、都心から田舎へと向かう電車に揺られていた。
乗り換えを二度ほど繰り返して、ようやく○○地方裁判所○○支部の最寄駅に着いた頃には、時計はすでにお昼を少し回っていた。駅前に店らしい店も見当たらず、あたりは閑散としている。
「ここまで寂れてるとは……ちょっとびっくり」
地方都市というより、限界集落一歩手前の町並みを思わせる。タクシー乗り場も見当たらないので、スマホの地図を頼りに歩いて15分ほど。ようやく「○○地方裁判所」と書かれた庁舎が見えてきた。建物自体はそれなりに大きいけれど、入口を通っても職員や来庁者の姿はほぼ無かった。
案内板を見て、法廷のあるところまでいき、開廷表(法廷の前に張ってある、今日は、何時から何の事件があるかを一覧にしたもの)を見ると、午後はどうも私の事件しか予定がないらしく、廊下も静まり返っている。こういうところが本庁(○○支部と名前のつかない地方裁判所のことをいう。)の裁判所とは違っていて妙に落ち着かない。
開廷しているようなので、そのまま入室し、法廷にある受付票にさっと名前を書いて、傍聴席で待機する。時計を見ると、開廷まであと数分だ。
「では、中でお待ちください」
と、書記官に促されて、傍聴席からバーの中(原告席、被告席、裁判官の席のある部分)に移動する。
裁判官が入廷するので、起立して迎える。
「被告は来ていないですね、もう少し待ちましょう」
少し待つが、一向に被告が来る気配が無い。
「すいません、法廷の外も見てきてください」
書記官が裁判官に促されて外を見に行くが、いないそうだ(欠席裁判)。
裁判官が手続を進める。
「では、欠席のまま開廷します。原告は訴状陳述でよろしいですね。書証は全て写しと。では、判決期日ですが、2週間後の○月○日の13時10分からとします。閉廷します。」
「はい。」
私は起立して、裁判官を見送る。
まるでビジネスライクに、さらりと事務作業をこなすかのように法廷が終わる。
知らない人が見れば、これが法廷か、と拍子抜けするだろうが、争いのある事件でも、法廷では、こんなやりとりが通常だ。
(あー、このために往復4時間近くかよ。)
仕事としては至極順調。あとは事務所に報告して、依頼者に連絡を入れればいい。せっかく田舎まで来たのだから、近場の名物でも食べたい気分だが、駅前の閑散ぶりを考えると、そんな余裕は期待できなさそう。
庁舎を出ると、沈みかけの夕日が傾いていた。帰りの電車まで少し時間がある。私はスマホでタクシーを呼ぼうと画面を操作した――が、それより早く一台のタクシーがちょうど目の前をゆっくり走ってきた。
「ラッキー!」
そう思って手を挙げようとした、そのとき。
「……おい、ちょっと待て」
低く、押し殺したような声が背後から響く。振り向くと、中年の男がこちらを睨んでいた。あまり見覚えはない――はずだが、資料に添付されていた写真に写る人物を思い出す。そう、被告会社の社長。
「あなた……被告会社の社長さん……ですか?」
私が声をかけると、男の目がぎらりと光る。良い予感はしない。どうやら、まともな話し合いをする気配ではなさそうだ。
「アンタ……川山商事の関係者だろ? うちに無茶な仮差押えしやがって……ほかの取引先への支払いができなくなってんだよ!」
「私は川山商事の代理人弁護士ですが、支払の滞りがあり、連絡もつかないでやむを得ず……」
「だが、いきなり仮差押をすることはないだろう!」
おもわず、「いきなりじゃなかったら、仮差押の意味が無いでしょう」という言葉を飲み込む。そんなこと言ったら喧嘩になりそうだ。
「それは分かってる! でもよ、うちだって従業員の給料払わなきゃならないんだ。だから、先に払わなきゃいけない相手がいるんだよ。その分だけでも差押えを解除してくれないと……!」
すがるような口調ではあるが、もちろん、そういうわけにはいかない。仮に今差押えを解いてしまえば、この被告が別の支払いに使い、元の売掛金がまた回収不可能になるだろう。
「申し訳ありませんが、それは依頼者の同意がなければできないことです。支払いの見込みが無い以上は、簡単に解くわけには……」
男の顔がみるみる強張る。私の言葉に納得いかないのか、怒りが込み上げたのか、口元が引きつっているのが分かる。
「従業員の生活がかかってんだよ! お前らみたいな都会の大企業が強引に差押えして、俺たち中小企業を潰そうってのか!」
「潰すなんてことを考えているわけではありません。ただ、正当に支払われるべきお金が未払いなので……。どうしてもお困りなら、改めて分割払いの提案などで交渉いただければ……」
「誰がそんな悠長なことしてられるか! 明日にでも払わないと駄目なんだ! 今すぐ解除しろ!」
周囲に人影はほとんどない。私としては強い言葉で返して揉めるのは避けたいが、私ではどうしようもない。
「再度言いますが、それは依頼者の承諾がなければ……。私には、その場で決められる権限がありません」
すると、男は苛立ちを爆発させるように地面を蹴り、怒鳴り声をあげる。
「くそっ……こんな田舎までのこのこ来やがって偉そうに……!」
私は徐々に恐怖を感じ始めていた。こういう場面では、言葉を尽くして冷静に応じるしかない。せめて警備員や裁判所の職員が近くにいればいいのだけど、この時間帯の庁舎周辺は閑散としており、助けを求める相手が見当たらない。
「すみません、これ以上はお話を続けても平行線ですので……」
タクシーがまだそこに止まっている。私はドアを開けて滑り込もうとする。と、そのとき――
「待てよ……」
男の声が怒気を孕んで耳を打つ。次の瞬間、金属がこすれるような微かな音が聞こえ、私はとっさに振り返る。そこには男が刃物――包丁を握りしめ、こちらに突進してくる姿があった。
「ふざけるなっ……! お前らのせいで……俺は、俺たちは……!」
私は悲鳴を上げる間もなく後ずさるが、背中にはタクシーの車体がある。狭いスペースでどう避けろというのか。男の眼は血走り、包丁は明らかに私を狙って突き出されている。
「やめ……っ、危な……!」
体をよじって逃れようとするが、間に合わない。鋭利な刃先が私の胴体にぶすりと刺さる感触――鈍い衝撃と、熱さが一瞬にして広がる。
「……あ……」
声がうまく出ない。胸の奥からこみ上げる痛みで思考が白く染まる。タクシーの運転手が何か叫んでいる。男が「くそ……! くそが……!」とわめく声も耳に入るが、もう頭が働かない。
血がじわりと体の奥から湧いてくる感覚。視界の端がブラックアウトしていく。ここまで来て……こんなところで……?
“まだ、やりたい仕事、いっぱいあるんだけど……”
私は力なく地面に崩れる。遠くでサイレンか、あるいは誰かの足音が聞こえた気がした。でも、そのすべてが一瞬で遠のいていく。意識は闇の中に落ち、痛みすらぼんやりと霧散していった。
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