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作者現在23歳。書き初めが16歳なので、およそ七年近く書き続けてます。


初めて書いた小説なので、最初の方は目を覆いたくなるほど稚拙ですが、徐々にマシになっていくので許してください。要するに七年前の文章からになるので……(笑)


競馬知識もほぼ無いところから書き始めました。そのうち修正版書きます。これはバックアップのついでに投稿するものなのでほぼ修正かかっていません。


もともとエブリスタで書いていたものです。現在も連載中ですが、あちらで書いていたものをそのまま移植している都合上唐突にクロスオーバーとかやってますが、だいたい本筋に関係ないのでちょっと目をつぶっていただければ。


自らの知識の拙さを恥じて、現在作者は牧場勤務三年目です。それでもまだまだ専門知識には乏しいです。自覚はあります。優しくつっこんでやってください。


ではよろしくお願いします。



―――地上で最も美しい生き物サラブレッドが、


日本で生産されるようになったのは




競馬の祖国イギリスに遅れをとること約三百年のことである。






軍場の育成の名の元に日本の組織的な競馬協会は発足し、



以後、イギリス、フランスといった競馬先進国に範を取り、日本の近代競馬は始まった。




この物語の主人公は、あるいは


世界に遅れをとっていた、




日本競馬という事になるかもしれない。










日本競馬は、同じ時代のクラシック世代に、三頭の馬を生み出した。




その後、TTGと呼ばれるに至る彼らのデッドヒートは、その後の競馬史に名を連ねる全ての『三強』という言葉の祖になっていった。


テンポイント、

トウショウボーイ、

そしてグリーングラス。



彼らの活躍は、見るもの全てを熱くした。


ある者は


トウショウボーイの圧倒的な力に熱狂し、



ある者は


テンポイントの壮絶な最期に涙し、



またある者は、


見事にその世代の幕引きを、自らの有馬記念の勝利という最高の形で結んだグリーングラスに


称賛の声を浴びせた。





この三頭達の活躍こそが、あらゆる意味での日本競馬を作り上げた、と作者は思うのだ。




そして、その内の一頭、トウショウボーイの血は


脈々と受け継がれていく。


次の世代へ、次の世代へと。







イセノトウショウ、という馬がいた。


競走馬としてたいした成績を残せなかった彼女は、



彼女自身の子供にその夢を託した。




父、ザグレブ


母、イセノトウショウ


母父トウショウボーイ





後にコスモバルクと名付けられる彼は、



彼の祖父のライバル、テンポイントが志し半ばで達成できなかった海外G1制覇という夢を


シンガポールで成すにいたる快挙を遂げた。




ちょうど、ちょうどその頃だろうか。



日本競馬が本気で『世界』を狙いに行くようになったのは…………。



フジヤマケンザン。


タイキシャトル。


シーキングザパール。


ステイゴールド。


デルタブルース。


エルコンドルパサー。


シーザリオ。


エイシンプレストン。


ハーツクライ。


ヴィクトワールピサ。




海外をめざした勇者たち。




彼らは確実に、日本という島国に『世界』を手繰り寄せた。






やはり競馬で劣等国に位置して来た日本は、



『世界』を目指すもの達に対して


惜しみない歓声を送る。




2006年、ディープインパクトは、三冠制覇という輝かしい戦績を引き下げて


凱旋門賞へと向かった。



結果は三着。




2012年。同じく三冠馬のオルフェーヴルがそれを目指す。



最期の直線、誰もが手に入れたと思った『世界一』。



しかし、今度もまた二着。




それは改めて、日本人に競馬の難しさを示したのだ。




日増しに高まっていく


『世界』を取りたい



という気持ち。




日本の競馬ファンたちは、



救世主(メシア)の登場を期待した。








その『暴君』や『英雄』の血を継ぐものに対して。













そんな中、一時は『道営のエース』とまくしたてられた彼が



アイルランドから帰国する。


《G1訪ねて三千里》とはよくいったものである。


道営小さな競馬場、旭川でデビューし、

道営所属のままクラシック競争すべてに出走し、


その後も果敢にG1に挑み続け、五歳の夏には海を渡り、


有馬記念には六年連続での出走。


その後もアイルランドで現役続行を目指したが


2011年二度めの骨折で完全引退。



門別競馬場で引退式が行われた。




コスモバルク。






最後はもう誰も種牡馬としての価値を認めなかったこの馬から、


世界を目指す馬が出るとは


いったい誰が想像しただろうか。






この物語は、そのコスモバルクの子にして


その年のクラシック『三強』の一角である競走馬リターンオブバルクと



それを支えた


山本牧場の牧場主、山本勘助や



その周辺の人間関係を描いた物語である。











昇っていく坂の上のゴール板に



もし、一つの希望があるとすれば、




ただそれだけを見つめて、



英雄達はその坂を駆け昇っていくだろう…………。


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