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生存者?名

作者: 漁火

 本日誠に盛大な豪雨なり。

「もー、なんでこんなに降ってるのよっ! 」

 小さな車の助手席に座る女性は、少し身を震わせながらも自然に対して文句を垂らす。

「まぁまぁ潤ちゃん落ち着いて、明日には晴れるって言ってたしさ」

 運転席に座る男性は、誰に見せるわけでもない笑顔を常に保ちながら、潤と呼ばれた女性を優しくたしなめる。

「で、後どれくらいで着くんだ? 洋一」

 狭い車を更に狭くするかのような、ガッシリとした体形の男が、文句を洋一と呼ばれた男性に投げる。

「田舎の一本道、豪雨、山道特有の急なカーブ、計算できないなこれじゃ」

「皮肉っぽいこというなよ、こっちまで暗くなるだろ勇気」

「こーら、皮肉っぽいて私に言ってるの? それと、武ちゃんはそういうの止めてって言ってるでしょ、皆仲良く」

 自分の言った言葉の意味する所をわからずに、自分の言った皮肉の指す方向性を必死で探す。

 勇気は窓の外を、雨で一寸先も見えない景色をただただ眺めており、その二人を見て潤は、肩を落とす。

 そんな三人のいつものやり取りを見て、洋一の笑顔は、いつにも増して輝いて見えた。その笑顔を見る潤もまた、少しだけ表情が明るくなっている。

「あれ、こんなとこ道あったっけ? 」

 運転席の後、武詩は外を眺め、永遠と続くはずの木々の合間に道を見つける。が、大して喜ばしい会話でもないため、誰もその会話に乗ってこない。本人も、それに対してはコメントを控えている。

 武詩が横道を見つけてから少しのことだった。ボーっとしている三人には唐突な出来事、急ブレーキがかけられた。三人は一斉に運転席の洋一に目を向ける。当の洋一は、困ったように外を見ている。

「こりゃまいった。土砂崩れだ」

 ハプニングでも楽しんでいるように、洋一は笑顔を保つが、潤と武詩は、誰に向けるでもない無気力な怒りに満ちていた。

 何故四人がここに来たかというと、潤が計画した旅行が元で、初日が豪雨に見舞われたものの、二日目以降は晴天なため、無理を押し切って今に至るのである。が、彼女に非があるなどと言う者はいなかった。

「そうだ、さっきの横道は? 」

 武詩が偶然見つけた横道を思い出す勇気だが、それは客観的に見た意見であり、運転手は恐怖を隠しきれない。困惑の表情を浮かべ、それでも笑顔を絶やさずに洋一は言葉を並べる。

「誰か、外で誘導してくれるなら……」

 その言葉に意味は無く、いなくても、どうにか頑張れば行けるだろうと算段した上の言葉だったが、やや知識に欠ける武詩はそれを真に受けてしまう。

 性格故か、誘導係は決まっていた。

「じゃぁ、勇気お願いな」

「ちょっと、言い出しっぺが行くんでしょ、こういう場合」

「言い出しっぺは洋一だろ」

「洋一君以外運転できないじゃない、だから武ちゃん」

「いいよ潤ちゃん、僕が行ってくるよ」

 武詩とは対照的な小柄な体からは、健康だとか、丈夫だとか、そんな言葉は浮んでこない勇気から、諦めにも聞こえる承諾が聞こえた。

 レインコートを着ている際も、潤は大丈夫だとか、無理しないでねだとか、心配そうな声を上げる。

「行ってきます」

 か細い声で勇気は車のドアを開け、車の後ろに向かい、トランクを力強く叩く。

 雨音が激しい中、車に衝撃を与えることで、中との連絡は充分に通じ合った。

 少しすると横道の入り口が見えてきて、そこに入れる位置まで誘導すると、勇気は車内に戻ってくる。

 上半身はレインコートに守られていたが、下半身が半分以上濡れている。靴は目に見えないが、中は悲惨な状況なのだろうと、誰しもが人生を振り返り、学生時代の懐かしい光景を思い出す。

「お疲れ様、ありがと」

 洋一は感謝を伝える。潤もそれに倣って感謝を伝えるものの、名指しした武詩は何も言葉を発さない。

 いつものことなので、別段気にすることも無く、車は横道をひた走る。

 やはり一本道、先ほどと違うことといえば、左側も風景が森になっただけだった。

 時間の経過する速さがわからず、どれくらい経ったか、洋一はまたしても急ブレーキをかける。同じように、三人はまた洋一の顔を覗き込む。

「いつからかな、道無いよね? 」

 ライトで照らされた少し先には、確かにコンクリートの色ではなく、土っぽい色であることに間違いないが、わからなくなるほど自然な変わり目などあるのだろうかと、変な疑問ばかり浮んでくる。つまり、全員が不安で心配でたまらないのだ。

「行けるとこまで行きましょ、道があったんだから、何かあるのよ、きっと」

 仕切りやの潤の言葉には、少しだけ利にかなった部分もあるため、四人は顔を見合わせてその意見に賛同し、再び車は進み始める。

 が、突き当たりはすぐそこに待ち構えていた。携帯電話会社の電波塔だった。

「ハズレだね」

 洋一は冷静に判断するが、潤と武詩はまたしても、方向性のない怒りを溜めていた。

「ねぇ、あれ、あれ何かな? 」

 電波塔を真正面に見ながらも、助手席側のライトの当たるギリギリの位置にそれはあった。

「山小屋、だね」

 洋一は少し興味を示し、少し開けたその場所で車を山小屋の方向に向け、扉の前で車を横付けし、洋一は一人、山小屋の戸を叩く。

 雨音で車内には全く音が聞こえない。

 しかし、洋一は一人で小屋の中に入っていく。少しして、中から戻ってきた洋一は車に戻ると、やはり笑顔で説明した。

「誰もいない、結構広いし、今日はここで休もうよ」

「だな」

 思案する間も与えずに、武詩は小屋に入っていく。諦めたように勇気も行動を開始する。

 すると、最後に残った潤だけが不思議そうに外の洋一に問い掛ける。

「ねぇ、この荷物はいいの? 」

「あぁそれ俺の、工具とか色々、いつも乗せてるやつ」

 助手席の足もとの、少し開けた所に、非常用の荷物がつめられていた。

 潤も興味があったわけでもないので、そのまま運転席に移動し、濡れないように山小屋へと非難する。

 中に入ると薄暗く、それでも月の光が雨を捉えて妙に綺麗だった。雷はまだ聞こえていないので、落雷の危険性は薄いだろうと思う。

 勇気はさっきのやりとりを気にしていた。ただの工具だというと、拍子抜けしたみたいに興味を失った顔で小屋の奥へと消えていく。

 先に小屋の中を探っていた武詩は、舌打ちをして帰って来た。

「だ〜めだ。な〜んにもねぇーな」

「せめて灯りでもあればね」

 潤の呟きに反応したかのように、洋一は車へと歩みを進める。

 少しして勇気が毛布を片手に帰ってくると同時に、洋一が車から帰って来た。手にしていたのはランタン。たぶん、あの非常用の荷物にでも入っていたのだろうと

 雨は一層強くなり、それは悪意を孕んでいることにも四人はどこかで感じていた。

 それが的中したかのように、どこか近くで、崩落の音が聞こえた。

 男三人は大して動揺を見せなかったが、潤だけは可哀想なくらい震えていた。

「ねぇ、誰か見てきてよ……」

 不安から出た何も意味をなさない言葉だったが、不安を解消するには一番いい方法ではあると、端からわかったような笑顔で洋一は、立ち上がり、車のキーを握り締める。

「武ちゃんも着いていってよ、洋一君だけじゃ可哀想……」

「だったら勇気に……」

 意味の無いことだとわかっている。見てきてもらってどうにかなるものではないとわかっていても、潤の言葉は止められなかった。

「勇気君はさっき誘導してくれたでしょ、だから武ちゃんお願い」

「ったく、わかりましたよ、と」

 重たい腰を上げ、武詩は洋一の後ろに続く。

 洋一は振り返らずに、そのまますぐに帰るよと優しく声をかけると、雨の中へと消えていった。

 その後は、不安と沈黙が満ちていて、言葉が入る隙間が無かった。

 勇気は何かを言おうとして、喉がそれを拒んでいる。潤は今、考えるという行動自体、不安で自分を埋め尽くしてしまう要因になるとわかっているため、ただただ、寒くない体を震わせて、強く歯を噛み締めて、内なる不安に押しつぶされまいと足掻いていた。

「あんまり、振り回すなよ、あいつらも、俺も、たぶん、お前に言われたら嫌って言えないから、さ」

 勇気の喉を突いて出たのは、もっとも正しく、それでいて、もっとも重たい言葉だった。

 同時に、身を包む毛布に、大粒の涙が吸われていく音を聞いた。

 勇気は初めて、人の心を潰した音を聞いたのだ。そして、それは手にとるように、勇気の胸に、感触を深く残したのだった。

 涙が枯れ、体以上に毛布が濡れてから、勇気と潤は、新たな不安に刈られる。

 潤が気付いたように勇気に目を合わせるが、勇気の言った言葉を思い出すと、顔を毛布に埋めてしまった。

 勇気は自分のレインコートを羽織り、俯く潤の肩を叩く。

「行ってくる。それと、ゴメン。後、洋一って案外鈍いから、頑張れ」

「……いつもどっか余計なんだから」

 触れた肩の感触が、刹那にして暖かくなったのがわかった。勇気には、それすらをも感じ取れてしまったのだ。この空間が、この状況が、そうさせたのだ。

 扉が開く音と共に、強くなっている雨音が耳を劈き、それと同時に、また扉が閉まり静寂が訪れる。




 コンコンコン。と、小さく弱いノックの音で、自分が眠っていたことに気付く潤は、毛布を慌てて剥ぎ、続くノックの音に近づくが、ドサッと、倒れるような音も聞こえ、不安が重なり、扉を開ける。

「洋一君! ……」

 全身ずぶ濡れで顔が真っ青、相当な時間雨風にさらされたのだろう、熱は相当高くなっていた。

 小屋に担ぎ込み、許容の範囲内で着ているものを脱がし、体を拭き、毛布を被せて頭に濡れタオルを乗せて、一段落ついたころだった。洋一がかすかに、口を開いたのだ。

「……ぅん……。武詩が……」

「洋一君? 何、大丈夫? 」

 そして洋一は重たい口を開く。朦朧とする意識の中、確かに、はっきりと、罪を告白するかのように、呟いたのだった。

「武詩が、……落ちたんだ」

「嘘、きっと見間違いよ、大丈夫……大丈夫……」

「車の中から……見たんだ、フロントガラス、越しに……」

 冷えた手を握り締め、自分の罪が消えればいいのにと、自らの言動を、今更ながらに深く反省する潤は、自分の身勝手さに少し嫌気がさし、洋一の不安を解消しに向かおうとした。あえてその理由は、自分の責任逃れだとは、誰も口にしないだろう。

 小屋の扉を開こうとすると、先に扉の方が動き始め、姿を見せたのは武詩だった。

 安心感の先に、聞かされていた事象から、幽霊でも出たかと恐怖に思う方が強く、潤はそのばに腰を落とす。同時に『よかった。よかった……』と、嗚咽を漏らしながら何度も呟く。

 だが、二人を探しに行ったはずの勇気の姿が見えない。それを聞こうと武詩の顔を見るが、あからさまに困った顔をしている。

「あれ? ねぇ、勇気君は? 」

「……あいつな、俺に手ぇ貸そうとして、崖から滑って落ちたんだ」

 武詩は別段、体に不調も訴えておらず、平常心を保っていたため、ことの次第を潤に告白していった。

 土砂で帰り道が塞がれていないか、それを確かめに行く途中、軽い土砂崩れに見舞われ、その上に乗るように車は滑り、二人は頭を打って少し気を失う。

 幸い車から出ることはできたが、坂が急なため、いくら武詩であろうと、洋一を抱えて坂を登ることは不可能であったため、洋一を途中まで運び、頑丈な木の側に寝かせ、助けに来た勇気に助けを求めた。

 武詩と洋一は無事、土砂崩れでできた崖の上に立てたが、その反動で勇気は谷底へ、途中車に引っ掛かったが、地面が弱く、そのまま車と一緒に落ちていったとのこと。

 事情を聞き終った潤は、若干の冷静を保てていた。それは思考の麻酔とでも言おうか、勇気もまた、武詩のように、ひょっこり顔を出すのではないかと、期待していたからだ。

 が、その冷静さが虚を突いた。

「ねぇ、ちょっと矛盾してない? 」

「何が? 」

「さっき洋一君が眠る前に聞いたのは、フロントガラス越しに落ちていく武詩君。でも、それが勇気君でも

、話が噛みあわないわよね」

 武詩は少し困ったようにしていたが、この矛盾が何を招くか、それはまだ未知数であり、今は無駄でしかなかった。次の訪問者が来るまでは……。

「勇気君……」

 突然開け放たれた扉には、顔面蒼白といった状態で、なにか呆けた顔をした勇気だった。

 雨上がりの風景をバックに、その場に立ち続ける勇気に、潤は疑問を投げかける。

「ねぇ、勇気君も入り……」

 その言葉が聞こえなかったのか、勇気は静かに気を失う。洋一の時と同じように、一つだけ言葉を残して……。

「よかった。洋一、生きてたんだ……」

 その言葉の裏には、彼は洋一が死んだ場面を見ているということを孕ませていて、その時、落ち着いていた潤だけが、ある疑問に気付いてしまった。

 皆が生きている。だとしたら、誰が死んだのか。

 更に、誰かが嘘をついていることにもなる。そう、全員の意見が全く噛みあわないからだ。

 武詩はその事実に気付かずに、ただただ目の前の矛盾に打ちひしがれていた。潤はそれを口に出すべきか、中に留めておくべきか、少し迷ったが、喉を突いて、言葉が勝手に音を奏でる。

「誰か、死んでるってこと? 」

「そんなオカルトな、皆生きてるじゃねぇか」

「でもおかしいでしょ、洋一君は武ちゃんが死んだとこを、武ちゃんは勇気君が死んだところを、勇気君は洋一君が死んだところを見てるのよ、もぅ……わかんないよ」

 武詩はそこでようやく事の次第に気付くのだが、潤はその先を行き、一人で結論を出すこともできず、ただただ落ち込んでいた。これを招いたのは他でもない、自分の一言なのだと、ついさっき気付かされたからだ。

 そこで彼女特有の正義感が働く。誰が死人で、誰が生きているのか、それを確かめようと動くのだった。

「ねぇ武ちゃん、誰が死んでても、恨みっこ無しだからね」

「あぁいいぜ、俺は誰も……駄目か、俺見ちゃってるもんな……」

 今まで得たことから推理を立てるが、やはりどれも辻褄が合わない。

 何も見ていない潤と、全て語ってしまった武詩と二人では、話が進まないのは目に見えている。

 潤は半ば諦め、洋一か勇気が目を覚ますのを待つ。

 時は朝を迎え始め、天気予報は皮肉を交えて正解を継げ、明るさが小屋を襲う。そのせいか、洋一がゆっくりと、小さな唸り声を上げながら目を覚ますが、少しまだ顔が青い。

「大丈夫? 」

「あぁ、とりあえず大丈夫」

「ねぇ洋一君、急で悪いんだけど、何でそんなに濡れてたの? 」

「どういうこと? 」

「洋一君、武ちゃんが落ちるのを……正確には、誰かが落ちるのを、フロントガラス越しに見てるのよね、車の中だったら濡れないでしょ? 」

 そういえば、といった表情で、洋一は記憶をたどる。

「車が動いたのかな、もう一回俺意識なくして、気がついたら外にいたんだ。うん。車も無かった」

 ここでようやく確信に一歩近づくことになる。どうやら、車が落ちたということは事実らしい。

 そこで思いつくのが、洋一の死だけだった。車にぶつかり、車が動いたなら、当然車の中の洋一は、車と一緒に崖の下。でも、その推測だと、後一人、誰かが死んでいることになる。

 不思議がっている洋一に、潤は説明をする。

「いい、誰が死んでても、恨みっこ無しだからね」

 決まり文句のように、潤が囁くと、洋一はいつもの笑顔を取り戻し、笑ってみせた。

 が、そこで矛盾が現れる。

 武詩はまず、洋一を途中まで担いだと言った。そして、その後、勇気が勢い余って崖の下に転落。が、先ほどの洋一の話とは、全く時間軸がずれるのだ。

 つまり、どちらかが嘘をついている。

 近づけば近づくほど、なんだか嫌な気分にかられるが、それでもあやふやなまま最後まで引きずるのは性に合わないのか、潤は更に推理を続ける。

「ねぇ、事故現場に行かない? 」

「俺は真っ先に山降りた方がいいと思うけど、洋一は? 」

「ん〜俺は勇気が起きるのを待つよ」

「そうね、焦ってもしょうがないものね」

 だけど、その時間が嫌に長く感じる。色々考えて、消そうとして、消せなくて、消す手段を探していると、また新たな問題が浮き上がってくるのだ。

 そう、解決してないものがある。勇気が起きる前にと、潤は思い切って口にする。

「ねぇ、怒らないからさ、どっちが嘘ついてるか、教えてよ」

「え? 」

 洋一が静かに疑問符を浮かべ、潤がまた口を開く。

「洋一君が崖を落ちた誰かを見たのが車の中、でも、武詩君が言うには、二人が外にいる状態で勇気君が崖の下に落ちた。つまり……」

 言いたくないけど、言わなくちゃいけない。そんなジレンマに苛まれながらも、独白のように続く。

「どっちかが嘘をついている……」

 二人の顔は一向に変わらなかった。どちらも嘘をついているように思えない。だけど、誰かが嘘をついていることは明確なのだ。

 それからはどうしていいのか、三人は揃って口を開かなかった。考えることも止めた。やっぱり、勇気が起きるのを待つ。それが三人の間で交わされた、暗黙の了解だった。

 その時、勇気がかすかに動きを見せた。手をついて体を起そうとしている姿を見て、洋一はゆっくりと側に近づく。

「最初に言われたように、誰が死んでても、恨みっこなしな」

 洋一が二人に笑顔を見せ、起き抜けの勇気の顔を覗き込む。

 驚くようなことは無く、言葉を耳にして、質問が来るのがわかっていた。

 いや、それともまた違う顔を見せている。不思議がっているのだ。キョトンとした顔で、逆に洋一の顔を覗き込む。二人はそれぞれ顔を覗き合わせ、疑問符を浮かべる。

 先に口を開いたのは、洋一だった。

「どうした? 俺の顔、何かついてる? 」

「お前、誰と喋ってるの? 」

 背筋が凍るとか、鳥肌が立つだとか、そんな感じはなかった。ただただ、わけがわからなかった。

「おい、寝ぼけてるんじゃないの、だって……」

 唇が震えていた。心臓が早く脈を打って、頭が真っ白になった。

 誰もいない。後ろには、誰もいない。いや、最初から誰もいなかったのだ。

 頭が追いつかず、どうしていいのかわからない洋一を、ただただ不思議そうに、勇気は見つめていた。

「は、ははっ……あ、そっか。死んだのか、二人は……」

「よう……いち? 」

「……なんでだよ! なんで……」

 動かなかったが、確かに、震えていた。

 いつもは馬鹿みたいに笑っている洋一が、初めて人前で涙を流す姿に、勇気もどうしていいのかわからなかった。

 ただ一つ、勇気にできることがあった。

「説明するよ……」


 洋一と武詩を乗せた車は、土砂の上に乗り、幸運なことに流されただけで、土砂に飲まれることはなかった。

 武詩は一人で車から出て、とりあえず助けを呼びにいこうと崖を上ろうとした。

 勇気は二人を探しにいったものの、なかなか見つからずにいて、遅い三人が気になり、潤も二人を探しに行くことになった。

 そして、事故現場を先に見つけたのは潤で、その時丁度、武詩が崖を上りきった。

 が、直ぐには助け出しに行こうとはしなかった。武詩から話があったのだ。誰もいない、二人きりの場面でなければいけない事が。

 そう、武詩は長年思いを募らせていたのだ。潤に対する恋心を。

 勇気は丁度、その二人が話している時に、ようやく現場に到着したのだが、現状がつかめずにいて、出るタイミングを失っていた。

 話の内容は告白だったが、その後の行動が問題だったのだ。

 勿論潤は、洋一が好きなわけで、答えは勿論“NO”だった。わかっていると思っていたのだが、それも踏まえて、武詩は行動を起こした。

 好きにならないんだったらと、武詩は潤を崖の下に落としたのだ。そう、洋一が見たのがこれであった。

 勇気は遠くで、どうしたらいいのかと思案をしていた。復讐の算段を練っていた。

 そして意を決して武詩の前に出た。平生を保って、さっきのことは口にせず、冷静に、殺す算段を終え、下準備を進める。

 勇気が武詩と一緒に車に洋一を助けに向かい、心配を装い先に運転席に手を伸ばすが、当然勇気が運ぶことはできず、頑張っているふりをし、助手席の工具に手をかけ、スパナを取り出す。

 そこで武詩にかわり、中から洋一を助け出し、そして、後を向いている武詩の首に、何度も何度もスパナをたたきつけ、頭を、顔を殴り、血は車に飛び散った。

 洋一を車から出し、外に寝かせ、武詩と、返り血を拭いたもの全てを車に詰めて、崖の下に落とした。

 が、勇気はそのあと平生を保つことができず、一人逃げ出してしまい、洋一を残して逃げ出してしまった。

 だが、良心の呵責が傾きかけた勇気は、どうにか心を取り戻し、事故現場へと向かうのだが、そこに洋一の姿は無かった。少し身を震わせていると、小屋に向かったのじゃないのかと戻ると、洋一は一人横になり、静かに眠っていた。

 これが事件の真相だったのだ。二人は、すでに死んでいたのだ。




「どうしたか知らないけど、とりあえず、山降りようよ」

 洋一は放心状態でも、平生を保とうと薄ら笑いを浮かべていた。そんな洋一の肩を抱え、勇気はゆっくりと山を降りる。

 晴天とはいかないものの、昨日の雨とは打って変わって、日差しが嫌に肌を刺す。それでも濡れた体は、風に当たると気持ち悪いほど寒く、肉体的なジレンマに苛まれる。

「俺ちゃんと自首するからさ、っと……その、ゴメン」

 いつもの洋一なら許すはずだ。笑顔ひとつで“おまえのせいじゃない”と、言ってくれるはずだった。

 でも、どっか大切ななにかが抜けてしまったのか、穴が空いてしまったのか、表情の希薄な顔が、少しだけ驚いたように顔を覗かせる。

 唇が振るえ、手に力が入り、込みあがる何かのはけ口を探し、見つけてしまった。

「あんたのせいだよ!! 全部、全部あんたのせいだよ!! 」

 両肩を押さえ、地面に組み伏せる。

「なんで見てるだけなんだよ、何でそれで殺すんだよ!! 全部!!……全部……」

 雨上がりの地面は、ヌチャッと嫌な音を立て背を汚す。まるで、今の勇気の精神状況のようだと、少し感傷的になっているようだ。下は泥、上は人、人を殺めた事により、自分はこれ以上に汚されているのだと、でも、洋一のことを考えると、悲しむべきじゃないと、涙を堪える。

 洋一は勇気の上に馬乗りになるが、傷つけることすらできず、ただただ涙を零していた。

 ようやく振り上げた拳は、ほんの些細な良心から地面を打つだけだった。

 すると、洋一は吹っ切れたように笑い出す。いままでいつも笑顔だった洋一が、少し笑顔を無くしていたと考えれば、必然出てくる量だなと、身を起こしながら勇気は考える。

「ははは……馬鹿みたいだな、いつもの逆じゃないかな、これじゃ……」

「その、ゴメ……」

「謝るな!! 」

 さっきとは違い、はっきりとした意見と目を持って、洋一は勇気の言葉を遮った。

「今謝られても、許せないから。さ、はやく帰ろうぜ」

 笑顔が帰ってきた。洋一はいつものように笑っていた。しかし、その拳は、血が滲みそうなほど強く握られていた。

 勇気はそれを受け止め、再び帰路を辿る。その間二人は、一切会話をしないはずだった。

「何か言った? 」

「いや」

 洋一が勇気の目を見て、そして天を仰ぐ。

「気のせいか……」

 どこか心残りがあるのか、天を仰いだままの洋一の肩を勇気が叩き、再び歩き出す。

 が、少し歩いたところ、勇気も歩みを止める。

「あ、ほんとだ……」

「だろ? 」

 雨上がりの空の薄くなりつつある雲は、少し流れて太陽を隠すのを止めた。

 見上げれば目が痛いほどだったが、声なのか泣き声なのか、それともざわめきなのか、しばらくその音が気になり、二人は足を止める。

 動物達は活動を始め、風は次第に強くなる。声は遠くなるのかと思いきや、少しづつ近づく。

『……ょに、い……』

 囀りが聞こえる。木々の漣が聞こえる。それよりも確かに、女性の声が聞こえた。

『いっしょに、いこ』

 耳を疑うその声は、どこか潤に似ていた気がした。

『一緒に、逝こ』

 その声が何よりもはっきりと聞こえた時だった。地面が揺らぎ、天が揺らいだ。

 雨で軟らかくなった地面は崩落し、それに伴い二人は重力に従う。頭の上の地面もまた、同じように降り注ぎ、一瞬の間に、全てが静寂に包まれる。

 誰もが、全てが、この四人を忘れさせたいがように。誰かが、潤が、全員を繋ぎとめるようにして、土砂は最後の二人を、ただただ単純に飲み込んでいった。


end.

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