第一王女
「皆様方が混乱するのも無理はないと思います」
薄暗い石畳の部屋に、文字通り一筋の光を差し込んだ彼女は、少し顔をうつむかせて僕らにそう言った。人形のよう、と表現するのがぴったりの彼女は、形のいい眉を申し訳なさげに下げた表情さえ、よくできた絵画のようだった。美形はどんな表情でも眼福なんだなあ、とどうでもいいことをぼんやりと思う。
場所は先ほどの石畳の部屋とは変わって、いわゆる大広間とも呼べる場所。僕らが通う高校の体育館ぐらいの広さの部屋に、わけもわからぬまま案内された僕らは、目の前の美女からの話を聞いていた。
物珍しげに周りに目を走らせる奴、美女に見惚れている奴、あからさまに不満げに腕を組んでいる奴、今後の展開への期待に目を光らせている奴、いまだに状況についていけてない奴。クラスメイト達はお世辞にも統率されているとは言い難かったが、それでも一応ひとつの集団の体をなして、視線の大部分を目の前の美女に注いでいる。
「申し遅れました。私はセシリア・エルミネーゼと申します。この国の第一王女として、皆様の担当を王より任されました」
美女――セシリア様の声に、クラス全体から「おお」と感嘆とも畏怖ともつかないどよめきが起こる。現代日本で生まれ育った身で、マジもんの王女様を目にする日がこようとは。そんな感じの空気が、僕含めクラスメイト達の間で漂う。自分で言うのもなんだが、めちゃくちゃ反応が庶民っぽい。
そんなクラスメイト達に、セシリア様はほれぼれとするような魅力的な笑みを浮かべ、優雅に一礼してつづけた。
「皆様方にも、事情はあると存じます。ですが、どうか我が国を救ってはいただけませんでしょうか」
いただけません、とは口が裂けてもいえなさそうな空気の中、クラスメイトで真っ先に口を開いたのは、精悍な顔にさわやかな笑みを浮かべた神代大地だった。
「正直、俺は元の世界に戻りたい。でも、何か困っていることがあるのなら、力になりたいとも思っています」
なんでお前が仕切ってんだよ、と少し思ったが、「じゃあお前が仕切れよ」って言われたら御免こうむるので、口にしない。まあ、誰かが矢面に立たないといけないのなら、神代は適任だろう。女子受けがいい男子だし、周りに気を使える。クラスの中心人物はだれか、と聞かれたら誰もが名前を挙げるような、そういうやつだ。
案の定、女子からは「かっこいい……」みたいな黄色い声が上がり、男子の中でも「あいつならいいか」みたいな雰囲気が漂っていた。いわば大勢は決した状態。
しかし、集団に異端者は付き物だ。少し弛緩した空気を切り裂くように、クラスメイトの後ろの方から声が上がった。
「ちょっと待て」
「椎名……」
少し困ったものを見るような声を上げた神代に対し、先ほどから腕を組んだまま立っていた椎名雪が、じろりと視線を向けた。雪、なんて可憐な名前をしているが、少々目つきの悪い男だ。
「お前の意見を、クラスの総意みたいに語るな。俺は納得していない」
「納得……?」
「ああ、納得だ」
そういうと、椎名は視線をセシリア様に向けた。
「こちらは何が何だかわからん状況で、勝手につれてこられている。納得のいく説明を要求したい」
あいつすげえな。王女とかいう、肩書からしてやばそうな相手にも、まったくビビった様子がない。
関係ないところで僕が勝手におののいている中、セシリア様は表情を変えることなく、柔らかい笑みを椎名に向けた。
「もちろんです。こちらが勝手をした以上、あなた方の感情をないがしろにするつもりはありません」
「ふん、ならいいが……」
椎名はいっそ不遜にも思える態度でそういった後、口を開いた。
「まず、ここはどこなんだ」
「ルーレ大陸南方に位置するエルーゼ王国の王城……と言われてもわからないでしょう。あなた方に分かりやすく言うと、あなた方が住んでいたのと異なる世界になります」
「勇者ってのは?」
「人々が魔族の脅威に苦しみ、危機に瀕したとき、神が遣わして下さる別世界からの英雄。人々を救うその英雄を、この世界の人々は勇者と呼んでいます」
「俺たちが、そうだと?」
「今現在、我々は北方から攻め入る魔族に対して、滅亡の危機に瀕しています。私たちは伝承に従い勇者召喚の儀を行い、その結果皆様があの場に現れました。よって、あなた方は我々の信じる勇者で間違いないかと」
「勝手な話だ」
椎名はそう吐き捨てると、じっとセシリア様の目を見た。
「で、俺たちは帰れるのか?」
「勇者様を目にするのは、これが初めてでございますので、必ず帰れますとは言い切れません。ですが、帰る方法として伝わっているものはあります」
「それを使って今すぐ帰してくれ、と言ったら?」
「……それはできません。帰還の方法については、魔族側の領土に伝わっているとのことですから」
そこで初めて、セシリア様は少し視線をそらすようにしてそう言った。
椎名はそれをじっと見ていたが、やがて興味を失ったように目を閉じて、軽く息を吐いた。
「そうか」
ぽつりとそう言った後、椎名は何も口にしない。そこで生じた微妙な間を埋めるように、神代がセシリア様に頭を下げた。
「すみません、口が悪い奴で」
「いいえ、構いません。こちらが勝手に呼んだのです。彼の疑念ももっともでしょう」
セシリア様は柔らかい笑みを浮かべ直して、そう言った。神代もほっとしたようにまた頭を下げる。
怒涛のごとく展開された会話に、僕はようやっと一息ついた。と、同時に、こいつは匂うぜ、と内心思う。
だいたい、こういう召喚物のテンプレとして、元の世界への帰還法はないことが多い。まあ、ネット小説の知識が、このマジもんの異世界で通用するのかと言ったら疑問ではあるけど。
でも、あの不自然に視線を一瞬そらしたセシリア様に、何とも言えない疑念が生まれたのは確かだ。椎名もおそらく、気づいたことだろう。
もしかしたら、帰還の方法は魔族領にあるといったセシリア様の言葉は、嘘なのかもしれない。でも、それが今役立つ知識かというと、微妙だ。
僕たちに何かをさせるためにここに呼んだ以上、何もしないうちにあっさりと帰してもらえるとは思えないのだから。
結局僕らは、何もわからないままここに呼ばれた時点で、主導権を向こうに渡してしまった状況なのだ。
「それで、俺たちが呼ばれた理由って……」
「はい、先ほど彼に言いましたが、魔族から私たちを救っていただきたいのです」
頼み込むように頭を下げるセシリア様に、神代は難しい表情で言った。
「戦争……ってことですか」
「ええ、そうなります。ですが、一般的な戦争とも言えません。魔族は人間を虐げている。そして今この瞬間にも、魔族に苦しめられている人たちが大勢います。この戦いは、彼らを救うための、いわば聖戦なのです」
神代の反応が鈍いのが不安だったのか、セシリア様が、魔族がいかに悪辣で非道であるかを一生懸命語ってくれた。人間を奴隷や家畜のように扱っているとか、そういう話だ。
だが、問題はそこではないのだ。神代が難しい表情のまま言った台詞が、その場にいるクラスメイト達の総意だった。
「でも、僕たちは戦う力なんかありませんよ。力になれないと思うのですが……」
「そのことでしたら心配はいりません」
セシリア様はほっとした顔でそう言った。どうでもいいけど、この人わりと感情が表に出やすそうだな。初めの超然とした神秘的な王女様像が、僕の中ではすっかり霧散していた。
「心配はいらない、というと?」
「皆様はこの世界に降り立った時から、神より祝福を――職業を授かっているはずです。目を閉じて、心の中をのぞいてみてください。あなた方のステータスが浮かんでくるはずです」
んな抽象的な……。
怪しい宗教のようなことをいうセシリア様に僕は呆れたが、神代は特に何も感じなかったようだ。すっと目を閉じ、数秒後に小さくつぶやいた。
「聖騎士……か」
「素晴らしい職業です!光魔法を中心に近距離、遠距離ともに隙のない職業ですよ」
セシリア様が顔をぱっとほころばせて可憐に笑い、神代もまんざらでもなさそうに頬を掻く。それを見てクラスメイト達からも次々に声が上がった。
「剣士だ」
「お前も?俺もだぜ」
「剣士、多くね?俺もなんだけど」
「私は火魔法士だってさ」
「私は火魔導士……って何が違うの?」
「知らない」
つい先ほどまでの緊張がなかったかのように、思い思いに友達と声を掛け合うクラスメイト達。みんな順応するの早いなあ。まあ、多分に現実逃避を含んではいるんだろうけど。
置いてけぼりにされた心地でぼんやりしていると、後ろから肩をたたかれた。振り返ると、クラス内で比較的仲のいい寺岡翔太が立っていた。
「お前、なんだったの?あ、ちなみに俺は拳闘士な」
「拳闘ってことは殴ったりけったりすんの?」
「だろうな。格闘なんか、ゲームでしかやったことないけど」
「あはは、そりゃそうだ」
むしろ、普段からそんなことしてる奴がいたら、危なくて近づきたくない。――いや、格闘技なんかを習ってる奴は、普段からそういうことしてると言えなくもないのか?……微妙だな。
「おーい、戻ってこい。ぼーっとすんな」
「っと、悪い」
僕の思考が脇道にそれるのは日常茶飯事なので、引き戻す寺岡も手慣れたものだ。
「ったく。で?お前の職業はなんだったんだよ」
「あー、まだ確認してない」
僕が苦笑すると、寺岡は呆れたように笑った。
「何ぼーっとしてんだよ。さっさと確認しろよ」
「ああ」
軽く目をつぶって、自分を覗き込むイメージ。するとあっさりと、頭の中に文字列が浮かんできた。味わったことのない感覚が気味悪いが、こらえてステータスを確認していく。
ステータスのつくりは、そっけないくらいに簡素だった。名前の下に保有魔力と銘打たれた数値。たぶんゲームで言うMPだろうな。MPがあるのにHPがないのは、意外というか違和感があったが、自分の命を数値化したものなんて見たくなかったから、これはこれでよかったのかもしれない。
そしてその下にある職業の欄を読んで、思わず吹き出しそうになった。ゆっくりと目を開けると、好奇心を隠す気のない寺岡の顔が映る。
はは、まったく――
「で、どんな職業だったよ」
「ああ、僕の職業は――」
――こいつは、
「――剣士だったよ」
僕にぴったりの職業だ。
カタカナの名前と漢字の名前が入り混じると、見づらく感じる時があります。でも、主人公が日本人なので、漢字の名前をカタカナに直しても違和感。うーん、難しいものです。
どうも、kimeraです。今話を読んでくださって、ありがとうございます。
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