第40話
モルガレア北東の領地マールテン。アレサンドロの侵攻は二日目に入り、二つの城が陥落していた。
「ふん! 歯ごたえが無い」
重厚な鎧を纏った将軍ガイウスが、小高い丘の上から眼下を見下ろす。そこには大した抵抗も見せず、敗走していくモルガレア兵の姿があった。
「ガイウス将軍、海軍と空軍が既定のルートに入ったと報告がありました」
「遅い、遅い! この分なら我らだけで、モルガレアの制圧は終わってしまうぞ!」
ガイウスは自信の笑みを浮かべる。ここよりモルガレアの王都まで、半日もあればこと足りる。国防大臣のクラークからは、ダンジョン攻略をした者が介入してくるかもしれないと言われていたが、そんな兆候はない。
本当にいるのかどうかも怪しかったが、いたとしてもガイウスは自分が遅れを取るなど、微塵も思っていなかった。
悠然と重装騎兵団を率い、マールテンの領地を南下してゆく。
その時、ガイウスの頬に一滴の雨粒が落ちる。見上げると、先ほどまで晴れ渡っていた空が薄暗く曇り始めた。
「……雨か」
ポツリポツリと降って来た雨は次第に強くなり、やがて土砂降りへと変わっていく。
「兵糧を腐らせないよう気を付けろ!」
「はっ!」
「チッ、せっかく順調にきていたのに、ケチがついたな」
この雨で足を取られ、アレサンドロの陸軍は王都に着くまで、丸一日の時間を費やすこととなった。
◇◇◇
モルガレア公国・王城――
侵攻して来るアレサンドロ軍に対する軍議が開かれ、そこで新大陸にいるオルド人勢力の参戦が、正式に伝えられた。
「どれくらいの戦力が送れるか分からないですと!? そんなバカなことがありますか?」
国防大臣のハイゼンが声を荒げる。
相手は陸軍だけでも五万を超える大軍勢。すぐにでも軍備を整えたいところだが、オルド人勢力はどれくらいの軍を、いつ派遣できるか分からないという。
軍事同盟を結ぶ国同士では、本来ありえないことだ。
「向こうは出来たばかりの国だ。まだ軍が整っていないのだろう」
デミトゥリスは冷静に諭すが、ハイゼンは怒りが収まらない様子。
「とても国とは呼べない相手です! そもそもオルド人を信用するなど――」
「やめんか! ハイゼン」
王に叱咤されたハイゼンは、身をすくめ黙り込む。
「陛下、向こうからの連絡では、戦力はできる限り早く送るようにするとのこと……。彼らを信じるしかありません」
「そうか……」
デミトゥリスが厳しい現状を打開できないまま、アレサンドロ軍は王都のすぐ近くまで迫っていた。
◇◇◇
明けて翌日の正午――
モルガレアの王都は静けさに包まれていた。
アレサンドロが攻めてきたことは全国民に知らされていたため、近くの町や村人はモルガレアの王都へ避難していた。
人々は不安な夜を明かし、息を殺して身を寄せ合う。
王都の手前、開けた平原に陣取ったモルガレア軍一万五千は、進行してきたアレサンドロ軍と睨み合う。
モルガレア軍の総大将を任されたのは将軍のオルスだったが、まともに戦えば半日も持たないだろうと考え、険しい表情をしていた。
その上――……
「オルス将軍、軍事用飛空艇です」
北の空から現れたのは、五隻の飛空艇。帝国が誇る最強の航空戦力だ。
「あれが攻撃してくれば、我々に勝ち目はない」
デミトゥリスからは、飛空艇は気にせず陸上の敵にのみ注力せよ、と言われていた。それはオルド人勢力を信じてのことだ。
だが、オルスは未だにオルド人を信用していいか半信半疑だった。
しかしその不安は、この後くつがえされることになる。
「ガイアス様、予定通り軍事用飛空艇が到着しました」
「見れば分かる」
モルガレア軍と向かい合う形で整列しているのは、ガイアス率いる帝国陸軍‟重装騎士団”。敵が一万五千程度しかいないのに対して、陸軍だけでも五万を超えている。
その上、上空にいる飛空艇には一隻百名もの兵士が搭乗していた。
そんな飛行師団は、先日‟空飛ぶ城”の奪還作戦において大失態を演じている。今回で汚名を注ぐと、空軍を統括するミルグが息巻いているのを、ガイアスは知っていた。
「まあ、我が軍だけでも充分だが、これで早期に決着がつくだろう」
モルガレアに航空戦力がないことは分かっていたため、ガイアスは自信の笑みを浮かべる。だが――
「……なんだ?」
モルガレア軍がいる遥か向こうの空から、何かが近づいて来る。
――バカな。奴らは飛空艇を持っていないはず……だとしたら、あれは一体!?
それほど速度は出ていないが、飛空艇の一種であることは見て取れる。だが、それは船と呼ぶには程遠く、既存の物とは大きく異なる。
鈍く光る銀色をした、平たい船体。まるで大きな鳥が翼を広げているようだと、ガイアスは思った。
そして、それは軍事用飛空艇を率いる空軍中将ブラッドレーも、空の上で同じように考えていた。
「ブラッドレー様、いかがいたしましょう?」
将官に問われ、笑みを浮かべるブラッドレー。
「モルガレアが造った張りぼての飛空艇でしょう。気にする必要もありませんが、進路にいる以上撃ち落すしかありませんね」
ブラッドレーの命令で航行の速度を上げた軍事用飛空艇は、まっすぐ銀色の飛空艇に向かっていく。
砲撃の射程距離に入ったのを確認してから、一斉射撃を命令する。
「――――撃ていっ!」
五隻の戦闘艦が同時に砲弾を放つと、まったく避けようとしない銀色の飛空艇に直撃する。特殊な加工を施された炸裂弾は着弾すると烈火の如く弾け、光と爆炎が船を包む。
轟音が鳴り響く空には、大きな煙の塊が広がっていく。
「呆気ないですねー。まあ、こんなものでしょうけど」
薄笑いを浮かべながらブラッドレーが呟いた。しかし、煙が晴れて現れたのは、彼が予想していたものではない。
傷一つない銀色の飛空艇が、そこに浮かんでいる。
「馬鹿な……」
その時、ブラッドレーの頭をよぎったのは、強力な結界を張って軍事用飛空艇の攻撃を防いだ‟空飛ぶ城”のことだ。
彼はその場にはいなかったが、五隻の飛空艇を失った出来事は、飛行師団発足以来の大失態だった。目の前にいる船は、空飛ぶ城と同じ力を持っている。
だとすれば――
「あの船も‟ダンジョンの秘宝”ということか!」
ゆっくりと進んで来る銀の飛空艇、たじろぐブラッドレーだったが、ここで引き下がる訳にはいかない。
「全、軍事用飛空艇の砲門を開け、ありったけの弾薬を使って撃ち――」
命令を下そうとした瞬間、銀の飛空艇は船体に無数にある発射口を開いた。そこから数多の光が放射され、曲線を描きながら五隻ある軍事用飛空艇のうち、左端の一隻に収束していく。
一瞬の静寂のあと、船は歪な音を立てて膨らんでいった。
内部から破裂するように船体は木っ端みじんに爆発し、飛散した残骸はそのまま地面に落ちていく。虚空には黒い煙だけが残る。
ブラッドレーは驚愕し、言葉を失う。‟空飛ぶ城”は防御結界を持っていたが武装は無かったと聞いていた。
しかし、目の前にいる飛空艇は異常なほどの兵器を装備し、軍事用飛空艇を一撃で破壊してしまう。
「ブラッドレー様! ご、ご命令を! 敵の飛空艇が近づいてきます!!」
将官の声もブラッドレーの耳には入らない。失敗が許されない作戦において、すでに一隻を失ってしまった。これ以上、軍事用飛空艇を失えば確実に責任問題になる。
「馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な……こんなことが……」
視点の定まらない虚ろな目で、ブラッドレーは操舵室の窓から外を見る。そこには悠然と迫ってくる銀の飛空艇がいた。
「ひ、ひい!」
「ブラッドレー様!」
「て、撤退だ! 今すぐ撤退しろ!!」
帝国最強の航空兵器は、何も出来ないまま戦場を後にした。




