第42話
戦場に流れる叫喚と焦燥。アレサンドロ軍は混乱に陥っていた。ガイウスも入れ替わって兵士が運んでくる情報に戸惑うしかない。
そんな中、前方に現れた歩兵部隊も動きだす。
「おのれ……あの程度の戦力で調子に乗りおって!」
ガイウスは黒い大斧を手に取って、高々とかかげた。
「奴等を一人残らず叩きのめすぞ! 進めーーー!!」
「「おおーーーーっ!!」」
重装騎士たちが突撃する。土煙を上げながら猛然と駆ける姿は、最強の騎士団の名に相応しい。
数では圧倒的に有利な重装騎士。そのまま押し切ろうとするが――
「なっ!?」
歩兵達の先頭にいた青い騎士が剣を振るう。その瞬間、重装騎士が宙を舞った。馬もろとも斬り飛ばされ、更に振るった剣で分厚い鎧を易々と斬り裂く。
あっと言う間に六人の重装騎士が地面に倒れる。
間髪を入れず青騎士の後ろにいた歩兵部隊が跳躍し、重装騎士に襲いかかった。鎧の間を狙い剣を滑り込ませ、喉元に突き刺す。
歩兵達は軽装の鎧を着て、剣一本で戦っているが、恐ろしいほど速い。
重装騎士が振るう斧や槍を掻い潜り、鎧で覆われていない馬の脚を斬りつけ、騎士を落馬させたあと喉を切り裂く。
重たい鎧を着こんでいる重装騎士は、歩兵の速さについていけない。
「調子に乗るな!!」
ガイウスの振るった大斧が、歩兵二体を薙ぎ払う。胴体を真っ二つに両断され、地面に転がった敵を見て息を飲む。
それはおおよそ‟人”と呼べるものではない。切断された胴体には血や内臓などは無く、鉄クズのような物しかなかった。
その時、ガイウスは初めてこの歩兵自体が‟ダンジョンの秘宝”だということに気づく。
「こんなものまで……一体ダンジョンとは何なんだ?」
視線を上げると、鮮やかな青い鎧を着た騎士が間近まで迫っていた。
「お前が、この部隊の将か!!」
ガイウスは斧を振り上げ、馬上から騎士に斬りかかる。激しい金属音が響き渡り、確かな手ごたえを感じた。
だが、斧の下の光景に目を見開く。
青い騎士は剣一本でガイウスの斧を受け止めていた。
騎士の足は地面にめり込み、体もやや仰け反ってはいたが、完全に斧を止めている。ガイウスの渾身の一撃を防いだ者など、今までの戦場には一人としていなかった。
驚愕するが、更に騎士はガイウスの斧を跳ね上げ、そのまま斬り込んで来る。
「こいつ……」
斧で弾き返すが、その一撃はまさに剛剣。これほどまでの武将がいるとは。ガイウスは気持ちが高ぶり、この青き鎧の騎士を打ち倒したいと思った。
しかし、軽快に動き回る歩兵達によって、重装騎士が次々に倒されている。堪らず副官が駆けつける。
「ガイウス様!!」
「狼狽えるな! このまま奴らを足止めしておけ、その間に北西から攻め込んでいる海軍がモルガレアの城を制圧する!!」
作戦では陸軍がモルガレア軍を抑え、海軍が手薄となった城を陥落させることになっていた。百隻の船に乗った兵士は総勢一万人。
失敗するはずがなかった。
◇◇◇
モルガレア公国・北西の領海――
そこには百隻のアレサンドロ海軍の戦艦が、波に揺られながら並んでいる。
対するモルガレアの艦艇は、わずか十隻。それも漁船を改良した粗末なものだ。とてもアレサンドロの大型艦と戦えるような代物ではない。
アレサンドロ海軍の大将であるアウラ・ベイカーは戦艦の甲板に立ち、遠眼鏡を覗いて敵の艦隊を見ていた。
「あんな物で我々と戦うつもりなのか?」
まともな武器も積んでいない十隻の艦艇は、とても相手になるとは思えない。アウラは哀れみすら感じていた。
「アウラ様、なぜこのような弱小国を今まで放置していたのでしょうか? 戦えば簡単に領地にできそうですが……」
補佐をしていた中将のゲルドックが疑問を口にする。
「もともとは同盟国として良好な関係だったらしい。アレサンドロの現国王ハイマン様になって、その関係が変わったようだが……」
アレサンドロ帝国は、領土の拡大を進めているため、いずれモルガレアも取り込むだろうとは言われていた。
「あの貧相な船をさっさと沈めて、城を陥落させるぞ。第一功は、我ら海軍が上げるのだ!」
アウラの合図で、海上の艦隊が陣形を整える。
わずか十隻のモルガレア軍の船を囲うように居並び、砲門を向ける。射程距離に入れば一撃で終わる。アウラはそう考えていた。
「さすがアレサンドロの軍艦、いやはや壮観ですな」
「ふん、まあ、そうだな」
モルガレア海上部隊、その一隻にモルガレアの将軍パトリシアと副官のモーゼスの姿があった。飄々としたモーゼスの軽口に、苦笑いを浮かべるパトリシア。
長く美しい金髪は海風になびき、凛々しい眼差しは敵艦に据えられる。
「すまんなモーゼス。こんな負け戦、まして女の将軍と一緒では、死んでも死にきれまい」
自嘲気味に言うパトリシアに、モーゼスは首を横に振る。
「いやいや、あなたがどれほどの努力をしてモルガレアで唯一女性の将軍になったか、側にいた私が一番わかっております」
そう言うとモーゼスは、笑顔をパトリシアに向ける。
「このモーゼス、最後の戦場を御一緒できたこと、大変光栄に思います。命尽きるまで共に戦いましょう」
「……ありがとう、モーゼス」
パトリシアに与えられた使命は、少しでも長く時間を稼ぐこと。上からは援軍が来る可能性があると伝えられていたが、期待はしていなかった。
絶望的なまでの戦力差。生きて帰ることはない。
パトリシアを始め、モーゼスや兵士達は覚悟を決めてこの戦場にやって来た。
出来ることは十隻全艦で突撃すること、一隻でも相手の戦艦に取りつければ白兵戦にもち込める。艦の操舵を奪えば、前方の四、五隻を沈めることも可能だ。
もちろん成功する確率が低いのは分かっている。
それでもやるしかなかった。パトリシアは全艦艇に号令を出す。
「全艦全進! 一隻でいい、相手の戦艦に辿り着け!!」
「来たか……」
遠眼鏡で眺めていたアウラが呟く。
「準備はできているな?」
「ハッ! いつでも砲撃できます!」
「奴らは軍艦に接近して、白兵戦にもちこもうとするだろう。それしか無いからな、必ず命中させて全艦沈めるのだ。いいな!」
「ハッ!」
副官のゲルドックが合図を送れば砲撃が始まる。
もう射程距離には充分な位置にまで敵艦は来ていた。相手の艦を包囲するように逆扇形の陣形を取っていたため、五十隻以上の一斉砲撃ができる。
絶対に外すことはない。そう確信した時――
「ん?」
急に辺りが暗くなる。雲で日が陰ったのかと、ゲルドックは上を見上げる。
だが違っていた。太陽を隠していたのは巨大な影。圧迫感のある異様な物体。
一体何が起きたのか分からなかったが、空に浮かぶ島”オルブレス”を見慣れていたゲルドックは、それが何なのかすぐに理解した。
「アウラ様、‟空飛ぶ城”です! 城が真上に!!」
「慌てるな! 報告では特に武装などは無いと聞いている。ただ図体がでかいだけのこけおどしだ!!」
アウラは、かまわずモルガレア艦隊に砲撃させようとした。
だが―― 海面が微かに動き出す。自然の波ではない。規則的に一方向に流れる海面は、アレサンドロ海軍艦艇を、あらぬ方向へ運んでいく。
「な、なんだ! どうなってる!?」
波の動きは激しさを増し、巨大な渦となって艦艇を引き込んでいった。揺れる甲板で倒れそうになりながら、海に目を向けるアウラ。
「これは……魔法!?」
頑強な戦艦が為す術なく流される。アウラは魔導士ではないが、水を使う魔法ぐらいは見たことがあった。
だが、こんな大規模な魔法など見たこともなければ聞いたこともない。
「これがダンジョンの……‟秘宝”の力なのか……?」
その時、戦ってはならない者を相手にしたのだと気づく。
「アウラ様!」
中将のゲルドックが叫びながら、傾く戦艦から落ちそうになる。アウラが辺りを見回せば、至る所から悲鳴が聞こえてきた。
「舵が効かんぞ!」
「うわあああああああああ!!」
阿鼻叫喚の中、渦に巻き込まれた船同士が衝突して海へと沈んでいく。アウラの乗った船も海底へと飲み込まれ、あっと言う間に見えなくなる。
数にして四十隻以上の艦艇が、ものの五分で姿を消した。
その光景を、パトリシアは呆然と見つめている。空飛ぶ城の真下にだけ巨大な渦潮が生まれ、海上にある物を引きずり込んだ。
城はゆっくりと、残ったアレサンドロの艦隊に向かって進んでいく。
それに恐れをなしたのか、あるいは命令を下す将を失ったのか、アレサンドロの艦隊は逃げるように現海域を離れて行った。
「パトリシア将軍! 敵艦艇、撤退していきます!!」
「ハハ……こんなことが本当にあるのか……」
これほど強力な援軍が来るとは思いもしなかったパトリシア。
喜ぶモーゼスと共に、悠然と進んで行く異様な城を眺めていた。




