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少子高齢化の解決策とは

作者: anonymous writer

 一


 20××年3月。東アジアの某国の首相である森田勇一は、国会の自らの議席で、歓喜の感情に小躍りしていた。クールさを演出するイメージ戦略すら忘れ、満面の笑みを浮かべてガッツポーズを決めさえした。


 悲願であった法案が、議会の全会一致で可決されたからである。その法案は、俗に「余命制限法」と呼ばれるもので、ざっくり言うと「某国の国民の生存可能期間は、本人の意思の如何に関わらず、生誕の日から80歳の誕生日までに限られる」というものである。


 この法案は、65歳以上の高齢者が人口の35%以上を占めるという、超高齢化社会になっていた某国の閉塞感を打破するための目玉戦略として期待されていた。高齢化の何が問題かと言うと、高齢者は身体にガタがきやすいから医療費などの社会保障のコストが増大し、それが国家財政の重荷になって、若者や子供たちへの教育投資など、未来への投資が削られてしまうことである。さらに未来への投資が削られると、若い世代が子供を作るのが難しくなり、子供が減って人口の高齢化率がさらに高まるという、負のスパイラルが生まれてしまう。


 社会保障の観点から見ると一番コストになる80歳以上の世代をいわば強制的に切り捨てることで、国家財政を身軽にしてこの負のスパイラルから脱却する、というのが法案の狙いだった。


 かつてはアジアで一番の経済大国として繁栄を謳歌していた某国も、数十年にわたる少子高齢化という国難により、経済が疲弊しきっていた。若者には職がなく、中には犯罪に走る者もおり、凶悪事件が社会問題化していた。


 経済の衰退の根本的な解決策は、少子化高齢化に歯止めをかけることしかないと、誰もがわかっていた。しかし、人間が年老いていき、にも関わらず医療の進歩により長生きしてしまうことは誰にも止めようのない必然であったから、誰も何も手を打つことができないまま、某国の経済は不況の長いトンネルから抜け出せずにいた。


 このまま経済が衰退し、社会保障費の増大により年々膨れ上がる財政赤字により、いよいよ国家破産も待ったなしか、と言う認識を人々が共有しはじめたときに、彗星のように政界に登場したのが森田勇一だった。


 彼は、元首相で人気者だった森田勇作の一人息子で、父親譲りの雄弁さに、女優だった母親譲りの甘いマスクを備え、スキャンダル一つない清廉潔白なイメージと独自の政策を売りに、四十代という若さで政界の頂点へと駆け上がっていった。


 もともとは与党の平和友好党の一議員に過ぎなかった彼だが、有能なブレーンを抱えていた彼には、独自の巧みな選挙戦略があった。AIを駆使した選挙シミュレーションにより、「仮に80歳以上を敵に回しても、それ以下の世代に訴えかける選挙戦略を練れば、十分に選挙に勝てる」と確信していたのである。


 そこで彼は、先述の「余命制限法」を目玉とした80歳未満の世代に訴えかける政策パッケージを掲げて平和友好党をまとめ上げ、2年前の総選挙を見事に与党勢力の大勝へと導き、自ら党の総裁となって首相にまで上り詰めたのだった。彼は、「80歳以上の人たちはもう十分に生きたのだから、将来世代の負担になっていることを自覚して、自らこの世から退場するべきだ」と人々に訴えかけた。もちろん、平和友好党には80歳以上の長老議員たちも少なからずおり、森田への反感を露わにした者たちもいたのだが、いずれも不可解な死を遂げていた。


 彼が独自の政策を声高に訴えかけだした5年ほど前から、高齢化により傷んだ社会を立て直さなければならない、と言う人々の共有認識に地の利を得た格好で、森田の人気は鰻上りだった。最初は「人命を軽く扱うな」と森田の政策に難色を示していた野党の左派連合勢力も、2年前の総選挙に大敗して散り散りになり、もはや時流に逆らう意思はないようだった。


 これ以上ない形で悲願を達成した森田が喜ぶのも無理もなかったわけだが、彼がいつになく歓喜の感情を表出させた裏には、彼のある個人的な理由も絡んでいたのである。


 二


 森田勇一の父親の森田勇作は、某国の少子高齢化問題が顕在化しはじめる30年程前、ちょうど某国の経済がピークを迎えていたときに首相を務めていた人物である。森田勇作は、(息子が将来打ち出す政策とはまったく裏腹に)某国の来るべき高齢化問題に備えて、大胆な福祉政策を打ち出して、中年以上の世代から絶大な人気を誇った人物でもあった。


 テレビに映る彼は、議会の答弁などの真剣な場を除いてはいつも笑顔を振りまいており、政治家のお堅いイメージを払拭するためか、記者会見の場でアイドルや歌手についての話題にも触れ、「私も実は〇×さんの大ファンなんですよ」とおどけて見せるなど、チャーミングな側面も垣間見せた。


 議会での雄弁さ、真剣さと、国民を前にしたときのチャーミングさのギャップが彼の人気をさらに後押ししたのか、4年間の首相の在任期間中の支持率は、常に高水準を保っていた。


 今から十五年程前、彼が70歳のときに議員の座は辞したものの、依然として時の総理大臣に影響力を持つなど、院政を敷いて政界の黒幕として長老議員を束ねる存在と目されていた。


 高齢化社会の別の問題として、主要なポジションが高齢者によって占められてしまい、なかなか引退しないので権力の委譲がスムーズに行われず、世の中が硬直化してしまう、という問題(俗な言い方をすると老害問題)もあるが、森田勇作はその象徴のような存在でもあった。


 テレビで「余命制限法」が可決される様子を見ながら、勇作は複雑な笑みを浮かべた。


「これも時流か。」


 30年前に福祉政策の充実という形で、自らが蒔いた少子高齢化問題の種を実の息子が回収することになったのだから、なんとも皮肉な気持ちだった。


 ちなみに、勇作はこの時点で83歳だったから、「余命制限法」の可決は即、彼の死を意味した。すでに述べたように、「余命制限法」は「某国の国民の生存可能期間は、本人の意思の如何に関わらず、生誕の日から80歳の誕生日までに限られる」というものだが、「法案の可決当時に80歳以上だったものは、即座に安楽死に処す」という条項も設けられていたからである。


 当然、80歳以上の世代は、それこそ死に物狂いで「反・森田勇一」のキャンペーンを張ったのだが、勇一がAIでシミュレーションしていた通り、大勢を覆すには至らなかった。


 80歳以上の世代は、「自分たちの今までの世の中への功績」と「命の尊厳、生きる権利」を旗印に、「余命制限法」を野蛮な政策であると、猛烈に非難した。80歳以上の世代が、かつてない程に一致団結したことは言うまでもないが、彼らはその下の世代に対しても、「あなたたちがやろうとしていることは、人殺しとなんら変わらない」と、情に訴えかけた。当初は、誰もがこんなバカげた話が実現するなどと、考えもしなかった。


 しかし、彼らは少子高齢化社会の中で締め付けられ続けてきた若年世代の怒りを、まったく甘く見ていたのである。若年世代が振りかざす「一部の世代を守るためだけに、他のすべての世代を犠牲にすることがあってはならない」という論理の前に、みるみる押し返されていった。


「七人の侍」という黒澤明の映画の中で、敵の野武士たちから農村を守ろうとしていた侍が、あえて農村の橋の先にあった離れの数軒の家屋を切り捨てる決断をするシーンがある。そのときに侍は、「全体があっての一部であって、一部のために全体を危険にさらすことがあってはならない」という内容のことを言うのだが、このときの若年世代が振りかざした理屈も、それに近いものだったと言ってよい。


 この理屈は、累積の財政赤字がGDPの2倍以上にまで膨れ上がった某国の経済の惨状を前に、非常な説得力を持ったのである。


「結局、儂が作ろうとした福祉国家というものは、贅沢者の特権だったのかもしれんな」


 そんなことを考えながら、勇作は深いため息をついた。


 三


 某国の議事堂からほど近い都会の中心部の一等地に、森田勇一が別宅のように使っている高級マンションがあった。「別宅のように」というからには、当然、彼には本宅が別にあったのだが、彼は本宅にいる妻と顔を合わせることに辟易していたから、別宅とはいえ、この一年くらいは、彼はこのマンションを拠点にしていた。


 ちなみに勇一の妻は、元人気歌手だった。ぱっちりした目に、ちょうどいい塩梅に高い鼻、そして程よい丸みを帯びた輪郭に、顔の各パーツの絶妙なバランス。人気絶頂だった頃の彼女は、まさに彫刻のように均整の取れた顔立ちをしており、その美貌は40歳を超えた今でも、衰えることを知らなかった。


 彼らが10年前に結婚した際には、「美男美女のカップル」と持て囃されたものだったし、この5年程の勇一の快進撃の陰には、いまだに絶大な彼の妻の人気も、一役を買っていたことは、間違いない。


 しかし、勇一は妻の美しい顔を見るたびに、その背後にある醜さ(彼なりの美学に反する点、と言った方がより適切かもしれない)を敏感に感じ取り、嫌悪の感情を催さずにはいられなかった。


 その、彼が考えるところの醜さというのは、彼女が何かにつけて国家の長たる勇一を手玉に取ることで、間接的に、自らの浅薄な自己顕示欲と、権力欲とを満たそうとしてくることであった。彼女には、お坊ちゃん育ちの勇一よりも、自分の方が聡いと確信している節があったのである。


 もちろん彼女の人気は、勇一にとっても利用価値のあるものだったから、お互いに表向きは今でも仲睦まじく過ごしていることを演出してきたのだが、内心ではもう完全に接点を生み出すきっかけがないくらいに、心が離れてしまっていた。


 たしかに勇一はお坊ちゃん育ちではあったのだが、それだけに巷には自分の地位を利用しようと考える輩が溢れていることをよく心得ていたし、そういう連中は彼に最も嫌悪感を抱かせる人種だったのだ。


 そういう人種の最終進化版のような女性を娶ったことは、彼の生来の人間不信を、これ以上広げようのないくらいに拡大する結果をもたらした。彼の妻は、愛情という感情を演出する術は巧みでも、実際にその感情を感じ取るチャンネルは、一切持ち合わせていないような人物だったのである。


「おかえりなさい。」


 優奈は、マンションの一室のドアをくぐった勇一を、溢れんばかりの笑顔で迎えた。


「今日は、とてもめでたい日ですものね。この日のために、あなたが飲みたがっていたフランス産の高級スパークリングワインを用意してあったのよ。」


「なかなか気が利くじゃないか。たしかに今日は、俺の人生で一番の日だろうからな。」


 勇一は靴を脱いで、玄関から真っ直ぐに伸びた廊下を、リビングのドアへと一直線に歩いた。優奈もそれに続く。リビングのドアを開けると、入り口の左側にある二人用にしては些か大ぶりなテーブルの上には、ステーキやパスタなどの豪勢なディナーの横に、確かに大きなボトルが置いてあった。


 勇一はコートを優奈に手渡すと、徐に席に着き、優奈が向かいの席に着くのも待たずに、ボトルを手に取り、グラスにワインを注ぎはじめた。


「ちょっと待ってよ。」


 テーブルとは逆側の部屋の壁に面したコートハンガーに、丁寧な手つきでコートを掛けていた優奈も、慌てて席に向かった。


「乾杯!」


 勇一が、一本10万円くらいのこの高級ワインを口にする機会は決して少なくはなかったのだが、この日の一杯目の味は、格別だった。


「美味い!」


 彼は柄にもなく、表情を崩して率直な感想を口にした。


「あなたったら。」


 優奈も表情を綻ばせながら、勇一が滅多に人前で見せない素顔の姿を、ただ見守っていた。


 四


 優奈は、まだ21歳の大学生で、一年程前から勇一の愛人になっていた女性である。もちろん、清廉潔白なイメージを売りにする勇一にとっては、彼女との関係が公になることは、あってはならなかったのだが、勇一が「余命制限法」のような法律を成立させることができた事実を見てもわかるように、この頃の彼の権力は絶大だったから、このくらいのスキャンダルを揉み消すことくらいは、わけがなかった。


 勇一の娘でもおかしくないくらいの年齢の優奈は、彼の妻とは正反対に、極めて従順な女性だった。若いこともあったのかもしれないが、それ以上に、一国の首相にまで上り詰めた勇一を、心の底からリスペクトしていたようだった。勇一の方も、そんな優奈を好んでいた。つまり、彼が優奈に向けていた感情は、愛情というよりは好意と言った方が適切な性質のものだったのである。


「5年前に、部下から『80歳以上を切り捨てる選挙戦略』について提案されたときには、こんなことが実現できるなんて、俺自身が信じられなかったさ。」


 グラスに入ったワインを一気に飲み干して、正面の皿に置いてあったステーキに手を付けながら、勇一はまるで独り言のようにつぶやいた。


「そうね、私が初めてあなたの存在をテレビで知ったとき、私はまだ高校生だったけど、正直に言って『変な政治家が現れた』と思ったもの。」


「『変』とはなんだ。まあ、気持ちはわからなくもない。どの時代も、少数派の意見に対して、誰もが最初は奇異の視線を向けるものだからな。しかし、はじめは少数派意見だったものが、やがて多数派に取って代わることもある。それが、『歴史が動く』ということなのだろう。」


「その通りだわ。あなたは『歴史を動かした』のよ。私だって、今までは自分とこの国の将来のことを考えると、ぞっとしていたわ。でも、今回のあなたの功績のおかげで、今は大丈夫と思える。この法律は、たしかに何万人もの、80歳以上の人々の命を奪うことになるのかもしれない。でも間違いなく、それ以上の数の人たちの命と生活を救うことになるわ。あなたは、未来の歴史の教科書で、称えられるだけのことをしたのよ!ただ・・・。」


「ただ?」


「ただ、一つ引っかかっているのは、あなたのお父様のこと。お父様は、80歳以上のご高齢のはずだったわよね?ということは、あなたはお父様を間接的に殺すことになるんじゃないかと思って・・・。」


 優奈の話をそこまで聞くと、勇一はわざとらしく体を仰け反らせて椅子の背にもたれかかった。そして、上を向いたまま「フウ」とため息をついて、再び会話を始めた。


「その通りさ。この法案が通ったからには、親父も為す術はないさ。」


「本当に、それで良かったの?一応、世間では『森田勇一は、実の父親を犠牲にしてでも国の将来を考えた選択をした』と言われているようだけど。」


「それで良かったも何も、俺のこの喜びようを見たら、良かったに決まっていると思わないか?」


 のけ反らした態勢から元の姿勢に戻った勇一の声には、明らかに憎悪の感情が混じっていた。


「お前だけに本当のことを話してやろうか?俺の狙いは、最初から親父だったんだよ。『親父を犠牲にした』のではなく、最初から『親父を殺すために』、俺はこの法案を実現させたのさ。」


 優奈は、勇一の無表情な顔をじっと見つめたまま、押し黙ってしまった。


「俺は子供の頃から、ずっと不幸だった。あの頭でっかちの親父にすべてを支配され、自由なんてものはなかったさ。物心ついたときから、俺がこの世で一番憎いのは、親父だったんだ。だから、5年前に部下から選挙戦略の提案を聞いたときには内心で小躍りしたさ。『とうとう復讐のチャンスがやってきた』ってな。あのとき、親父はまだ80歳になっていなかったが、数年待てば、『俺の手で』奴の人生に終止符を打つことができると思ったのさ。まあ、5年もかかるのは少し想定外ではあったのだが、結果として親父に年を取る時間をじっくり与えてやれたのだから、結果オーライだ。」


 優奈は物憂げな表情をしたまま勇一の話をしばらく聞いていたが、ふり絞るように声を発した。


「あなたのような家庭に生まれることは、ある意味で不幸なのかもしれないわね。きっと、多くの人は理解できないだろうけど・・・。あなたの言いたいことはわかったわ。その喜びの感情も、あなたの立場ならもっともなのかもしれない。でも、一つ聞いていい?」


「なんだ?」


「あなたは、子供を欲しいと思っているの?」


 この唐突な問いに、勇一は腕を組んでしばしの間考える素振りを見せた後、


「いらないね。きっと、俺の子供も、俺のことを嫌いになるだろうから。」


 と答えた。その後、黙々と食事を平らげると、勇一は、


「俺はもう寝る。風呂の準備は出来ているか?」


 と、優奈に尋ね、彼女が頷くのを見て、リビングを後にした。


 五


「母さん、大変だ、法案が通ってしまったみたいだよ!」


 雄一は慌てふためいた様子で、隣の部屋で洋服にアイロンをかけていた年老いた母親に話しかけた。


 雄一は、今年で82歳になる母親と同居している49歳の独身男性である。もとは社労士として生計を立てていたのだが、30歳頃に精神疾患に罹ってからは満足に仕事ができなくなり、現在は福祉施設に通所して、わずかばかりの収入を得ている。


「法案?法案って、あの森田さんが宣伝していたやつかい?」


 年老いた母親はアイロン台から顔を上げ、半分くらい空いた和室の襖から、隣の雄一がいる居間のテレビを覗き込むようにした。


「そうだよ、森田さんが宣伝していたやつ。まさか、本当に通ってしまうなんて・・・。」


 そう言った時の雄一の声は、今にも泣きださんばかりだった。


「どうしたの、あんた?具合が悪いのかい?」


 母親は心配そうに雄一に声をかけた。


「具合が悪いも何も、母さんが殺されてしまうじゃないか!」


 声を荒げながら答えた雄一の目には、すでに涙が光っていた。


「ああ、そういうことか。確かに私は80歳を超えているからねえ。」


 母親は現実を受け入れ切れていないのか、まるで他人事のようにそう言った後、少し青ざめた顔で、雄一に問いかけた。


「これからどうなるんだろうか?」


「何年か前に病気が流行った時のワクチンの紙と同じで、役所から80歳以上の人のいる家に、集団安楽死の会場への案内状が送られてくるはずだよ。多分、うちの町の規模だったら一日に100人くらいの規模だろうけど、数週間の間に順々に80歳以上の人たちがみんな安楽死させられるはずだ。安楽死させられた遺体は、翌日に集団火葬場に送られることになるみたい。」


「そんな恐ろしいこと・・・。その案内状って言うのはいつ来るんだろうね。私は気が気でないよ。」


「僕もさ!でも、わからないことだらけだけど、今はとにかく待つしかないと思う。政府は僕たちの個人情報をつぶさに把握しているし、逃げ道はどこにもないだろう。ちなみに老人本人やその家族が安楽死を拒んだ場合、罰則もあるみたい。」


「ということは、あんたに迷惑をかけるわけにもいかないから、私は黙って死ぬしかないようだねえ。」


「そんなこと言わないでよ、母さん!」


 年老いた親子は肩を抱き合い、涙を流した。


 六


 雄一と母親は、とても強い絆で結ばれていた。とくに雄一の父親が10年前に亡くなってからは、その絆は一層強いものになっていた。


「母さん、覚えているかい?僕が体調を崩してこの家に戻ってきたときのことを。」


 余命制限法が可決された翌日、夕飯の席で雄一は母親に話しかけた。


「ああ、覚えているとも。あの時は本当にびっくりしたねえ。まさか30歳を超えて、きちんと働いていた息子が再び実家に戻ってくることになるなんて。」


「あの時はまだ母さんも若かったから、最初の頃は僕に対して厳しかったよね。まあ、無理もないか。大学に入るときに家を出てからずっと、僕からは何の親孝行もしていなかったのに、急に『助けてくれ』ってなったわけだからね。」


「仕方ないよ。最初は私もなんとかなるかと思っていたけど、子供の頃はあれだけ早起きしていたあんたが昼まで寝てもしんどそうにしている様子を見ていたら、何も言えなくなってしまったよ。」


「僕は、母さんの子供で本当に良かったと思う。そして、もちろん病気になって失ってしまったものは大きかったけど、母さんの優しさが本物だったと知ることができたという意味では、悪いことばかりではなかったような気もしているんだ。何の親孝行もできないでこうして養ってもらっていることは、本当に申し訳なく感じているんだけど・・・。」


「そんなこと、気にしなくてもいい。結局親にとっては、子供はいつまで経っても子供。可愛くて仕方ないんだから。」


 49歳の男性に「可愛い」と言う表現は似つかわしくないと思ったのか、雄一は決まりが悪そうに苦笑いした。


 49歳の雄一と82歳の母親。俗に言う「8050問題」の当事者であるこの親子の生活は決して明るいものではなかったのだが、この親子には「8050問題」の当事者にありがちな、親子間の確執がまったくなかった。雄一は母親から注がれる愛情に心の底から感謝していたし、母親も仕事ができない身体になってしまっていた雄一を受け入れていた。二人が互いに向け合う感情には、角が立つ余地がなかったのである。


 雄一には恋人がずっといなかったし、友人ともすっかり疎遠になってしまっていたから、少なくともプライベートでの話し相手は、母親しかいなかった。その雄一にとって、母親がいなくなることの持つ意味は、計り知れなかった。だからこそ、彼は彼から母親を奪うことになり得る余命制限法の動向を、つぶさにウォッチしてきたのである。


 さて、親子のこの会話の後、一週間程して雄一が恐れていたことがついに起こった。母親に集団安楽死の会場への案内状が届いたのである。


「『伊藤和子様。あなたの安楽死の日時は3月29日です。会場は〇×病院です。医師の監督のもとペントバルビタールという薬を処方し、人道に配慮して苦痛のない形を取ります。』だって?何が『人道に配慮して』だ。こんな法律自体が非人道的じゃないか!」


 母親の前で案内状の内容を読み上げた雄一は、怒りのあまり、その場で案内状を破いてしまいかねない剣幕だった。


「雄一、落ち着きなさい。もうこの紙が来てしまったからには、どうにもならないよ。あんたを残して逝くことは心配で仕方ないけど、あんたは私のことより、これから自分がどう生きていくかを考えなさい。」


 母親は、自身の感じている恐怖を必死で抑えながら、雄一をたしなめた。


「そんなに簡単に、諦められるはずないじゃないか。僕には考えがあるんだ。まあ見ていてくれよ。」


 たしなめようとする母親に対して、雄一は不敵な笑みを浮かべながら、不気味にそう言い放った。


 3月の中旬になって法律が施行されると、いよいよ某国の各地で80歳以上の高齢者の集団安楽死が実行されはじめた。ちなみに、一人目に安楽死を実行したのは、首相の森田勇一の父親の、勇作だった。その様子はテレビ放送された。勇作は、晴れやかな表情でペントバルビタールの錠剤を自ら口にし、そのままベッドに横たわり、息を引き取った。そのベッドの傍らには森田勇一と、彼の妻や、母親の泣き崩れた姿があった。


 この映像は、某国の国民すべてに衝撃を与えた。「森田勇作は率先して死を選び、少子高齢化問題の解決のために、国民の範になったのだ。」と人々は噂した。世論は「森田勇作に続け」という方向に流れていったのだが、中には集団安楽死の会場の前で抗議のために焼身自殺した老人もいた。しかし、それも大勢に影響を与えることはなかった。


 七


 3月25日のことである。母親は、どうも雄一の様子がおかしいことに気が付いた。仕事のために通所していた福祉施設から戻ってくるなり、部屋に閉じこもって始終パソコンと睨めっこしていたし、食事のときも「明日から、週末を利用して旅行に行く」と言ったきり、一言も発さない。どこに旅行に行くのか尋ねても、まるで答えようとしなかった。


 翌日になって自室で旅支度をしていた雄一に、母親は優しく話しかけた。


「あんたが生まれたとき、本当に可愛かったのよ。」


「どうしたんだい、急に?その話は何回も聞いたけど。」


「まあ、そう言わずに。あんたは、本当は9月に生まれるはずだったけど、11月になるまで生まれなかったんだ。よっぽどお腹の中の居心地がよかったんだろうねえ。だから、生まれたときはとても大きな赤ちゃんだった。」


 そこまで言って、母親は一呼吸入れた。


「苦労して産んだ子供だったから、あんたには人一倍の愛情をかけて育てたつもりだよ。まさか大人になっても一緒に暮らすことになるとは、考えもしなかったんだけどもね。」


 話を黙って聞いていた雄一の目には、涙が光っていた。


「私はあんたを、ずっと守ってきたつもりだよ。もう、それも長くは続かないかもしれない。でも、頼むから変な気は起こさないでおくれ。私の気持ちを無駄にするつもりかい?」


 図星を突かれた雄一は、ただ黙ってすすり泣いていた。彼の旅行は、首都に行き、議事堂にガソリンを撒いて、自らもろとも焼き尽くすためのものだったのだ。


 そして、母親の命日となる3月29日がやってきた。雄一は、母親に付き添って集団安楽死の会場の病院へと向かった。不思議と、二人とも落ち着いた気持ちだった。


 会場に着いてみると、以前は死期が近づいた高齢患者を収容していたであろう、3人用の病室に通された。一応、カーテンで隣のベッドとは仕切られてはいたものの、他の老人と家族との会話や、残された家族の嗚咽が、もろに聞こえる状態だった。


 ベッドに横になり、医師からペントバルビタールの錠剤を手渡された雄一の母親は、雄一の方をじっと見つめた。


「雄一。私は、あんたが息子として生まれてきてくれて、本当に幸せだったよ。これから大変なことも多いだろうけど、頑張って生きるんだよ。」


「母さん・・・。」


 その最期の言葉を残して、母親は永遠の眠りについた。


 八


 森田勇一は、ワイングラスを傾けてソファに腰掛けながら、彼の別宅の高級マンションのリビングから見える夜景を、一人で眺めていた。


 彼があれほど憎んでいた父親は、もうこの世にはいない。彼の人気と権力は絶大で、この世に彼の脅威と呼べるものは、何も見当たりそうにないかのようだった。


 彼は、窓の外に広がる首都の夜景を見つめながら、ふと、「この都市のそこかしこで、今この瞬間も、俺の政策のために命を失う者たちや、悲しみに暮れる者たちがいるのだろう」ということを考えた。


 表向きは「少子高齢化問題を解決するため」と謳ってはいたが、本当は高邁な理想などはじめから頭になく、ただ父親が憎いがゆえに政治活動に邁進した過去5年くらいの日々が、走馬灯のように脳裏を駆け巡っていた。


 意外にも父親は、彼が差し向けた急な死に際して、怒りや憎しみの感情を、まったく見せなかった。ただ晴れやかに、安らかに、自らの死を受け入れていたようだった。これは勇一の推測に過ぎないのだが、ひょっとしたら権力の絶頂にまで上り詰めた実の息子に殺されることは、父親にとって本望だったのかもしれない、という気すらした。


 そのように考えると、あれほど憎かった父親ではあったが、ある種、政治家として、権力者としての人生を生き抜いたのだと、かすかに尊敬の念が湧かないでもなかった。強さがすべての世界に生きる者は、いつかはより強い者に潰されることも、常に覚悟しなければならないのだ。


 テレビのワイドショーで連日放送される、安楽死させられた高齢者の家族たちが悲嘆する様子を見るたびに、勇一は「ひょっとしたら、自分のやったことは間違えていたのかもしれない」と感じるようになっていた。どうも、少子高齢化問題というのは、単純に高齢者をこの世から退場させて、国家予算にゆとりを持たせれば解決するほど単純な問題ではなかったのかもしれない、という疑念を、今更になって抱き始めていた。


 その証拠に、勇一自身も経済力があり、パートナーにも不自由していないにも関わらず、子供を作っていなかった。そしてその理由は結局、彼と周囲の人間との間の愛情不足という問題に行き着くことは、間違いなかった。今更言うまでもない話だが、いくら金があっても愛情がなければ、人は子供を作ろうとは思わないのだ。


「こんなことをやらかしたからには、俺もろくな死に方はしないだろうな。」


 勇一はそんなことを考えながら、遠い目をして目の前に広がる夜景を、ただ見つめていた。


お読みいただき、ありがとうございます。お気づきの方も多いと思いますが、この作品では、勇一と雄一という、同じ名前でありながら、まったく異なる境遇の男性二人の生活の描写を通じて、少子高齢化問題の難しさを描きました。勇一の方は金や権力があるがゆえに、他人に対する無条件の信頼感を抱けなくなってしまっている男性、雄一の方は愛情を知ってはいるが、経済的な理由から結婚などが難しい男性、という両極端の事例になっています。

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