第23話
「え……? 出て行くって、どういうこと?」
キョトンとするフィーネに、アゼルは話始めた。
「今日、話あっていたのは、ヨルゴスの子供のことだ」
「ヨルゴスさんの子供? まだ小さい女の子よね」
狭い村のことだけに、マリーは当然ヨルゴスのことを知っていた。
「その子が数日前、高熱を出して酷い肺炎にかかったそうだ。ヨルゴスは死んでしまうと心配して、娘を町の病院にまで連れて行ったらしい」
「まあ、町まで? でも診てもらえなかったんじゃない?」
オルド人は町で入れる施設が制限されており、病院に入ることは許されていなかった。それは領主であるグロスター子爵が、酷くオルド人を嫌っているからだ。
「ああ、そうなんだ。結局診てもらえず連れて帰ってきたが、外に出たことで肺炎が悪化して大変だったみたいだ」
「今は体調も回復してるんでしょ?」
「奇跡的にな」
「良かったわ……」
同じ親として、他人事とは思えない。マリーはホッとするが、
「でも、それと私達が村から出て行くのと、何の関係があるの?」
困惑した表情でアゼルに尋ねる。
「医者に診てもらえないことは、俺達が住むがガレド村だけじゃなく、周辺のオルド人の村々からも不満の声が上がっていた」
「そりゃそうだよ! 病院に行けなかったせいで、レイド兄の両親は死んじゃったんだよ!!」
フィーネが憤慨する。オルド人は数々の理不尽を我慢してきたが、生死に直結する医療に関しては、我慢できない問題だった。
しかも病院だけでなく、薬局で薬を買うこともできない。
「分かってる。それで周辺の村の有志と一緒に、領主様へ嘆願を出しに行くことになったんだ」
「ええっ!?」マリーは殊のほか驚く。
「でも、そんなことしたら……」
フィーネも、それがどういうことか理解していた。
「我々オルド人が嘆願など本来許されない。だが行動を起こさなければ、これからも変わっていかないだろう」
「あなた……」
「俺も、この提案に賛成した。しかし、それによって今後どうなるか分からない。最悪の場合は身を守るため、村を離れることもありえる」
「そんな……」
フィーネは絶望的な気持ちになった。父親の言うことは分かる。
何もしなければ、オルド人の悲惨な現状は変わらない。子供は学校にも通うことができす、町で仕事に就くことも出来ない。
病気になっても、医者に診てもらえないなんて、同じ人間として見られていないんじゃないかと、フィーネは何度も思った。
国や地域によっては、もっと差別が少ない所もあると聞く。
だが、ずっと暮らしてきた村は彼女にとって唯一の故郷。そこを離れることなど、耐えられるはずがない。
「レイド兄……」
誰にも聞こえないほど小さな声で、彼女はそう呟いた。
◇◇◇
モルガレアの海岸沿いから500キロ。海底遺跡がある場所の真上に、浮遊城【アヴァロン】が停止している。
『レイド様、よろしいでしょうか?』
「ああ、頼む」
円台が輝きだす。城の下部から膨大な魔力が放出され、真下の海がゆっくりと渦巻いてゆく。
渦は次第に大きくなっていき、徐々に水を押しのけ海底が見え始める。
ものの10分ほどで海に穴が空いたように、海水のない陸地が現れた。アヴァロンは降下を始め、海底に着陸する。
『レイド様、これで抜け穴の捜索ができますが【海の書】の効果は1時間が限度です。その間に見つけ出して下さい』
「分かったよ。ありがとう」
レイドとカトレアは、水の無くなった海底に転送してもらう。
――抜け穴の詳しい位置は、バルタザールでも分からないと言っていた。結局、今まで通り自分達の力で探し出すしかないな。
レイドは1時間以内に探し出そうと、駆け足で辺りを捜索する。抜け穴は夕暮れの短い時間しか開いていない。
だが、中に入ってしまえば入口は閉じ、通路は最下層に到着するまで開いたままになっているとのこと。つまり穴に入ることさえ出来れば、その後海水が入ってくることはない。
カトレアにも周囲を捜索してもらう。
「時間との戦いだな」
そして50分が過ぎた頃――
「……あった」
それは岩場とサンゴの陰に隠れた分かりにくい場所だった。入るのに邪魔になるサンゴを手でどけながら、何とか穴へと滑り降りる。
レイド達が抜け穴に侵入したのを確認して、バルタザールはアヴァロンをゆっくりと浮上させ、海面より上昇してから【海の書】の魔法を解除した。
ポッカリと空いた穴の中心に、渦巻くように海水が押し寄せる。
アッと言う間に海は元の姿を取り戻し、海面は静かに凪いでいた。すでに入口が閉じ、海水が入ってこないことを確認したレイドは、いつものように薄暗い道を歩いて行く。
そして――
「ここが海底ダンジョンの最下層……」
部屋の中は何も無かった。レイドは辺りを見回すが、今までに見た台や箱、扉などは無い。ガランとした無機質な狭い空間だけがある。
このダンジョンにどんな遺跡があるのか、バルタザールは説明していなかった。『すぐに分かります』とだけ言われていたレイドは困惑する。
『――最下層到達者を確認しました』
いつもの“声”が頭に響く。この海底神殿には重要な遺産があるとバルタザールは言っていた。
――だとすれば【バルタザール】や【アヴァロン】を超えるものかもしれない。
レイドは緊張で息を飲む。
『ユニークの06【メガラニカ】の解放を認証、権限の委譲を承諾します』
次の瞬間、足元が揺れ出した。
「何だ!?」
その地震は、海の中にいたレイド達だけではなく、もっとも近い国であるモルガレア公国の国民も感じていた。
「地震か……?」
「めずらしいな。この国で地震なんて」
揺れは大きくなり混乱も起こったが、モルガレアの沿岸で想像を絶する出来事が進行しているなど、誰も想像していなかった。
アヴァロンの中で状況を確認していたバルタザール。
その足元で海が動き始める。海底の地盤が割れ、大量の気泡が水面に浮かび上がる。
海水が至る所で噴き上がり、場所によっては海底火山を思わせる炎も垣間見えた。隆起した大地が顔を覗かせ、海水は押し出されるように流れ落ちる。
地震が収まった時、海中から現れたのは岩や島ではない。
そこにあったのは紛れもない大陸だった。遥か上空から眺めれば、モルガレア公国の三倍はある巨大な大地だ。
レイド達は最下層の部屋から、海に浮かんだ大地に転送される。彼らが降り立ったのは、海底神殿跡から少し離れた場所だった。
「ん? どこだここは、バルタザール」
『レイド様が今、立っている大地こそ、海底ダンジョンの“遺跡”……【メガラニカ】です』
「えっ!? この大地が!」
『そこは、かつてオルドリア帝国があった場所……オルドリア大陸です』
「……大陸?」
辺りを見回し、レイドは絶句する。どこまで見渡しても大地の端が見えない。こんなとんでもない物が遺産だなんて信じられなかった。
そして、かなり遠くに大きな建物が見える。
「あれは……城……なのか?」
一見城壁のようにも見えるが、あまり見たことの建物にレイドは眉をひそめる。その城壁の真上に【アヴァロン】が移動してゆく。
どうしていいか分からなかったレイドは、仕方なく建物に向かって歩きだした。
◇◇◇
その衝撃的な知らせはモルガレア公国の宰相、デミトゥリスの耳にも入る。
「なん……だと……?」
「ま、間違いありません。モルガレアの西、海上に大陸が出現しています!」
デミトゥリスは報告に来た兵士が何を言っているのか分からなかった。海底火山などで島が形成されることがあるのは知っていた。
だが兵士は“大陸”と言っている。何をもって大陸と定義しているのか、まったく理解できない。
その報告が城内に知れ渡ると国王を始め、各大臣も困惑していた。
すぐに事実を確認するため、数十人の調査団を海岸沿いに派遣する。夕刻に帰って来た調査団の報告を聞くと、全員が口を揃える。
出現しているのは間違いなく“大陸”だと――




