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(何で俺を知ってるんだ


こんな人は俺は知らない


てか名前は?


聞いたのは俺だよな)



だめだ、混乱している。

一度落ち着いて整理しよう。


競馬場

金持ち風

馬主

競争馬

牧場

牧場主

親父

あっ、そうか


「君、大丈夫か?」


まるで、変人でも見たかのような顔で勘助の顔を見つめる男。


「さっきから五分は黙ってるで」


といった男の声は聞かず、


「ひょっとして、親父の知り合いの方ですか?」


と身を乗り出した。


「おぉ、なんやいきなり、ビックリしたぁ」


男は少しあとずさった。


「まあ、いかにも知り合いではあるな。うーん、どう言うてええもんか・。せやせや、親父さんは?」



(自分とりあえず名乗らんかい)


イライラした彼は、


「知りませんね」


と、ぶっきらぼうに返していた。



これじゃ牧場の息子失格かなと思いながらも



本当に親父の居場所は知らん。

と、こころの中で納得した。


―――まあ、このおっさんもアホじゃないから探しにいくだろう


そうしたらこのおっさんともおさらばだ



と、たかをくくっていた勘助は、すぐに過ちに気づいた。


「ふーん、したらここで待つわ」








――――え。




ゑゑゑゑゑゑ?


このおっさんとこのまま二人っきりか!?


胸に押し寄せる後悔と絶望の波。

ただでさえ親父とでも間が持たんのに・・・。



しばし沈黙が続いた。


それが、2、3分だったか、五分だったかはわからない。


その空気に耐えられなくなったか、男は口を開いた。


「あー、そうそう、あんたんとこの親父さんの馬、今日北海優駿出るやろ?どうや、勝てそうなんか?」




「――――」




――――思わず缶を握りつぶしてしまった。



自分のところの生産馬であるにも関わらず、ついさっきまで存在すら知らなかったのである。



ここで何も言えないのはさすがに恥ずかしい。




「えーと・・・」





とりあえずそれらしいことを言っておこう。


知っている単語を精一杯ほじくりだし、考え付いた答えは・・・。




「本命のスルーオフがこけてくれれば可能性はありますよ」



「ほぅ」


男は少し眉をひそめた。


(おっ、ちょっと感心された?)


そこで調子に乗った彼はさらに続けた。



「北斗杯には(確か)ラグフェアーは出てませんでしたね?あれは力のある馬ですから、逆転できますよ」



実際にはどんな馬か、脚質すら知らないのだが、父の最高傑作の馬の力を信じて豪語してやった。


「ほぉ~、なかなか手厳しいなぁ」


男は頭を掻きながら言った。


「しゃーけど、スルーオフも北斗杯勝ちの馬やし、どうやろう?」


「それも大丈夫です」




――――全く根拠のない答えを返した。これでスルーオフが勝ったら大問題である。




「こりゃあ、参った、牧場の息子が言うんやから間違いないわな、ハハハ」




「ハハハ……へ?



あ、いや、その・・・」





しまった、やり過ぎた。


軽い皮肉とも取れるそのセリフを聞いた勘助は、もう後戻りできない怖さを生まれてはじめて感じた。



その後、その男は多少怪訝そうな顔をして、まただまりこんでしまった。



その男が次に口を開くまで相当に時間がかかった。




というより、勘助が男に対して積極性を欠いたのが一番の要因と言える。




とはいえ、自分は競馬を知らない人間。


これ以上競馬の話を持ちかけるのは墓穴を掘ることになるだろう。



そんな風にわかっていたから、彼も何も喋りかけられなかったのだ。



「あんたさんはさぁ」


はっとしたように男が話しかける。



一端の話題でも見つけたらしい。



彼が、はい、と返事をすると、

男は少しうーんと唸り、それから話を続けた。


「親父さんが何であの馬に《ラグフェアー》って名前をつけたか聞いてるか?」





――――知ってるも知らないも、存在じたいを今日知ったんだ。






当然わかるはずもなく、





「いえ、詳しくは・・・」


と返すので精一杯だった。


男は、あー、やっぱりな。と、やはり呻くようにして、


「あれにはな、結構深い意味があんねんで」


とこちらを見た。








急に重たくなった顔を下へ向けた男は、ふー、と息をはいて


「あれはお前さんのお袋の話だがな」




まさか母がこの話に絡んでくるとは思っておらず、少したじろいだ勘助は、しかし、父が滅多に語りたがらない母の話を聞けるチャンスであることに変わりはなく、「お袋が?」と聞き返した。



「そう、あの人はな、もともと東京の人間でな、こっちの大学に来ていたところを同じ大学に行っていた親父さんに見初められてな、で、こっちに嫁いできたわけだ。」



彼は母が東京生まれということすら知らなかった。




(親父め・・・)







………話は続く。





「まあ~それはそれは貧乏でな、活躍馬も出ずに苦しい経営状況だったわな。

ところがバブルがはじけて一番苦しいときに北海王冠賞の勝ち馬が出た。



それがラグフェアーの母親、スクイズだ。







※北海王冠賞………ホッカイドウ競馬限定三歳限定重賞(グレードH1)。


いわゆる道営三冠の最終レース。距離2600メートル




なるほど。そういやそんな名前だったか。



さっき、五番の枠にあった名前を、思い出しながらそんなことを思う。



「お前さんのお袋さん、この馬が大好きでな、いっつも丁寧に世話しとったんや。

ほんでいっつも夜に、自分の子供に聞かせるみたいに《ラグフェアー》っちゅう曲を歌っとったんや。歌手は忘れたけどな。


そんでなぁ、奥さん臨終の時までずっとその歌を歌うてたんや。親父さん、その歌が耳から離れへんかったんやろな、『次ダービー狙える馬ができたら、必ず、あいつの好きやったあの歌の名前をつける』、ってな。

要するに、親父さんは名実ともにあの馬に人生を賭けたんや。


・・・ところであんたほんまにこの話きいたことないの?」






「…………




はい。」



(道理でな。)


この瞬間、全てが繋がった。




―――朝から父が緊張していたこと、

ラグフェアーに並々ならぬ期待を寄せていること、


そして、今日自分をここに連れてきたこと。





そのときの彼は、かすかな父に対する畏敬の念と、


同時に今までその事を話してくれなかったことに対する憤りとで、板挟みになっていた。


「親父は何で俺に話してくれなかったんでしょうか・・・」





本当は兼続自身に直接聞くべきであったろう質問をしてみた。




「さあな。しゃーけど、多分タイミング見計らってたんやろ。

あんなことを話しといて、結局達成できひんかったらな・・・

ほら、あんたんとこの親父、有言不実行っちゅうもんが大嫌いやろ?

そういうことやと思うで。」




「・・・」





―――ひょっとしたら親父は、このレースに勝ったときにこの話をするつもりだったのではなかろうか?





彼は、今日兼続が自分をここに連れてきたのには、様々な想いがあったことを痛感させられた。




「まあ、走るのは馬やからな。ほんまの話、あんじょう走ってくれたらそんでええと思わんか?」





―――あんじょうの意味はよくわからなかったが、おそらく大阪弁で「無事に」という意味なんだろう。




「そうですね・・・」




いろんな想いが錯綜した頭中に唯一浮かんできた言葉がこれだった。








『さあ、第11レースは北海優駿(H1)、栄えある13頭の本場馬入場です!』


場内アナウンスの軽快な声が響いた。


「おっ、そろそろ発走か、あんたの親っさんも帰ってきたみたいやで」


「あ、ホントだ。」


確かに兼続がこちらへ歩いてくるのが見えた。




――――そういえば、俺はまだこの人が何者か知らなかった。

今度こそちゃんと聞こう。



そう思った彼は、今度こそ意を決して聞いてみることにした。




「あの、失礼ですがお名前―」





………そんな彼の声は兼続のそれに掻き消された。




「おーっ!古川じゃねえか!」




「よう、山本、お前も変わらんなぁ」




(あ、古川って名前なんだ。)


二人は笑いながら抱き合っている。




(てかこの二人、知り合いなんてもんじゃねえな)




この掛け合い、古川さんが話してくれた内容、友達という言葉では軽すぎる、長い関係なのだろうとそう感じた。


「最近こっちに顔を見せなかったな、いったいどこへ行ってたんだ?」


「ああ、ちょいとバルクの様子を見にな。」


「ほう、するとアイルランドか、金持ちはいいねぇ!」


いつもはあんなに暗い兼続が、見たこともないくらい能弁である。

ちょっと羨ましく、妬ましい。





「ああ、そうだ勘助、ちょっとこっちに来い」





「……………。」




―――ずいぶん前から隣にいるんだが。


そう思いながらも背筋を伸ばし、ピシッとする。


「しょうかいするぞ、こちらはラージブリーティングファームの会長で、国家コーラ株式会社代表なんたら役の・・・」


「古川や。改めてよろしゅう。」


古川は勘助に対して手をつき出した。



(・・・)



伸ばしたはずの背中が丸くなるのを感じた勘助は、

何も考えられないままに手を握り返し、「よろしくお願いします」と小さな声で応える。







―――えーと、これは、いやこの人は一体・・・






(どうしよう・・・)


どうしようもないのである。


彼はもう全く動けなかった。

指一本すら動かなかった。


「あはは、こいつ固くなってる。お前でも緊張するんだな!」


無論、緊張ではない。


(もういい、親父。)





―――頼むから何もしゃべらないでくれ。そっとしておいてくれ。頼むから。





「あの~、勘助君やったか?」




聞かれて咄嗟にピシッとしてしまう。情けない限りではある。




「は、はぃぃぃ・・・」


「うん、あのな、挨拶してくれんのは嬉しいねんけどな、もう手ははなしてもエエんちゃうか?」


苦笑いしながら古川がいう。



(はっ!)





気づけば、握手しっぱなしであった。




「す、すいません!」




投げるように握った手を離し、親父の横に並ぶ。




(穴があったら入りたい・・・)


というのが本音であった。








「まあまあ、緊張せんと。さっきみたいな感じで話してくれたらええ。」


朗らかに笑いながら古川は言う。


「め、滅相もない・・・」


思わず口にした言葉がそれだった。


それを聞いた兼続は、息子のおどおど姿に大爆笑。




(くそ……親父めぇぇ………)



この時は心底腹が立った。


「まあ、挨拶はこの辺にしよや。そろそろレースやろ。」


「ん・・・そうか。」



古川と兼続の顔つきは、次の一瞬に豹変した。



両者とも、緊張感に溢れた顔になり、拳は握りしめられている。


「勝てるかね?」


古川を横目で見て兼続が言う。


「さあな、しゃーけど俺の馬も出てるんや。

応援はでけへんで。」


フン、と鼻を鳴らした古川は、どっかりと椅子に腰を下ろした。


(親父の想いか・・・)



競馬は好きじゃない。けれど、今日だけはラグフェアーという馬を応援したい。




父の母への想いが込められた馬。




母と自分とのつながりを持った馬。




親父の夢をのせた馬。






『道営競馬の祭典北海優駿ダート2000のファンファーレ!』


乾いた砂の上にきれいな音色が鳴り響いた。


それにつれて、心臓の音も早くなっていく。


『さあ、各馬着々とゲートイン進んでおります。』


ラグフェアーがゲートに入った。


「頼むで、スルーオフ!」


古川にとっても大事な所有馬のレース。


『さあ、最後に13番、タクティカルエイジが入り体制完了!』




全馬がゲートに収まった!




『スタートしました!』





そして、スタンドが大きく湧いた。






――――――




『ややばらついたスタートとなりました。好スタートを切ったのはスルーオフです。先頭は絶対譲らない、そういったところでしょうか』


よし!と吠えた古川の声は聞かず、勘助は必死にラグフェアーを探していた。






―――どこにいるんだ?


五番、五番は―――



『さあ、軽快に逃げます北斗杯勝ち馬スルーオフ、そのリード二馬身、三馬身と開いていきます、二番手の位置にはワイケイオオバ、さらにタカハシヨシノブと続きます。』



「大丈夫だ、大丈夫だ。」


兼続は自分に言い聞かすように手を組んで、どこのだれとも知らない神様に、祈っている風だった。


(親父・・・)


突如、客席が湧いた。


『さあ、ホームストレッチです。しんがりから二番手の位置にビバリーヒルズ、最後方からはラグフェアーと続きます。』


(しんがりか・・・)


目の前を馬の群れが横切る。

このスタンドにいる人全てが、大小あれど、想いを持って応援している。

この俺でさえも。


『さあ、道営の逃亡者スルーオフ、リードを五馬身ほど取って三回目のコーナへと向かいます。』


残り千のハロン棒を通過しても、ラグフェアーとスルーオフとの差は15馬身はある。これで届くのか?

一抹の不安をぬぐい去りたいが如く、ラグフェアー!と叫んだ。


『さあ、徐々に後続が差を詰めてきた、先頭は逃げるスルーオフ、その差三馬身ほどか、残り六百!

ここで手が動いたのは―』




『ラグフェアーだ!七番人気ラグフェアーが進出を開始!ビバリーヒルズを交わして三番手集団に加わる勢い!』


来た―


「親父っ!」


もう親父の目にはラグフェアーしか写っていない。

しきりに何かを叫んでいるが、もはやそれは言葉ではなかった。


『さあ残り四百を通過して、先頭はまだスルーオフ!』


古川はいつの間にか立ち上がっていた。


『二番手ワイケイオオバ、それを交わして上がってきたのは』


「ラグフェアー!」


勘助は力一杯叫んだ!




お袋のため、おやじのため、頼む!


このレースに勝たなければ、全てが無に帰してしまう。


スタンドは声にならない声であふれている。







『さあ、直線に入り残りニ百!

これはもうスルーオフとラグフェアーの一騎討ち!粘るスルーオフ、追うラグフェアー!』




………それはまるでスローモーションのようだった。




一完歩、一完歩、ラグフェアーが差を詰める。



意地で粘るスルーオフ。



しかしそれを凌ぐ勢いで外から併せにかかるラグフェアー。



それらはゴール前、一進一退の攻防を繰り広げ、一体どちらが勝つのかわからない状況を競馬ファンに見せつけた。




しかし、兼続の《家族》への想いを乗せたラグフェアーは


必死に食い下がり


粘るスルーオフを


ちょうど彼の目の前で


わずかに交わして―










『ラグフェアーが一着で今ゴールイン!クラキンコ以来の、牝馬のダービー制覇です!』


その瞬間、目の前に紙吹雪が起こった。




ちぎれた馬券の、祝福の雪。



(やった・・・)


ラグフェアーが、


(勝った・・・)


十数年に及ぶ親父の想いがついに―



「親父ぃっ!」





勘助はその時、歓喜し、笑っていた。




しかし、その時、親父は





号泣していた。


その小さな目から、大粒の涙を流し、顔を手に埋めて、人目も気にせず


大声で泣いていた。


(お、親父・・・)



















――――俺は、やはり心のどこかで軽く見ていたのか。

親父のこの馬にかけた情熱をわかったつもりでいたのか。

お袋への想いを知らずにいただけなのか。

このレースの意味を理解していなかったのか。












その涙は、勘助に、彼の心に小さな革命を起こし―




「え」


彼自身も泣いていた。


涙がスッと頬を伝った。


予想だにもしなかった。


こんな気持ちになるとは


思ってもみなかった。


喜びや感動といった


規定の概念で表すことができない


未だに何者かもしれない


その感情は、


涙となって、


頬を伝って落ち、


門別の地に深く刻まれた。







「おめでとさん」





古川だった。





兼続はなにも言わずに、泣いたまま抱きつき、そして泣き続けた。




「おまえも、ようやく重圧から解放されたんやな」






そういった古川の言葉には、温もりが溢れていた。




自分の馬が負けて悔しいだろう。




だが彼は―――兼続という盟友のためにそれは忘れてはげましているのである。




(親友、か・・・)





暖かい。


心のなかが満たされていく感覚。


競馬とは、こうまで人を熱くするのか。







(俺は―)




月が輝く砂の上に、帰還したラグフェアーが駆けていた。


スタンドからはフェアーコール。


ナイター設備がその馬体を照らした


親父のお袋への想いは


結実した。










このとき勘助は









このとき得た自分の感動をそのままに、









親父の牧場を継ぐことを











固く、決意した。




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