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「―――では、次のニュースです。



今年も、日本ダービーが東京競馬場で開催されました。


三年前に生まれた八千余頭の頂点に立った馬は一体どの馬だったのでしょうか!

では、レースシーンをご覧ください!」




ニュースキャスターが熱を込め、そのレースの名を告げる、


ブラウン管の向こう側。


熱戦の舞台は東京競馬場。


『先頭、ダイナナテンリュウ、ダイナナテンリュウ、

二番手外からテイエムタカノハナ、テイエムタカノハナが巨体を揺らして先頭か、二番手内食い下がるダイナナテンリュウ、しかしこの手応えは一杯か!』




傍目に見て、筋肉の塊とも言える、『それ』が18頭、蒼く繁った芝生の上を駆け抜ける様を、彼は見ていた。




………人間も、『それ』も、無垢に、ただ一心に、



その芝生の先にある、青い馬蹄型の板を目指して駆け抜けていく。



そこを一番に通過する以外、


他に求めるものはないのだと叫ぶがごとく、


その腕を、その脚を、その頭を風にして突き抜けて行く――――









しかし、その無垢さがゆえに、



それをテレビの前で見守る『彼』は、




彼らがそうにまで必死になるそのさまを、


『くだらない』


と感じていた。







―――馬を育てることになんの楽しみがあるか。



馬糞にまみれ、貧困にあえぎ、



手に入れるものがこれか。



こんなことにしか楽しみがないなら、


俺はやはりここを継がない。






と、そんなことを。







『先頭、テイエムタカノハナ!テイエムタカノハナが押しきるか、


しかし、外からベージュだ!


外からなんとベージュ!ベージュが二番手から前を捉える勢い!


残り百!


ベージュがさらに加速するーっ!止まらない!


あのハイペースのなか!どこにそんな力が残っていたのか!


夢か現実か悪夢か!


我々の視界を赤く染あげる!




ベージュ今一着ゴールイン!』



6月、上旬のある日。



北海道という広大な土地の、これはまたある一点。



山本牧場の牧場主、兼継のひとり息子


――山本勘助はテーブルに座り


無為にテレビを見ていた。

興味のない競馬。半ば彼の父に強制的に見せられた、それを。





「おら、勘助、出掛けるぞ」


映像も途中だというのに、

勘助の父―――兼続は


その低く響き渡るような声で、玄関から彼を呼んだ。


とても胃に疾患を持った、病人であるとは思えないほどの大きな声で。


「あ、了解」



特に興味もない『それ』を捨て措いた勘助は、




席を立つ前にテレビを消し、


その足で玄関へと向かった


彼がその歩みを進める度、


古びた廊下がいつも通りに軋む。



築50年以上―――改築の必要性があると何度も彼が父兼続に進言してきた廊下。



悲鳴のようにも聞こえるその音を耳にし、今日もため息をつく。






………そうこう歩くと、靴の散乱した下駄箱が見えてくる。


えーと、スニーカーはどこだ、確か三段めの右端の・・・


「靴ならそこに俺が出しといた」


軽トラの窓から兼続は顔を出し、そう言った。



「ああ………ここか。」




戸を開けると、確かに靴が二足綺麗に並べられていて。




「お前も高校生になったんだから、靴の場所ぐらい把握しとかんとな」


兼続はサイドブレーキをかけながら言う。まるで、自分は何もかもができているかのように。





―――何を偉そうに。



そう、勘助は悪態をつく。



「そこに散らかってるのは全部親父の長靴だろがい。親父がしっかり直してくれ」


「・・・」


図星だったのか、兼続ははなにも言わずにエンジンをかけ、勘助を手で手席に招く。




「…………ったく。」




スニーカーを履き終わった勘助は、呼ばれるがまま、厩舎兼自宅を後にして、車へと向かった。


―北海道は静内。


山本兼続、勘助親子はここで家族経営の小さな牧場《山本牧場》を経営している。



現在のところ、敷地面積は広いが馬が少ない、いわゆる過疎牧場、貧乏牧場である。




かつては道営を中心に地方重賞馬を出すなど、


そこそこの規模と実績を誇る中堅牧場だったが、バブル崩壊で思ったように幼駒が売れず経営状態が悪化、



15いた肌馬は現在二頭、従業員も親父と俺を含めた四人だけとなった、小さな小さなもの。








勘助の母は、彼が生まれて3年ほど他界し、


そのあと兼続が男手一つで彼を育て上げた。



不景気から来る経済状況の悪化で、家計が苦しかったにも関わらず、兼続は彼を中学受験させ、いずれは牧場の跡取りへと、



経済学の高校へと遣った。


しかし、頭の勘助には牧場で働く気など微塵もなく、



彼は、高校を出たら一人暮らしをするつもりでいたのだった。



馬と暮らすのはもうごめんだ、早く解放されたい。


それが彼のの唯一の願いでもあった。



牧場を出発した車は、空を染め上げる朝焼けのなかを疾走する。


山本牧場沿いに延びるこの道に沿った一帯は全て牧場で、


あっちを見れば牧場、こっちを見れば馬、延々と放牧地で、緑色の風景が続いている。




相変わらずというか、兼続はFMラジオをききながら黙々と運転を続ける。





「………」



言うまでもなく、というべきか、


兼続は無口である。



「………」



―――ダメだ、この空気に耐えられない。



――いつものことであるのに、今日は何故かそんなことを思った。




「・・・あのさぁ、親父」


「なんだ?」



相変わらず兼続は前を見据えたまま。



「いや、どっか連れてってくれるのは嬉しいんだけどさ、せめて行き先くらい教えてくんない?」



「競馬場だと言ったはずだ」



ぶっきらぼうに兼続。




「だからさ、何処の競馬場だよ?ばんえい?札幌?旭川?まさか函館とか・・・」


「いいから黙ってついてこい。ついでに旭川はもうやってない」



少し怒ったように兼続が言う。


彼は旭川が大好きだった。



「・・・まあ、いいけどさ」


迫力に蹴落とされ、何も言えなくなった勘助は、弱々しくそう答えを返す。




――――親父との旅はいつもこんな感じだ。




そう勘助は思う。

とはいえ、兼続と出掛けること自体が三年ぶりではあるのだが。




会話は三分と持たない。お互いに目を会わそうとしない。


そんな風だから彼は、兼続との旅にはあまりいい思い出がない。





「そういや馬の世話は?」





そんなことを、ふと勘助は疑問に思った。



今朝は飼い葉をつけただけでなにもしなかったことを思い出したから。






「芝ちゃんに任せてきた。」



兼続は、サイドミラーを覗きつつ、そう言った。



後ろからは、馬運車とおぼしきトラックが。






芝ちゃんとは、山本牧場の従業員で本名は芝山雄一。


勘助と兼続含め3人しかいない山本牧場の、唯一の従業員で、


二代前の場長の頃から働く、牧場の生き字引みたいな人である。


………大阪弁の変わり種である。





「ふーん」





兼続が芝山に仕事を任せることには何も不思議はない。


だから、彼も納得のこの相槌。






………窓の外は次第に明るくなっていく。



ガタガタと心地よく揺れる車、優しい太陽の光、少し肌寒いくらいの空気。






次第、勘助は目蓋が重くなるのを感じ、


知らず知らずのうち意識を深く沈めていった。





・・・




ガコンっ!




ガチャ




ピーッ、ピーッ





―――あぁ、着いたのか。



まだ重たいまぶたを擦りながら、伸びをした勘助。





―――何時間くらい寝てたんだろうか。


親父と会話した辺りから記憶がない。


太陽は上りきってるし・・・


腹も減った。





窓の外からは若干厳しいと思える日射し。



登りきった太陽が、もう昼下がりであるということを示し。







「おいこら、起きんか。早く降りろ」





ガラス窓の向こうから野太い声で、勘助は完全に体を起こした。




それが兼続の声であると解るまでに時間は掛からない。




「・・・了解」





少し不機嫌そうな声を返した勘助はドアを開けて外に出る。




(眩しい・・・)




ギラつく太陽にその目を細めた。



初夏、ということもあって、その日射しは優しくはない。



その膨大なまでの日光は、突き刺さるようにその目に押し寄せ。



光に目が順応するまでには、すこし時間がかかった。



まわりの景色に色が戻りはじめると、



彼は、辺りを見渡し、現在地の特定を急ぐ。





――自分のところの車が止まっている時点で、ここは駐車場。




………そしておそらく、父――兼続の目的の場所というのは、



この視線の先にある、あの大きな建物――――


―――門別競馬場。




北海道道営競馬(ホッカイドウ競馬)の持つ、ダート(砂)コースのみの、


いわゆる地方競馬。


過去に、クラキンコやコスモバルク、




クラーベセクレタといった名馬を送り出した、地方競馬の要の一つである








(門別だったのか。)




―――何故かは知らないが、とても懐かしい感じのする競馬場。



不思議に、彼はそんな念を抱く。






「親父ー、俺ってさ、ここに来たことあったっけか?」




「・・・」




・・・兼続に反応はない。



柄にもなく、手を震わせたりもしていて。




「親父?」


再び問うたが返事はない。


「親父!」




三度目にして、ようやく、


はっとしたように兼続は勘助の方を向いた。





「ん、ああ、悪い。で、何だ?」




「・・・」




勘助は今日の兼続を見ていて、明らかな様子の変化を感じていた。



朝飯の時も、普段なら絶対に見ないAKBのニュースなんかを凝視し、


「お前は誰が好きなんだ?」


などと訊いてきたり、


昨日などは


「ちょっとトイレ。」


と言って出掛けたっきり二時間は帰ってこなかった。


焦ってテンパった芝ちゃんが捜索願いを出そう、などと言い出したくらいであった。


(・・・)





――いったい何がそんなに気がかりなのか。








遅々として、兼続は一向に歩き出そうとしない。




―――目的地がわかっているのに、暑い中こんなところで立ち止まらなくても…




そう思った勘助はは競馬場への入り口へと足を進めた。




「おい、どこにいくんだ…?」




先ほどの強い口調とはうってかわって、蚊の鳴くような声で兼続が彼を呼ぶ。




「何処って、競馬場に来たんだろ?」




………当然至極のことである。




「おおぅ、そうかそうか。



そうだったそうだった。」






「…………。



…………なぁ、親父。やっぱり今日の親父はなんかおかしいぞ?


いったい今日ここで何があるんだ?」






兼続が競馬場に行くのは別に珍しいことではないのだが、


こんな様子を見せるのは本当に珍しい………



そう思った勘助が、兼続にそう訪ねると彼は、


じっ、と勘助を見つめたあと、ため息をひとつついてから




「・・・ラグフェアー」








とだけ、答えた。






「なんだ?それ?」





ハァ?とばかりに勘助。


すると、うむと唸った兼続は、タバコに火をつけながら、こう話し出した。






「競馬界はお前が思うより遥かに厳しい。




ここ五年、うちの生産馬で勝ち上がることができ、


賞金をくわえて帰って来れたのは、うちの繁殖牝馬のスクイズの子………


『ラグフェアー』だけだ。




『これ以上勝てない馬を作り続けても仕方がない、最後の賭けだ』


と思って、


うちで唯一期待の持てる繁殖牝馬、スクイズに、



中堅種牡馬のマンハッタンカフェをかけてみたんだが。」



言うまでもなく、山本牧場は貧乏である。



馬が勝たない、売れない、賞金が入らないの負のスパイラル。



そんなだから、種付け料300万といえど、当時の山本牧場にすれば大博打だったといえる。








「で?そのラグフェアーがどうしたって?」


「…」





兼続はなにも言わずに勘助に新聞を突き出した。





(……?)









表紙には《北海優駿H1》と書かれていた。









《北海優駿H1


本社の本命は六番スルーオフ。


前走北斗杯は圧巻の走り、それに続くのが二番ワイケイオオバ・・・》





その新聞は勘助の知らない単語ばかりをズラリと並べ、そのレースの展望を延々と語っていた。




「……はぁ。」




もともとそれほど競馬に関心がない彼だから、そんなものを読んでもイマイチ面白さを持てない。




(さて、一通り読んだかな)




で、これがなにか?と思いながら、彼は新聞を兼続に新聞を返そうとしたが、





最終面に見たような単語を見つけて、その手を止めた。











《・・・大川慶太郎の穴馬発見!




第10レース北海優駿、五番ラグフェアー(牝)。


父マーベラスサンデー、母スクイズという血統。


母スクイズは北海王冠賞の勝ち馬。長い距離の門別ダートが合いそうだ。》



――――――



「お、親父!これひょっとして・・・」





勘助ははっとした。



北海優駿H1。



ホッカイドウ競馬の全レースの中でも、有数の格を保つレース。



ダービー、と言えば、ピンと来る人も多いだろう。


………とはいえ、中央競馬の行う日本ダービーのそれとは違い、賞金も安く、馬の質もそれなりではあるのだが。





しかし、それを制することは、


紛れもなく兼続の悲願。





「ん、ああ、そうだ。

今日はラグフェアーの出走する北海優駿・・・




俺の長年の夢だ。」





兼続の目がさっきとは違う。気合いが違う。まるで、獲物を狙う獅子のような顔つき。


勘助は生まれてこのかた兼続のこんな目を見たことがなかった。





「さて、と。行くぞ」





兼続はさっさと歩き出す。


我が子の晴れ舞台に遅れるなとばかりに。





「りょ、了解・・・」



勘助は急ぎそれに続き、




今までで一番たくましく見えた兼続の背中を追って、


とてつもなく大きな何かが待っていそうな、門別の門をくぐった。


日もくれて門別のナイター設備に灯が点る。




やはり北海優駿ともなると、それなりに人は多い。


客というのは大概50過ぎのおっさん、おばさんで、


「やっぱり無敗のスルーオフかねぇ?」


「それから買っても三百円もつかないよ」



などと、地べたに新聞を敷いて、即席座談会とばかりに話し込むのである。





――――ひょっとすると、俺が来たことがあると感じたのは、酒呑みのおっさんらの雰囲気を感じ取ったからだろうか。





地べたに置かれたビールの紙コップ、くしゃくしゃに丸められた馬券や新聞の類いを見ながら、勘助はそんなことを思う。





そうこうしていると………

馬券売り場の方からこちらに、兼続が歩み寄ってきた。



手には、馬券購入用のマークシートを20枚ほど。




「勘助、お前は何番を買うんだ?」


缶ジュースを渡しざま、兼続は新聞を彼に渡した






―――おいおい、俺は未成年だぞ……



そんなもんを、俺が買うわけ――





「・・・五番」






やっぱり欲には逆らえん。




新聞を見たところ、五番のラグフェアーは単勝27倍の七番人気。百円買うだけで2700円、と思うとやはり、手は出てしまうものである。


「やっぱりお前は俺の子だな」


ラグフェアーを買ってくれたのが嬉しかったのか、それとも酒が入って気分がいいのか、兼続はそう笑顔で言う。






「倍率がいいからな」






何故か素直に応援することができない―――勘助は、そんな自分を少し嘲笑した。




「あのなぁ、そんな買い方したらいつかは身を滅ぼすぞ」


まるで経験者、といわんばかりに兼続が細い目をして勘助を見つめた。



―――なんか、気色悪いな。



「じゃあ親父はなにを買うんだ?




そう聞かれて、


ちょっと困った顔をした兼続は



「・・・ラグフェアーから総流し」


と答えた。


とっさに勘助が、


「それ親父の方が博打だろ」


と半ば笑いながら返すと、


兼続は


「うるさいな、ほっといてくれ」


とだけ言い残し、怪訝そうにどこかへ消えていった。


「なんだよ、あれ」






………言ったものの、そのぶっきらぼうさは、


いつもの兼続である。





―――勘助の母が在命の時の兼続は、なんにでも笑う朗らかな人だった。


………勘助は、厩務員の芝山からそんな話を聞いたことがある。



少しでも面白いと思えば、素直に笑い、楽しむ人であった―――と。




ところが勘助の母が死んだとき、兼続は幼駒の看病で臨終に立ち会えず、


「俺の仕事があいつを殺した」



そう自分を責め立てたのだそうだ。



それ以来、兼続は無口になり、もくもくと仕事をこなし、ただひたすら妻の死に報いることのできるような競争馬を作ることに没頭していった。





――――正義感。







思ったことに違和感を持ちながらも納得した風に、勘助は缶ジュースを飲み干した。


「ふぅ」



「それうまいけ?」


知らない声が彼を呼ぶ。


振り返ると、60は過ぎたか、がっしりした体つきのネクタイ姿の男が立っていた。


(誰?)


そう思いながらもとりあえず


「不味くないですよ」


と返しておく。


するとその男は、


「そうけ・・・。若いのには受けへんけ」


と、残念そうに空き缶を眺めた。



(なんじゃこいつ?)


初対面で缶ジュースの良し悪しを聞いてくるなんて・・・。

訳がわからない。


しかし男は、


「もうちょっと甘い方が・・・」


と、まだぶつくさいっている。


(変なやつに絡まれたな)


そうは感じたが、

「ではこれで・・・」

などと言って立ち去るのもどうかと思った彼は、



「あのう、失礼ですがあなたは・。」


と、聞いてみた。


するとその男は、


「あんた、あれやろ、兼継んとこの一人息子やろ?」


意外な返しに、勘助は困惑した。


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