ボクの机の上にあったもの
なんでもない、穏やかな登校風景から始まります。
夏が近づきつつある中、まだほんの少しの肌寒さを残す春の朝。
いつも通り、なんの変哲もない登校路を歩んでいる。
ボクはこの、学校までの短い登校時間が、とても大好きだ。
あらゆる物事に、ボクの想像力が引き立てられていく。
いつも遭遇する、犬の散歩をするご老人。
毎日変わらない時間に散歩というのは、割と大変な事だと思う。
彼はどういう気持ちで散歩をするのかな。
大切な愛犬のため? 自分の健康のためだろうか。それとも、ボクたちのような学生を見て、活気を得ようとしているのかもしれないな。
学生と同じ時間に仕事へと赴く中年男性。
今から重苦しい社会の波に揉まれていく。
心を無に? 特に感慨もなく? 実はその仕事が生きがいで、とても楽しみにしている可能性もあるね。
ボクと同じように、登校に勤しむ学生たち。
君たちは今どんな気持ちだい? つまらない授業は嫌だけど、友達と会えるのは楽しみ? 将来のための授業なら頑張れる? 何も考えず、ただいつもの日常を送っているのかい?
答えのない、あるいは答えを知らない物事について、思考を巡らせるというのはとても心地がいい。
ボクはその答えを知る由もないけれど、考えて頭の中に浮かべるイメージというのは、いつもボクの心を満たしてくれている。
こうして背景を眺めるだけでも、ボクの人生は綺麗な華に彩られているかのようなんだ。それでもやはり、興味の上にあるのは〝恋〟だろうか。
恋というのがなんなのか、相変わらずわからない。
昨日の充の言葉を思い出すけれど、ああして自分の考えを貫くのは、ボクには決して真似できない事だ。まあ、したいとも思わないけど。
空は曇天。失恋したばかりのボクの心を映し出しているようにも見えるし、ただ水蒸気の集まった塊にも見える。
ボクの心次第で、その背景が大きく変わってしまうのは不思議でしかないことだ。──それがまた、ボクの心を満たしてくれる。
「まーた考え事してるな、エリー?」
聞き慣れた、とても綺麗で透き通る声。
ボクはいつのまにか、学校に到着していたみたいだね。
「やあカナメ。今日もとてもいい天気だね」
「えぇ……めっちゃ曇ってますが?」
「この雲の上には青い空が広がっているんだろう? この雲はどこまで続いてるのかな? 雨はふるのだろうか。どこから流れてきた雲なのかな……考えれば考えるほど、新たな疑問が湧いてくる。とてもいい天気じゃないか!」
望月 かなめ。この学校に入ってから二年、常に同じクラスにあり、充と並ぶほどにボクを理解してくれている、数少ない親友だ。
「さよーですか。ま、それでこそ、我が親友の朱思 愛理様といったところかな?」
空から視線を落としたボクを見つめている少し鋭い目は、彼女の綺麗な容姿を際立たせている。
「それで? また振られたらしいじゃん」
「流石に情報が早いなぁ、君は。充から聞いたのかい?」
「あたしの情報網なめないでよね。進藤なんか通さなくても、いくらでも知る方法はあるんだから」
いつも、あらゆる流行や噂話を持ち込んでくる。
カナメは本当に何者なのかな。彼女のことを考えるのも、とても楽しい事なんだ。
「カナメには敵わないな。まあ、ボクにも問題はあるんだ。こればかりは仕方ないさ」
「なんでこんな美人振るかねぇ。あたしが男だったら、絶対手放さないって」
「そうかい? 君が男だったなら、ボクの恋路ももう少し違っていたかも知れないね」
彼女はとても気の良い女子だ。性格も容姿も、そのカッコよさは女子のそれではないけどね。
女子からの人気が特に高いようで、このボクでさえ彼女には惚れ惚れとしてしまう。
「別に、恋を知りたいだけなら相手が男じゃないといけないとか、無いんじゃない? 世の中、女の子同士ってのもありありだと思うな。──どう? あたしと付き合っちゃう?」
なるほど、同性での恋愛というものもあるのか。それはとても面白そうだ。
もっとも、彼女の表情がこの話は冗談だと告げているのは明白だ。
「それは妙案というやつだけど遠慮しておくよ。さすがに、カナメと付き合いました! なんて言ったら、充がどんな風に茶化してくるか分からないからね」
「振られちゃったかぁ。自信あったのになー。……それにしてもあんた、いっつも進藤に相談してるよね。彼じゃだめなの?」
この、彼じゃだめ、というのは、恋人としてという事だろうか? だとしたら論外だ。
「残念ながら、彼にはすでに四十九回振られているんだ。どうにも、ボクのことを恋人としては見れないらしい」
「すごいわね、あんたも、進藤も」
ボクが凄いのかどうかは分からないけれど、充が凄い奴だってことは、ボクもわかっているよ。
雑談もほどほどに、靴を履き替え教室へと向かっていく。
朝のホームルーム前というのは、いつも騒がしいものだ。
あちらこちらで生徒たちが朝の挨拶を交わしている。
昨日何があったかとか、今日の授業はやる気ないとか、今日も頑張ろうだとか。
色んな人たちの感情が交錯する、この雰囲気もボクは嫌いじゃないんだ。
色んな生徒の雑踏の中、三年二組の教室。ボクらの教室に到着する。
「エリー、なんか机の上に置いてあるよ」
「ボクの机かい? ……ほんとじゃないか。けど、あれは一体……?」
何度か見直したけれど、間違いなくボクの席だ。その机の上に、数十枚に渡る紙の束が置かれていた。
授業で使う資料か何かかな? だとしたらなんでボクの机にだけ?
不思議に思いながらも机の横に鞄をかけ、置かれた紙に目を通してみる。
「朱思 愛理様へ。自分の想いを綴らせてもらいました……?」
「まさかこれ、ラブレターなんじゃない?」
「この厚みのかい? それは凄いな」
カナメの呆れたような視線は気になるけれど、最初数枚をめくってみる。
確かに、ボクに対する思いの丈を語っているかのような文面に感じる。少々お堅い文ではあるけどね。
「どうやら、その可能性が高いみたいだ。よくわかったね、カナメ」
「いやまあ、想いを綴るっていったらそうでしょ。しっかし、エリーってほんとモテるよね。どんだけ振られてもすーぐにラブレター届くじゃん。ほんと不思議なんだけど」
「ボクにだって分からないさ。でも、とても嬉しいことだよね」
始業前のチャイムと共に、担任の先生も入ってきたので、とりあえずこのお手紙はしまっておくことにしよう。
「そういえば、充の姿が見当たらないね。いつもならもう来てると思うんだけど」
「そういえば。珍しいね」
何かあったのかな?
不思議に思いつつも席に座っていると、充が来たのは始業のチャイムが鳴る直前だった。
話を聞く間もなく、ボクの二つ前の席へと向かってしまう。
変な様子もないし、ただの寝坊かな? まあ、なんでもないなら良かったよ。
机の上にあった、そのぶ厚い手紙とは……?
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