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―4月。


北海道はまだ肌寒い。


春の到来はもう少し先になるのだろうか。




北海道中の牧場では、出産ラッシュが始まり、一年で特に忙しい時期を迎える。

陣痛、分娩、出産etc・・・

馬にとっても、毎年一番疲れる時期と言ってよいだろう。




しかし、この山本牧場は違った。


生まれてくるはずだった幼駒を殺さなければならない事態に陥り、ついにこの牧場には《ラグフェアー》という肌馬がただ一頭残るだけになってしまった。



まさに暗雲が立ち込めた、

というべきか。


開業以来貧乏立ったこの牧場は、とうとう倒産の危機に瀕することになった。



肌馬(繁殖牝馬)一頭のみの牧場が忙しいはずもなく、また、その忙しくないのを、


牧場主は悩み込んでいた。


編集 しおり コメント(0)

山本牧場には、

幼駒馬房、繁殖馬房の他に、


全く使わなくなった当て馬(種牡馬)厩舎等が建てられている。


設備ならば一級品、といった所だろうか。



そして、繁殖馬房に併設されているのが、


社員寮兼自宅である。


小さな個室が一階、二階にそれぞれ6つ、8つほどあり、この牧場のピーク時には二人一部屋の割り当てだったほどだ。


とはいっても、そこに住むのは今や芝山雄一と山本勘助だけで、芝山はこたつ机の前に毛布を敷いて寝たり、厩舎で寝たり、とにかく自分の部屋というものを使わない。

勘助にしても、生まれてこのかた家族のように一緒に暮らしてきた芝山相手に遠慮など微塵もなく、寝たいときに好きな場所で寝るのである。


そんな風だから、実際のところは家といえども和室とリビングと台所しか使わないのである。



その和室で、山本勘助と芝山雄一は

こたつ机を挟んで何やら必死に考え込んでいた。

机の上には本が何冊かある。




「・・・坊っちゃん(勘助)、去年の種付けの時のシンボリクリスエスの余生株(余り物)を買った時の金はいくらぐらい残っている?」

「・・・ニ十万ちょっと、ですかね」


「頭いたいな。」


机の上にある種牡馬大事典をめくりながら、芝山は頭をかきむしった。



山本牧場は去年、ラグフェアーが帰って来るまでの五年間貯め続けた金を、シンボリクリスエスという種牡馬の一回分の種付け権を買うために使い果たした。


生まれてくる子で元はとれる。


そう考えていたのだが、結果は死産だった。



当然すでに金はなく、

今の悩みごとは当然、

今年ラグフェアーに何を種付けするか、ということである。


「安くて合う種牡馬ねぇ・・・」


芝山は血統のプロである。血統の知識に関しては他の牧場からヘッドハンティングがあったほどだ。


しかし、いくら合う種牡馬を見つけてきたところで、金がないのでは仕方がないのである。



「やっぱり種付け料無料ってのを攻めるべきでしょうね?」


勘助は《無料の有力種牡馬》のコーナーを見ながら言った。


「それは賭けやで、坊っちゃん。もし、できの悪い子でも生まれようもんなら、血統が悪いとなったその子が売れるはずあらへん。

来年の子が売れへんかったら、間違いなく倒産や・・・」


「・・・」


種付け料はニ十万以内。そして、組み合わせが良くなければならない。

勘助は必死に探した。


「これなんかどうです?えーと、アメリカンボス」


「売れるか売れへんかの瀬戸際やな。」


「じゃあ、これなんかどうです?オンファイア。ディープの全弟ですよ」


「・・・サンデーサイレンスの2×2やで・・・

無茶苦茶虚弱体質の幼駒になってまうわ」


「じゃあ、これ!ノヴェリスト!」


「・・・桁一つ見落としてへんか?」


「・・・あ。」



こんな会話が2、3日は続いている。

それほどに慎重にならなければならないほど、この問題は牧場にとって大きなものであった。



「まあ、スウェプト辺りが妥当かとは思うけどな・・・。」


「それは活躍できますか?」



「知らんがな」


芝山は笑いながら返事をした。


この状況、笑うより他にすることがなかった。

いい子を作ろうと思えばそれなりの成績を残した種牡馬が必要だ。しかし、それでは金が持たないのである。


かといって、種付け料が安い種牡馬はすでに旬を過ぎた馬たちで、話題性に全く事欠けており、仮にセリに出したとして、全く注目されずに手元に帰って来るのが落ちである。


まさに八方塞がりであった。



「相性の良し悪しの話やったら簡単やけど、お金も絡むとなるとな・・・」


こめかみに手をやった芝山は、


はぁ~、と長く息を吐き出し、それっきり黙りこんでしまった。


勘助は、


(本当にどうしようもないんだな)


と悟り、手元の種牡馬辞典をめくった。


次のページには


《松田イズムの変則二冠馬、キングカメハメハ》


と書かれていた。


(こんな馬がつけれればなぁ)


勘助は、悔しいんだか、考えるのがしんどくなったんだか、種牡馬辞典を閉じて寝転んだ。

種牡馬の一頭も無事にあてがえないもどかしさを勘助は息と共に外にだし、


(何とかするしかないんだからな)

と心のなかで呟いた。


そういえば―



勘助は、前々から知りたかったことを聞いてみることにした。


「芝さん、俺、未だにラグフェアーの詳しい血統について聞いたことなかったんですよ。

こんな機会だし、詳しく教えてくれませんか?」


勘助としては、何の気なくその場の流れで言った言葉だったが、

芝山は抱えていた頭をばっとこちらに向けて、


「坊っちゃん、それ本気か?」


と低い声で聞いてきた。


勘助はその声に少したじろいたものの、


「はい、まぁ、いずれ聞こうと思ってたんですけど、こんな機会ですし・・・」


と、普通に返したのだが、





その言葉に芝山は狂喜した。


「ほんまか!?ほんまか!ありがとう!!!

いやあ、嬉しいわぁ、ワシと話の合う人間がずっと欲しくてなぁ!そうか、坊っちゃんが相手になってくれるか!

よし、何時間でもしゃべったるで!まずはダーレーアラビアンからや!

一緒にがんばろか!」


「いや、あの・・・」


芝山は身を乗り出して勘助の手を握り、それをブンブン振った。


芝山に揺られながら勘助は、


(ひょっとして、これはマズいかな・・・)


と、一抹の不安を隠せなかった。


その話は、血統に関する話の1から10全てを話してしまうのではないかと思うほど長かった。


出てきた馬の名前は、セントライト、シンザン、シンボリルドルフ、サンデーサイレンス、ノーザンダンサー、といった有名どころから、

ジャイアンツコーズウェイ、ロージズインメイ、アジュディケーティングといった少し踏み込んだものまで多岐にわたった。


しかし、この話がなかなか面白いのである。

勘助は何時間にもわたる話を食い入るように聞いた。


結局、核心のラグフェアーの血統の話にはいった頃には、時計の針は昼を回っていた。



「・・・それでや、そのトウショウボーイから生まれた有力馬の一頭に、のちの三冠馬、ミスターシービーがいるわけだ。」


「はぁ、なるほど。」


「それが、ラグフェアーの母、スクイズの父親なんや。まぁー、相当高齢出産やったわけやな。


そこでや。ほんまゆうたら四代前にミスターシービーがおる種牡馬を探したらええんやけど、それがなかなかおらんのや。

だから困っとるわけでな・・・。」


勘助は四時間にも及ぶ話の終着点に来て、初めて疑問を持った。


(なぜ、四代前なんだろう・・・)


「芝さん、なぜ四代前なんですか?五代とか六代とかではダメなんでしょうか?」


その質問を聞いた芝山は、

なんだそんなことも知らんのか。

と、言わんばかりの呆れた顔をして、


「あんなぁ、坊っちゃん。配合の基本としてな、四代前と三代前(4×3)、または3×5×5が一緒の馬で、他の先祖におんなじ馬ってのがおらんときに


《奇跡の血量》


と呼ばれる配合が成立するんや。


「奇跡の血量?」


正直いって初耳ではなかった。

親父がいつも独り言を言っているのを聞いていたからである。

まさか、そんな言葉がここで出てくるとは・・・


芝山は続けた。



「そう!奇跡の血量!血の濃さがちょうど18.75%になって、

その濃さからはいい馬が生まれやすいと言われてんねや。

だから、もし、四代前にミスターシービーがいる種牡馬が見つかれば、4×3で奇跡の血量が成立するんや!


まあ、金はかかるかもしれんけどな。」


ここでも金か・・・。


だんだん重くなっていく空気に、勘助は、間を繋ぐためにとりあえず、


「他に代用できるところは無いんですか?」


と聞いてみた。


すると芝山は



「・・・父親はマンハッタンカフェ、父はサンデーサイレンスやろ。


今の日本ではサンデーサイレンスの血が入っとらん馬はほぼおらん。



しかも、そのサンデーサイレンスが活躍しはじめてからさほど年月がたっとらんから、血が濃くなりすぎるんや………クロスにしようと思ったらな。3×2とか、そんなんなる。虚弱な奴が生まれること間違いない。


しかも、非サンデーで有力とくればそれこそさっきのキングカメハメハとか、阿保ほど種付け料が高なる。まあ、難しいわな。」


と、苦悩と言うよりは沈痛といった面持ちで頭を掻いた。



(なんとかならんかなぁ)


と言うより、勘助は悩んでいる芝山を何とかしてやりたかった。


とはいえ、血統マニアの柴山が未だに気づいていないことなど


果たしてあるのだろうか?


あるとすれば、見落としか


盆ミスか。










見落とし?


















「……トウショウボーイじゃダメなんですか?」



芝山が固まった。



「別にミスターシービーだけがトウショウボーイ産駒だけじゃないんでしょう?三代前にトウショウボーイがいる種牡馬はいないんですか?」


「・・・坊っちゃん。もっペン言ってくれるか?」


芝山の顔がこわばる。


「えーと、だから、トウショウボー・・・」



その言葉を聞いた瞬間、芝山は飛び上がり、


「それやゃあぁっ!」


と、奇声に近い声で叫んだ。


不意をつかれた勘助は後ろに転げてしまった。


「な、なんですか?!いきなり。」

その声を聞かず、芝山は


「おる!おるぞぉ!

何で今まで気がつかなかったんだ!」


「な、何がいるんです!?」


「あの馬なら、あの馬なら確か!

トウショウボーイの4×3!あの馬なら・・・!

実績も話題性も問題ねぇ!

能力も地力もマイティさも!


勝負根性も!


今のうちの経済状況、肌馬の種類、願ったりかなったりだぜ!


坊っちゃん!」



正直、転げたときに打った頭がものすごくいたかったが、勘助はそれを全く気にせず、芝山に極度に顔を近づけ、


「そ、そんな馬がいるんですか!?

だ、誰です!教えてください!」

芝山は鼻の穴を広げて、


「それはなぁ、それはなぁ、坊っちゃん!・・・」


芝山の顔がきらめき、


勘助の顔は緊張した。





「コスモバルクや!」









「こ、コスモバルクぅ!?











って、だれ?」




あまりに意外な名前すぎて、勘助の脳は活動をやめ、外部からの情報で整理することを選択した。




その時既に、


勘助と“バルク,の序章が始まっていた。


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