④
ーーーー五年後ーーーー
こぉーん
こぉーん
金属と金属がぶつかる音。
(ふぅ…………)
最後の一本になった釘を打ち込み、山本勘助は息をついた。
「よし、まあこんなもんだろう。」
先日の台風の影響で破れた厩舎の壁に、ベニヤ板を張り付ける仕事を終えた彼は、鉢巻きをほどいて座り込んだ。
(ここも大分古くなったな)
先代の彼の父が、五年前に息子と一緒に増築した厩舎。
所有馬が少なくなった山本牧場にはさほど必要のなくなった部屋であるが、
勘助にとっては数少ない父との共同作業の思いでの品であることに変わりはなかった。
「ふわぁ~あ」
大きなあくびをした勘助は牧草のおおい茂る地面に大の字で寝転んだ。
空は雲ひとつない快晴である。
傍らのラジオが流す軽快な音楽が、
春先の清んだ空気を緩やかに震わせる。
心地よい、四月の風――
ーーーー
山本牧場は敷地は広い。隣の牧場などと比べると、ゆうに倍はあると思われる。
―ただ、肌馬が一頭しかいないのでは、全くもって宝の持ち腐れだろう。
恐らくこの牧場開設以来の名牝であった、北海王冠賞勝ち馬スクイズは、コンスタントに活躍馬を出したものの、歳には逆らえず三年前に繁殖を引退。
もう一頭の繁殖馬も思うような産駒が出せず、しかも放牧地での骨折がもとで葉蹄炎を併発し、去年の春死んでしまった。
(せめてもう一頭でも活躍馬が出ればな………)
思うように行かない現実に改めて歯がゆい思いをした勘助は手元にあった石を空にめがけて投げた。
落ちてきた石を取りつつ、よいしょ、と起き上がった勘助は誰もいない放牧地を見渡し、
肩をすくめ、厩舎へと入っていった。
入ってすぐ見えてくるのはいかにも木造建築といったたたずまいの馬房である。
彼の親父が増築した厩舎は築五年、その他は実家も含め築三十年。
ここは相当に古い建物で、今にも天井が落ちてきそうな、そんな雰囲気を醸し出している。
こんなところに肌馬を入れるのは正直なところ、危険極まりないが、
何せここは貧乏である。
次に大きな出費があれば、たちまちつぶれてしまうであろうことを勘助は知っていた。
(せめてもう一頭でも活躍馬が出るまでは・・・)
全くアテの無い賭けに全財産を投じている今の状況ですら、博打というにふさわしいものである。
いつか親父に言われたか、そんなことでは身を滅ぼすと。
両サイド一頭の馬もいない厩舎を歩きながら、父の言葉を思い出した彼は
「似たようなもんじゃねえか」
と、自分に言い聞かせるように呟き、足元の藁を蹴り飛ばした。
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「よう、坊っちゃん。えらくご機嫌斜めやな!どうしたんや?」
一番向こうの繁殖馬房から人が出てきた。
「あ、芝さん、お疲れ様です」
汗をぬぐった芝山雄一に対して、軽く会釈した勘助は、この牧場一のベテランに笑いかけた。
「なんやニコついたり怒ったり、忙しいやっちゃな、坊っちゃんは」
ガハハと笑う芝さんに苦笑した勘助を見た芝山は、
「ああ、すまんすまん、ちと笑いすぎたな」
と、やはりニコニコしながら汗を拭いた。
芝山雄一。今年60歳を迎える、先々代からのこの牧場での従業員である。血統知識に長け、幾度となく他牧場からスカウトされたものの、
「俺ぁ、ここが気に入ってるから」
と、断り続け、ついに今年定年を迎えた。
とはいえ、本人に退職の意思は全くないのだが。
タオルを首にかけた芝山は、
あっ、そうそう
と話を続けた。
「それよりよお、坊っちゃん、あいつ今日あたりがお産かもわからんで」
「おーっ、今日ですか!」
勘助は、先ほど芝山が出てきた馬房を覗きこんだ。
そこには、お腹を大きくして横たわる
勘助の親父の最高傑作
道営の名牝ラグフェアーの姿があった。
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ラグフェアー号
父マンハッタンカフェ
母スクイズ
母の父ミスターシービー
生涯戦績 28戦 8勝
主な勝ち鞍
道営二冠(北海優駿、北海王冠賞)東京大賞典四着
BゴールドC二着、他
遅いデビューのため北斗杯は棒に振ったが、北海優駿で驚異の末脚を見せつけ優勝。その後も北海王冠賞やA1オープン特別などを勝ち、その年のNAR最優秀三歳牝馬に選ばれるなど、好成績を残した。その後も長い骨折放牧を挟んで復帰初戦のBゴールドC等を好走。7歳の東京大賞典を最後に引退した
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週刊キャロットの地方競馬面にのせられていた切り抜きが風で揺れる。
「何てったって、初年度の相手はあのシンボリクリスエス!活躍間違いなしですよね!」
いつにもなくうきうきした様子の勘助。
無理もない、この牧場が馬を生産するのは二年ぶりの事である。
ラグフェアーがここに帰ってくるまでに、少しでもいい種馬をつけてやろうと勘助は必死に働いた。
放牧地として条件馬を預かり、軽い調教などもして、
少しでも、少しでも多く!
と、まさに貪欲に働いた。
そして、ラグフェアーが東京大賞典で四着に入り、引退し繁殖入りが決まった時に、すぐさまシンボリクリスエスの余生株をラージブリーティングファームから買い取った。
社長はあの古川だった。
(いい子を生んでくれよ・・・)
次第に息が荒くなっていくラグフェアーを見つめて勘助は父親の孝行娘の安産を祈った。
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「シンボリクリスエスは平均してええ仔を出すからなぁ」
芝山はうなずき加減に話した。
「ラグフェアーは瞬発力もあったし、間違いなく子供は大成するやろ!」
ガハハハハ・・・
つれて勘助も笑った。
なんとも楽観主義の二人であるが、それほどの想像図を描いてもお釣りが来るほど、彼らのラグフェアーの初仔への期待は大きかった。
そんな気配を感じたか、ラグフェアーは
ぶひゅひゅひゅん
と、元気ないななきをして見せた。
(親父、こいつに元気な仔を生ませてやってくれよ)
厩舎の入り口に掛けられた、
三年前に他界した父の遺影に向かって、勘助はまた祈った。
その日の山本牧場は、希望に満ち溢れ
活気に満ちていた。